時間が短かったからといって、それがそのまま不幸に繋がるとは言わない。どうせ有限のものならば、長かろうと短かろうと同じ事で、もともと人間は、明日死ぬかも分からない脆弱な生き物なのだから、諦めが付いていた方が気は楽だ。ずっと自分に言い聞かせてきたそのことはいつしか、匂いのように彼に染み付いて、気付けば苦しみを伴わなくなっていた。

だから、苦しまなくていい、君たちは。



 

 

「……君たちに何か遺してあげられると思う、僕は」

真向かいに座ったジタンにコーヒーをすすめて、288号は言った。

「僕にはもうあまり時間が無い。今だって夢を見ているみたいに君と話している。でも、こんな僕にも、愛する人たちの為に出来ることが、何かあるはずだから」

コーヒーに手をつけず黙って自分をみるジタンに、彼は少し笑った。

「君は……、そんな真面目な表情も出来る人なんだね」

つられて、ジタンも少し笑った。

「……そりゃ……。……俺は、あんたの事も好きだ。あんたがいなくなったら寂しいって思うよ。それに、ビビだって、きっとすごく悲しむだろうし、それに自分の体のこと、また不安でどうしようもなくなると思う、……だから……」

言葉を切った。

自分には分かりきれない思いをビビは抱えている、それをどうにかしてやりたいと思う、命を懸けて守りたいと思う、俺のこの命を、あげられるならあげたい、とさえ。

「……僕は、ビビを救えるかもしれない」

ぽつり、288号は呟いた。

「え……?」

彼は帽子を取り、前髪をかき上げて額を抑えた。頭の中で、彼を支配する何者かの声が響く、非難されているような気になる。そう、僕は人殺しの道具なのになんでこんな風に誰かのために尽くそうだなんて思いだしたんだい?

ひとつ、長い息を吐くと、先程の驚嘆した表情のまま固まっているジタンを見た。

「……ジタン、彼はね、人間なんだ」

彼にとって記憶を辿るということはそのまま自虐につながっていた。自我というものを知らず、与えられた力を用いて、いくつもの死体を重ねていった自分の過去を、そのままなぞる過酷な行為だ。命が削り取られていくようなその行為を、しかしひとつの希望を確かめるために、彼はここ数日間繰り返していた。微かな命の灯火をその行為がそのまま吹き消そうとも、彼はそれをやめなかった。やめるわけにはいかなかった。誰かをイトシイと思う気持ちをそのまま、恋人たちの記憶に止め、生き続けたいと願ったから。

「……僕たち黒魔道士は、クジャに作られた」

目を伏せて、288号はゆっくりと話し始めた。彼が辿り着いた、確かな光について。

ジタンはコーヒーが冷めるのを気にせず、耳を傾けた。

「……黒魔道士が、かつてこの星を覆っていた霧によって作られた、かりそめのいのちを持った生き物だということは、君も知っているとおりだ。クジャの技術を、例えばダリの村民たちにアレクサンドリアが教えて、僕たちを作らせていた。……そこまではいいね?」

ジタンが頷いたのを確認して、288号は続ける。言葉が途切れ途切れになってしまうのがどうしようもない。

「ところが……、『黒のワルツ』を憶えているかい?」

「ああ……」

氷の洞窟で仲間たちを眠らせ、氷の巨人を率いて襲い掛かってきた1号、ダリで急襲してきた2号、そしてカーゴシップ上で止めを刺せず、暴走し、小型飛空艇でしつこく追いかけてきた3号。三人あわせて、「黒のワルツ」……、特に3号は、あのゲートの爆発の中でも生き延び、後々ダガーたちをも襲ったという、恐るべき執念の持ち主だった。

「……ヤツらが、どうかしたのか?」

いずれも、あまりいい思い出があるとは言えない。ジタンは初めてコーヒーを口に運び、288号に続きを促した。

「……まず、彼らが人間なんだよ」

口の中にコーヒーを入れたまま、ジタンは「ん!?」と顔を上げた。ごく、と呑み込んで、目を丸くした。

「アイツらが人間?」

もちろん、俄かには信じがたいことだった。

空を飛んだり、鈴で巨人を操ったり、あんなこと、人間が出来るはずがないじゃないか。まっとうな言い分をジタンが言い出す前に、288号が言った。

「正確に言えば、改造人間、だよ」

いやな言葉だと思いつつ、288号は続ける。

「黒のワルツはもともと人間。人間に、人工的に魔力を注入すると、霧を原料に作った『人形』よりも、ずっと強い力を持つ魔法戦士になるんだ。ただ、問題点もあった。生身の人間にそんな魔力を注入するわけだから、どうしたって無理が生じてしまう。黒のワルツたちは、クジャが直接その自我を奪い去るような魔法をかけてあったんだ。けれど、それは人間本体の精神に直接働きかけて記憶を消す、危険なものだ。何らかのショックが起きると、黒魔道士として与えられた命令が暴走してしまう危険性がある。反面、僕たちのような普通の黒魔道士はクジャのような強い術士に魔法をかけられたんじゃなくて、霧から――自虐的な言い方をするなら、大量生産されたものだから、『命令』も薄い。元にある自我が成長することによって、例えば僕のように破壊するという命令を超越する事が出来る……、泣くことしか知らなかった赤ん坊が、言葉を憶えていくようにね。……黒のワルツたちはそれが出来ない、命令が彼らそのものになっていて、それを失ってしまうと、……3号のように、壊れてしまうんだ」

