純性機関車

 白状してしまえば、バノッサを可愛いと思うカノンである。それは一面的なものではない。端正な顔も悪ぶった(というか実際に悪い)行動も、乱暴なところも、……バノッサを形成するたくさんのものが端から端まで、カノンにとっては言いようも無く可愛いのだ。これはどうしようもないことで、「じゃあバノッサさん可愛くなくなってください」なんて言っても、バノッサの片っ端から可愛いので、解決の糸口は見つかるまい。

 世界で一番可愛いと思う人に、

「んっ……はっ、あっ……あ! っん……」

 こうして可愛がられる自分は宇宙で一番幸せだろうと、今夜はその顔に胸に精液を思い切り浴びながら、カノンはしみじみそう考える。ああ……、罪なことだなあ、こんなに幸せになっちゃっていいのかなあ……。

 愛されることは悦びだと、他の誰とも変わらないでカノンは思う。

 カノンは自分の愛され方が不自然であることを、もちろん知っている。セックスに肛門を普通は使わないことも知っているし、そもそも自分が純然たる男であることも。しかし、普通がどうしたと言って背を向けてしまうのが不良であるし、元を辿ればバノッサからの働きかけでこういう関係になったと言っていいのだから、カノンは喜んで一緒に背を向ける。何か文句を付けて来たものがあったなら、自慢の腕力でどこかにすっ飛ばしてやるつもりでいる。そして、ぼくがバノッサさんとの幸せを守るんだと、内心で熱いものを燃やしている。

 甘えられるのを、嬉しいくせに疎みたがるバノッサの膝の上に、今日は珍しく座ってバノッサの顔をじいっと見詰めていられるのは、もっともっとと強請ったせいで恋人が疲弊しきってしまったからだろう。ちょっとごめんなさい、だけどとってもありがとう、そう思いながら、白い顔をじっと見詰めて、見れば見るほど、カッコよくて、可愛い顔、カノンはそう思う。そして、空ろな目のバノッサに、キスをする。

「……うぜえ」

 唇が離れるなりそう言われる。そんな素直じゃないところだって、大好きなんですと思う。

 その日はそれで終わった。眠るときには暑いと嫌がられてもしっかり引っ付いて眠るし、眠ってしまえばいつの間にかバノッサの頭はカノンの胸に押し当てられている。水面下ではそんな二人だ。潜在的にそういう危険性を持っていたことは、確からしい。バノッサ自身も、カノンには絶対に勝てないという自覚があった。自分より体の小さなカノンが自分を支配し、どうにかしてしまう。それを避けたいと思うのはただ、バノッサの心ひとつに拠るもので。

 いちばん簡単な単語を当てはめれば、バノッサは「わがまま」なのだ。自分の尻には陰茎を突き込まれたくないと思っているくせに、カノンの尻を我が物顔で占領する。そして「このエロガキは俺様に入れられて楽しんでンだからいいんだよ!」と開き直っている。「楽し」むようにしたのは、バノッサの「わがまま」とカノンの努力があったからこそであって、その考え方はカノンへの責任転嫁に過ぎず、今ひとつ新しい単語を使うならば「幼稚」なのだ。

 最も、自己犠牲精神旺盛で、

「バノッサさんがいいならぼく、それでいいですよ」

 といつもにこにこと天使のような広い心で笑う鬼少年カノンは全く気にしない。どういう理由かバノッサにはよく判らないが、あれだけの力を持ち、

「バノッサさんが大好きです」

 などと馬鹿げたことを本気で言って相変わらず側に居、その本気さにバノッサを巻き込んでしまう危険さを孕む。そんな日々に、……バノッサは時折、どうして男同士に子供は出来ないのだろうかと、弱い頭を回して考える。

 ともあれ、バノッサが大好きで仕方なく、こっそりと可愛くて仕方ないカノンである。

 「可愛い」と思う気持ちは、バノッサがカノンに対して思うのと同じ種類であるから、する行為も同じようなものである。カノンはバノッサの身体を舐めるのが、実は尻を突かれるのと同じ程に好きだった。

