Can you HEAR me?

ブランクがプロの薬剤師顔負けの製薬技術を秘めた腕を振るう機会はそう多くない。腰痛腹痛に頭痛、神経痛、胸の痛みや恋煩いにだって、きっと効果を発揮する薬を調合する力があっても、そんな悩みを抱えている人間が周りには少ないのだ。偶に二日酔いを和らげる胃の薬を作るくらい、それだって、誰かに作っている時にはたいがい自分も気持ち悪いものだから、誰かに飲ませるくらいならと、自分で飲んでしまうのだ。恋の病に効く薬の相談に限ってはよく持ち掛けられるが、そんなものは薬に頼らないで自分の力で何とかするもんだと、沈静剤のカプセルを与えるくらいで具体的な解決策は教えない。仲間たちはニヤリと笑って「ありがとう」、だが万能調合師の彼でも惚れ薬だけは作れないのではというまことしやかな噂が流れてもいた。

この冬、リンドブルムに珍客が訪れた。雪である。幸い積もりはせず、市街の復旧作業に支障を来たすことはなかったが、同時に訪れた強い冷え込みは、頑丈なはずの仲間たちを次々と倒れさせた。年中素肌を晒しているために鍛えられた肌のブランクはそんな中、一人で仲間たち全員分の風邪薬を拵え、ついでにあちこちの家を仕事の行き帰りに覗き、どうやらリンドブルム全体によくない風邪が流行しているらしいと知るや、男一匹無免許医師は律義にも自前の薬を、ボランティアなんて似合わねえ事をと自分で笑いながら一週間かけて各家庭のポストに配って回った。「任侠医師BJ」などと走り書きしたメモを添えて。はじめの数日は、当然ながら怪しがられ、人々は薬に手を伸ばさなかったが、市民と同じように風邪で倒れたエーコがその薬を飲み、たちどころに回復したという噂が流れてすぐ、リンドブルムから咳の音は消えた。

正体不明の名薬剤師「任侠医師BJ」の評判はあっと言う間に広まった。イニシァルが「BJ」の男は片っ端から容疑をかけられ、当然ブランクにも「まさかあんたが」という声が次々に寄せられたが「興味ないね」、彼は全て退けた。だが、その潔い態度がかえって疑惑を深める結果となってしまった。「任侠」などと書いてしまった事を大いに後悔している、「無免許」でも「暇な」でも良かったのに、と。

