好きで好きで死ぬほど好きで

 町田駅から徒歩五分、雑踏をすり抜ける術もさすがにそろそろ身につけた。最もテクニックなど不用、彼が周囲に目を光らせれば、そのルックス、モーセの如き力で道を作り出す。カノンはその隣を、嬉しげに腕に纏わり付いて、トレードマークの猫耳犬耳帽、被って今日はデートです。纏わりつくんじゃねェと、駅のホームでぼそりと言った。しかし大声で言えば、好都合なことに少女と誤解されるカノンが男であるヒントになる。仕方ないから、本当に当たり前のデートの顔して歩く、唇の端が歪むのは仕方が無い。バノッサだって毛玉よりも執拗に纏わりつくカノンが可愛くないわけではないので。

 銀行で金を下ろしてくる、テメェはあいつらにとっとと来いってメールしとけ。今日はトリプルデートです。質素な生活が形成する貯金は月々二万八千円もう別口座、今日は一万円と二千円までなら大丈夫、計算は出来ているが、それでも二人で暮す日々にほんの少しの不安要素が在っては困るから、バノッサが下ろしたのは八千円。この八千円という金額が微妙なバランスを保つには一番相応しい金額で、下ろして手にした瞬間の千円札八枚に、何とも心が豊かになる、しかし八千円過ぎた頃から少し不安にもなるのだ。

 ATMから出てきたバノッサの目線の先、カノンが大層付属物の多く見える男二人に絡まれている。口説かれていると言った方がいいのかもしれない。自分の相棒が少女のように愛くるしいのは嬉しいような悲しいような。カノンについているものは自分にとっては必要で、テメェらにとっちゃ何の意味も持たねェだろうが、最も、持っても困るのだが。クソが、このロリコンどもめ、口の中で唾に変えて吐き捨てて、……自分では其処まで悪いはずもないとは思っているのだが、顧みた瞬間二人の男が凍りつくような笑顔で、「俺のツレに何か用」、引き攣った顔で逃げていく男のどちらかが「ロリコンめ」と言った声に、後ろから追いかけていって蹴っ飛ばしてやろうかとも。カノンが「ぼくだけの騎士様」と、それはもう嬉しそうにまた腕に纏わりついたから、足は動かなかったが。

「ハヤトお兄さんが寝坊したそうで、まだ三十分くらい掛かるそうです。トウヤお兄さんは、郵便局と銀行に寄ってから来るそうです」

 俺様を待たせるたぁいい根性してンじゃねェか、とは言わない。二人きりなら二人きりで、街をぶらぶらすればいい、先述の通り彼らの前には道が出来る。憮然としている程度ならずいぶん見られた顔のバノッサと、腕に実るカノンの、後ろにだって道は出来る。身長差年齢差かなりの大差、しかし妙な似合い方をしているから、視線は自然と二人に集う。

「洋服、見ませんか?」

 ンなもん買うほど金はないが、冷やかすだけなら許そうか。昔のように欲しいもの全て奪うような自分では、カノンと二人で居られなくなる。思えば器用になったものだ。通りの混雑が染み込むように、木目調の壁に白熱の裸球が垂下ったショップの中にも客が幾組か、通路で擦れ違うのに難儀する。向こうの世界でああいう格好をしていたことからも推して知るべしのファッションセンスだが、雑誌を買うことも金を使うこともないから成長はしない。仕事の際にはよれよれのシャツさえあれば事足りるし、冬ならハヤトの父から譲り受けたコートを羽織るぐらい。近所の買い物も出かけるときもそれで済ます。自尊心など此方の世界へ来るときに脱ぎ捨てて来てしまったからそれで問題なし。しかしカノンは「いつでも綺麗で居て欲しいですから」、ハヤトもファッションにはあまり興味がない、トウヤも同様に、だったらぼくはお勉強します、立ち読みで仕入れた情報磨いたセンス駆使して、何処から見たって日本人ではないバノッサを上手に美青年に仕立て上げる。内面までは届かない、そのままで居たって構わない。二人で服屋に入るのはデートコースの典型にもなっていた。もちろんカノンの服だって此方で新しく買ったものが箪笥の大半を占める。どんなに男物を身につけたってまだ男に見えず、革の首輪が浮かないようなコーデはまだ思いつかないのが目下の悩みである。

「ねえねえ、バノッサさん、ぼくこれ欲しいです」

 愛情に基づき生ずる欲に、洗練されるテクニック。甘いつもりのないバノッサだが、節度をわきまえ、二人の生活が揺らぐ事の無いように必要最低限に使われるカノンの甘え言葉に、しばしば陥落してしまう。月に一辺ぐらいはいいかとも思っている。しかしおねだりなら毎夜布団の上でされていて、それにはいちいち答えていて、結局義理堅く、本人は気付いていないが周囲から見れば尻に敷かれているようにも見える。

「……あんだよ」

「これー」

 ぱん、と乾いたいい音が店内に響き渡った。バノッサはカノンの後頭部を、本当に上手に叩くのだ。

「あに考えてんだテメェ……」

「えー、いいじゃないですかぁ、すっごい可愛い、ほら、これ、ほら、ね? ぼくこういうの欲しいです」

 腕をしっかり掴まれて、バノッサが押しても引いてもカノンは動かない。鬼の力の一分も出せばバノッサをどうにでも出来てしまうアンフェアさを持っている。左手でバノッサを拘束しながら右手にカノンが持つのは、愛くるしいという表現を一歩も二歩も超えて、バノッサが二歩も三歩も行かなくなるような、

