病んでる。
事は先刻承知。自分のこういう性格を転嫁するのが常套手段とても上等な伝家の宝刀、相当にシビアな暴走気味にそうそうない素直な気持ちになる瞬間に喉頭に突きつける弾頭。
そう言った具合にバノッサは今日も素直ではない。日記をつける習慣があったなら同じ事ばかり書きそうなカノンだ。「今日もバノッサさんは素直じゃなくてとても可愛かったです。」、その繰り返しで、しかし当人はとてもいい気分で。
ぐるぐると喉を鳴らす猫のように甘えてみる。頬を摺り寄せて、髪の匂いを嗅いで。そっぽを向かれたなら、尻尾だけでも置こうと、だらしないシャツの裾を引っ張る。
「テメェは……」
バノッサがなりたいバノッサがバノッサからどんどん遠退いていく。それは単にカノンのせいだ。カノンが馬鹿なことをするから、バノッサは振り回され、もっとこう、何だ、こういうんじゃねぇ、違う自分になりたいのに、今日も微妙に甘いところのある中途半端さ、修正できないまま、カノンに膝の上を許してしまう。
「だってバノッサさん、やることないんでしょ?」
「……ある!」
「あるなら、ボーっとしてちゃダメじゃないですか。やらなきゃ」
もちろんやることなど何一つなくて、気が向いたら八百屋の店先のリンゴを盗んだり、南の連中にちょっかいを出したり。そして本当に何一つやることがなくなったら、普段は言われたってやらない部屋の片付けをしてみようかななどと検討し、……結局カノンが腹の上にいる。
「……で、何するんですか?」
膝の上に乗ったままで、カノンはさらりと聞く。答えがないことを知っているのか、それとも、純粋に聞いているのか、バノッサは後者だというある程度の確信があり、どうすれば騙せるかを知っていながら、それを選ぶとき、少し、舌がもつれる。もつれるのは恥ずかしい。恥ずかしいから。
「うるせぇ、テメェには関係ねぇ!」
そうやって幼稚に大きな声を出すほうが恥ずかしいかもしれない。退け、実力行使だって辞さない構えだぞというところを見せる、武力行使も辞さないぞと武力実物を見せておきながら使う勇気はもちろんあるはずなくて、実際の力はカノンの方があるわけで、そういった点でもバノッサは苦々しい思いを強いられる。
「何するんですか?」
「……っ」
「そんなことよりも、ぼくと遊びましょう」
語彙の乏しいカノンである、そしてバノッサである。
男は基本的にそういうものだ、乱暴な決め付けではあるが、ある程度的を得ている部分が多いことも確かである。だから安易に暴走する妄想、こうしようと構想、叶えるため交渉する王道征く高尚、素敵な未来を創造。
「淫乱がァ……」
それが少しの嬉しさも孕んでいない?
バノッサの目にはカノンしか映らなくなる。息が止まりそうなくらい、慌てる理由に成る程に、愛しい。他の例えばどんな音楽だって欲しくなくなるくらいその声を聞きたい。そのシャツを捲りたい。その裸を観たい。その匂いを嗅ぎたい。……お前を奏でたくなって仕方がない……!弾きたい、踊らしたい。
全ては何かもう、原点回帰、くらいの欲求の種類。
「大好きですよぉ、バノッサさん」
時間は全て規則性に飲み込まれる。カノンはバノッサの頭を優しく胸に抱き、バノッサにはきっと当分出せないような声で言った。蜂蜜のような声、本当に男か、一番知ってんだよそんな事ぁ入れられたんだよコレに……!