「ったく、歩きづらくてしょうがないよ」

マーカス、シナに生姜湯を渡し、彼はミルクと砂糖の入ったコーヒーに口を付ける。胃が荒れてしまうのでコーヒーを止められているシナがうらやましそうに見ている。

「もったいないッスよ、どうせならタンマリ謝礼を貰えばよかったじゃないスか」

そのアイディアを、ちっとも面白くなさそうにブランクは笑う。

「分かってないねお前は」

二人に止めている油菓子を齧る。気持ちの上手い言い方を、菓子一つ分の時間をかけてゆっくり考え、指を舐ってから答える。

「金なんていつでも手に入る。でも、人の気持ちはそうそう、手に入るもんじゃねえだろ?」

上手くまとまらなかったけど、まあいいか……。

マーカスは尊敬のまなざしで「アニキ……」と呟く。シナはコーヒーから目が離れない。

「しっかし、今年は冷えるよなあ。どこもかしこもこんな感じなのかな」

「どこもかしこも?」

「例えば……ブルメシア、マダイン=サリ、あとは、……黒魔の村とか」

シナが鼻をすすった。すすってねえでかめよと、ブランクはちりがみの箱を押しやる。

「ジタンとビビが気になるズラ?」

ブランクはくすぐったそうに笑う。

「まあな。全然会ってねえよもう、かれこれ半年くらい? 手紙も出してこねえから元気してるかどうかも知らない。ひょっとしたらビビ、風邪ひいてたりして……」

「ジタンもひいてるかもしれないズラ」

「甘い、シナ。バカは風邪ひかないんだよ、ヴァカは」

だったらアニキだってひいてない……と、突っ込まなかったのは賢明だった。

「なかなか会いにも行けねえしなぁ、遠いんだよなあそこ、絵に描いたようなド田舎だよな。もっと近くに住んでたらちょくちょく会いにも行けたのに」

「アニキ、……行きたいなら行って来てもいいッスよ、別に」

ブランクは肩を竦めた。ちょっと居心地悪そうに座り直す。

「行ってもいいんだけどさ」

温くなる前にコーヒーを飲み干す。

「何か、余計なこと色々考えちゃいそうでね」

「余計なこと?」

「んん、まあ、なんだ、いろいろな」

ジタンとブランクの関係を、二人は知らないのだ。ブランクよりはジタンが、他の仲間に関係を晒す事を拒んだ。ビビとの関係はオープンにしているのに、ブランクとのつながりは伏せておきたいらしいのだ。それはかつて二人の間に交わされた固い約束を、ジタンが今でも律義に守っているからなのだが、ブランクには、今となっては別にバレたところで居辛くなるということはないと断言出来る。だが、ジタンとしては、ブランクとはやはり「仲間」として一定の距離を置いていたい、その方がきっとうまくいくに違いないという考えがあったのだ。だから今だって約束は有効だし、最後にそこのベッドを軋ませた時も、誰も起こさないように、声を押し殺して、唇をかみ締めた。

「アニキいなくても大丈夫、じき風邪もよくなるし。俺らの分もジタンさんに会ってきて欲しいッスよ」

「……んん〜……」

ブランクは熟考。その間、油菓子を二つつまみ、汚れた指をまた舐める。

「…………お前らがそこまで言ってくれんなら……医者のホトボリが冷めるのを待つ意味も含めて、行ってきてやらんこともない」

「何で偉そうズラ?」

要は少し気恥ずかしいのだ。会いたいと思って、会いに行ってしまう自分が。だから第一義を別の理由に書き換えたいのだ、「ついでに会いに来たんだ」という雰囲気を作りたい。

「んじゃあ、善は急げだな、早速夕方に出発するよ。あいつらの使ってたチョコボ、森にいるだろうから、夕方に出りゃ明日の昼過ぎには着くだろうな」

「……気が進まなさそうだった割に決めるの早いズラね」

シナは痛いところを差したが、直後に、「黒魔の村かコンデヤ・パタにうまそうなコーヒーあったら買ってきて欲しいズラ」 と無関係な話題に振った。ジタンの隠蔽工作のおかげで、彼らは二人の関係に全く気付いていない。それはそれで何となく、「この鈍感が」となじってやりたい気分になってしまうのは何故だ

ろうか。

 

 

 

 

右の鼻が詰まったら、そっちを上に横になるといい。

左の鼻が詰まったら、そっちを上に横になるといい。

だからさっきからずっと、右を向いたり左を向いたりの繰り返しだ。ぼっとした頭は鼻詰まりと咳とだるさに、いつも以上に働かない。愛しい人が注いできてくれた氷水が、消えそうな自分の命を辛うじて繋いでくれているのだと本気で考える。大好きな人よ、先立つ不幸をお許し下さい、病気でだるいから、死というものが、遠い場所にあるものだと分かっていても、冗談では済まないような錯覚を覚える。ああ、サヨナラ、サヨナラ、俺の大好きな、世界で一番大切な、ビビ……、もうそばにいてやれない、ごめんよ……。

額に当てられた冷たい手に、目が潤む。心まで風邪をひいちまってるんだ、涙腺が弱ってる。でも、ああ、つめたくて、気持ちいい、ビビの、てのひら。

「……ヴァカは風邪ひかねえって言うけどありゃ……ウソじゃねえのか?」

ビビ……、ひどいじゃないか、こんな俺に向かって、バカどころかヴァカだなんて、そんな……、ああ、でもなんて冷たくて、気持ちいいんだ、やすらぎのてのひら……。

「口開けろよ」

言われたままに、薄く口を開ける。本当は口移しがいいんだけどいいや今はお前が俺に何かしてくれるってだけで幸せだから、……ああ、苦い。 口の中で融けはじめた薬を嚥下するために水を流し込まれる。唇の端から零れても気にしない。自分の顔を覗き込み、額や目を見分する、いつもよりも乱暴なビビもまた、嬉しかった。