 バノッサの不健康な色の、ひんやり冷たい肌に頬を寄せて、心音を聞いて安心したら、口付ける。カノン自身が気持ちいいと思う場所を、バノッサも同じように思ってくれることが幸せで、……まず耳を、首を、そして胸、脇腹、最後には尻の穴へと舌を伸ばす。カノンが愛しているうちに、バノッサのペニスはいつも以上に硬く勃ちあがる。バノッサを愛しく思うカノンの目には、それが特別に美味しそうに映る。だから、それを舐める、或いは、その上に跨る。

 その夜も同じような形、金型に嵌められた日々はそう簡単には崩れないはずだった。そう、バノッサだけが思い込んでいた。

「……ハァ……」

 カノンの唇は、バノッサの白い首、白い耳、白い胸板を、順になぞっていった。もういい加減、熱を帯びた身体の中央で、カノンの大好きな「バノッサさんの」ものが、一際烈しく昂ぶっている。耳に戻ってきた唇が、震え、揺れた、息の根で、

「……バノッサさん……」

 と、愛しげに名を呼ぶ。

 ああ……。バノッサは心の奥で返答する。

 ああ、カノン。

 愛してるさ。判ってるさ。俺様だってな、お前のことをな……。

「バノッサさん……、ぼくの……」

「あア……?」

「……ぼくの……、触ってください。ぼくもバノッサさんの……さわりますから」

 細い冷たい、しかし恐るべき力を秘めた鬼の手が、バノッサの白い性器に絡みついた。バノッサも、カノンに唇をふさがれながら、脆弱な印象しかないカノンのペニスに手を這わせる。

「んん……ん……」

 唇と唇の間、舌へ繋がる微弱な電流が、カノンの善がる声をバノッサの脳へ、直接伝える。バノッサの指には、カノンのものから溶け出すように溢れる蜜の滴が、光の跡を残した。

 唇が離れ、バノッサの耳へ、カノンの生甘い蕩かすような声が直截的に届くようになる。カノンの指の動きが次第に拙くなる。掌と指とで、ただ撫でるだけになる。カノンの早漏であることを、バノッサはちっとも悪いこととは思っていない。自分が楽しむ材料の一つとして数えているから、今日もさっさといかせてやろう、そう思っていた。

 だが、カノンはバノッサの指から腰を引いた。

「……ンだよ」

「ごめん、なさい……、ぼく……」

 とくん、とくん、鳴る心臓と共に、ひくんひくん、蠢く性器を、見ているだけでバノッサは邪悪な心の暴走を一つ飲み込まなくてはいられない。

「……バノッサさんの……お口で、してほしいです」

「……ンだと!? テメエのを俺様に咥えろっつうのか」

「だって……、いっつもぼく、バノッサさんの咥えてますよ、だって……バノッサさんのおいしいから。ぼくのなんて、美味しくないって思ってますけど、でも……」

 バノッサさんのお口を、汚してみた……い……、から……。

 カノンが自分の中の男を意識したのは、その瞬間が初めてだったかもしれない。痛烈に生まれた感情が、余りにも生々しくて、どうしても叶えたいと思った。

 バノッサは、カノンの目の色に、刺が萎む。ああ確かにいつも咥えさせているさ飲ませているさ、その一方でバノッサがカノンのものを咥えることはほとんどない。するよりされる方が楽だ、だいたいカノンのくせに俺様に咥えろなんて態度がでけえなどと、手前勝手なことを考えているから。

 そういう自分を反省するところに、もうひとつ、カノンとの幸せをつかめる高みへ上がる足がかりがあるように思えたから。

「……エロガキがよォ……」

 毒づきながら、起き上がる。ベッドの上、立ち上がったカノンの、細い砲身を、口に含む。

「ん……ひゃう……」

 生温い舌で、れろりと舐められた。カノンは、バノッサの顔を見る。自分のなんかを咥えている。少し目を細めて、バノッサさんがぼくのおちんちん咥えてる。すごい……。

 こんなことを言ったら噛まれるかもしれないと思って、だから、胸のうちで言う。

 ……バノッサさん、えっちな顔……。

 普段、自分がそういう顔をして、バノッサの肉棒を咥えているのだ、そして直接的な舌の快感ばかりではなく、顔をも一つの理由に、放熱するのだ。カノンはバノッサの気持ちが苦しいほど判った。