乱暴にベッドに放り投げた。
「……もう、乱暴なんだから……、もっと優しくしてくださいよ」
淫乱に使う気なんて無いと、不平を唱えた口を乱暴に塞いだ。
「俺様の時間使わしてやってんだ文句抜かすな」
心を度を超す強さでノックするのが心底が震えるくらいの性欲及びその火付け役だ。バノッサはカノンを淫乱と言う、俺様のチンコがそんなにイイかと詰る、滾らされた性欲はそれくらいの形で返すのが妥当と判断するから。
「でもぼく」
淫乱という言葉を甘受する割には、
「まだおちんちん勃ってないですよ?」
「……ッ……、何でだよ!」
「何でって……、何でですか?」
「アホかテメェは!……んじゃあ何で俺様のこと誘った!」
「……何でって……」
撒き散らす感情の単位が余りにも違う。今知ったことでもないのに、愕然とする。慌ててカノンのズボンを引き摺りを下ろす、成る程、確かに……。
そしてそもそも、誘われてもいないバノッサである訳だ。
「バノッサさんが勃たしてください」
カノンはにっこりと、下半身を剥き出しにしている十七歳の少年が浮かべてはいけないような笑顔で言う。
「……クソガキがァ……!」
粋がって言えるのはせいぜい言葉だけの弱虫だ。カノンは少しも恐れることなく大変粋に陽気に裸一貫敵陣突入。
「クソガキが……クソガキ、エロガキ……」
嬉しげな顔をストレートに憎たらしく思うやり方をいつから忘れた。もっと邪険に扱えたはずが、いつの頃からこんな風に、口先だけで片付ける。
カノンはそんな言葉すら嬉しそうに、にこにこ微笑む。
カノンは計算をしないから、怖さもないのだ。純粋感情の幾つかの種類が、バノッサに向けられて、鋭い感性でもって瞬間毎にバノッサを受け止め、喜ぶ反射神経。刹那主義的ですらあり、本人は考えないからあまり問題意識も持たない。
ただ、ずっとこんな風にこのまんま、見えなくなるくらい遠くまで、バノッサさんと一緒にいられればいい。争いの、無いことは無くてもいいから、でも今よりずっと少ない世界ならもっといい。
「この……バカガキが、クソガキが……エロガキがァ……」
「うん、大好きですよ、バノッサさん」
違う種類による、同じ意味の言葉の遣り取りは、上手な方が譲歩すれば高等なコミュニケーション。精一杯努力してやっとカノンを詰るバノッサと、にこにこと微笑んでバノッサの心に滑り込むカノンと。哲学的生命体、同じ形をしている。
バノッサの舌は、カノンの脇腹を辿った。ぷりぷり怒っていたくせに、なんだかとても甘い舌。何のために何をするのか、冷静になって順序だてて考えないといけない段階。俺様は何を目指すんだったか……。恋は何とやら。見えなくなって久しい。
「ん……、バノッサさん」
細い人差し指が中指が、銀髪を撫ぜ、指に絡めた。カノンの指にそうされることを、バノッサの髪は確かに喜ぶ。
「……ホレ見ろ、バカカノンテメェ、このインランが……」
バノッサは、自分の指で立たせたカノンの幼い茎をカノン自身に見せて、勝ち誇ったように笑う。
「だって、ぼく、インランでエロガキですから」
カノンは飄々とそう言って退ける。バノッサの言うことならば全肯定する。その根底には信仰に近い愛情の存在がある。けれど決して重たくならぬよう、……だから、飄々と、その軽やかな色の髪よりも更に涼しげに言うのだ。ぼくのおちんちんはバノッサさんで勃つんです。バノッサさんが触ってくれて嬉しいから勃つんですよと、微笑んで言ってはいけないようなことを微笑んで言う。
そして何より、喜んでいるのはバノッサも同じというのが致命的な二人だ。バノッサは淫らな音を立ててカノンを咥える。その目は、本人の自覚とは別のところで、笑っている、和んでいる。それを見てカノンの心も和む。応酬される言葉とは裏腹な関係の成立を、特に身体の一部分で強く幸せと感じるのだ。
幸せだなあ。
性感が直接的に、そういう感情へと繋がる路となる。家路を辿る安定感が、興奮の根底には存在している。それはやはり、愛らしかった。つい最近まで自分からカノンの性器を口に入れることなど一度も無かったのに、今ではそれが当たり前のように。
「んん……っ」
主なるは穏やかな心か、それとも烈しい興奮か、カノンにも判らなかった。充たされて限りない幸せへと導かれる今に、なお、眉間に皺を寄せて、声を揺らして。
バノッサの舌が弾くようにカノンの亀頭を辿った瞬間に、カノンは高い声と共に射精した。半分ほど、バノッサの顔に零したかもしれない、それはしかし、悦びと共に語られる別の話。