「……もうしばらく寝てろ。汗かいたら着替えるんだぞ」

「うぁい……」

「……ったくよぉ、シャキっとしろシャキっと、ボケが」

「……んんん」

ジタンは布団から余り力の入らない手を伸ばし、冷たい手を求めた。 乱暴なビビはその手を反射的に取り、布団の中に戻してやる。

「触って、てよ、ビビ……」

少し考えた後、……ブランクは、再び手を取りだし、病気臭い人差し指に唇を触れた。そしてまたすぐ、無愛想に布団の中に戻す。

「甘えてんじゃねーよ」

機嫌を損ねているらしい声だって耳に優しい。ジタンは鼓膜が奮え、身体が徐々に熱くなるのを感じ、気絶するような眠りに包まれはじめていた。

ドアの隙間から心配そうに覗いている小さな姿に、ブランクは頼もしく見えるような笑みを送った。

「大丈夫、俺の薬はホントによく効くから。ほら、昔お前にも飲ませた事あっただろ、……覚えてないか?」

「…………?」

「まあいいや。……そう、お前にも伝染っちゃってるかもしれないから、お前も飲め、薬。な」

灰色の錠剤を取り出して見せる。ビビの表情は素直に曇った。

「……にがい、でしょ?」

ブランクは安心させるように微笑んだ。微笑んだだけで、答えなかった。水の入ったグラスを渡し、

「はい、あーんして」

「……………あーん……」

「いい子だね」

「…………………………………にがぁい……」

目を潤ませるビビに胸をときめかせてしまったことを少し恥じて、ジタンの睡眠を妨げないように、そっと扉を閉めた。

「……まだ聞いてなかったけど……いつからなんだ? アイツが寝込んだのって」

ビビが持ってきてくれたチョコレートをつまむ。ジタンの、ではなく、間違いなくビビの好みだろう、とことんなまでに甘かった。

「昨日の朝から……。すごい苦しそうで、咳したりくしゃみしたりして、辛そうだったんだ。……僕、お薬あげなきゃって思って、ポーションとかたくさん買ってきたんだけど、どうやれば風邪に効くようになるのかわかんなくて……。この村には白魔法使えるひともいないし、すっごい困ってたんだ……」

「そう、そりゃ良い時に来たな。……でも何で風邪? 冗談抜きで、こっちはそんなに寒くないし、アイツだって頑丈な体してんのに」

ビビは言葉に詰まった。ブランクは俯いてしまった顔があがるまで、指先で融けたチョコレートを舐めて、待った。 指を舐めてしまうのは癖だ、あまり清潔なものではなかったが、見た目に決して悪いものでもないだろうと、ブランクは思うのだった。

「おとといの晩に……」

ビビがぼそぼそと話しはじめた。

「……一緒にお風呂出た後……、その……、ジタンが、……あのね、その……、お外でやろう、って……」

「……………………」

「僕はやだって、言って、すぐパジャマ来てベッド入ったんだけど、ジタン……なかなかパンツも穿かないで、外行こう外行こうって……」

「……………………………」

「それで……、僕が絶対やだって言ったら諦めてくれたんだけど……でも、お布団のなかでね、僕の…」

「ああああ、いい、いい。わかったわかった」

本当に。ヴァカなのに風邪ひくんだな……、馬鹿を超えてるからか。

「そうか……。じゃあ下手したらお前も風邪ひいてたかもしんないんだ、よかったなアイツだけで済んで」

「でも、……やっぱりジタン、かわいそうだよ……。いっぱい咳して、苦しそうで、いたそうだし……こんなだったら、僕、一緒にお外出てあげればよかった。そうしたらジタン、ひとりじゃないのに……」

胸の痛みを感じながら、ブランクは二つ目のチョコに手を伸ばした。甘い甘い中に、自分だけが感じられる苦みを覚えたような気がした。おんなじ様な奴だ、俺とお前。連帯感と、言いようの無い悔しさと、そしてやっぱりしたくなる祝福。ブランクはジタンが好きで、大好きなジタンが誰からも愛される事が嬉しくて、ジタンを愛してくれる人が大好きで、だからビビの事も大好きだった。惚れ薬、本当に苦手なその理由は、誰かを思い通りに出来ない弱さにあるのかもしれない。

