素敵な奥さん

 どうしたって恋人同士には見えない、それはよく判っている。自分が悪いのだ。しかし改めることが出来るほど素直だったらそう悩む必要も無いし、そもそも自分たちが恋人同士に見える必要はあるのだろうかと思えば疑問もある。そもそも恋人同士であろうとなかろうとそんなの他の連中にどういう関係があるのか。だからいいのだ俺様はそれで。カノンもそれで良いと言っている。ただ、バノッサ自身の中に何処となく清純なところ――換言してもせいぜい、大人気ないところ――があるのだろう。時に、自分の振る舞いを見直したほうがいいのかもしれないと、第二の自分に諭されることがある。

 性行為といえば概ね、バノッサの性欲を充足させる為というより、寧ろカノンのそれのため、そして、カノンが望むバノッサとの肌の重ね合いの為に存在するものであって、もちろんバノッサも二十代そこそこの男であって相応に変態的な嗜好も兼ね備えているから、カノンのすべすべとした裸体を見れば不十分でも欲情してしまうわけだが、それを前提にしても、やはりカノンの気を満たす事情の方がより重い。よって、多くの場合、カノンがバノッサに、無防備に甘え、そのままの流れでずるずるずると。

 それでカノンは満足なのだし、自分も同じ、少なくともベッドルームに自分たち以外の誰が来る訳ではない、だったら、別に外で歩いているときに誰かに見せびらかす必要は無い。但し人並み以上の独占欲は、見せびらかすことでそれを満たしたいとも思うのだ、「このガキは俺様のものだ」と。披露することで羨望を招き、独占を誇示し、その半量の不安を味わう。それは悪いものではないだろうと思う。

 しかし、この辺が同性愛で、バノッサの考えどおりには行かないところで。嘘無し、全部正直、ノンモザイクで言ったならば、バノッサの目から見たカノンは、「可愛い」。

 だが、周囲の愚か者たちは、そうとは感じないようなのだ。

 つい昨日のこと。バノッサが一人で盗んだリンゴを右手で握りながら歩いて帰る途中だ。子分たちが揃って困惑した表情を浮かべ、何かを囲んでいる。

「……あにしてんだお前ェら」

「あ……、いや、その」

「タカってんなよ、外ではバラけてろっつってんだろうが。チンピラのガキじゃあるめェし」

「いや、……その、ええ、まあ」

 途方に暮れたように立ち尽くす子分たちに言っても、要領を得ないリアクション。苛立って、どけと左手で一人を脇にやって。

 輪の中心にあるものを見て、バノッサはリンゴにひびを入れた。

「……おい、このガキは……」

 そしてその手からポロリと青い実は落ちる。

「何時から此処でこんなことやってやがんだ」

 子分の一人が、まだ困惑した声で応ずる。

「いやあ……それが、オレたち通りがかった時から……ええと、三十分くらい前ですかね」

「なんでそんな三十分も放ってやがったんだボケ!」

「いや、それは……、何か、逆に声かけんの悪いような気がして」

「……役立たず!」

 バノッサは毒づいて、足元、……薄汚れた白い毛皮の野良猫に寄り添われながらすうすうと眠るカノンの尻を蹴った。

「オラ起きろ、テメエ、何してやがる」

 妖しいほど可愛い――とバノッサは信じている――顔を地べたにくっ付けて、眠っている、全くの無防備で。

 眉間に皺が寄って、「ううん」とうなって、薄っすら目を開ける。開けたところ、愛するバノッサさんがいるので、カノンはにこおと微笑む。

「あれえ、どうしたんですかこんなところで」

「どうしたんですかじゃねえ。何してんだテメエ」

「んー……寝ちゃいました。この子、あったかいんですよお」

「知るか! アホかお前は。何処の世界に野良猫と一緒に寝るアホが居る!」

「……でもぼく、アホですから」

「アホでも野良猫と寝るんじゃねえ!」

「えー……。気持ちよかったのに……」

「ンな事情誰も聞ぃちゃねェんだよ! ……何見てんだテメエらこの役立たず! 散れッつってんのが判ンねえのか!」

 バノッサの剣幕に子分たちは一斉に散会する。白猫はあくびをして、カノンが起きたのを見て、毛並みを整えて、路地を駆けて消えた。後にはバノッサと、まだ眠そうな顔のカノンが残る。