「ぼくがこういうの穿いたら、バノッサさんも嬉しいでしょう……?」

 ――耳元でカノンが囁く、何という声か――女物の下着だった。

「……アホか、テメェは……」

「前から欲しかったんです、こういうの。……だってバノッサさん、白シャツ一枚のときも裸エプロンのときもぼくに萌えてくださらないんですもん」

 先日は「ツンデレ」などという言葉をハヤトに吹き込まれて帰ってきたカノンである。

「ねえ、お願いです。ね、お値段も安いでしょ? でも生地も結構いいし、色もすごく可愛いし、ほら、この黒いふさふさ、すごく可愛いでしょ?」

 とびきり飄然、無垢なる笑顔でそう言い募るカノンに、店内の興味は集中する。あの白い外国人はあんな小さな女の子にあげなアブノーマルなカッコをさせて変態めロリコンめ、視線は雄弁で、バノッサの外耳道で言葉が確かに反響する。そんな状況下、十五秒でも耐えられたらたいしたもので、そもそも耐える必要も無い。カノンの、恐らくは健気と定義づけることに、思う程問題のないような欲をかなえてやることは、バノッサがカノンの恋人として果たすべき、ほとんど唯一の義務と言っていいのだった。

「バノッサさん、大好きです」

 クソが、クソが、クソガキが。このエリアでは煙草も吸えない。紙袋を手に上機嫌なカノンにべったりくっつかれて、バノッサが不機嫌なのはいつものことで、ハヤトもキールもトウヤもソルも、大して気には留めなかった。遅刻したのを詫びて、六人でファミレスに向かう。ただハヤトの「バノッサ、ツンデレ?」、ニヤニヤしながらカノンに訊いたその後ろ頭を、今度は無慈悲な強さで叩いた。

 

 

 

 

 例えばハヤトはどうなのだろう、バノッサは想像し、……キールは身持ちが硬いというか、気弱というか、積極的なところが全く無いのだとハヤトが愚痴を零していたのを覚えている。つまりは、血の問題か、キールにも自分同様、恋人に齎されるアミューズメントを百パー享受するようなプライドの無い真似は出来ないらしい。だから、ハヤトも色々な真似をする。いつぞやのエプロンはハヤト経由でカノンに渡されたものだったはずだ。

鬼に金棒というべきか基地外に刃物というべきか、カノンにそういうものを持たせるのは本当に良くないと、バノッサは煙と溜め息をブレンドする。頭痛を、感じているつもりで、案外痛くないのが癪だったが。

嬉しそうに夕飯を作る後ろ姿が、何ともいい加減な気がした。いい加減。悪い意味でそう思うが、内心で好いと思う心が少しでも在ることを想定しないで、買ってやることもなかったはずだ。

「できましたー」

 帰りにスーパーで買った秋刀魚は、大根を買い忘れちゃったので蒲焼にしました。ちゃんと銀髪ネギも添えました。お味噌汁はなめことお豆腐です。バノッサさんの好きな赤出汁です。これだけだとお野菜がちょっと足りないので、ほうれんそうの胡麻和えも作りました。味は薄めです。でもこれぐらいがちょうど良いんです。それから納豆です。鰹節を掛けてさあ召し上がれ。

 今後数時間の予定はいつもとさほど変わらない。新しい要素が加わったところで、転ぶこともない。ハヤトからすれば羨むべきこと、二日と開けず愛し合っている。否、しない日の方がずっと少ない。カノンが血に宿した淫性は、バノッサの体温を側にして大人しく眠ることなど出来はしない。それでもバノッサが疲れている夜もある、セックスよりも睡眠を、愛情は別として、選びたいようなときには、カノン、バノッサにキスをして、切なげに声を上げながら少し寂しい自己発散をする。とは言え普段ならやはり、これから風呂に入って、布団を敷いて、テレビも点けずに午後九時半、布団に入って「バノッサさん大好きです」、カノンはバノッサに抱きついて、夜を延ばして遊ぶのだ。

「バノッサさぁん」

 そもそも誰が見たって可愛いと思うような恋人を持っていながら、その声に端からどう誇りを保つかを検討しなければならないような自分で、ずいぶん損をしているとは思う。バノッサが命じればどんな淫らな有り様にだって。足、開きます。指、自分で容れます。しゃぶりますか? 手がいいですか? 何処に出しましょう、飲んでもかけてもいいですよ、もちろん中出しおっけーです。何処までも好都合であること、最大限活用したならば今の何倍も楽しい思いを出来るはずとは思う。「あんな可愛い子が『してください』つって来るんだったら素直になりゃいいのにさ」、ハヤトは笑っていた。「だからツンデレなんだって言うんだよな」、言われて叩く以外に思いつくリアクションもない。事実が下品なほど真中にある。

「お風呂、沸かしましたよ」

「アア? ……ああ」

「今日は僕、先に入ってもいいですか?」

 いつもならば、一緒に入りましょうと言う。二人分の下着とタオルを一緒に支度して、バノッサの身体を洗うのはカノンの趣味の一つだからだ。バノッサの腰掛けた後ろから甲斐甲斐しく背中を髪を上手に洗う、まではいいが、「前も僕が洗いますよう」、腰から回す細い腕しっかり絡ませて、首筋に唇寄せたりなどしながら、器用な指で這い回る。

「身体、ぴっかぴかにしてきます。待っててください、あのパンツ穿いて出てきますから」

「……いらねえ……」

 嬉しいくせにそんなことを言う、見透かされているのが判るが、だからと言ってカノンは余計なことを言う訳でもなく、にっこり微笑んで、「じゃあ、お先に失礼します」とぺこり頭を下げる。一人残されたバノッサは、まだ布団も敷いていない部屋で、ぽつん、落ち着かない気で待つことを強いられる。布団を敷いて、寝てしまおうか。しかし今日明日と厄介な二連休、「明日は寝坊したっていいんですから」、今日はガキどもとの待ち合わせがあったから休日の割には早く起きたほう、だが明日は何の予定もない、強いて言うならば「今夜たくさん遊んで、たっぷり朝寝坊しましょう」。だから寝た振りなど意味は無い。そもそもそういう陰険なやり方でカノンのことを傷付けたいとは思わない。一方で、バノッサのそんな優しい心根までちゃんと見抜いて、カノンは先に一人で風呂に入るのだ。

