俺は馬鹿である。バカという漢字はウマシカしかないものだとついこの間まで信じきっていたジタンは胸を張ってえっへんどうだとそう言って退ける。
「俺は馬鹿だ、馬鹿である、しかし俺は幸せだ、だからそんな字なぞ読めなくったって構わんのだ!」
と、もう一つの、即ち「莫迦」を読めなくて文字通りブランクに馬鹿にされて、本当にジタン=トライバルはえへんと言って見せた。
「ばか」を辞書で牽いて、「おろかなこと。また、その人。愚。愚人。あほう」などと、こてんぱんにやられても、びくともしない。それどころか「馬鹿芋:ジャガイモのこと、多産を嘲っていう」、「馬鹿貝:あおやぎ」、「バガボンド:放浪者、さすらいの人」などとついでに見つけて、悪いことばっかりじゃないと気を良くする。だから馬鹿たれなのよお前はとブランクが重ねて嘲ったところで、既に自分を馬鹿と認めている人間には痛みにもならねば悔悟の契機にもなりえない。馬鹿とは要するに、自分がどのような客観評価を受けるものであれ、自己評価以外には取り付かず、あぐらをかいて過剰に自分を信じる行為だと、ブランクなりに解釈する。
ジタンが自分の馬鹿を改めぬ、例えばまだ夏には早いのにシャツと単パン一枚で昼寝をして夜に鼻水を垂らしたり下痢をしたりする自分の愚かさを省みない、その理由は迷惑を被るのは自分ばかりという信念が在る。勿論ビビが、或いは一応はブランクも、心配してやらざるをえず、それは大なる迷惑であることは仕方ないのだが、ジタン自身はそれを必要経費と計上しているのである。彼なりの考え方は、
「俺が馬鹿でも俺だけ苦しめばいいだけのこと。俺は馬鹿でも困らない。だって馬鹿でも愛されるもの」
という傲岸不遜なる言に置換される。
確かにブランクもビビも、ジタンを評して「馬鹿」と言う。「だからお前は馬鹿だっつうんだよ」「ジタンのバカ……」、しかしそこには、その「馬鹿」を愛して愛して愛してしまっている自分を仕方なく思っている諦念がある、そしてブランクなりの「馬鹿」解釈によれば、そう思う自分自身もまた馬鹿であるといえるのだ。
ジタンの馬鹿は恐らく成人になっても治るまい。
でも、ジタンが馬鹿でなくなってしまっては、やはり少し寂しい、そんな気持ちが二人の賢人にはある。いつまでも「ビビがさせてくんねんだよう」と裸でソファにふんぞりかえって駄々を捏ねるジタンであって欲しいと……、
「いや、まあ、多少は治して欲しい部分も、あるけどな」
一応は思う、ビビとブランク、苦笑の伴う恋人二人なのである。
ジタンが馬鹿なことは、自分たちを認める一つの理由にも成りうると、二人は思っている。だから馬鹿馬鹿言いながら、フォーエヴァー馬鹿なジタンを否定するきが起こらぬ。ジタンを支えてやらねばならない自分たち、そう自己評価を下せるから。成長に伴う痛みを知るのは、自分たちでいい。
まだ十代に入って時の浅いビビにまでそう考えられてしまうことを、ジタンは悲しいとも悔しいとも思わない。どうせ俺馬鹿だから。俺は馬鹿でいられて幸せだなあ。俺が馬鹿って事を認めてくれる恋人がいて幸せだなあ。
いっそ、ジタンから「馬鹿」を取り除いてしまえば何が残るかと問われて、上手い答えを出せないような気もする二人だ。
勿論、馬鹿であることも一つのとりえだと思う以前に、ジタンには自分らより優れている部分が少なからずあるということを認めるから、二人はジタンが好きなのだし、しかしさらにそれ以前に、どんな部分がなかったとしてもジタンを好きであろうとも思う。
例えば、ジタンは馬鹿だが、正直だ。ビビはもとより、二十年生きてきて、それなりに荒んだ部分汚い部分が世界にはあることを身を持って知っているブランクでさえも、あれほど正直な男は見たことがない。嘘偽りが平気な顔をして椅子に座るような世の中だ、間違ったことも絶叫調で言えば正しいカッコいいと見なされる世の中だ、義侠心を「迷惑」と一斉に言ってしまえるような世の中だ。素直に、正直に、己の信ずる道を辿りたいと願い、そしてその信念を今のところ曲げずに生きている男がまだいるのだということは、評価しなくてはならないとブランクは思う。勿論、正直がそのまま美徳とは言えない。「やりたいからやる!」ばかりがいいとも言えない。しかし、純粋なるものはどう見たって美しい。そしてジタンは自分の力で正義を実現しつづけられる者である。
