「……」
「じ、ジタン……、……あの……」
「…………」
「そ、そんな、イライラしないで……。ボク、お水、注いで来てあげるから」
「………………」
熱帯性低気圧になっているジタンをどうすることも出来ず、ビビはうろうろと部屋中をさ迷うばかりだ。ジタンが困ったりしている時、どうすることもできない自分が嫌いだ。いつもジタンに助けられてばかり、こんな些細なことも、救うことが出来ない。 ジタンの苛立ちの原因は、ごくごく理不尽なものだった。それを健気にどうにかしようとして、しかしどうにも出来ないビビは、この村に済む唯一の知恵者に助けを求めることにした。そっと出ていったビビの背中を見送りながら、ジタンはいまいましげに言った。
「……何で、この村にはアイスってモンがねぇんだ……」
コンデヤ・パタに食べ物調達してるんなら、アイスくらいあったっていいだろうがよぉ。ジタンは駄々を捏ねる子供のように、床に垂れていた。イライラが余計に熱さをつのらせるということをすっかり忘れて。五月も半ばが過ぎた。この時期になると、急に暑い日が増えるようになる。まるで梅雨に入る前に、太陽が一時の別れを惜しんで、一人で惜別パーティーを開いているかのように、三十度近い熱さになることがある。
今日の気温は、二十九度だ。ビビは単純に「あつい……」と半袖を着ているだけだったが、いつもの服を着、温度を読み取った288号はそれでもどこか涼しげに見えた。物作り大好きの黒魔道士たちが誂えた、半袖シャツに五分丈ズボンという爽やかなビビの姿に、「よく似合っているね」と、目深に被った帽子の奥の、静かで美しい瞳を微笑ませて、言った。
「288号は、こういう服、着ないの?」
「僕には似合わないよ」
「そんなことないよ。……288号、スタイルもいいし…、カッコイイから、きっと似合うよ。こんど、みんなに作ってもらおうよ」
無邪気に笑うビビに、微笑んだまま288号は自分の胸のあたりにある銀髪をそっと撫でた。
「ああ、そうだね。今度、作ってもらおう」
時間があったら、ね。
「で……、どうしたんだい?何か聞きたい事があって来たんじゃないのかい?」
「あっ、そう、そうなんだ」
ビビはシャツのすそをいじりながら、ジタンの苛立ちについて語った。
「……アイスが欲しい?」
「うん……、ジタンが、そう言ってるの。なんか、……ジタン怖いよ、いつもと違う」
「……そう」
まるで子供だ……。そう思い、288号はどこかくすぐったいような感じを覚えた。たった九歳の子供に世話を焼かせる、そろそろ大人にならねばならない十六歳。その間に幸せが生まれていることを賢者は知っていたから、自分に足らない何物かを何気なく見せられたような気分になる。もちろんそれは、不快なものではなく、一粒に数え切れないほどの要素が凝縮された、甘美な飴玉のようなものだ。
「アイス、か。作ろうと思ったこともなかったな。コンデヤ・パタの人たちからも、そういう要望が来たこともなかったから。でも、そうだね、考えてみれば、僕たちが迎える初めての夏だ、これから、里の人たちからも頼まれるかもしれないね」
288号は少し考えた後に、ゆっくりと歩き出した。
「行こう。ジタンが喜ぶものを、みんなで作ってみよう」
巣、というか、チョコボ小屋、というか。野犬が悪さをしないように守衛をしている二人と挨拶を交わしてから、中に入る。中は当然――チョコボ臭い。
ボビィ・コーウェンがある日産んだ卵から、また雛が生まれ、それが成鳥になり、また卵が産まれる。チョコボたちは黒魔道士たちが作る料理を食べて、すくすくと育っていた。「ボビィ・コーウェン・ジュニア、卵をわけておくれ」
巣穴に転がる卵を幾つか拾い上げ、ビビに渡す。