「お兄ちゃん、今夜は泊まっていってくれるんでしょ?」

立ち上がった少年の身の丈は椅子に座った彼と変わらない。ブランクの肘掛けに手を乗せて、首を十五度右に傾げて、ビビは訊ねていた。もとよりそのつもりだったが、カッコ付けてしまう。

「迷惑でないなら」

ジタンの前では裸の俺、でもこの子の前では少し大人っぽくてカッコイイ「お兄ちゃん」でいたいなんて思う。

「本当? じゃあ、僕、頑張って晩ご飯作るからね」

珍しい客のために腕を振るえる事に、ビビの胸は高鳴った。光り輝く微笑みに、ブランクも幸せになる。誰かの幸せのために何かをしたいと、無意識のうちに思える純粋な気持ちに心惹かれるのは当然のことだ。ジタンがこの子を愛しているのも、無理はない事だ。 だって、俺がこうやって愛している。

「ありがとうビビ、お前は優しいね」

しかし恋焦がれるだけの存在である自分もまた、他の誰かの視点から見たなら、不安で寂しい時間を救いにやって来てくれたヒーローであるということに、ブランクは気付かない。誰かを惹きつけるのは自分の知らない何処かであり、惹かれるのは相手の知らない何処かなのだ。相手が尊敬するに値すると知った時点に、愛を覚える。とても簡単な事だ。

ビビがこしらえた、豪勢ではないが種類と量が豊富な夕食と、病人用の粥は、どちらもいい出来だった。味付けは少し濃い目、これはジタンの好みにあわせているからだろうが、しかし旨かった。エプロンを巻いた後ろ姿、見ながら、心底恋人を妬ましく思うという矛盾に焦がれた。 だが本当は、悔しいとか羨ましいとかよりも、よかったねおめでとう、ありがとう。 二人が夕食を取り終える頃、さっき呼んだ時は死んだように眠っていたジタンが目を覚まして起きて来た。まだ寝ぼけているらしく、ブランクがいる事にも驚きを覚えていない。

「すげだる…」

掠れた声で顔を顰めながら言う。

「何語喋ってんだよ」

「……すげえだるいんだよ。……あああ、死ぬ」

「汗かいたからだ。熱はもう下がってる。まず着替えてこいよお前、汗臭いよ。そしたらビビの作ってくれたおかゆ食べて、もう一回薬飲んで、寝ろ」

「あー……おかゆ……。食わせてくれんでしょ」

背中を丸めながらいったん部屋に戻り、汗だくのシャツはそのまま放る。必死の思いで着替えを済ませたジタンは喉が渇いたと騒ぎ、ビビは氷を浮かべた水を。

「……ほんとに、いい奥さんだよ」

そう言えば「結婚しろよお前たち」といったのはブランク自身だ。ダメ亭主とよく出来た奥さん、絵に描いたそのまんまじゃないか。ジタンが零した水を、ビビは甲斐甲斐しく拭い、ジタンを椅子に座らせる。

「おかゆ食わせてよ」

「……お前、甘ったれてねえで自分で食えよ」

ブランクが手を伸ばしかけたビビを止める。ジタンはそれでもケロリと表情を変えない。それどころか、ブランクに匙を押し付ける。

「あんたが食べさせてくれるんでしょ?」

「……脳味噌茹だってんのかこいつ」

馬鹿言ってんじゃないよつきあってらんないと、匙を投げかけたブランクだが、あまり目の焦点の会っていない相手にそんなことを言っても無駄かもしれないなんて考えてしまったのが間違い。数分後、ジタンのために湯気を立てる粥を吹いて冷ましてやってからその紅い唇に運ぶ、その行為によってやっぱりはまる悲しい恋愛の迷路。

「あーん」

「…………………」

「あづぁ! …殺す気かよっ」

 

 

 

 

前夜の就寝前には八度強あった熱も、目覚めてみれば六度五分まで下がっていた。体温計を枕元に戻し、だるいのかさわやかなのか判別し難い感覚とまたもやびしょ濡れのシャツとパンツに身体を包まれて、ジタンは立ち上がった。頭の奥の方に鈍痛が残ってはいるが、ノブをひねり扉を開けて、風邪臭い部屋から出るとその感覚も抜けた。太陽が眩しく感じられるようじゃ駄目だと思って食卓の椅子にふんぞり返る。

