真っ暗な中で、溜め息がひとつ零れた。

「……だから、来なくていいと言ったのに」

ふっと身体が動いた気配がして、瞬きをすると視界が開けた。くたびれたクジャの表情が、彼が手のひらに点した小さな光に照らし出されていた。ジタンは済まなそうに俯き、ぼそりと。

「……悪い」

クジャはふぅ、と溜め息を吐き、手を握り光を消した。あまり力が残っていない、無駄遣いは出来ない。

「ええと……、その、どうすりゃいいの、かな」

ジタンは頭の後ろをポリポリと掻き、暗闇で見えないのにも関わらず照れ隠しの動きをした。常時の魔力が残っていればその姿も見ることが出来るクジャだったが、先の戦いで体力を使いきってしまって、それも敵わない。

「お、俺はさ、その……あんたのこと、助けたいって、そう思って、その、悪気があった訳じゃなくて。うまく行ってりゃ今ごろ、あんたも一緒に外で無事にだな」

「……言い訳しないで」

「い、いいわけ、じゃなくて、ほら、大体あんたがいつまでもこんな所にねっころがってるから」

「……それ以上言わないでよ……、僕、疲れてるんだからさ」

苛立ちを抑えたようなクジャの声にジタンは黙りこくってしまった。

「そりゃ僕も、いい言葉だと思うよ。『誰かを守るのに理由がいるかい』……でも、馬鹿だ。君は一応この僕の弟だっていうのに……恥ずかしくなるね、君を見ていると」

「お、大きなお世話だっ」

どんなに疲れていてもこのナルシスぶりは変んねえのか。少し感心もしてしまう。

「……僕は、……さっきも言ったけど、生きる理由がない。星の出した老廃物だよ。そんなものを拾って、どうしようっていうんだい?僕は馬鹿みたいに論理を忘れた考え方は出来ないからね、理由がなければ納得しない。実際君は理由無く行動してこんな目にあっているじゃないか。単なる暴走だよ」

むかっとして反論しかけたジタンを、クジャは停めた。

「生きろって言ったのが聞こえなかったのかい?」

はぁ、と溜め息を吐いて、半身を起こした。

「君は何が目的だったんだ。僕を助けたところで、僕はもう生きられない。僕には君が馬鹿だとしか考えられないな」

「あんたなぁっ、さっきから人のこと馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿言い過ぎだこのナルシスト!」

「……馬鹿に馬鹿と言われても腹は立たないね。質問に答えてくれないか。言った通り僕にはあまり時間が無いんだ」

「……とか言ってるくせに余裕あるじゃねぇか」

「疲れてるんだよ……。全く……やっとおわりに出来ると思ったのに」

クジャはまた手のひらに光を生じさせた。

「何故、僕を助けに来た」

ジタンは、悪びれもせず言った。

「理由なんて無い」

クジャは光を握り潰した。

「……ここから出たいのかい?」

くたびれたように問う。

「出たい」

ジタンの即答に、クジャは少し考えた。目を閉じ白い顔の眉間に皺を寄せて、しばらく考えた後、言った。

「……僕は、何なのだろう」

ぽつり、呟いた。

「作られた存在としての僕の思考は何かの意味を持っていたんだろうか」

操り人形だったとしても、僕は自分のしていることが、自分の考えたことだと思っていた。それは僕だけの大切な心なのだと思っていた。今考えればそれはやっぱり少し間違えていたのかもと思うことも出来る。そういう風に考えられる僕も、僕じゃないんだろうか。

(……ガーラントは、僕に何の意味も持たせたくなかったから、僕に『破壊』を教えたんだろうか)

名も残す必要の無いただの駒だったから、妙な物を考えられては困る。全てを破壊してしまえば、そこには何も無い――

僕は違うと思いたかったのか。思ったから、壊そうとしたのか?