嫌な気分に顔を顰めながら聞くジタンに追い討ちをかけるつもりはなかったが、288号は言った。

「僕らはたまたま、『破壊』の棘を抜いて『創造』という行為に価値を見出すことができた。……それでも奇跡みたいなものだ。あれだけたくさん作られた仲間たち……、僕らは、ほんの一握りだ」

「……でも、あんたたちがこうやって、今、俺やビビの前にいるってことは、事実だ」

「……ああ、そうだね。……僕は、僕のように自我を見出せないまま止まってしまった仲間たちの為にも、君とビビに幸せになってもらいたいって思うんだ。黒魔道士だって、幸せになれるってことを、証明したい。黒魔道士には、自我は確かに無いかもしれない、けれど、間違いなく、痛みを感じたり、悲しみを感じたりすることは、出来るんだから……」

普通の人間と、同じように。

「……ビビが、人間だって言うのは、つまりどういう事なんだ?」

ジタンがコーヒーを再び呑んで、訊ねた。

「……ビビと僕を見比べた時、単純に何処が違うと思う?」

288号は聴いてみた。ジタンはすぐに答える。

「見た目が違う」

「……とても漠然としているけれど、そうだね、見た目が違う。僕は……計ってみたけれど、身長は180センチあった。けれどビビは130もない。黒魔道士でも摂取する栄養や環境によって、体型が生まれた当時から徐々に変化するのは知っていると思うけれど、これほど歴然とした差は生まれない。……それに、僕らは人間でいうと、二十歳前後の年齢に設定されているみたいだけど、彼は九歳、せいぜい十歳といったところだろう?黒魔道士は年を取らないから、ビビが僕らと同じ黒魔道士だとしたら、こんな差が生まれるはずはないんだ」

「……んん?? ……どうゆうことだ?」

「……例えばビビと僕の服は違う。彼が言うにはあの服は、彼を世話していたク族の老人から与えられたものではなく、生まれた時から着ていたものらしい。それに……この間彼をお風呂に入れた時に気付いたんだけど、彼の身体には『しるし』が無いんだ、どこにも」

「しるし?」

「……見るかい?」

288号は痛いような笑みを浮かべて、右手の袖を捲った。

「…………う……わ」

ジタンは辛そうに顔を顰め、すぐ目を逸らした。

288号の細い右腕には、小さな魔法陣のような物が刻まれていた。かさぶたのように盛り上がっているのではなく、押し込まれているかのように。鉛筆の先に指をしばらく押し当てたあと、しばらく皮膚は窪んだままになるのと同じように、まるで今の今迄、魔法陣の金型を押し当てられていたかのようだ。

「……痛みはないんだ。だけど、僕ら『人形』の魔力はここから生じているんだ。恐らくは、命令もここに篭められていたんだと思う。今でもたまに、疼くけれど、……そんな辛そうな顔をしなくても、大丈夫だよ」

「そ、そう」

「一応訊ねるけど、君はビビの身体のどこかで、これと同じ物を見たことはあるかい?」

ジタンは首を振った。

この質問は確認ですらなかった。ビビの身体の隅々を彼自身で調べ、そしてやはり見つけることは出来なかったのだ。

「……恐らくクジャは、……アレクサンドリアに黒魔道士兵を供給する前は、もう少しまともなやり方をとろうとしていたんだと思う。ここから、僕の推論だ」

袖を降ろしながら、288号は本題に戻った。

「僕ら一般的な黒魔道士兵にあれだけの数がいたのに、何故ビビだけが特異なのだろう。どうしても解からなかった。手がかりは、黒のワルツたちは皆、元は人間だったということ、そして、彼の身体、……頭のてっぺんから足の指先、全身どこにもこの『しるし』が見つからなかったということしかない」

「……ん? 頭のてっぺんから足の指先?」

「……だ、だから、前にお風呂に入った時、身体を洗ったと」

「ああそうか。ごめん、腰折って」

「……それで……。ビビは黒のワルツたちと同じ、初期の黒魔道士兵だというのは解かるね。そこから、確証は出来ないけれど、彼が人間だと言うことが言えそうな気がする。そして、本来命令でしか動かないはずの黒魔道士なのに、ビビは何かの命令を与えられたという様子が無い。……つまり」