「あ」

その姿を認めて、ビビの日課である花壇の水遣りの手伝っていたブランクが、如雨露片手に冷たい空気を連れて入って来る。

「起きてこられたか、やっぱ薬が効いたな」

「……なんであんたがここにいんだよ」

「さあねえ。とりあえず礼を言っておけ、損はないぞ」

「…………ありがとう」

「どういたしまして」

ビビがまだ戻ってこない事を確認して、ブランクは顔を寄せた。逃げられないよう頭を押さえるのを忘れずに。

「ベタベタすんなよ……、ビビに見られたら」

「悪かったな」

しつこい男は俺だって嫌い、だがブランクはもう一度、した。鼻の奥に、多分またしばらくかげなくなるであろうこの男の匂いを焼き付ける。予定なら今ごろ、毎夜のごとく飽きるほどこの匂いを一人締め出来るはずだったのだが。思うよりもうまくいかないものだ。

「あ、ジタン、起きてた」

コートのフードを外して白い息を流しながらビビが入ってくる。

「おお、お前の看病のおかげだぜー」

「俺の薬は」

「ビビー、おいで、膝の上。んんー、ちゅっ」

「ちょ、や、じた、っ」

「……風邪伝染す前にやめてやれよ。それと、治りかけが一番危ないんだからな、気がすんだらとっとと寝ろよ」

離れていた二日分の抱擁と接吻を子供のように請うジタンに、嫌がりながら受け入れるビビに、自分の知らない笑顔を覗かないで済むように、彼は目を逸らした。

ここは彼らのスウィートホームな訳だ、だから俺はいる意味ないわけだ。せっかく風邪治してやったのに。

顔を見るためにやって来たのだ、それ以上のことなど何も望んじゃいない。

しかしやっぱりふたりに、もっと愛されたいなどという贅沢を抱くことは、決して間違えてはいまい。

「馬鹿の風邪も治った事だし……、俺そろそろ帰ろうかな」

聞こえるように口に出して言う悲しさに、心底気付いて欲しいような、出来れば無視して欲しいような。そして、立ち上がろうと浮かしかけた腰を落とす言葉を待っている自分は、カッコよくないようで、実はカッコ良かったり、見えたり見えなかったり。

幸か不幸か判然としなかったが、その言葉をジタンが拾った。

「なんか用でもあんの?」

ブランクは首を振る。

「特にはない。けど、年末年始だからな、アイツらだけじゃ心配だし。遠くでイライラしてるくらいだったら近くで迷惑かけられた方が楽だし」

「何だ。もっといりゃいいのに。なあ、ビビ?」

ようやく腕の中から逃れたビビは、クールで優しくて頼もしいブランクお兄ちゃんをまっすぐに見つめて、強く頷いた。ブランクは思わず目を逸らしてしまいそうになる。その銀色の視線は素直で純粋で綺麗で汚れを知ってても隠してる。惚れるのが自然、もとより土台の無い天秤を揺らしてみる、ジタンとビビと。阿呆な事してんじゃない俺。

「今日も僕、お兄ちゃんのためにごはんつくるよ、美味しくなるかどうかわかんないけど、頑張るから、……泊まっていってよ」

素直に有り難うと言う前に。

わざと肩を竦めて見せたりなんかする。  

俺の見た目を建前を好きだと言ってくれるんなら。

出来れば中身は見ないでおいて。

「……邪魔じゃないのか?」

言葉の最後、一瞬だけジタンも見る。

「邪魔なんかじゃないよ」

 何が嬉しいんだ? わからないまま、ブランクは腰を下ろした。ビビは安心したように微笑み、側まで寄って、

「何が食べたい?」

考えはじめる一瞬前に、ジタンが口を挟んだ。

「肉」

「ジタンには聞いてないよ」

「中が紅いくらい生な肉。……俺は食べないよ、そんな腹にキそうなもの。そいつがそういうもの欲しいんじゃないかなって思っただけ」

寒くなって来たからお茶が飲みたいな、独り言を言うと、全くもうとビビが立ち上がる。

「……最悪の亭主だなお前、もっと大切にしてやれよ、愛してんだろ」

ジタンはふんと機嫌を損ねたように鼻息を一つ吐いた。拒絶されたようにも受け取れるその行為に、ブランクは左手で右の頬を掻き、背凭れに深く寄りかかった。音をなるべく立てないよう、鼻でため息を吐く。

