其の乳酸を啜って生きている。乳酸、疲労物質? いいえ精液です、どう見ても精子です。詳細を述べる必要は無く、吸血鬼と言うよりは吸精鬼吸い付けば吸性器、やってきたこの街は新世紀、五本のうちでどれが好きと問われれば「あなたは馬鹿ですか」と一本しっかり握り込む、心に芯を通し切り、今日もカノンは愛情生活それ以上でも以下でもなく唯一言愛情そう書いてそう呼んで嘘の一片の並存さえ許さず恋しい人を待ち恋しい人を放さず抱き締める力より強い力で抱き付いて離れないその身に実る病みの芽をぷちぷち潰して在る。三十七度二分と誤差も許さぬこの皮膚感覚で滲んだ汗を舐めて人間も鬼も同じように水分と塩化ナトリウムさえ在れば生きていけることを知るし他に何も無くたってこの人が居れば生きていけると信じる。あなたのくれる「其れ」だけが在れば僕は生きていける。しかしながら彼の恋しい人の風邪の原因は紛れも無く彼で、だから反省もしている。実際ほら見て裸でくっついているけれど僕は勃起していないでしょう? 風邪が伝染る離れろと其れはうわ言扱いで乾いた唇を舌で湿して「だってバノッサさんが風邪なんです」心配なんです大変なんですバノッサさんが風邪なら僕だって風邪なんです頭の中が昔から。仕事をいつもの二倍のスピードで終えた彼は風の速さで帰って来てシャワーを浴びたらもうその身体から離れない。皮膚同士癒着してしまえばいい僕は、バノッサさんの身体の一部に慣れたらいい。此れだけ毎日くっついて生きているのに、どうして本当に一つになることは出来ないのだろうとブツリブツリと時折愚痴る、僕らぐらいは物理法則を無視して居られたっていいじゃないですか、だってこんなに愛し合ってんだ、愛し合ってるって言葉が使い古されてて耳胼胝なら十二次元の言葉を択んだっていい、ああああ。その心臓のスピードを聞く、時折ビクンと身が震えて其の後は一分ほど早く打つ。大丈夫ですよ怖い夢を見たって薄目を開ければ僕が居ます開けなくたって僕が居ます。あなたの夢の中まで居られたらいいのに。あなたが時折胸の中に生み出してしまうあなたを攻撃する仮想敵或いは理想敵まで僕がやっつけられたら理想的なのに。自分だけは特別と定義するくせにI wish if I were平凡な恋人の言語ばかり並べてしまう。語彙の少なさに多少の嫌気を指しながら、じゃあ平凡だったら何が特別じゃないと言うのですッ、支離滅裂に怒鳴る準備はいつでも出来ている。そうだ、風邪のウィルスにしたってそうだ。何故僕の大事なバノッサさんのことを避けない。他の誰かの処へ行けばいいんです。バノッサさんの細胞の一つだって傷つけることはこの僕が許しませんッ、どういう了見ですか! 恥を知りなさいっ。虚空に向けて拳を固めて生甘く幼い声で怒鳴る。
バノッサが眼を覚ます一分前から起きていた。在ろうことか、……居眠りをしてしまうなどと。悔やむ気も在るが、からからの喉を癒すための水を自分の身で搾り出すことは出来ないから水を注いで枕元にちんまりと座って、その眉間に皺が寄り掠れた呻き声に遅れて薄く開かれた眼に、自分がこうして此処に居る他ならぬあなたのためだけに居ると伝える為に微笑んで、
「おはようございます」
