相性の不思議

肉体と精神の相性の不思議に関して、いったいどれほどのことが自分に解るか、それすらもジタンには解らない事だった。だが、普段の彼であればやはり「めんどくせえそんなの、知らねえよ」で片付けて理論を一切立てず「とにかく好きなんだ」で終わらせている所を、食事中、入浴中、外でモンスターと遭遇したときも、それこそ尻を掻くときでさえも、止めど無く当ても無く、考えているのだ、何故、と。何故、俺は、異性であり十分すぎるほど魅力的な上、大した問題ではないと前置きはするが一国一城の主であるダガーの夫という、動揺のない立場ではなく、まだ十歳にもなっていない少年……しかも、果たしていつまで俺のそばにいてくれるか解らないような、更に俺の気持ちに気付いてくれてないような、同性の少年を、択ぼうとしているのだろう。
 今までのように何となく、無性にジタバタしたくなるような気持ちに焦がされて「ビビ大好きッ」と言動に表すのではない。その段階が終わった事を、ハッキリと自覚していた。もうただの、「大好きッ」じゃない、もっと一段上の、いわばこれは愛だ。
 自己陶酔にひとり浸かりながら、トドメに「……なんてな」などと呟く。
「ジタン?」
 ひょいと顔を出した愛しい顔は、ジタンが妙に強張った表情を顔に貼り付けているのを見て、訝った。奥歯で山椒を噛み潰したような苦悶の表情に見えたのだ。
「大丈夫?」
「ん? あ」
 ぺろりと表情を平常時のものに戻して、ジタンは繕うように笑った。
「ああ。どうした?」
 ビビはソファの、ジタンのとなりに、伸び上がるようにして腰掛けた。そんな様子に焦がれて、ジタンはすぐに抱き上げて、膝の上に宝物を収めた。
「どうもしないけど、べつに。ただ、ジタン何してるのかなあって。……聞いてる?」
 言われるまで、その銀の双眸に囚われていた事に気付かない。色素が極端に薄い、淡く光を帯びているように見えるその目は、奥底に流れる血液の色を映し出し、時折紅くも見える。そこを覗き込んでいると、いつもジタンは不思議な心持ちになるのだ。この子を守りたい、そんな抽象的な事を。あるいは、その目の見る対象は何を置いても俺であるべきだ、俺こそがこの子を心から愛し、幸せにする事の出来る唯一のヒトで在るからだと、素っ頓狂なことを。
「……うん」
 あぐらの中で、ビビがもぞもぞと動いた。幼い肌の香りにあてられて、当然の如くに勃起しているものがその動きによって刺激され、下卑た興奮が発露しそうだ。
 一体どれほど、自分は耐えていれば良いのだろう。
 それというのも……。何とか頭を冷静にし、無意識に体重を寄せるビビを気にしないようにしながら、分析する。それというのも、自分はえらそうなことを思ってても、やっぱりまだ「愛」をビビに対して抱いていないのかもしれない。これはどちらかと言えばまだ、「恋」に止まっている、愛が足りない。謳い文句ではないが、「恋という字はしたごころ、愛という字はまごころ」などと言うつもりはないが、自分の気持ちをどうやってビビに伝えよう、もしくは押し付けようと、考えている時点ではまだまだなのだろう。ましてや、こんな風に性欲が一番に出てくるような状況では、きっといけないのだ。
「ビビ、大好きだよ」
 何の前置きもなくそう言う。ビビはきょとんと上を向く。柔らかく微笑んで、肯く。
「ボクも大好き」
 そうして、平然と口付けをしてくる。
 挨拶代わりだよ、大好きだって、大切だって気持ちを篭めて、こうするんだ。
 言うのではなかったと後悔が先立つ。仮にだ、仮に、「愛しいと思うからこそ、ずっと君のそばにいたいからこそ」……、先に立つことの無い事を考えるのはやめよう。
 ともあれ、ビビが少なくとも自分の事を嫌ってなどいない事くらいは、ジタンには信じられていた。こんな風に身体を密着させて、にこにこしていてくれる以上、俺は嫌われていない、と。これは大きな勇気だった。勿論、人当たり良く、優しい心根のビビだから、自分でなくともという危惧の念には囚われるものの、今の所こうまでビビのことを愛しく思うのは、恐らく自分を置いて他にいないはず。ならば、やはり余地がある存在として側にいられる事は、誇らしい。
 そうまで思うのならば、もっと、積極的なアプローチも出来よう筈だが、それはそれこれはこれ。
 自分にそう自信があるわけでもない。唯一の自信はと言えば、気持ちだけだ、世界で一番ビビが好きという。
 たったそれだけしか持ち合わせていない自分の武器を、眺め渡して、また少し沈む。腹の底で、音声にされるのを待っている言葉が、石のように転がる音を立てる、がらがら、がらがら、吐き出してしまえば楽になるだろう、しかしその石で、ビビにこぶをつくらすようなことが、もしあったら。
 十七歳になった訳だが、相変わらずティーンエイジャー半ばというのは、こういう気持ちになって、しばしば言葉を失い、冷たい空気を吸い込んでは噎せてしまう。心は燃え上がるほどに熱いくせに、半面、妙なクールさも持ち合わせていて、結局はぬるま湯の発想を選んでしまう。暴走するほどの勇気もない、夢を叶えようとするほど、失うものがないわけでもないのだ。
「あ……、お客さんかな」
 膝の上の心地よい重量は、小気味よい靴音を立てて消えた。ジタンは何となくソファのせずりに凭れて、天井を見やる。