「愛してるよそりゃ。見てりゃわかんじゃん。そりゃあな。大好きだよ誰よりも大事、アイツのことは。命に代えても護るつもりだよ、絶対壊させない。そうしなきゃあんたにも申し訳ないしな。……それに普段は、あんたの見てないところでは、もっと大切にしてんだ。それこそ、アイツがよくも増長しないよってくらい甘やかしてる。あんたの前でだけだ」

「訳の分かんない事してるなよ」

「訳が分かんない? はん、あんたが風邪ひかない理由分かるよ」

「何」

「あんたの方があいつより偉いんだよ。ヒトだって権勢症候群かかるからな」

「……?」

んなこと言ったってわかりゃしねえか、性格の悪い笑みを混じらせて言いおえると、ティーカップを三つ、バランス悪く盆に載せてビビが戻って来た。危なっかしい足取りでも、ジタンは立たない。よく心得ているビビは、最初のカップをまず、ブランクの前に。

キャン・ユゥ・ヒァ・ミィ?

唇が紡がぬ言葉を互いに聞き取れるようになるにはきっと、三回くらい生き直して、もうちょっと平凡な二人である必要があるらしい。そして二人きりの時間がもっと無くちゃいけなかった。

「ビビ、そいつの言ったとおりだ。表面が少しだけ暖かいだけの、真っ赤な、血が流れるような肉が食べたい。それに、……お前の思ったように味をつけてくれればそれで上等だ」

「俺はおかゆでいい」

ジタンはそう言うと、立ち上がり、小さな耳に頑張れよ楽しみにしてるぜあいつと一言言って、こっそり優しく頭を撫で、ビビが忘れているブランクの分のミルクとシロップを取りに台所へ。ついでに少年には手の届かないところにある財布から札を抜き取り、これで、と握らせた。

「ほかには、何か買ってくるものある?」

ジタンはブランクを見た、ブランクはジタンを見た。

「任せるよ。俺には何も要らない、ブランクとお前の分だけでいいからな」

ビビは元気よく頷くと、再びフードをかぶり、出ていった。

「肉屋?」

「そんなもんこの村にはないよ。コンデヤ・パタまで、チョコボで」

「……ひとりでか?」

「あんた知らないんだろうけど、あいつすごい強いんだぜ。俺なんか指一本で丸焦げさ」

「命をかけて守るって言ってたじゃねえか」

「嘘じゃない。だけど、あいつにもひとりで戦うってことを覚えさせてるつもりだ」

ジタンはブランクの紅茶の中にミルクと砂糖を入れてやる。自分は無添加のまま。

「弱ってる時にカフェインはよくないんだぞ、ミルクでも入れれば多少は……」

「いやだ。頼まれたって入れてやんねえよ」

「別に頼みゃしねえよ」

ビビがいない気楽さからか、ブランクの態度はコートを脱いだように身軽になった。音を立てて紅茶を飲む。ジタンがちらちらと見ているのには気付いたが、敢えて無視を決め込んだ。今でも、昔のようにこの子の挙動に、いちいち反応して一喜一憂してるなんて、この子には絶対知られたくない秘密だ。

「あんたひょっとして、昨日俺におかゆ、食べさせてくれたりした?」

「あ」に濁点の混じった音と共に熱い息を吐き出してから頷いた。

「そりゃ……、悪かったな。ぼーっとしててわかんなかった。あんたじゃなくてビビだと思った」

「……すげえ見間違い」

「だからぼーっとしてたんだっつってんだろ」

ぼーっとしてたからと言って、四十センチ以上身の丈に差のある二人を見間違えるものだろうか。多少のショックを覚えるブランクに追い討ちをかけるように。

「道理で、なんかビビ、言葉悪いなあって思ったんだ」

「……お前、ビビにいっつもあんな甘えてるのか」

ジタンは答えなかった。ぼそりと何事か呟いたが、ブランクは耳を澄ませる努力を惜しんだ。明瞭に聞こえたのは数秒後、自分を呼ぶ声だった。

「ブランク」

紅茶はダージリンではなくアールグレイだった。ジタンは確か、ダージリンの方が好きだった気がする、いや……覚えていない、そうだったっけ? そうだ紅茶で思い出した、シナに言われた、