外は真っ暗、午前三時、まずバノッサは裸で居る少年を見て、虚実の境が淡く揺らめくのを感じる。だが彼は決して馬鹿ではない。こういうとき、まず舌を一つ打ってからでないと言葉を発することが出来ない彼の、しかし言葉を待つカノンは水をたたえたグラスを手に、待っている。
「……あにしてンだ、テメェは……」
「お水をついできました」
「違ェよ……、……ずっと裸か」
「パンツは穿いてますよ、ほら」
赤と黒の下着、そのサイドリボンを引っ張って見せた。ゆっくりと身を起こしたバノッサは、カノンの手から湯呑茶碗を受け取って一息に飲み干した。茶碗を受け取り、額に額を当てて、「お熱下がりましたね」、安堵の微笑を浮かべてカノンは言った。
「トウヤお兄さんが置いて行かれたお薬が効いたんですね」
心底では、もちろん「僕がずっとついていたんだから」との物思いもある。だが一先ずはそう言って、のろのろと立ち上がる彼に手を貸す。何処へ行くのかと思ったら、トイレだった。
「……入って来ンな」
「きっとすごく濃い金色のが出るんですよね? いい匂いの」
叩かれた。その力加減で、カノンはバノッサが復調しつつあるのを知る。
「この馬鹿カノンが」
口癖にしてもらって、そんなに嬉しい言葉はない。バノッサはカノンを定義する。定義されれば生じる関係性を確認して、側に居ることに正当性を感じる。
足蹴で追い出された無かったことで、まだ完全ではないのだとカノンは知る。すぐ後ろに立つと頭一つ違うので、仮令自分のほうが腕力において秀でていても、僕はこの人のお嫁さんだと胸を張って言っていい気になるのだ。「……クソガキが」、また定義される。クソガキ馬鹿暢気のカノンはバノッサのトランクスから疲れたような性器を取り出して、身の横から顔を出して、「どうぞー」と言う。
僕はバノッサさんに出せって言われたらいつでも出して見せますけれども。
そもそもバノッサはそんなこと言わない。
お尻の中に出されたって大悦びですけれども。
バノッサはそんなこと絶対にしない。
閑話休題。
誰かに見られながらスムーズに小便をすることなど、普通の神経を備えていれば難儀に決まっている。バノッサは趣味思考言葉遣い以外は至って一般的な人間なので、仮令相手が恋人であり其処に触れるのが当たり前の相手と判っていても、躊躇いが在るのは当然で、本懐を遂げる為には少しく時間を要する。待つのだって楽しいとカノンは言う。
柔らかなその場所の触り心地もいい。大きさはそんな言葉が似合わないものだが、ぷにぷにしてるのはやっぱり可愛い。勃ち上がればこれほど格好良い物体も無い。今すぐにだって勃たせてしまいたいと思いながら、恋人を思えばこそそんな欲だって耐えられる。
「……外すなよ」
低い声でバノッサが言う。「はい」と素直に返事をして、カノン以外の者が見ればうらぶれた印象しかないようなペニスの先からの仮想放物線を思い描き、照準を合わせる。
中指に人差し指に、内側からの圧力がかかる。始め、あまり勢いを帯びない其れはすぐに明確な力感を伴ってカノンの指に心地良い通過の感触を味わわせ、いっそキラキラ光ったっていい僕のこの物思いのように、自分の言葉の通り透き通った濃黄色の液体が下手に紡ぎ合わせたせいで捩れた糸のような輪郭でカノンにだけは心地良い音を立てて水溜まりの中へ注がれていくのを見て、どく、どく、どくどくどく、カノンの鼓動を早める。
バノッサさんの。
バノッサさんの!