 することと言えば部屋の壁にもたれて煙草を吸うぐらい。誰かからメールでも来ればいいと思ったが、もとより彼にメールを送るような人間はあまり多くはないので、携帯電話は黙ったままだ。カノンの元には「里芋の煮っ転がしってどうやって作るの?」とか、「炊飯器壊れたからお鍋で炊きたいんだけど」などと、……んなもんテメェで調べやがれ、などとは決して言わず懇切丁寧に教えて貰えることを期待して送られてくる。実際、カノンはバノッサにとってはいい妻と言えるし、あの連中からすれば母親にも似た、しかし可愛らしくて仕方の無い存在なのである。

「カノン、可愛いよ、ホントに。もっと可愛がってやればいいんだよ」

 ハヤトに、そう言われた。冗談っぽくはあったが、「構わないなら俺が可愛がるよ?」、隣でキールが青褪めるのを愉しみながら、言っていた。

 可愛いさ、そりゃあ、あいつは……。

この世に存在する無駄を考察する。

俺には勿体無いと、バノッサは常々思う。俺のような人間の側に居なければ、あのガキはもっと幸せになれるだろうにと。しかしカノンは微笑んで言う、涙さえ浮かべて言う、「バノッサさんのお側に居させてください。あなたが居なかったら僕は生きていけません」、心底からの言葉と信じられる、その縋りつく腕の、痛いくらい強い力。何処にもやるものか、心に決めながら、その約束を違えた。次に別れる時には互いに一緒に死ぬときだと、二十四歳、何処までも青臭いことを、バノッサはしかし本気で思う。

「お待たせしましたー」

 細い裸に、バスタオルを腰に巻いただけの格好で出てきた。伺うことは出来ないが、あの中はアレなのだろうと想像する。別に、積極的に見たいとも、思わない、そう言うことに躊躇いは無いつもりだ。滑らかなラインでくびれた腰から胸へ上がっていくだけで、バノッサは満ちる。

 幸せについて風呂に入りながら考えるつもりだ。

 バノッサは今の生活に十分過ぎるほどの満足をしている。百八十超の身長には窮屈なホーローの風呂に膝を抱え――当然カノンが入るときには益々狭くなる――六畳一間には未だ冷暖房設備も無く、冬にはよく温まって出なければ震えるほど寒いような隙間風だらけの古アパートを借りるのがやっと、仕事は身体一つで勝負する工事現場、切り詰め切り詰めの生活に趣味と呼べるようなものは何も無く、これが一人だったら本当に生きていけないと、空寒い想像に寂しさすら伴う。要するに、カノンが一人、側に居て、「バノッサさん大好きです」と言ってくれるだけで、十分過ぎる。朝食も、弁当も、夕食も、日々どうしてここまで手の込んだことが出来んだと訝りたくなるような丁寧な仕事ぶりで、彼の事を一番下から支えて揺らがない存在を有難いと拝むことは、未だ素直になれなくて、一度だって出来ていない。バチが当るくらいに、満ち足りた日々。

 カノンはどうだろう? 「僕はバノッサさんと一緒に居られればそれだけで幸せですよ」と言う、本気の目をして言う。俺は何も出来てないと嘆きたい気だってする。本当はもっと温かい、或いは涼しい部屋に住まわせてやりたい。大雨の夜には木目に滲む雨漏り跡を気にしながら卓袱台の置き場を選ぶような部屋ではなくて。この世界で共に在る事で、苦労をかけているのではないかと思わずには居られないバノッサに、「バノッサさんが居るところが僕の居場所ですから」と言う、「今以上何も望みません」と言う。しかし、それをそのまま飲み込むことがバノッサには出来ない。現状の俺と居て満足出来ないから、望むものだってあるのではないかと考えるのだ。

 バノッサはカノンが抱ければ幸福なのだ。お前の他に何も要らん、お前の裸が其処にあれば、それだけで十分。……それとも俺は、愛しきれていないか? もっと積極的になって欲しいのか、しかし、そのやり方は俺にはどうしても、判らない。今のままの俺では、いけないか?

 最も、そんなことを考える自分を知らせれば、きっと落ち込む柔らかな心を知っている。

 俺が、変わって行けばいいのだ。抱えた膝に顎を乗せて、バノッサは目を閉じる。ただ、……どうしたらいい? 眉間に皺が寄った。どういう俺を、お前は望む? 「バノッサさんはバノッサさんのままで居てくださっていいんですよ。僕がその分、色んな事をします」、それを負担だなんて思いませんと、飄然と、カノンは言うけれど。

 あまり待たせるべきではない。ココロオドル? そう、ココロオドル。カノンを抱けるのならば……。想像を膨らませれば、欲も膨張する。稀代の美少年と評するのに何のためらいも無いような相手が、自分に穿いているところを見て欲しいと、わざわざあんな、女物の下着を身に付けているのだ。

 俺は此処で立ち止まっていいか? ……俺だって、嬉しいんだ、お前が、可愛いんだ。素直にそれを出せない、今は、まだ此処で。額に、鼻の頭に、汗が珠を成した。バノッサは顔を洗い、目を見開いて立ち上がった。質素な人間であるという自覚もない、この身にはどうしても不相応な幸福を前に、迷っているのは齧り付くか否かではなくて、何処から齧り付こうかという、極めて贅沢な悩みなのかもしれない。そもそも愛する者を側に置いてカレンダーの特別でない日を過ごせる時点で、あらゆる羨望嫉妬の標的になれる。