「ブランク」

コーヒーのおつかい。ビビについでに頼めばよかったかも。ステーキの肉があるんならコーヒーくらいあるよな当然……。ああでもビビの荷物増やすくらいなら自分で行った方が楽といえば楽か。どうせ俺だってチョコボあるんだし。

「ぶ」

「聞いてるよ。何だ」

ジタンはだるそうに、べたべたする髪を掻いた。

「……俺、二日風呂入って無いんだ」

「知ってる」

「臭い?」

「臭いよ」

「……風呂入っても平気かな」

「あんま好ましくない、けど……」

ブランクはほのかに甘い紅茶をゆっくりと味わう。ビビ、上手に入れてくれている。

「入りたきゃ、入れば?」

ジタンは立ち上がって、その匂いを漂わせて。自分の側を通る時だけ、歩調をゆるめる。耳に、喉の奥で笑う音がはっきり聞き取れた。

ブランクは惜しみつつ、最後の一口を転がして飲み干した。

「……それで? 俺の分のバスタオルはあるのか?」

振り向いたブランクの先で、ジタンは既に二枚のバスタオルを抱えていた。

壁に声が染みてるに違いない、タイル敷きの浴室。だとしたら、ここで声を上げさせるのは得策ではないのかもしれない、自分がいなくなった後、きっとこの子は気まずい思いをするだろうから。だが多分もう遅い、そう広くない空間に二人で入ってしまった。ビビとこの子ならばそう狭くはないだろうが、一応百六十からある男が二人共存するにはやや窮屈なので、自分は空の浴槽の縁に腰をかける。

「おお、すげ」

流れ落ちる泡がやたらに固そうに見える。それだけ不潔だったと言う事だ。ブランクは空を泳ぐ手に手桶を握らせてやった。

「んーぅ、……サッパリしたぁ。やっぱ風呂っていいよな……、入ろ入ろ」

「……肩まで浸かれよ、暖まったらすぐ出て靴下履いてスリッパ履いて」

「相変わらずうるせえな……。ガキじゃねんだからそれくらい分かってるよ」

「そう思いたいけどな、寒空の中で青姦したくて裸で跳ね回った挙げ句風邪ひくような馬鹿だからなお前は」

「……ビビのやつ……」

「お前が悪いんだ、馬鹿が」

昔はもっとすんなり入れた二人風呂、浴槽のサイズはアジトのそれと変わらないのに、こんなに窮屈。ジタンの肩を温めるために、ブランクは肩を冷やさなければならない。元々大の男が二人して風呂に入るなどと言う事が間違えているのだが、多分、これから先ますます訪れなくなるだろう機会を逃したくなかった。久々に触れる肌に、ブランクは心臓が石ころになった。言葉を交わしたいのに、口を動かしたくない。水中で、中途半端に重なってしまった肌が痛いほどだ。底面を流れる素直さは口を開き、欲しいものを言えば楽になれると唸る。だが、理性や倫理感や、どうしてか「離れる」という結論にすがり付きたがる恋心に邪魔をされて、動けない。

「…………」

「…………」

そしてそれは、ジタンも同じ事だった。触って欲しい、そのためには簡単、甘えてしまえばいい。昔のように、不貞腐れたように手を伸ばせば、きっと握ってくれるに違いないのに、それが出来ない。自分のビビに対する気持ちが嘘になるわけではないと、確信している――たとえこの男に抱かれても、その最中でビビ愛してると言ってしまう危険性もあった――のに、迷信を信じる子供のように、出来ない。 相手の心を掠め取るのにここまで慎重になってしまう。こんな事は今までなかった。 ついこの間までは好き勝手出来ていた相手のはずなのに、だ。

「……、ブランク」

汗が睫を濡らす。ジタンの声は風邪のせいではなく擦れていた。

「……ビビ、帰って来ちまう」

ブランクも、肩以外はすっかり熱が回っていた。珠のような汗が頬を額を流れ落ちる。

「……うん」

「早く、しないと……」

「……ああ」

でも、だから、何を?