 包茎の先端、僅かに覗く亀頭を、バノッサの舌先が優しく撫ぜる。

「……あ、……あっ、あっ……!」

 カノンの快感が弾けた、いけない、そう思いながら、黒い欲求がそのまま溢れる。バノッサの顔に、カノンの精液が迸った。

「……ッ……」

 咄嗟に背けようとしたバノッサの、顔に、べったりとカノンの精液が付着する。強い快感に、カノンはベッドへぺたんと尻を落す。バノッサはいっそのこと怒鳴り散らして蹴っ飛ばしてやろうかという、先鋭的な憤りが滾る。

 が、それを飲み込んだのは、やはり、どこかに殊勝な気持ちがあったからだろうか。

 変わっていきたい、どこかでそう思ったからか。

 カノンが自分を徹底的に愛していることを判っている。カノンが、自分を失えば簡単に死ぬであろうということも。それは、バノッサの胸を捩るには十分なパワーを持っていて。

「……」

 言葉と精液を飲み込んで、カノンを見る。

 カノンは目に涙を浮かべて、バノッサのことを見ている。

 気にすンじゃねぇよ、とは、さすがに言えなかったバノッサだが、自分で気持ち良くなったのだという証拠を真っ直ぐに受け取ったのだと考えれば、気分も悪くはならない。

「……おい……、大丈夫か、しっかりしろ」

「……ふぁ……、はい」

 ぱちぱちと瞬きをして、カノンは、自分の精液を顔に纏わせていたバノッサに、胸が酸っぱく疼いて。

 こみ上げる、何かが。

 ――バノッサさん。

 愛してます、そう、声ではなくて、舌ではなくて、カノンは腕が動く自分の存在を知った。

「……バノッサさん……」

「……なんだ」

「ん……」

 寄り添って、また、バノッサへの愛撫を再開する。バノッサさん、バノッサさん、……バノッサさん! 綺麗な、綺麗な、綺麗な……、ぼくのバノッサさん……!

「って……おい! 其処は……」

 いいっつってんだろうが! そう、止めようとして、声も止まってしまった。

「……カノン……!」

 カノンの舌が、バノッサの陰嚢を舐め、しゃぶる、そのついでに、密やかに眠る穴へ、指が伝う。

「ぼくが……、バノッサさんのこと、気持ち良くします」

「……コラ……、そんな、っ……気ィ使うんじゃねえ!」

「ぼくが、バノッサさんのこと気持ち良くしてあげたい……。ダメですか? ぼくは……」

 カノンは耳がかぁっと熱くなるのを覚える。バノッサは青ざめる。カノンの吐く息が、下半身に当たる。その息が、凄まじいまでの熱を帯びている。

「……ッ、おいッ、カノン! コラ!! よせ……」

「ぼくは、バノッサさんが、好きです。バノッサさんが……大好きです」

 カノンの腕がひょいとバノッサの太股を広げる。呆気なく、あられもない姿にさせられて、バノッサは本気で危機感を感じて……。

 やべえ……。

 最後の冷静さが、彼の丹田に声を溜めさせた。

「カノンッ!」

 響き渡った、その声に、カノンがピクンと一つ震える。

「あ……! ああっ」

 はっとして、カノンが両手を離す、バノッサはどきどきどきどき、情けないほど上がってしまった自分の心臓よどうにか休まれと、胸を抑えた。カノンは泣きそうな目になってバノッサを見ている。

「ご……っ、ごめんなさい、ごめんなさいバノッサさん、ごめんなさい……っ」

 ぽろぽろと両目から大粒の涙を零す。バノッサは、落ち着くと、どういう風に怒鳴ればいいのか判らない自分に気付く。

 生意気なんだよテメエ、何のために俺様の側に置いてやってんだと思ってんだこの馬鹿が、テメエは俺様の下になってヒイヒイ善がってりゃそれでいいんだよ……!