「割らないように持っているんだよ」
「……アイスって、作るのにタマゴがいるの?」
「そうだよ。卵と、牛乳と、砂糖。それから、そう、忘れていた。バニラが要るんだ。誰かに取って来てもらおう」
たまたま通りがかった、退屈そうでありながら「退屈だ」とはどういうことなのか今ひとつ理解していないジェノムの少年に声をかけた。
「501号、頼まれてくれるかい? ……村の外に、バニラの蔓があるんだ、そこから身を取って来て欲しい」
「……そんなことをしてどうする? 僕に何かプラスになることなのか?」
平たい声と表情のジェノムに、288号は頷いた。
「そうだよ。今日は暑いだろう?美味しいアイスクリームを作ろうと思うんだ。村人全員の分、作りたい。だから、なるべくたくさん、持てるだけ持って来てくれると嬉しい」
「……アイスクリーム?」
「冷たくて甘くて、柔らかい食べ物だよ。きっと君たちも気に入ると思うよ」
501号の表情が、くるりと変わった。
「冷たくて甘くて、柔らかい食べ物か」
「そう、冷たくて甘くて柔らかくて、とっても美味しい食べ物だよ。手伝ってくれるかい?」
「もちろんだ」
小走りに、村の入口に向かって走っていった。
288号はそれを満足そうに見送る。
ここのところ、ジェノムの彼らの心が、心という形を為し始めていたことは、288 号にとって、そしてビビやジタンにとってももちろん、素晴らしいことだった。黒魔道士たちが「創造」という行動に生きる糧を見出したのと同じように、欠けていた心がはっきりとした形を持つようになる。友愛の感情を抱くようになるのも、もう時間の問題だろう、そしてその過程で起こる事件が彼らをまた、形作っていく。
「じゃあ、僕たちは牛乳と砂糖を準備しようか?」
「うん!」
僕に残された時間はもう長くないけれど、誰かの為に生きたなら、きっとその「誰か」の時が止まらない限り、僕は記憶として、永遠に生き続ける。
昼下がりになり、ますますもって暑さは耐え難いものになっていく。
「ぜってぇ、三十度越えてるって……」
何年かに一度、このように五月でありながら常識外れな暑さになる時があるものだ。そんなに暑がりという程ではなかったが、アイスが食べられないことに苛立っているジタンの回りは、他の場所よりさらに二度くらい高いようだった。
(……行水でもするかあ……)
幸いこの村の中には清らかな小川が流れている。裸で飛び込めば涼を得られるだろう。(……行水、裸で水泳かぁ。昔やったよな、ブランクと……。あの事は何か、裸になるってコトに全然テーコーなかったからなぁ。今考えると、恐くもあるよな。あの頃のブランクが既にホモだったら……、うわ、怖え)
しかし、結局ここしばらく逢っていないブランクの事を思い浮かべて見るのはそれなりに楽しかったりもする。今ごろどうしているんだろう、俺の事で頭が一杯? それはそれで気分良いけど、でも俺にはビビがいるしな、いっそアイツもこの村に呼び付けるか、そしたらビビも入れて三人で出来るな、三人で……。
「やべ……余計暑くなってきた」
しかもこの下半身では行水など出来るわけがない。
「……アイスがねぇから悪いんだ畜生が」
ブツブツと文句を良いながら、反応良好な下半身を落ち着かせるため、ズボンのベルトを外した。
「いや、ここに熱が集まってる間は実は涼しかったりしてな」
馬鹿な冗談も暑さとこの熱を紛らわすことは出来なかった。
(いいや、もう。ビビも帰って来ねーし、一人でしちまえ)
ズボンとトランクスを下ろし、紅く熱を持ってしまったそれを握り込む。ブランクにしようか、ビビにしようか…、少し悩んだのちに、結局ビビですることにした。握り込んでふと、
(ブランクのくらい大きかったら、もっとビビのこと、よくしてやれるんだけど)