だとしたら、僕に意味はない。

僕の作った黒魔道士たちでさえ、意味を作り出したというのに。

「……君にとって、僕は何だい?」

 

 

長い長い沈黙が流れた後、ジタンはようやく、応えた。

「…………兄貴」

「びっくりした……。起きてたのかい」

「な……、寝てたと思ってたのかよ」

「二十分も返事が無かったら思うよ、普通は」

言おうか言うまいか迷っていたのだ。本当にそう思っているのか自分でも心許ないし、かといって妙に毒を吐こうモノなら、この死にぞこないはまた「君を殺して僕も死ぬ!」などと言い出しかねない。

「……兄貴、ねぇ……。君にとっての兄貴分は……何て言ったっけ、あの肌色と茶色の混じった肌の……」

「……ブランクのこと? 何であんたブランクのこと知ってんだよ」

「君の事なら大体知っているよ。……あの元気のいい黒魔道士は、さしづめ弟分だろう?」

ふっと笑って、ジタンは得意げに否定した。

「違うね。ブランクとビビは兄弟分じゃねぇ、恋人だよ、俺の大切な」

「…………あの女の子は?」

「……ダガーは、ダガーだよ。いいじゃねぇかそんなこと。あんたは兄貴、知りたいのはそこなんだろ」

「ああ……」

クジャは不思議な気持ちでひとつ首を捻った。

「兄貴って、どういう物なのかな」

一応、つい最近まで一人っ子だったジタンも「さぁ」と同じように首を傾げる。

「……家族、だろ?」

「家族って何だい?」

タンタラスは一種の家族的社会ではあったものの、それでもバクーに扶養されていたというよりは自分の食い扶持は自分で稼ぐといった感じだったから、「家」という意識は持っていたにしろ、(ブランクはとりあえずおいといて)マーカスたちに対して抱く感情は、家族という言葉から連想されるような強制連帯的なものではなく、いわゆる「友達」と呼ぶ方がしっくりくる。

「……自分で考えろよ。俺はどうせ馬鹿だから解かんねぇよ」

不思議な気持ちは消えない。真っ暗な緑に囲まれて、微かにジタンの匂いが混じった草の香りに包まれて、身動き一つ取るのも大儀なこの状況で、どうしてかこんなに満たされている。まるで城の広いベッドでうたたねをしているかのようだ、いや、あれよりもずっと、心地いい。

クジャは、手探りでジタンの身体に触れた。

「んわっ」

「……そんな驚かないで。……ショックだな……」

「だ、だって……、いきなりシッポ触るから……」

頑丈ではあるが、それでも尻尾を触られるのは微妙に気に入らない。

「だいたい、あんたにだってシッポあんだから、自分の触ってろよ」

「君の……、弟のシッポを……触っていたいんだ。……駄目かい?」

少し固めの毛が生えたその部分に触れられたまま、そんな風にしおらしく聞かれてしまうと、一応「弟」である彼は、あまり邪険には扱えないのだった。

実際のところ、普通の兄弟であれば「ふざけんなボケ」と言って喧嘩が始まるところであろうが、彼らはまだ、こういう関係になって間も無いのだ。

「……勝手にしろよ」

ジタンが言うと、クジャは尻尾を握った。あまり力を入れず、そっと。

「シッポ、誰かに触られたことは?」

「あるよ。色んな奴に」

「……普通の人間は珍しいと思うんだろうね、やっぱり。……僕は見えないようにはしてあるんだけど」

「あんたの場合、生えてたってまずそのパンツに目が行くって」

「……卑らしい人がそういう所を見ようとするんだ」

「へぇ。じゃあ忠告しとくけど、見てクダサイって言ってるようなもんだぜそれ」

「……ふ。もっとも僕の完璧な肢体であれば、見たくなる君の気持ちも分からないではないが。……触りたかったらどうぞ」

「……やっぱ手離せテメェ」

「やだ」

この微妙な相性の良さは一体何なのか。取ってつけたような兄弟仲を、クジャは意外と求めていた。

「……僕は君のお兄さんか」

「いや?」

「……別に」

沈黙が再び暗闇にやってきた。クジャに尻尾を握られたまま、さてこれからどうしようかとジタンは腕を組んで考えた。とりあえずこの窮屈な空間から抜け出す術を考えなければならない。…彼自身、相当の覚悟を決めてクジャの救出に飛び込んだように見えて、実は「いつもみたいに、どうにかなんだろ」とタカをくくっていたのだった。コイツに頼み込んでも望み薄だしな……。