 違ぇ、と自分の声が言うのだ。違ぇだろ……、俺様は。憎らしいくらい素直な自分がいて、その自分こそがカノンを本当に愛せる自分だと知って、妬む歪んだ自分がいる。

「……カノン……」

「ごめんなさい……っ、バノッサさん……、ごめんなさい……」

 手を伸ばす自分も、それを留めようとする自分も、同じ自分なのだ。

 バノッサは手を伸ばした、しかし髪を掴んだ、そうされるのが当然と信じきっているカノンは抗わなかった、そんなカノンを、バノッサは引き寄せて胸に収めた。

「……泣くんじゃねェ……、めんどくせえ奴だ」

 すっかり萎えてしまったが、それも仕方がない。それよりも、今胸を濡らす涙をどうにかしたいと思った。そう言う気持ちが、要するにカノンを愛している自分の証かもしれないなどと、似合わぬ甘い考えを持ちつつ。

「……でもっ……でも、ぼくは、バノッサさんに酷いことを……」

「テメエは俺様が普段テメエにしてることが酷い事だって思ってやがんのか!」

「そ……っ、それは……、バノッサさんがするから、ひどいことじゃなくて……っ、ぼくが、してほしいっ、からっ……」

「……めんどうくせえ……」

 一応は、「恋人」に鼻に絡んだ声で泣かれて、それを中途半端な状態で放っておける「恋人」はいない。バノッサはそう考えれば、笑えるほど平均的な恋人だったかもしれない。

「……何しようとしてた。言えよ」

 カノンはずるっと鼻を啜って、

「……ぼくは、バノッサさんに……、バノッサさんが普段、してくれるみたいに、っ、ぼく、ぼくの、……おちんちんを、っ、……」

「……俺様に入れ……」

 ぐしぐし泣く子の頭をしょうがねえと撫でてやりながら、どうしてと頭の上にクエスチョンマークが七十五個程浮かべる。余りにもそれは、バノッサからすれば常識外れの考え方だったから。

「バノッサさんが……、きれい、だったから」

「訳判るかそんな事」

「だって……、ぼくは」

 バノッサさんが大好きだから、そう言って、ようやく泣き止もうとする。バノッサは、カノンをこれほど判らないと思ったことは初めてだった。そして、自分のどこにカノンがそう思う魅力があるのか判らなかった。カノンにそんな欲求が芽生えるということに対しても、全くの無警戒だった。たったひとつだけ確かなのは、自分もカノンが可愛くて、カノンが大好きだという、至極当たり前のはずのことで、しかしそれすらも、周囲からすれば非常識と取られかねないことだった。

「……エロガキが……」

 精液の匂いが、まだ鼻の周りで舞っている。だが、自分のものではなく、カノンのものである。

「……ごめんなさい……。だから……ぼく……、いいです、もう……、死にますから」

「何で!?」

「バノッサさんのこと、困らせようと、したから」

「馬鹿か! ……馬鹿か!? お前は馬鹿か! そんなことで死ぬんじゃねェ!!」

「だ、だって、だって、だって」

「だってもでももねェ! 死ぬなボケ! テメエ、……死んだらどうなるかわかってんのか!」

 どうなるって。カノンは別にどうもなりはしない。バノッサがどうなるか判らないのだ。

「いいか、カノン、テメエ、死んだら殺す、いいな、テメエは俺様の側にいりゃいいんだ! それだけで責任果たしてると思え。っていうかテメエはそんだけしか出来ねえじゃねェか、それくらい我慢して責任果たせこのボケ!!」

 ひく、ひく、カノンはまた、少しすすり泣いて、頷いた。突拍子もないカノンに、実は翻弄されっぱなしでいる自分が、なんだか滑稽に思えてきて。

「ごめんなさい……、わかりました……、ぼくはっ……、ぼく、……バノッサさんに嫌われても、側に、います」

 誰がテメエを嫌うんだ。

「……バカカノン」

 また、髪を引っ張って、抱き寄せる。何の邪悪さの欠片もない子供のように、カノンはまたしばらくは泣いた。


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