 髪を乾かして、どうせ脱がされると判っていながらトランクスを穿いて、ドアを開けた。

「……あにしてんだ」

「布団虫です」

 台所の棚に箸と並んで立っている歯ブラシの片方にペーストを載せて咥えながら、身体に巻き付けた布団から顔だけ出しているカノンは本当に芋虫のようだった。余ッ程悪い毒を持った蛾になるに違いない。燐粉に触れただけで手がかぶれ、吸い込んだだけで酷く咽せてしまうような、最悪死に至るような毒蛾だ。そのくせ色が綺麗だから性質が悪い。その羽に惹かれた男が何人も犠牲になってしまうような、しかし触れた瞬間に恍惚をその頬に満たし、死に顔は皆幸せそうだった……。

 泡を流しに吐きながら、ゆっくり歯を磨く。

「下着見せたかったんじゃねェのかよ」

 特段の意識は払っていないつもりでも、夕飯後は普段より丁寧になる理由を指摘されたくはなかった。端立てで湿ったピンク色の歯ブラシも当然、朝より昼より働いたに違いない。

「ええ、そのつもりだったんですけどね……」

 カノンはえへへと笑う。内側で布団をしっかり掴んでいるらしい、ごろん、と右へ転がっても布団は剥がれない、布団虫というよりは手巻き寿司のようだ。

「……ちょっと、あの、……えへへ」

 前髪が床に零れる。細い顎から首へ、突起のない喉仏を隠すように巻かれた革の首輪はほんの少し赤らんだ肌の色にもいつもの通り残酷なほどに似合う。

「あンだよ……、気持ち悪ィな」

 湯飲み茶碗で口を濯いで、その顔の前に屈んで、滑らかな顎の下を指先で辿った。

「ん……、あの、バノッサさん」

「何だ」

「おちんちん丸見えです」

「……そうか」

 カノンの中に今更そんなことで顔を赤らめるような純情が一欠片でも残っていれば奇蹟のようなものだ。だからその紅い頬の理由は布団の中にあるはずだった。

「……見せろよ、テメェのも」

「……えー……?」

「えーじゃねェよ、テメェが穿きてぇっッつったから俺様が買ってやったんだろうが」

「でもぉ……」

「……勿体ぶってンじゃねェ、そんなご大層なモンかよ」

 ぐい、と布団の端を引っ張った、巻物の中味は敷布団の上に零れ落ちる。真っ白なシーツの上で一際ビビッドにバノッサの視線を吸い寄せたのは、黒のファーを纏った紅い下着だった。カノンが反射的にそれを両手で隠す。思わず見詰めてしまった事を恥じたところに追い討ちするように、

「バノッサさんのえっち!」

 言ったから、思わずたじろいだ。皮肉っぽくとも微笑みを、目の端に残せたことは自ら上出来と思うバノッサである。

「テメェにそんなこと言われるとは思ってなかったな。……普段人にケツの穴開いてるとこ見せるような奴の言う科白かよ」

「だ、だって……」

「見せてみろよ、俺に見せるために穿いてんだろうが……」

その顔を覗き込み、気合をサディズムの背骨に一本通して言い放った。カノンはまだ渋ったが、今更後に退くことも出来ないのも事実である。そろそろと、ぎこちなく、隠す手を退けた。指の隙間から覗けていた紅いレースの下着は、カノンの局部にピッタリとフィットし、股間にあらぬ膨らみを克明に描き出し、股下へ続く布地は窮屈そうに身を細らせている。前と後ろの二点でウエストに縫い付けられた黒いファーはさながら毒蛇のようにカノンの秘所に纏わりつき、薄布越しに這った跡を残すかのように思われた。

カノンほどの者であっても羞恥心を抱くのは仕方なかろう。見ると穿くとでは大違いであったろうし、調子に乗った自分を後悔もしたろう。淫らなことには何処までも積極的で「ほら此処も大丈夫ですよバノッサさん、一緒に行きましょう」、バノッサが恐る恐る踏み出すような危うい足場にも踊るように足を踏み出してしまうカノンであっても、理性を持っていない訳ではないのである。

バノッサは自分が思案に沈んでいる頃、カノンも同様に困惑していたのかもしれないと思って、笑いたくなった。

「……あんまり、そんな、見ないで下さい……、僕、すごく……、おかしいです」

「おかしい?」

「……だっ、だって……、すごく、変です、選び間違えました……、全然、似合ってない……」

清純に頬を染め、バノッサの視線からどう逃れようかと頭を回しているカノンは、単純に可愛らしい。慰めてやるべきところだろうかと、その言葉を検討しても、カノンの救いになりはしないことをバノッサはすぐに理解するし、寧ろ慰めるよりは誉めてやりたいような気さえした。「十七歳」というその年齢が精神の重ねた輪であって、肉体とは全く矛盾したものであることは最早指摘の必要もない。実際の十七歳、例えばハヤトやトウヤがこんな格好をしていたら、指を差して大笑いしてやるところだが、その身にその下着、似合っていないと判じるのはカノン以外に居ないように思えた。細いが、細すぎることもない腰や、薄く肉感を帯びた体の端々は、未だにどう成長しようか迷いの中に居るようで、仮令下着の中に雄のシンボルを隠し持っていようとも女物の衣服が似合わないはずが無いのである。

そして、似合ってしまうことがバノッサにとっては大問題である。

「……脱ぎたいです。変です、すごく……」

 こんな格好なら裸の方がずっといいと、猫ならば耳を寝かせてカノンは言う。バノッサは敢えて無遠慮にその場を舐るように視線を巡らせた。右も左も北も南も判然としない樹海に迷い込んだ先で、価値観が幾度か更新されたらこんな風に「似合う」と評する自分でも平気で居られる世界が構築できるだろうかと少し考える。