見せて貰うのは久しぶりだ。最後に見たのはもう二ヶ月も前のことで、散々せがんで飲ませてもらったのだ。少なくとも四度は変態と言われた。百も承知というか、僕らだけの世界での言語に拠れば「変態」は最高の褒め言葉。
「……いい匂いです」
バノッサはその頭を叩いてやろうにも、そんな事をすればどんな反撃が来るか判らないと手を止める。カノンは陶然とした眼で、阿呆のように口が開いていて、言われなければ本人其れにすら気付かない。
考えてみれば半日近くトイレにも行かなかったので、バノッサに充足感と解放感の両方を与える行為は長く続いた。やがて勢いを失うとき、カノンの目に惜しがるような色が浮かんだのを見て、バノッサは自分の置かれている状況を思わずには居られない、此れを『幸せ』と呼ぶ世界に居るのであるし、恋人を可愛いと思う以上は幸せにしてやりたいと思うのだ。何が少年の幸せかを思ったとき、自分は其れを恥と思うか否かを別の棚に載せ、出来ることを順に一つずつ遣っていけばいいだけなのだ。
ぽたり、ぽたり、最後の一滴まで、カノンは口を開けて見ていた。
「……もう、出ませんか?」
もっと出して欲しいと言わんばかり、実際言うつもり。
「人を何だと思ってンだ、馬鹿」
カノンの双眸は既に酔っ払いの其れだった。そのことがどういう意味を持つかぐらい、バノッサはもちろん判りすぎるぐらい判っている。
幸いなのは、彼の熱が、カノンの看病によって下がり、多少の倦怠感を除けば風邪の病人では最早無いということだった。
「……バノッサさあん」
カノンの赤い目許は最早引き返せない処まで来てしまったことを証している。
こうなることを判っていなかったら、怒鳴ってでも戸の外へ追い出したに違いない。
演技が上手だと褒められたって嬉しくもなんとも無いバノッサである。
「……これ、欲しいです、……ダメですか?」
これ、とカノンの視線が向かうのは、バノッサの先端に残る一滴である。其処にどういう価値があるのかとバノッサは訊きたい気もしたがその口から語られるときには耳を塞いで大声を上げてでも聞きたくない気がした。ただ我が身を思えばカノンの其れが果たして自分にとって何の価値も無く、ただ下水に流して片付けてしまえばいいものだろうかという自問には、頷く首が軋むのもまた事実である。
カノンの尖った耳には、まだ少しだけ掠れた声で、「ド変態が」、愛しい愛しい愛しい声。
「テメェは俺の便器か」
「肉便器です」
「誇らしげに言ってンじゃねェこの馬鹿」
何と言われたって嬉しいカノンであるし、そんな相手だと知っているバノッサである。遣り取りは呼吸のような、ごくごく当然の日々に不可欠なもの。
「……掃除しろ」
カノンの耳の先は動かないが、本人は動かしたつもりだ。
「バノッサさ……」
「垂れンぞ、とっととしろ」
悦びが、カノンの中でばちんと火花と共に炸裂する。バノッサさんの! バノッサさんの! 思考を保つのに努力しながらしゃぶりついた。舌先にほんの、一滴、耳の下から腰まで痺れるような潮の味が響く、どうしよう、……もったいない……、飲み込みたくない! だって、だってだって、だってだってだって、バノッサさんのバノッサさんのバノッサさんのバノッサさんの!
「……ふあ……ぅ……」
でも、……もう、飲んじゃった。
もったいない。もっと、……味わって飲めばよかった。また二ヶ月はバノッサさんにこんなことお願い出来ないだろう、しても突っぱねられてしまうだろう、それなのに、……咽喉が許さなかった、もっと味わいたい何時までもこの味をという舌の切ない願いを、咽喉が許さなかった。
「……もう……、出ませんか……?」
眼の下の辺りがつンとしみて、唇の端がぴくぴくする。バノッサはそんな自分の顔を見下ろして、「だから。テメェは人の身体を何だと思ってんだ、其処は水道の蛇口じゃねェ」、乱暴に言い放つ。但し、「テメェはそんなんで満足すンのかよ」、舞い降りた愛撫のような言葉で、カノンは涙を押し止める。
「……ん、んっ、……んぅ……、ぅん、……む、ゥ……」
そうだ僕は何のために居るのだ。思い直して、……バノッサさんの! 少年はことバノッサに関する限り、誰より強い意志力を持っていた。
「……そうだ。綺麗にしろよ? 隅から隅まで……」
バノッサはカノンの髪に手を置いて、夢中になって自らの男根にしゃぶりつく少年を見下ろしていた。こういうのを『幸福』と呼ぶ、此処こそが世界の中心だと嘯きながら。