ふぅ、と一息吐いた。さすがに長く話しをするのは、身体がツライ。

「……彼は、クジャがまだ『まともなやり方』で彼に与えられた命令を遂行しようとしていた頃に魔力を植え付けられたのではないかな。……クジャはどこからか、一人の子供を拾ってきた、彼はその子供に魔力を注入してみた、すると思ったとおり、小さな子供でも大きな魔力を潜在させることが可能だった。同じやり方でたくさんの人間を連れてきて、黒魔道士化していけば、……あとは簡単だ、と」

「……だけど、実際には」

「……そう。クジャはその方法を選ばなかった。ビビは人間だ、どんなに魔力を注入したところで、彼には自我という邪魔な存在が在った。きっと、クジャはビビを洗脳しようとしただろう。魔法を使って、ビビの精神を彼の望んだ形に変えてしまおうとね。……だけどそれはうまく行かなかった。まだ黒のワルツに施したようなやり方を、クジャ自身編み出していなかったのかもしれない、そのあたりは解からないけど。……黒のワルツが不完全な形の改造人間だったことから考えると、まだ当時のクジャは、人間を元にした黒魔道士兵団というのを考えていたんじゃないかな……」

しかしクジャはそれを間もなく断念する。そんな手間のかかるやり方よりも、もっと楽に、そう、この世界を満たしている霧から作り出せばいいじゃないか、クジャはそう考えた。はたしてそれは好結果を齎した。魔力の篭った霧の卵からは、同じ形の黒魔道士がいくらでも生まれる、手間はほとんどかからない。この形なら、馬鹿な人間たちを使わせて、いくらでも兵器を作り出すことができる……。

「僕の推論が正しければ……、ビビはきっと、人間だ。……きっと、彼は止まったりしないと思う……。全て僕の推測に基づくものだから、あまり大きなことは言えないけれど」

疲れた声で288号は言った。ジタンは落ち着いた表情で頷いた。

「……ただ……、それでもビビが、僕ら黒魔道士が止まるのと同じように……『黒魔道士』として与えられた彼の時間が、底をついてしまうであろうことは、否定出来ない……。そうなると……ビビは空っぽ、人間の形をした『器』でしかなくなってしまうかもしれない」

288号は首を振った。

「僕に、……出来ることを探してみるよ。もう、あまり時間はないけれど」

288号……」

「……ビビの顔が見たいな、構わないかい?」

「ああ……。まだ起きてると思う、行こう」

 

 

ビビは、ジタンの帰りを待たずに眠っていた。起きていたらきっと、またすぐには寝かせてもらえないのだという賢明な予測から、早めにベッドの中に収まったのだ。

「……起こさないように」

「……解かってるよ」

覗き込んで見た顔は、すやすやと寝息を立てる安らかな体温を持つもの。額にかかったさらりとした髪、伏せられた睫、子供ながら形の良い鼻、やわらかな頬、口付けを乞うように薄く開かれた唇。 護りたいと思うものが、そこに在った。

「……僕は、君たちを、愛してる」

288号は呟いた。

「……僕は……、僕に、できることを何とか、探したい」

この命をかけて、僕の生まれてきた意味を、君たちにしるしたい。僕が、僕であったという証拠を、のこしていきたい。

生きたという、間違い無い証拠が、欲しい。

「……時々、俺、恐くなるよ。ビビがいなくなったら俺、おかしくなるんじゃないか、って。きっと、泣いても泣いても止まんないほど、悲しいんじゃないかって。そう考えただけで、泣きそうになる。ビビと、ずっと一緒にいたい、……ビビと離れたくない。ビビに、生きて欲しい。死んじゃ嫌だ。考え出すと身体が熱くなって、馬鹿みたいに泣いちまうんだ。……馬鹿みたいに。……何で、こんな悲しいんだろ」

ジタンは眉間に皺を寄せて、笑って言った。

「昔さ、……ダガーがクジャたちに捕まった時にさ、すっごい悲しくて悔しくて辛くて、その時は、俺、限界超えたって、思った。涙も出てこないくらいに、からっぽになった。でも、違うよ、やっぱり、あの時と今と、どっちが悲しいなんて…」

288号の手が伸びた。ジタンの身体を抱き寄せて、子供にするように撫でてやる。

「……僕が、なんとか、してみせる」

僕は、なんとかしてみせる。

「……泣いちゃ駄目だ。ビビにとって君の笑顔が全てなんだ。だから、泣いちゃ、駄目だ、ジタン……」

この涙が無駄になればいい。この痛みが無駄になればいい。罪の無い人間が誰かを喪うという悲しみを無条件に味わっていいはずが無い。そんな馬鹿げたこと、僕は認めない。

僕は、……君たちを、守ってみせる。


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