「変でしょう……? こんなの、バノッサさんにお見せしても、何にもなりません。だから、脱ぎ」

「テメェが決めることじゃねェよ」

 驚異的な腕力を持つくせに少女のような手首を、掴んで止めた。

「似合ってンぜ……、なあ? どうしてだろうなあ? どうしてテメェには女の下着が似合うンだろうなあ?」

 そのまま胸の中に巻き込んで閉じ込めた。逆らうことを知らない「従僕」の両腕は、左手一本で拘束するのも容易だ。「考えてみようぜ……?」、尖った耳の先に唇を当て、バノッサは吐息でカノンを震わせた。「テメェは俺と同じ男だ、……ハヤトやソルと変わらねェ、男だ。それなのにこんなもんが似合っちまうのは何でだろうなあ?」、其れは一種の賞賛だった。そして誇りでもあった。胡坐の中にあるその命の在り様は、僕バノッサさんの為なら何だって出来ますと悪に染まる純粋な狂気に始まり、バノッサさんが悦んで下さるなら女の子の格好だってしますよと淫らさを隠さない非倫理的な愛情に至るまで、認めてやるつもりだった。

「……恥ずかしく……、なっちゃった、んです」

 ぼそ、ぼそ、ぼそ、とカノンは呟いた。

「へぇ……? テメェに羞恥心なんてあンのかよ」

「……ちょびっとくらいは、あります」

 目を閉じる音を聴いた。こんな浅いところで頬を赤らめるカノンを見るのはいつ以来だろうかと数えて、嬉しくなった。

「きっと、もうちょっと似合うって……、思ってました。バノッサさんの目を、楽しませること出来るぐらいにはって……。でも……」

 冷静な頭で改めて広げてみた下着が、こうして見ると予想していたよりも淫らだ、「どうしよう」、でも、穿いてるところを見せると言ってしまった、せっかく買っていただいた、穿かないわけにはいかないから、足を通す。しかし、カノンの小さな性器すら感じる圧迫に「どうしよう」、よく見れば薄っすらと透けている、此処までは想定していなかった! 「ど、どうしよう」、本当はもうちょっと可愛いののつもりだったのに! だけど、……だけどこんなので怯む僕じゃないぞ! バノッサさんのためなら……! しかし鏡に映った自分の姿を見て、逃げ込んだ先が布団だったのだろうか。

「何度も言わせんな、……似合ってんだからいいじゃねェか」

 人差し指をかすかな柔らかさを帯びる右の脇腹から登らせる。カノンは痩せているが、印象は不健康ではなく、寧ろ幼児性と両性具有を思わせる皮下の僅かな肉感が、無駄な肉の一切を纏わないバノッサの裸体とは対照的だった。しっとりとした触り心地はバノッサに誇りさえなければいつまでだって頬や鼻を摺り寄せていたいようなもので、ところどころ、甘い、いい匂いがする。薄っすらと影を成す胸骨の窪みを爪の先で辿ると、普段よりも速く鳴っている鼓動が新鮮な響きを齎す。拘束していた両腕を解き、両手で平たい胸板を包み込んで、首筋にそっと歯を立てた。

「いいか、カノン……、お前の価値は俺が決める」

 両の人差し指で、命を育む汁を出すことも、そもそも発達することもない乳首を優しく掻いた。余計なことを言うのはもう止めておこうと決める。一番余計なことを言ってしまいそうな自分を知っていた。

「バノッサさん……、んっ、やっ……、おっぱい、そんなに……、しちゃ、ダメですっ……」

 指図は受けねェと、耳の先を噛んだ。弄ったらどうなんだ、ああ? 肩越しに、下着の中で窮屈さを増す性器を見下ろした。カノンの幼茎が押し上げる布は張り詰めてルール違反の艶を帯びる。値段の割には生地が良いと言っていたが、布や繊維に関しては疎い。ただ無造作に洗濯機に突っ込んではいけないものに違いない。即ち、このまま射精させてはいけないということだ。

「楽しませてくれンだろ? 今夜は……」

 首を吸って、一つ震えたことに執着して、例えばそうやって楽しめる。

「明日寝坊するっつったのはテメェだろ」

 言って、カノンを解放した。振り返った目は潤んでいた。最早淫らな鬼の眼だった。奥で火花がぱちぱちと爆ぜている。

「バノッサさん……!」

 懐に飛び込んで、しっかりと抱き着いた。そんな仕草は甘える子供そのものなのに、髪を撫ぜながら背中へ視線を下げていけば、尻の割れ目には紅い紐が食い込み、尻肉の軟く冷たい肌の上を毒蛇が鱗を逆立てている。ただ抱き付いていたのは十秒未満で、その先には、もうバノッサの雄々しい裸体に体表腫れたように熱くして、胸板に口付ける。

「バノッサさん……、好きです」

 呟きながら、石灰を塗したような不健康な肌に魅入られたように、カノンは唇を当て、舌を出す。赤子のように乳首に吸い付いて、熱っぽく湿った息をとろとろと零しながら舌をくるり、くるり、くるり、巡らせる。

 時折零れそうになる息を抑えながら、バノッサはこれでいいのだと自分に言い聞かせる。この夜がどんなに長くなろうと、この子供が幸せならば、つまりこの夜は存在するだけで大いなる意義がある……。

 トランクスの上から、カノンがバノッサの性器に触れた。薄っぺらでみすぼらしいバノッサの下着は何処までも実質本意なもので、「よかったらウチでついでに頼んじゃうよ」とハヤトから廻ってきた通販雑誌に載っていた四枚千円という格安品であるから、柄も輪郭も地味であり、カノンの今穿くものとは対極に位置すると言っていい。まさかカノンはバノッサに似たようなものを穿いて欲しいとは言うまい――言うまいと信じたいが――、今この小さな世界において、それぞれがそれぞれに、相当に似合う格好をしているとバノッサは思わずにいられなかった。