それに、心根は優しい。ビビは知っている。あの長く物騒な度で、ジタンが決定的に弱音を吐いたのはたった一度だけしかない。常に前を向いていた。それは優しさの為せるわざだったと、一番側でジタンを見ていた少年は思っている。思うにジタンは、ビビを常に慮っていたのだ。自分が負けるわけにはいかないと強く思っていたのだ。自分がぽきりと折れてしまっては、自分の腕を求めるこの子はどうなってしまう? だから俺は折れる訳にはいかないのだ。……笑って僕を抱きしめて「大丈夫だよ」って言ってくれたよね……、自分が苦しいときでも立ち続けた、その力はジタンの優しさから生まれたものだと、ビビは知っている。
総じて一緒にいると、爽やかな気持ちになる男なのだ。精神衛生上、非常に良い。確かに知力という点では一般を大きく下回る、しかし、それでもこんないい男はそうはいるまいと、二人は思い、その男と抱き合える喜びはなにものにも代えがたい。
ブランクはビビのことを石鹸でぬるぬるにして、その小さな耳にぬるぬるの舌を這わせて、タイルの浴室に声を染み渡らせ、石鹸の匂いはそのまま情交の状況証拠となる。
「ん、や……ぁあ! んっ」
たっぷりの泡の中で見えない乳首を、指で探り当て、ぷつぷつと潰したり擦ったり。どこもかしこも弱いビビは甘い香りを醸す泡を震わせる声を上げる。後から回されたブランクの手をきつく握り締めて、
「もう……っ、ガマン、できない……!」
強請る。
「そう? ……じゃあ、してあげる」
ブランクは優しい声で耳を噛み、泡を纏った幼い茎へ指を這わせる。そのセンシティヴな刺激は、当然重い強い波になってビビを押し流すものとなる。
「ふあ、うあぅ……ん! あふ、ぅ」
その神を崇拝するものにはたまらぬ、透き通った声を楽しみながら、ブランクは少年の性器を弄った。自分でない命を感ずるに、これほどいい方法はあるまいと、手のひらの内側から生まれる力に一種の感動を覚える。
歪んだガラスは曇るもの。けれど歪んだガラスのその声はどこまでも透き通り、突き抜ける痛いような幸福をもたらすもの。
「あ……っ、はぁっ」
泡をぷちぷちと割るブランクの指の隙間、熱そのものが発したような唐突な鼓動を境にして、ビビは少年には少しく強すぎる波を全身に受け止める。その労力に、しばしの間呆然となって、ブランクの唇を肩や首に受けて、ひくひくと、震える。その右目からぽろりと涙が溢れて頬を伝った。勿論それを吸って、ブランクは優しい声で、
「気持ちよかったのに、なんで泣いてるの?」
そうじゃない、気持ちよかったから泣いてるんだ、いやそれも違う。快感から切り離された幸福ゆえに泣けてくるのだと、言ったところで聡明なブランクにも解ってもらえるものだろうか? ビビの返答が無いので、ブランクは仕方ないと笑って、手桶に湯を汲んでその体にかける。まだ温まってもいないのに、真っ白の裸は内部から発熱して桃色が透けて見えた。
その身体をひょいと抱き上げて、一緒に湯気を飽くことなくもうもうと上げる湯の中に入る。さほど熱くはしていないのに、太股から腰にかけて入る瞬間、ビビは一瞬身体を強張らせた。
「……しあわせだからだよ」
ブランクはビビの顔を覗き込んだ。
「僕は、お兄ちゃんに愛されていることを自分で知ってる、判ってる、信じられるから、嬉しくて」
少し照れたように笑い、「お兄ちゃん」の肩に頬を寄せる。ブランクは何を言うまでもなく、ただ可愛いと感じた――それは心が本当にそう感じた――ままに、抱きしめた。痛いくらいに純粋な命がここにはあると、それをお前は知っているのかと、対象の輪郭もないくせに二人称で勝ち誇った。可愛い者よ。愛しい者よ。