舌を打つ音がした。しかし、文句は言われなかった。文句を言えないくらいに興奮していることは、バノッサも認めなければならない。認めた上でならば、先に射精したカノンのインランさ加減に訴えて、自分も悦びへ昇って征ける。
性急につきつけることはせず、カノンが余韻に浸る暇を与えたのは優しさだろう。しかしカノンは、バノッサが自分の顔と口を拭き終える頃には起き上がり、その肩、腕、手の甲に、愛しげなキスを落した。
「んな余計なことしなくていいンだよバカ。……とっとと俺様のしゃぶれ」
「……入れなくていいんですか?」
「……テメェは……」
「あ、そっか……、わかりました。じゃあまずお口で気持ちよくなってください」
片道切符は反則だ。
不器用でも優しさに包まれているなら十分。
「……この野郎」
はむ、と咥える、れろりと舐める。ちょっと昔なら「下手糞が」と罵っていたのに。今は矢張りインランゆえに上手なのだと詰ればいいのか。その必要性は、どこにあるのか。
カノンは風のようにしなやかである、しかし、同時に努力もしていた。「バノッサさんが気持ちよくなるためにはどうしたらいいかなあ」、乱暴に扱わない歯を立てないなどといった事は基本中の基本にしても、そして、プロみたいに上手くは出来ないにしても。バノッサさんに一番フィットする身体になりたいと思い、精進した。初めて顔にかけられたときには、嬉しくて涙が出そうになったカノンだ。
当然の顛末として、いまやバノッサのイイところ悪いところ、全部自分の身体のように詳しく知っているカノンである。乳首や脇腹や袋の裏、そして、お尻の穴だって……、と。
だから「バノッサさんによくなってもらうために」、咥えながら、尻の穴まで撫ぜる。入口を、指で擽る。そういうことをされて悦ぶのはインランのすることだと、自分が定義したことだから、バノッサは唇をかたく結んで、息を飲み込む。
ああ、やっぱり、あなたは可愛い。
その可愛さに、カノンは雄性を刺激される、烈しい興奮に焦がれる。それを、押さえ込んで。
ぼくはバノッサさんの前では、男じゃない。……だから当たり前のように、自分の後孔へ指を忍ばせた。「当たり前のように」ではなく、彼にとってそれは当たり前でなければならないことだった。既にバノッサの身体を味わった後でも、そしてその快感に十分酔った後でも、やっぱりどっちが自然で、そもそもルールか。考えたとき、カノンは自分の足を開くほうを選ぶ。
「……はぁ……」
バノッサが言うほど、カノンはインランというわけでもない。バノッサの傲岸不遜な態度を少しも疎む事無く、唯々諾々と裸を捧げるカノンへの無意識的な罪悪感が、バノッサにそう言わせ、また自己嫌悪を生み出すのである。
カノンのように生きられたら、どんなに楽か。そう容易に想像つくことを、まだ当分は選べないバノッサだ。
そして、自分に跨った細い裸、首輪、見つめて。馬鹿の一つ覚えというやつだ、知っている、知っていてなお、「インランが……、エロガキがァ」、そう、詰る。
カノンは自分の中に、バノッサの肉塊を飲み込みながら、言うことでバノッサの中に生まれる何かを、想像する。想像が出来ないのは、何も生まれないと思うからか、それとも、バノッサの言うように、自分が馬鹿だからか。
「いいです」
「あァ?」
「……いいです、いいんです、ぼく……、エロガキでもバノッサさんのお側にいられるなら、それで」
このことから判るように、やはりカノンもあまり賢くはない。
但し、賢くなくとも、価値はある。バノッサが生きるのはただ、カノンの為だけだ。恐らくはカノンが思う以上に。依存度で言えば、外面とは逆転してしまう。
「バカが……」
それでいて、そういうやり方しか選べない。どうしたって、病んでる。いつまでもカノンを側に置いておきたい、寧ろ、カノンの側にいさせて欲しい。これから先の、長いかもしれなくて、体感すると非常に短い時間を、共に在りたい。ならばまず当面は、この病気をどうにかして治す、その方法を模索するべきだ。それが判っていながら、ただぼんやりと、快感に身を委ねる。バノッサは、素直な言葉を自分がかけたらコイツどんな顔するだろう、そんなことばかり考えていた。泣いて悦ぶか。それとも、笑うか。カノンが俺様を笑うはずがない、そういう確信があってなお、選べない自分は、やはり病気だ。病気のせいにしてしまうのが、一番楽だ。