 では一番似合う格好はと問われれば、それは愚問と彼は笑う。

「バノッサさんの……、おちんちん、大きくなってます、ね」

 利き手の右手で捉えて、見上げてにこーと微笑む。自分の姿がどうであれ、結果として恋人が欲情しているのを見て、普段のペースを掴み直したようだ。バノッサは唇を歪めて笑い、「それで? お前はどうすんだ」、すっかり乾いていながら、潤いを帯びた前髪を指で掬った。

「まず、先っぽを舐めます。先っぽの、割れ目、おしっこの出てくるところと、其処から少し下りて、弦みたいに張り詰めた筋も舐めます。ぎんぎんに硬くなったバノッサさんのおちんちんの裏側をいっぱい舐めて、それから袋も。丁寧に、たくさん。おちんちんがもっともっと熱くなったら、お口に咥えて、手もつけて、いっぱい扱いて、吸って、……バノッサさんの精液は全部残さず飲みます」

 普段だったらその頭を叩くかもしれないところで、バノッサは歪んだ笑いを消しもしない。狡猾な子供には、今夜の彼の腹積もりなどもう既に判っているはずで、だからカノンは無垢な微笑みのまま、バノッサの命令を待っていた。

「じゃあ、そうすりゃいいだろうがよ」

「はい、そうさせていただきます。……でも、その前に……、バノッサさん?」

 膝で立つと、身体の中央で、布と肌の間に隙が生じるほど苦しげに立ち上がったカノンの性器が見える。ただ、其れよりも淫らに揺らめくのは、バノッサを見詰めるその双眸だ。光を閉ざして、顔を近付けて、……そのまま唇を重ねた。舌を誘う舌が間もなくバノッサの唇を舐め、鍵のかけていない扉を開き、侵入してくる。好きなようにすればいいと、唇の中を蹂躙するカノンの生温い舌と絡む唾液が喉の奥へ垂れ落ちていくのも気にしない。ただ、時折「愛してます愛してます愛してます愛してます」に似たカノンの口から零れる音に相槌を打つように、舌を返した。耳から首にかけてが、感冒の時のように腫れるようなキスを、長いこと続けた。

「好きです」

 知ってンよ、とは言わないで、ただ一度髪を撫ぜた。此れを精一杯の素直だと開き直るつもりも無いが、それで良いですよ十分です、満足です、全てを統べ、見透かすようにカノンは笑い、バノッサの性器を取り出す。その口許から、堪え様のない溜め息が零れるのを、バノッサは聞いた。

「それでは、させていただきます。いただきます」

 あとはその快楽に身を委ねるばかり、思えばこれほど便利な恋人が居るだろうか? 予測不能な恋愛行動と無縁で居られないとしても、家事良し働かせても良し、愛らしい顔をして、何より一番重要なのは、どこかおかしいのではないかと疑いたくなるほどに、自分を愛し切っているということ。文句が何処にある?

 カノンは宣言したとおりにした。バノッサの性器の、まず先端の亀裂から舌を巡らせる。竿をきゅっと握り先端へと擦り上げて滲ませた涙のような潮の露を大事そうに吸ってから、裏筋へと下りてゆく。言葉よりも繊細に、そして貪欲に、その舌が動くのを、バノッサはただカノンの旋毛が何の癖もなく、そのくせ毛先がくるんと巻いているのを、要するに斯く在る命かと、希薄な考えで二回転。

 唾液のたっぷりと纏った性器の、舌の当てられていない部分は冷んやりと涼しい。袋を執拗に舐められ、中に収められた珠を転がされる間には、ほの温かな掌が当てられる。指の動きの一つひとつは意識と無意識のどちらに基づくのか、バノッサには判らなかったが、カノンの指は的確に雄根を愛撫し、先端から湧き出る腺液を人差し指で亀頭へ塗り広げ、バノッサの喉の奥に音を生じさせる。覚束ない蛍光灯の光を輪の輪郭で溶かした青磁色の潤いを帯びた髪へ指を濯がせて、「飲めよ……」、言わなくてもすンだろうなと考えないでもなかったが。

 生温かく滑らかでよく濡れた口の中へ放った。塞いだ口から「ん」、かすかに抜ける声の音をふわつきそうな耳で拾う。かすかに吸われる力に誘われ思わず吐息に声も混じった。咥えたままの口の中で、くるりと舌が一つ廻ったから、バノッサの零した声に悦んだのは疑いない。

 精液一滴中に存在する生命群を身体の中に宿すことで何かを生み出すことが出来ないと知るからこその執着心を、理解していながらガキは嫌いだとバノッサは言う。言葉の遣り取りはなくとも行為の理由ぐらいは判るお互いだから、身体が心を代弁し得ることの価値ぐらいは語り合える。

「バノッサさん……」

 ようやく性器から顔を上げて、硬い腹の上に頬を寄せた。言葉も一緒に飲み込みゃいいんだと思いながらも、「好きです」言われて悪い気もしない。カノンの浮かべた微笑、睫毛の先まで見下ろしていれば、提示された記号はどう読んだってそう読める。

「……あのう、僕、もう、脱いでも大丈夫ですか?」

 紅い背徳の衣を性器よりも恥ずかしげに隠す。行き場を失った欲を素直に晒すときには平然と笑うくせに、色が伝染した頬は非常に珍しい。

「こんなになってンのは」、右手の中指の爪を突起の先に立てて、「俺のを咥えたからか、……違ェな、こんなん穿いてるからだろうが……」、薄布を通して染み出る汁の存在を、どう説明すればカノンを救ってやれるだろう? そして俺は救われるだろう?