などと不毛なことを思う。
いつも抱いている可愛らしい身体は触れるたびにひくんと小さな反応を示しそのピンク色の胸の飾りに触れれば甘い声を漏らし立ち上がった幼い性器からは既に透明な液体が滲み出ていて足を開かせて覗く肛門はジタンの熱を待ちわびて微かに蠢いて――
妄想はエスカレートしてゆく。ビビの声が耳元でしているかのようだ。甘えるような声で縋り付き、握り込んだ所は本当にビビの肉壁に包まれているかのような錯覚を感じる。
「ビビ……」
吐息も熱い唇でその名を呼んだ時だった。
「ジタンッ」
バタンッ、と勢いよくドアが開き、ビビが駆け込んできた。 隠す暇などあったものではない。
「待っ」
「うあっ、な、な、なに出してっ」
真っ赤になったビビと、勃起した自分の性器を握ったまま硬直しているジタンを、「…………」
一歩後ろで、288号は遠い目をして見ていた。
(彼の記憶の中での「僕」は、手淫の最中に鉢合わせた人物という事になるのだろうか)
それは嫌だった、すごく。
「なあ…機嫌直してよ、ビビ…、お願いだからさあ…」
「知らないっ」
ぷんすかと怒りながらずんずんと先に行ってしまうビビに縋り付くジタンの下半身はようやく収まっていた。
「なぁ、お前のこと考えてしてたんだからさぁ」
「余計悪いっ」
「…………」
痴話喧嘩の後ろで相変わらず遠い目をしながら、賢者は改めて自分の人生の意義について考えつつあった。
しかし我に帰り、ビビの頭をぽんぽんと軽く撫でて、…どこか苦しいような笑いを浮かべて、ジタンのフォローに回る。やっぱりこの子たちには、仲良しでいてもらいたいから。
「ビビ、ジタンは君のことが好きで仕方がないんだよ。愛情には色々な形があるらしい、ジタンは君への募る想いを、どうすることも出来なかったんだ。それに……ほら、プレゼントをするんだろう?」
「……うん」
この男の優しい声音は、ビビの心を容易に解いていく。ジタンでも出来ないほど上手に。
「……もう、しないでよ」
「解かったよ、ゴメンな」
ぽりぽりと頭を掻いて、ジタンはペコリと謝る。大体、毎夜の如くビビの胎内を往復しているのに、またやりたくなるなんてどうかしていた。
「……で? プレゼントって、何だ?」
「うん! ジタンが欲しがってたもの、288号とみんなが、作ってくれたんだよ」
ビビが指を差した先、クロネコ合成屋の高い方の窓から白い煙が出ている。ジタンが訝ると、ビビがぐいっとジタンの手を引っ張った。
「早くはやく!」
「お、おい」
ビビは全力疾走で、つまりジタンにとっての早歩きでジタンを引っ張った。引っ張って、開いた合成屋の中は、外よりも二十度以上も涼しかった。ちょっとした冷蔵庫だ。猫は端の方で毛布に包まって丸くなっている。
「アイス、ジタンの欲しがってた、アイスクリーム、みんなで作ったんだ!」
ジタンは呆気に取られていた。合成屋の黒魔道士が冷気の魔法を詠唱している。部屋の中空にサッカーボール大の透明な氷が幾つも浮き、その中に、グラスに入ったアイスクリームが封印されているのだ。
「とりあえず、三つ頼めるかい?」
288号が言うと、待機していたもう片方が炎の魔法を唱える。生じた火の球を操って、ゆっくりと、アイスクリームを封印したクリスタルを溶かし、グラスを空中で移動させ、三人の前へと運ぶ。
「おまちどうさま! クロネコアイスクリーム屋をご利用頂きまして、ありがとうございます!」
「……すっげぇ」
冷たいグラスに、滑らかそうなバニラアイスを見て、ジタンは感動の声を上げた。
「ジタン、外行こうよ。外行って、川に足入れながら食べよう!」
二人して部屋を出ていったのを見送って、288号は満たされたような微笑みを合成屋に向けた。