「……いいか、道で寝るな」

「寝るつもりはなかったんですよ。でも、気持ち良くって」

「言うこと聞け。判ったな」

「……はぁい」

 テメエみたいなんが裏路地で寝てて、誰に何されるか……、考えたことあンのか。いや、ねェんだろうなあ……。

 そう思ったバノッサではあるが、考え直してみれば、子分たちがただ途方にくれたばかりだったのが解せなくも在る。ただ、自分はどうやらカノンが心配らしい、可愛くてしょうがないらしい、というどちらかといえばささくれ立つような感情の種類の正体にぶち当たったことは確かで。十分に愛らしい無表情な寝顔だけでも無闇に晒すのはカノンにとってよくないとも思う。幼稚であり、だからこそ瑞々しい独占欲の成せる技だろう。

 そりゃ大好きだよ、しょうがない。百歩譲ってそれを認めても、そうそう口には出せないが。要するに単純に心配なんだよ。

 心配だけど、心配じゃないフリをする。そういう相反した二つの気持ちを同時に抱きながら、

「いいかバカカノン、お前がバカでアホなのは今に始まったことじゃねェけどな、ああやって外で寝ンじゃねえ」

「でも、気持ちよかったんですよお、あの子あったかくって」

「テメエのベッドはここにあンだろうが、テメエが毎日ベッドメイキングしてンだろうがよ」

「はあ。でもそれはバノッサさんの為であってぼくのためじゃ」

「四の五の抜かすんじゃねェよ」

 ……だから、旗色は悪い。どうして外で寝ちゃダメなんですか? そう純真無垢天真爛漫な瞳で尋ねられて、まさか「俺様が心配だからだ!」とは言えまい。しかも、子分たちがカノンを見て欲情しなかったという結果だけを見れば、それこそ「俺様」はちっとも「心配」する必要などないのだ。丈夫なカノンなのだし、外で寝たところで風邪もひくまい。

 ただ、……ただ、やはり。周囲が、……けしからぬことにも、カノンを見て可愛いという感想を抱かなかったとしても、やはり。やはり。

 面白いことではない……。

「ひょっとして、心配してくれたんですか?」

「違え!」

 怪しげなほど鋭い反応で、バノッサは言下に否定する。

「調子に乗るんじゃねエ」

 お前なんかにこの俺様が。

 こういう剣幕で話をする辺りが、要するに普通の恋人にはないのだとバノッサは思う。カノンの言うように、自分ももっと笑っていられればいいのだと。笑顔で怒る人というのは、それがパフォーマンスの一つになりうるくらい難儀で、自然、優しく話が出来るようになるはずだ。いつでもぷつりと切れそうな堪忍袋の緒で居て、神経を自ら摩耗させるような真似が、全く好ましくないということも判っている。カノンは何れにせよ、にこにこへらへら、笑っているだろうと想像は付くが。ただ、独り善がりの考を多少は理解されたいとも思うし、またそれが辞書に載るほど典型的な我儘というのも判っているつもりのバノッサだ。

 

 

 

 

 バノッサはカノンと同居している。カノンが建て、カノンが家具を揃え、カノンが割と最近にぴかぴかクリーンアップした部屋で、二人暮し。それは建つ場所が森の奥だったりしたら、木こりと妖精の恋人同士とでも片付けてしまえただろうが、残念ながら隣りは潰れた新聞屋で出て狭い路を挿んだところにどぶ川が流れている。昼間でも薄暗いような路地である。

 オプテュスのメンバーたちはもちろん場違いに片付けられたその一軒家でバノッサとカノンが共同生活をしていることを知っている。バノッサに用事のある者は、遠慮しつつも、木の扉をノックする。

 殆どの場合、ドアを開けるのはカノンだ。

「あの……」

「あー、はいはい、……バノッサさぁん」

 となる訳だ。午前中のバノッサは一間奥のセミダブルのベッドで横たわっていることが多い(もちろん、カノンと夜そして朝、愛しあった後であるから)が、子分にそんな姿は見せられないので、頭痛と腫れぼったい目をして、よろよろと服を着始める。

「すいませんねえ、もう少し待っててください。いま服着てますから」

 カノンは微笑んで子分その一に言う。子分その一は、複雑な顔をする。今朝のカノンの格好は、白の長袖シャツ、もともとバノッサの着ていたもので、袖が余ってだらしがない、が、バノッサが見れば可愛らしい。そして、バノッサは決して、本人が危惧するほど、歪んだ嗜好の持ち主ではない。ズボンも、バノッサがもう穿かなくなっただぼだぼのジーンズで、裾を三回は折っている。首にはいつもの如く、皮の首輪がはまっている。ややアブノーマルな格好をしながら、人のよい笑みをにこにこ浮かべているわけだ。