「もう……っ、穿かないっ、ですっ、こんな、みっともないの……っ」

 茎を降りて行けば、丸み膨らみ淫らの極み、カノンの第二の心臓の陰嚢は欲望を液状に収めて、指で押せば甘く凹み、内部の小さな珠に触れる。

「勿体ねェな……、せっかく俺様が買ってやったってのに……」

首に巻き付いた革の輪が無骨に過ぎることを思わしめる華奢な肩を、わざわざ身を起こす手間も厭わずに舐めた。掌の中に収めた陰嚢から、抉り込むように細くなってゆく布を辿り、紐状の布地が与える些細な圧迫感に欲を加熱されるらしく小刻みに震える秘蕾を指先に捕らえた。其処は長きに渡りバノッサの物を飲み込んでいながら、頽廃的な印象とは未だ無縁で、目の前に広げれば肌と少しも変わりない色をして、妙に恥ずかしげに窄まっているのを見ることが出来る。自分で見たって汚らわしい印象しかないようなこの男根が出入りするのは、アスファルトの敷設工事で履いた靴でそのまま愛らしくメイキングされたベッドに入り込むようで、バノッサも一応は備え持っている良心がちくりと痛む。ただ、「入ってくださいそのままで」と言うのだから仕方が無いではないか。

「んっ、やう……っ、だ、めっ、ですっ、そっ、んん、にゃっ……んっひゃっんっ!」

 敢えて紐越しに、前から後ろへ後ろから前へ、……見れば、染みの面積は拡がっている。

「……いい生地使ってるって言ってたな? 洗濯機で洗えンのか」

「……ふ、えぇ?」

 手を止めて、「それとも、……手洗いか」、聞いた。

「……ネットに入れたら……、洗濯機でも大丈夫だと、思います」

「したら……、洗って、また、穿けよ。……何度でも。買ってやったのは俺様だぞ」

 数秒、カノンが黙った。

「……正直なところ……」

「何だ」

「……恥ずかしい、です。こんな……、みっともないかっこは、恥ずかしいです。でも……」

「……何だ」

「……バノッサさんが、ご覧になりたいなら、いいです……、また、穿きます……」

 だから、今は、とりあえず、脱ぎたいです、ぼそ、ぼそ、カノンはぎゅっと目を閉じて、バノッサの肩に捕まって請うた、「要するに、出そうなんだろ?」、こく、こく、二度頷いた。

 洗濯をするのが自分ならばそのまま追い詰めたって良かったが、仕事で汗泥汚れたっぷりの自分の服だって洗わせているバノッサであるから、其処までの我が侭は出来かねる、「脱ぎたきゃ脱げよ」と許したら、心底安堵したように、ウエストからするりと下ろした。布の色とは違った質の、更に淫らな苺の汁が内を流れるのが覗けるように、ほのかに染まった幼い陰茎が、ひくんひくんと震える様をバノッサが見るのも、拒むでもなく恥じるでもないカノンは、裸になったことでようやく自由になったとでも言うように、にこり、笑った。

「……僕もう、いきたいです。でも、まだもうちょっとだけ、我慢しますよ」

 そう出来る自分を誇るように少年は言い、バノッサに尻を向け、見せびらかすように舐めた指を、足の間に忍ばせた。

「ンなことが……、恥ずかしくねェのかよ、テメェは」

 自分の性感帯を今はただ恋人のためだけに弄り、込み上げそうな淫濁を堪えながら環状筋を緩め内奥を擦る姿を、責める舌を持っていたはずなのに。

「恥ずかしくないです」

 額をバノッサの肩に当てて身を支えるカノンの息が、下腹部へと垂れていく。お前は狂っている、お前は壊れている、「どっかおかしいよ」、ひょっとしたら、どこもかしこも。

「いいです」

 んんっ、と鼻から抜けた声は、バノッサの耳朶をかすかに震わせる。

「バノッサさんのことが好き過ぎて、何がおかしいかおかしくないかわかんないんです。バノッサさんのこと好きでそうなるなら、それで僕、幸せです」

 目尻に涙が潰れるのを見た。

 受け止め様の無いもの、どうしようと勝手なはずの体も、此処まで見せられては、……何て性質の悪いクソガキ。

「っひゃ!」

 ごろんと布団の上に寝かせた。手首を掴んで自慰を止めさせた。代わりに宛がった無骨な指にはそぐわない慎重さで捩じ込み、指を曲げる。

自分の体よりも詳しい命だ。人より頑丈な身体に任せて平気な顔で無理をするが、粘膜の脆弱であることは確かだ。だからこそ、丹念に解し、その過程で我慢出来ないと言うなら、構わないと性器を舌で弾く。

「ふ、あっ、あ、あ、ん! っ、ダメ、ですバノッサ、さっ、っちゃうっからっ……!」

 とっとといけよその為にしてやってンだろうがよ、行為は吐き出したいそんな言葉とは裏腹に甘過ぎた。指を強く締め付けられるとき、其れをペニスに受ける瞬間を思って、バノッサの括約筋は本人の意思とは無関係にひくついた。

「い、ひゃ、っ、ふっ、あ!」

 痩せた腹と平たい胸にカノン自身の精液が散る。バノッサが腺への刺戟を止めないから、射精は長く続いた。幼い形の体ながら宿りし欲の強さのままに、昨日だってした、一昨日だってした、それでも膚に零された精液はすぐに流れ落ちることはない。だらしないゼリーの質感で球の輪郭を成し、その中にどれほどの命を徒に殺すのか。だったら意味を持たせてやろうと、バノッサは唇で吸い、舌に絡めてカノンに口付けた。それぞれに液を纏った舌なら同じ気持ちでキスが出来るはずだった。

「っ……あん……ん、ん、ふぅ、……ぅん」

 ぬるりと卑猥な舌触りと漂う草の香は、常態の心では決して楽しめないレヴェルのはずが、これだけ愉しく執着するというのは、抱き締める淫乱の子供に腰を曲げ首を屈めて同じ目線から世界を見ることに躊躇いが無いからで、抱き締め返す力に同じ以上の気持ちを返すなら、感情を説明するのに語彙はさほど求められない。