互いの、吐息一つにまで過敏な反応を示してしまう。恥ずべき臆病さも、ふたつ重なってしまえばバレない。

「……ジタン」

息が止まりそうになっていたのを忘れていた。あえぐようにその名を呼んだ、空気だった。焦れて、ジタンがとうとう、動いた。手を後ろに回し、探る。

「ジタン」

「ビビが、帰ってくるから」

言葉はそれだけだった。 ブランクは手を、その身体に伸ばした。洗いたての濡れた髪の匂いを嗅いでから白い首筋と逞しくなった肩に口付ける。腹と太股を危うい動きの両手で撫で、それから中心の砲身に触れる。固くなりかけた所を揉み、摩る。はっ、と息を吐く。ジタンが首を回し、唇を求めた。

変わんない、触る手の動き、触らせる体の動きを、懐かしく感じる。だが懐かしいと言う事自体が異常なことだった。当たり前になるはずだった感覚なのに。

「お湯汚すなよ」

生じた慣れに、軽口を叩く。見えないとろりとしたものが湯の中の指にまとわり付いたのを感じた。

「立てる……?」

「……立つよ」

「滑るなよ」

「支えてよ」

すがるために回された腕は艶めかしく、ブランクの心を乱した。すっかり大きくなってしまった性器に笑い、髪の毛と肩だけタオルで拭う。濡れたままでも寒くはないだろうが、ジタンはもともと風邪っぴきなのだ。洗面所に降りて、向き合った身体はうすぼんやりと赤く、男にありえないほどの妖気を醸していた。ブランクは置いてけぼりを食ったような気分になり、昔のように乳首を噛んでも、昔よりも危険な反応が帰ってくることに、戸惑いを感じた。ごまかすように、生えそろった金色の縮れた毛を口で引っ張った。

「遊ぶなよ……」

頭を押さえる。ブランクにはまた少し余裕が生まれた。

「覚えてるか? ……昔はツルツルで、剥けてもいない、ガキのチンコだったのにさ。今はこんなだ、立派になったよな。こんな大きくなって」

「馬鹿野郎」

「そう言うなよ。大人になった証拠じゃねえか」

ただ、ここまで成長してしまうと、何の気無しに口に含むのには抵抗があるものだ。恐らくジタンのものでなければ出来ないな、そう思いつつ、ブランクはゆっくり、そこに口を当てた。洗った後にも残る独特の匂いが鼻に抜ける。口の中で裏側に舌を当てて、入り組んだ部分を味わうと、上顎に亀頭が擦れる。ジタンが掠れた声を上げた。ブランクは無意識に、ねっとりと時間をかけて、口淫に耽った。肌の塩味を、垢の馨りを、その舌触りを、全部確認しながら。 ブランクの楽しみは、不意に中断された。

「ちょ、……ブランク」

ジタンが腰を引いた。粘っこい唾液がジタンのものから垂れた。

「何」

「チョコボの声……、ビビ、帰ってきちゃったよ」

「そんな……」

「…………」

ジタンは小さな声で、ごめん、と言った。慌ただしく風呂場に戻り、ぬるつく性器に湯をかけて流し、焦って身体を拭いて、下着も替えずに居間へ戻っていった。

「……おい、イかないでいいのか?」

「……だから、ごめんて言っただろ」

ジタンはズボンの上からも目視可能な状態の自分の性器を指差して、苦しげな顔をした。ブランクも仕方なく着衣を付けて、彼自身も苦しい自己を抱えたまま、机を挟んでジタンの向かい側に座った。

「ただいまぁ」

平和そうなビビの声に、二人は気持ちを入れ替えて、

「おかえり」

「外寒かったぁ……。お兄ちゃんのお肉、買ってきたよ」

にっこり笑ってくれる。ああ、これでせめて、憎らしいところがあったらなあ……。

顔が赤らんでいるジタンとブランクは、机に顎を乗せて、互いと、そしてビビを見つめていた。


top