としたら、やっぱり手持ちの小刀でこの頑丈そうな植物の茎を根気良く削っていくほかないだろうな。

ふーっ、と息を吐いたジタンに、不意にクジャが言った。

「疲れてるんだろう」

そう言った彼の方が、百倍疲れているようにジタンには思えたのだが。

「ああ……、疲れてるよ。そりゃ、あんだけわかりにくい城の中歩き回って、んであんたとヤッて、それから何か解かんないのとヤッて……、挙句の果てに全力で走りまわったら、そりゃ疲れるさ」

「……寝たら?」

「……んー……寝てもいいんだけどさぁ、寝てる間にあんたに死なれたりした

らヤじゃん」

気分を害したようにクジャは言う。

「死なないよ。そこまで過保護にしてくれなくてもいい」

そして、からかうように付け加える。

「何なら、抱いてあげようか?」

「…………口の減らねえ野郎だな……うぉっ」

ぐい、と引っ張られて、何だか冷たいものが頬に当たる。

「……は、離せ、ばか」

細く長いもので、髪の毛を弄ばれる。くすくすと笑われ、「怖がるなよ」と耳元で囁かれ、しかし怖さはもう無い。

「……誤解しないでよ、傷付いちゃうな……。可愛いイトシイ弟の為に、胸を貸してやるって言ってるんじゃないか。好意は有り難く受け入れるべきだと思うな。それに、一生に一度くらい、……僕だって誰かの為にしてみたいと思うんだよ、駄目かい?」

「……あんた、ドサクサに紛れて何でもしようとするんだな……。フツー俺らくらいの年の男兄弟ってのは、仲悪いもんだぜ」

「他がどうだからって、僕らがそうしなければいけない理由はないだろう? ……ほら、子守り歌も歌ってあげるから、ゆっくりお休み」

「……う……」

不気味に優しげな指が髪を撫でる。何らかの魔法が篭ったそこから、意識が少しずつ痺れていくような感じがする。奇妙な感じにとらわれながらもそれは決して不快ではない。クジャの心が解れた意外さと、何故だか生まれた嬉しさとが交じり合って、何だか、「もういいや」という気分になる。

クジャがゆっくりと歌を口ずさみ始めた。反響などするはずの無いこの閉鎖された空間で、しかしその声はゆったりとした広がりとともに、ジタンの耳に届いた。男のくせに、綺麗な声してやがる…、沈み行く意識の奥底で、ジタンはそんな風に笑って。

「ん!?」

がばっと起き上がった。

「何だよ」

陶酔していい気分だったのに歌を中断させられたクジャは、かすかに腹立ちを含めた声で聞き返した。

「あ、……いや、……その歌、あんた何で知ってんの?」

「何でって……。君もこの歌を知っているのかい?」

「知ってるさ。……ダガーが歌ってた。ダガーしか……知らないハズなのに」

クジャはふぅんと何度か頷いて……再びジタンを抱き寄せた。

「じゃあ、一緒にうたおう。こんな経験、そうそうあるハズ無いからね」

「……一緒にって……」

「僕も歌詞は知らない。だから、メロディだけでも。……ね?」

「……」

 

 

――『わたしが死のうとも君が生きていく限り命は続く』

 

 

好きに野を駆けろ、……僕の大好きなジタン。

子守り歌で、結局眠ってしまったジタンを横たえて、クジャは微笑んだ。もちろん聞こえていないことが前提。少しだが魔法も使ったから、そう簡単には目覚めないはずだった。

「君の大切な恋人のところへ――ブランクだろうがビビだろうがダガーだろうが知ったことじゃない、今すぐ急いで戻ってあげるんだ。――待っている人たちがいる。君は幸せだ。そしてそんな君の命を救うコトが出来て、僕もとても幸せだよ」

表情筋の使い方を今まで知らなかった。こんな風にすれば、もっと優しく笑うことが出来るのか。クジャはふわりと心と身体が軽くなったのを感じた。

僕の本当の役目はここにあった。

僕の二十一年間は、彼のためにあった。

今日、この瞬間のためにあったのだ。

それらから解放されて、襲い掛かって来る悔恨に手を広げて抱かれよう。自分の犯した罪を、最初からやり直す術を探そう。誰かのために。

僕はまず、ジタンのために。

「…………」

唇が何事か、紡いだ。

静かな鼓動がそこに残った。

 

ジタンがゆっくりと、立ち上がった。


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