 其れを素直に舌が紡ぐかはまた別の次元の議論だ。

「なあ、淫乱、エロガキ、バカカノン」

「……はい」

「……素直に返事してンじゃねえよ……」

 しかしこの子供が淫乱でなかったら困るのは自分である。一方で、自分が今と少し違ったら、この子供が淫乱である必要だってないのだ。どちらが先だったろう? ――無くてもいいような命ですから、バノッサさんのお役に立てるなら――この子供の原点が在るのは恐らくは其処だ。実像をそのまま写しはしない影として常に側に居ることを心に決め、誇りも自尊心も全て捨て、ある角度からは冷徹ですらある決意と共にバノッサの心の少しでも楽なように在ろうと決めている。そんな相手に欲情しないのは不義理の至り。

「入れンぞ……、力抜け」

 きゅ、と腕が首に巻き付いた、その瞬間にLIFE IS ALIVE.

 バノッサの性器を其処に入れるならその器官だって性器と呼ぶ。

「んん……! ……っは! ぁっ」

 息が唇から零れる時、幼いばかりの体から匂い立つほどの色香が漂い――心鼓動ごと滞る――意識も彷徨い理性空回る。

 突っ込んだペニスを三次元方向で圧迫し、しかしバノッサが苦しさを覚えないほどには緩く湿っぽい中は、其処から蜜の分泌されないことが却って不思議なほどだ。

「バノッサさん……!」

 例えば感傷に浸ったこういう瞬間ぐらいは洋菓子よりも甘い自作の言葉でその尖り耳を舐ってやったっていいとは思う、思うだけなら勝手だ。ただ、また新しい皮膜を一枚自分で剥いて見せたカノンのために、多少疲れた身体であっても今夜を捧ぐぐらいはしてやろうという気には、バノッサだってなるのだ。

「……どうだよ……、ええ?」

 前髪をかき上げてやれば、どうしてか妙に賢そうに見える額が露わになる。こんな季節に薄っすら汗を浮かべた様を見て、首から腕から震えが走る。潤んだ目を微笑ませて、

「幸せです」

 言葉は理性とどれほどの縁近さだろう。都合よく解釈したっていいはずだ。足を抱えて、腰を打ちつけた。悦ぶ声に心綻ぶ誇りは転ぶ、どうしたら「愛してる」って言えるだろう、

「っああ! んっ、っあっ、あっ……! ぅあっ、んっ、い……、し、て、っんんぁあ! のっ、さっ、んっ、愛しっ……うああっ」

 そんな声でだって言えんだ、どうして俺が言えねェんだ。

 言葉の代わりになんだっていい、お前が求めた今夜をやりゃいい、そんな具合に今夜も言い訳済し崩し、ただ「それだっていいです、バノッサさんの楽なのが一番いいです」、言うに決まっている、だったら妙に気を使って腰の動きを鈍らすのは愚かな話だ。

 ただ、全霊の優しさを総動員して抱き締めることぐらいはした。抱き締めて、先端で思い切りカノンの下腹を突き上げて、

「ひぅ、あっ、んぅ、んあっ……あっ、あ、あ!」

 二度目の射精が、カノンが胎の中に隠し持つ卵と受精して、明日も明後日も繋がり続く幸福を延々産み出し続けるのだと、バノッサは考える。傍らではカノンが脱ぎっぱなしの紅い下着が、一先ずは今夜の役目を終えて、丸まって先に眠っていた。

 

 

 

 

 ツンデレバノッサさんはとても可愛いのです、だから大好きなのです、とバカな子供がそう口走る。一緒になってハヤトがはしゃぐから、また無慈悲に後ろから蹴っ飛ばした。

「……でも、ね、俺には似合わなかったのです」

 キールは母の手伝い、トウヤは部活で、ソルは彼の帰りを待つと言っていた。だから町田駅まで出てきたのは暇人が約一名、と言っても、バノッサも呼んだつもりは無い。

「いえ、でも僕だってそんなに似合ってた訳じゃないのです、っていうか、僕も似合わないと思うのです」

「……そうかなあ……」

 じ、とカノンを見詰めるハヤトの目は羨望嫉妬混交した切なげなもので、ああ俺がこの子くらい可愛かったらよかったのにと、ハンカチでも噛ませたら似合いそうなもの。バノッサはさっきから殺気付きで煙を吹いて、少年か少女か判然としない猫耳犬耳帽のカノンと、黙って澄まして座っていれば「美少年」と評されるに問題のないハヤトの常軌を逸した会話を受け流している。

「でも、キール泣いたしね、もう穿けないので、此れはお前にあげるのです」

 一応洗濯もしたのです。一人で夜にしたのです。カフェオレを除く目元には不条理な隈が浮いている。

「でも、よろしいのですか?」

「受け取ってやって欲しいのです」

 包装し直したそれを、テメェが自分で買ったのかと聞く勇気はなかった。そう言えばエプロンもハヤトから廻ってきたものであるはずで、其処に存在する糞度胸は十七歳だからこそ通用するものだろうか。

「では、ありがたく頂くのです」

 レパートリーが三つに増えた。今日、ハヤトと合流する前に、「また欲しいです」、アンだけ恥ずかしがってたンじゃねェのかよと問うても、「でもバノッサさんが元気になって下さるから欲しいです! セックスだって恥ずかしいけど気持ちいいから欲しくなっててててててて!」、公衆の面前でのまたも幼女趣味及びDVの露呈を経て、手にしたピンク色がもう一枚鞄の中に。ただ今日も今日とて二連休なら、明日の朝は目が融けるまで眠れば良いわけで、やること自体はちっとも嫌いではないバノッサである。女物の下着を身に纏ったカノンが可愛いと思うのもまた事実である。煙を盛大に噴き上げながら、内心悪い気ばかりではないのも否定出来ないところで、今夜もきっと長くなる。


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