「ご苦労様、二人とも」
「なんでもないよ、こんなこと。涼しくて楽しいしね」
「そうそう。もう、合成屋やってても来る人いないから、これからはお菓子屋さんやってもいい?」
288号は頷いた。
「ああ。好きにしなさい」
甘い甘い記憶を彼らに遺すことが出来たなら、きっと幸せだから。
「それじゃあ、僕も頂くことにするよ。これから、お客さんが増えると思うから、材料が少なくなってきたら僕に言うんだよ」
外の陽射しは相変わらず強い。足を小川につけているジタンとビビの隣に、彼も腰掛けた。
「靴を脱がないと濡れてしまうか。ビビ、ちょっと持っていてくれるかい?」
グラスをビビに渡して、288号はローブの上着を脱ぎ、靴を脱ぎ、ズボンの裾を捲り上げた。
そして、帽子を外した。
適度な短さの銀髪が、都合よく吹いた風にそっと靡いた。長い睫に縁取られた伏し目がちの銀眼、すっと通った鼻に、鋭利な知恵を形にする術を心得た唇、端整な顔立ちは黒魔道士たちの皆が持ち合わせているものだが、ビビは、288号の美しさはまた格別だと、子供心に思っていた。
「……へぇ」
驚いたような声を上げたのはジタンだ。
「あんた、そんな美人だったんだ」
フッと笑って、288号は首を振った。
「そんなことないよ。君の方が格好いいし、美人だよ」
「へへへ。本当の美人に言われると嬉しいね」
ビビからアイスの載ったグラスを受け取り、288号も小川に裸足を浸した。指の隙間をすり抜けて行く水が、思ったよりも冷たく、心地よかった。
自分の記憶の中にもこの冷たい水と甘いクリームが残る。同じ感覚は彼らの中にも残る。
一生分が凝縮されたアイスクリームだ。
隣で笑顔で舐めている二人を見ていると、余計に幸せになっていく。
「しかし、アイスクリームなんて、作るの結構大変だったんじゃないの? 機械とかいらんの?」
「ああ。機械はないけれど、僕たちには幸い、魔法の力があるからね。ひょっとしたら機械で作るより楽で美味しいのが出来るよ。里の人たちも喜ぶだろうね」
「あー、コンデヤ・パタの人たちか。あいつらにあげるんだったら、山ブリ虫でも入れてやったらもっと喜ぶんじゃないか? 俺はゴメンだけど」
「そうか。そうだね、バニラばかりでは飽きてしまう。ブリ虫はともかくとして…木苺や山葡萄なんかは喜ばれるかも知れない」
明日以降のことを考えてみる。
希望に満ち溢れた毎日が、続いていくように思えた。
「美味しいかい?」
「うん! 冷たくて、すっごい美味しいよ!」
そして他の何より、ビビの笑顔が、明日に進む力になっているような気がした。
「ジタン、どこ行ってたの? こんな遅くに」
ビビがパジャマに(どうせ毎夜の通り脱がされるであろうことは眼に見えているのに)着替えた後だというのに、ジタンはいそいそと財布を持って出掛けていった。程なく帰ってきた彼は…後ろ手に何かを隠し持っていた。それが何かはわからなかったけれど。 ジタンはニッと笑うと、
「じゃーん」
と目の前にアイスクリームの載ったグラスを見せた。
「ま、また買ってきたの? もう四つめじゃないかぁ」
「だって旨いんだもんこれ。ビビもそう思うだろ? 半分つして食べようぜ」
「僕、もう歯磨いちゃったもの……、それにおなか壊しちゃうよう」
「へーきだって。これくらいじゃ。それに、言ってたぜ。このアイス、砂糖控え目なんだってさ。だから、心配するこたないさ」
「……じゃあ……、食べる……」
ベッドから降りてリビングに向かおうとしたビビを、ジタンは片手で制した。
「な、なに?」
「リビング行かなくたっていいよ。ここで食おう、な?」
「だ、だって…スプーンも無いし、どうやって」クスッと笑って、ジタンは言った。
「手で食べりゃいいだろ。……な?」