 正常な人間であることを前提として言えば、目に留まらぬはずがない。実際、今こうして尋ねてきている子分その一も、カノンのことは十分すぎるほど、可愛らしいと思った。自分より小さくって、少女のような優しい顔、人当たりがよくって、滑らかで柔らかなカノンを。

 バノッサはだから、誰とも変わらない。よって彼の心配は、必要だったろう。

 だが、同時に不要でもあったろう。

 何処の世界に、あの凶暴なるバノッサに楯突こうなどと思おうか。一番怒りを買いそうな「間男」などに、なろうと思いつくだろうか。それは魔王のいけにえになるよりも恐ろしいことだ。

「中入って待ってます?」

「あ……、いや、ここで、いいよ」

「お茶入れますよ。どうせバノッサさんも飲みますから、どうぞ」

「……うん」

 室内は外と違って暖かく、男二人の同居には似つかわしくない、優しい香りがした。扉を閉めると外のどぶ川の匂いなど完全に遮断される。

「……あー……何だ」

 バノッサがこめかみを抑えながらやってきた。シャツのボタンを掛け違えている……! そう子分その一は気付くが、口を噤む。俯く。

「いやあの、たいしたことじゃないんすけどね。……南の連中が、こっち来やがったら、痛い目見せてもいいんすか?」

「……誰か来やがったのか」

「ええ、まあ……、エドスの奴を夕べ、路地の入口で見かけたモンで」

 バノッサは、カノンが前に置いたコーヒーを、ずるずる音を立てて一口啜る。この部屋で一番下品なものがバノッサであるように、子分その一は思った。

「……好きにしろ」

 そう答えてから、バノッサは口をつぐんで、肘を突いた手の甲に額を預けて、「くー……」と息と声の混じったものを吐き出す。

「大丈夫ですか?」

 自分の責任もあるので、カノンは一応聞く。カノンの方が二倍疲れていてしかるべき、なのに、バノッサのほうが四倍は疲れているように見える。子分その一は、バノッサの痛みの一割でも自分が味わえたらと、詮無い事を思う。

「……ああ……」

「ちなみに言うとバノッサさん、ボタン、いっこずつズレてますよ」

「……知らねエ」

 それすらも大儀だと言うように、バノッサは眉間に皺を寄せたまま顔を上げる。

「んで……、何だよ、そンだけか」

「え……、ええ、まあ、それだけって言えば、それだけなんすけど」

 バノッサは面倒臭げに立ち上がる。

「つまんねえ用事でいちいち来ンじゃねェよ……、ガキかテメエは」

 吐き捨てて、バノッサはよろよろと寝室に戻っていく、まだまだ二時間は寝足りないとでも言うように。

 カノンは困ったようにバノッサの後姿に笑い、

「すいません。バノッサさんいっつも朝は機嫌悪くって」

 と、子分その一に謝る。カノンに謝られてもしょうがないとは思うが、子分その一は、曖昧に頷いて、「ごちそうさま」と口の中でもごもご呟いて、辞去する。

「懲りずにまた来てくださいね」

 そう言われて、少しだけ微笑んで。

 カノンはその背中を見送って、すぐ扉を閉めた。バノッサの為に冷やしタオルを作ってあげようと思ったのだ。だから、子分その一が一度振り返ったのを知らない。

 氷水で濡らし、十分に絞ったタオルを、バノッサの額に載せる。バノッサは薄目でカノンを見上げる。

「……お前なぁ……」

「はい」

「……もうちょっと、こう……、気ィ使えよ。お前と俺様とじゃ、そもそもの出来が全然違ェんだよ」

 カノンはバノッサのシャツを脱がせながら、微笑む。

「ごめんなさい。でも、ぼくは」

「……聞き飽きた」

「バノッサさんのこと、大好きなんです。バノッサさんが居てくれればそれで何もいらないくらい好きなんです。本当に、大好きなんです」

「……聞き飽きたっつってんだろ……」

 そう言うくせに、そっぽを向いて。

「もう少し寝たいですか?」

「……ああ」

 カノンは、バノッサにキスをするとき、心底から「いい夢が見られますように」と祈りを篭める。鬼の祈りに誰が応えるのか判らない、魔王くらいは応えるかもしれない。

「おやすみなさい、バノッサさん」

 バノッサは、応えなかった。しかし、今のキスで頭痛が和らいだ気がしたし、そう悪い夢も見ないのではないかというぼんやりとした予感もあった。ゆっくりと目を閉じる。


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