具合が悪いと思い始めたのは昨日の午後だった。どうも背中が痛いと思っていたら、帰る頃には寒気がし出して、二十五年も生きていれば其れを風邪と呼ぶのだということぐらい判る。自転車を運転するのは途中で諦め、ゴロゴロ引き摺りながら、コンビニエンス・ストアで買ったスポーツ飲料で唇を湿して歩き、帰り着くなりカノンに布団を敷かせ、包まった。本当ならばカノンが作って待っていたであろう美味しい夕食で腹を膨らませ、風呂に入り、其の後は生活において最も心の潤う瞬間を経て眠るのだが、それら全てを省略してしまった。薬を飲んだのも覚えていない。風邪をひいているのだから仕方が無いだろうと言い切ることが出来ないほど、バノッサは生活主義者だった。
可哀相だと心に引っ掛かるものがあったのは事実だ。
恐らくは――バノッサら人間にとっては恐ろしいほどの性欲を持って居るカノンは――今日も其の膚をバノッサが指で舌で歩くのを心待ちにしていたはずなのに。
何故風邪などひいてしまうのだ。質素ながら栄養バランス整った食事を摂っていながら、そして愛する者が居ながら、何故。
カノンがそんなバノッサを咎めるはずもない。しかしバノッサ自身は咎めるのだ。隊長が戻ったらすぐに抱いてやるからなと、夢現に、抱き付いているカノンに言ってやりたかった。
此処で油断してはいけないのかもしれない。明日、もう「今日」、仕事が休みでなかったならば。
「……出すぞ」
カノンの舌と頭のスピードが上がる。技巧に愛情が重なればどれほど我慢強い男だって理性を保つことなど出来ない。裏筋から茎へ精一杯に舌を伸ばしたと思った次には、亀頭を丹念に唇で吸う、自分を悦ばせるために上達したのだ。
その口の中へ、放つ。
「ふぁ……あ……ぅ……ぅン……ん……、……んン……ん……」
カノンの目尻から涙が零れる。苦しみを与えてしまったかと一瞬でも思ってしまうのは、理性が津波のように襲い掛かるからで、この子供は悦んでいるのだと解釈するまでにかかった時間もまた必要なものだ。
性器から口を離す。カノンの口の中にはまだ、たっぷりとバノッサの精液が入っている。大切に大切に味わいたいと思うのを、また咽喉が許さなくては困るから、少年は自分の掌の上に、バノッサの出したばかりの精液を垂らした。
「す……、ごい……、おいしい、です」
蕩けそうな微笑でカノンは言う、「こんなに……、たくさん……」、普段と比べて多い気もしなかったが、数時間分は溜まっていたのだとバノッサは決め付ける。カノンは掌に零した精液を、改めてちゅると音を立てて啜り、それから目を閉じて、ゆっくりと飲み下す。はぁ……、と青臭い息を吐いて、それから猫がするように、何度も何度も自分の掌を舐めた。どんな負の言葉だって立ち竦むほどの浅ましさを、電球の光の中で惜しげも無く見せつけるカノンを、「可愛い」以外の言葉で表現出来ないのがバノッサにはたまらなくもどかしい。
「この……、蛋白質が、僕の中に染み込んで、僕の生きる力になります」
「訳分かンねぇ」
「甘くて、しょっぱくて、ほんのちょっぴり酸っぱくて苦いです」
「だから訳分かンねぇっつってんだろ」
「えへへ……、言葉を使うとむつかしいです。でも、バノッサさんがもうとっくにご存知のことですよ」
バノッサの前に立ち上がり、ぎゅ、と抱き付く。そんな様は外見年齢よりもっと幼い。
「嬉しいです。バノッサさんが元気になってくださってよかったです。本当に嬉しいです」
何度も言う何度でも言う、言われなくても分かっているなどと無粋なことは言わないで、カノンの髪をぽむと撫ぜた。どうせこのままで終わるはずが無い、こんなのほんのウォーミングアップ、カノンの毒色の下着の中で、幼茎がひくついているのは明らかである。
今日の昼間はハヤトたちが来た気配は無かった。来ればいい顔をしないし、来なくたっていい顔をしたことのないバノッサだが、もちろん四人の事だって可愛い。今日に限っては来ていてくれたほうが良かった。カノンの昼間の無聊を慰める人間、相応の体力と体温と性欲を持って側に居てくれるならば。
ただ、事後の形跡を見たなら其れは嫉妬の種になるのだが。
「……テメェは、風邪なんかひかねえな」
「ええ、だって馬鹿ですもん」
無尽蔵な体力に破壊的な腕力、「もっとお掃除します、バノッサさんの身体の、隅から隅まで」、言うその笑顔は鬼より悪魔より。