ビビはブランクの肩に顔を乗せたまま、湯の中、ブランクのいきり立つ股の間に指を這わせた。ブランクはそれをさせるがままにしておいた。ビビは硬い男根の先を滑らかに触り、茎の先の亀頭の傘の裏側にぴったり吸い寄るように当てた。
「ごめんね?」
ビビは謝る。
「どうして」
「僕が泣いちゃったから、お風呂入っちゃったんだよね? してあげなきゃいけなかったのにね」
こう言う時のこの子の中にあるのは、形は性欲によく似たものかもしれないと思い、またそれは嬉しくも在る。その一方で、今のこの子にあるのはただ俺へ向けられた裸の愛情でしかないのであって、それが肉体には勃起という形に顕れるだけなのだとも信じられる。ビビの指は淫猥とも言える、それに反応している自分もまた同様に。だが、そこに愛情が介在するとき、この行為は何処までも清められ、貴いものとなるのだと、ブランクは感じる。自分が今感じるのは性的な幸福ではあろう、しかしその質は、透き通って、だから隠しようのない、幸福に違いないのであって、隠匿するのが普通と考えるようなものではなくなろう。
だから、覗くのもナンセンスなこと。
と、そこまで順に考えたかどうかは、誰にも判らない事だが。
「入れてよ」
言ったのは、ジタン。ノックも何も無く、がらりと浴室の戸を開けて、真っ裸に抜き身の男刀を携え、それを、勢いばかりは天を貫くほどに滾らせ熱くして。
「いつからいやがった」
びっくりしたビビが目を丸く身を硬くして、ブランクが唇を歪めてそう言い放っても、何ら堪えた様子は無く、
「一人より二人がいいそれよりも三人!」
と、ずかずかと割り込もうとする。ブランクがその男根の袋をぐいと引っ張った。
「身体洗ってからにしろよ、キタネエもんぶら下げて入って来んない」
ビビは自分の袋を擦りながら、舌打ちをして跨ぎかけたところを戻り、石鹸を泡立てて、いい加減に身体を洗い始めた。
それを見て、ブランクはビビにキスをして、「邪魔が入った」とひとりごつ。ビビは溜め息を吐いて、ブランクのものに続きをする、が、どうにも、神聖さは損なわれてしまったわけで、なんともいえない脱力感に見舞われる。最も、だから俗化したとも思えない。幸福は削られるようなものではないから。
「ビビはブランクに洗ってもらったん?」
頭をごしごしやりながら、ジタンは聞く。
「うん」
答えながら、ブランクの亀頭を撫で擦る。湯の中、そっと鈴口を触ると、そこは判るほどぬるりとした。
「で、ついでにちんちんぬるぬるしてもらったんだ?」
ざばーふと湯を頭からかぶって、ジタンは直接法に聞いた。ビビは仕方なく、また、
「うん」
とばかり答えた。
「……そいじゃあさあ」
いま洗い終えたばかりの身体なのに、なにやらまたボディソープを手にとりつつ、ジタンは間の抜けた声を出して言う。
「俺に、お兄ちゃんにされたこと、してみてよ」
立ち上がる、立ち上がったジタンの立ち上がったところには、甘い花の香りのボディソープが纏いついている。ブランクはこの上なく邪険な目つきで睨み、ビビは困ったように眉を八の字にする。
バカだ、と。
だが、ブランクは、ビビの頭を撫でて、
「してやっていいよ。しないといつまでも終わらんから」
と、それを許す。ビビもこっくりと頷き、それを認める。
そして、腰に手を当てて、誇るようなものでもないのにジタンの誇示するペニスに、ビビは手を伸ばす。しかたないひと、そう思いながら嬉しく思っているし、それはブランクにしても同じことである。
ビビはぬるぬる、ジタンのものを丹念に、無駄とどこかで諦めながら、洗い清めた。
実際のところこれで誰かに迷惑がかかるわけではない。すぐに感じてビビの頭に震える指を置くジタンを見上げ、それでも無理に笑って見せた恋人に感じ、生活により一層の潤いが得られているのも事実なのだからと、ビビは感謝しないわけにはゆかない。