 狭い村に、相談相手に足る者など一人しかいない。石段に腰をかけて、彼は困ったように笑った。
「君の気持ちを、僕が理解できるとは思えないのだけどね」
 唯一話が通ずる相手、と言ってしまったら他の黒魔道士及びジェノムたちに対して失礼にあたる訳だが、この男が哲学的イキモノであることは否定できなかろう。生死の蠢く場所に日長立っておれば、そこに一種の観念的思考が生ずるのは自然である。
 帽子を被り直して、288号は言う。
「……まず重要なのは、君がどうしたいか、じゃないかな。こういう事は……、どんな場合でだって、百パーセントという事はないはずだよ。君があの子と、君の望むような関係になれるかどうかなんて、誰にもわからない、それは、あの子だってわからない、ましてや僕なんかに何か答えをあげられるはずもない。君の願いは叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。ただ、君がどうしたいのかという目的と、その為に取るべき手段、それなくしては、叶うはずのものも叶うわけがないよね」
 ジタンは膝頭を手で掴んで、屈み込んで、息を吐いた。
「要は勇気だよな、俺、勇気がないんだ」
「解っているなら問題はないじゃないか」
「あんたそう言うけどさ、……解るだろ?」
 288号は甘苦い微笑を浮かべてジタンを見た。
「君を見ていると勉強になるよ。人間が、どんな風に物を感じて、どんな風に悩むのか……。君はそういうのを包み隠さず僕に見せてくれるから、とても有り難いよ」
「だって……、あんた以外相談できるヤツがいないんだよ俺には」
「それは光栄だ」
 人間とはいい生き物だ、288号はそう思う。少年がビビに向けて放てずにいる気持ちは、裸のままの人間の心と288号には感じられる。
 今に始まった事ではない、彼ら一行が初めてここに来たときから、同じ作られた存在でありながら、彼らと自分はやはり本質的には違うのだということを知り続けて来た。そうして、それは微かな嫉妬と諦念になり、ジタンやビビのことを好きになるに連れて、何でもない事のようになった。ただ、今は、「いいなあ」、と。羨ましいという、純粋な憧れの気持ちに変わっているから、288号は立ち上がった。
「手紙でも書いてみたらどうかな」
 ええ、とジタンが濁った声を上げた。
「手紙ぃ?」
「うん。……自分の伝えたい言葉、口に出して言うと、焦って余計な事まで言ってしまったり、あるいは言いたい事が言えなくなったりするものだ。手紙ならば、渡す前に何度でも読み返す事が出来る。本当に伝えたいのは、どんな気持ちなのか、自分で確認してから表す事が出来るからね」
「そんなもんかなあ」
 ジタンは自分がビビに向けての手紙……、言うまでもなくラブレターを認めて、ああでもないこうでもないと歯の浮くような文句を考えている様子を想像してみた。上体から力が抜けて、背中を土に付けてしまった。
「何かさ、他にいいアイディアないか?」
「……僕にあげられるのはこれくらいだよ。まあ……、あとはゆっくり考えてみるのがいいと思う。本当にビビの事が好きなら、それくらい何でもないと思うけどね」
 288号はそう言って、侮るように少し笑った。
「一生懸命に」
「似合わない科白が出たな」
「いいだろ。……一生懸命にやれば、いい結果が出るって信じたいじゃない? そう信じられるから、論理的ではなくっても人間だよ。一生懸命にやれば、きっとあの子も君の気持ちを受け止めてくれるはずだよ」
 



 しかし、一生懸命手紙を認める、というのは、「イッショウケンメイ」という勢いと「シタタメル」という抑制が相反するからか、ジタンが思っていた異常に難儀な行為なのだった。自分に文才のあろうはずがないことは解っていたが、ここまでとは、プライドも含めて思っていなかった。
 自分のビビを想う気持ちなんてこんな程度だったのかと思い知らされる。陳腐な言葉を並べるのは簡単だ。君は僕の太陽だ、僕の希望の光だ、何処かの誰かのように、美辞麗句並べ立てる術はジタンも会得していた。実際、その手管で女子の気を引く能力には長けているのだ。しかしそういった言葉の数々が、便箋に並べるとここまでみっともないと言う事には、正直気付いていなかったのだ。もうあんな言葉を言うのはやめようと心に誓った。
 と言って、思った事を片っ端から並べていけば、やがて出来るのは人間の文章というより猿の呪文とでも呼んだ方が良いようなもので、それをビビに渡すのは誇りが許さない。
 こういったことを踏まえて考えてみると、ラブレターを書くというのは、案外技術の要る行為であることが解ってくる。だが、そんなことが解っても、ビビに「難しいんだぜ」ということを伝えるくらいの役にしか立たない。ビビには首を傾げられるのが関の山だ。
 頭の中で「愛してる」「好きだ」「ずっとそばに」「いっしょに」そんな断片的な言葉がぐるぐる回りはじめた。ジタンは机で一時間ほど粘ったが、とうとう立ち上がって、分厚い辞書を脇に抱えると、ソファに沈み込んだ。そもそも「愛」って何なのだ。自分が長く抱いているはずのその気持ちの正体すら、見えなくなってきたような、そんな不安に駆られたのだ。
「愛……。一、親兄弟の慈しみ合う心、広く、人間や生物への思いやり……、思いやりか。二、男女間の愛情。恋愛。……って、男女間だけじゃないじゃん。っていうか愛情も恋愛もわかんねーのにこれじゃあ意味ねーじゃんよ。……愛情って何だ。……愛情……、相手に注ぐ愛の気持ち。……蛇が尻尾飲んでんじゃねーんだぞ何だこの説明。深く愛する温かな心……。異性を……、同性も含んで、恋い慕う感情。……なるほど、さっぱりわからんな」
 そう断じて、ジタンはふと、愛のくだりを見直した。
「愛……、ラブ(love)に相当するものとして創り出された漢字」
 その説明を一読して、ジタンは首を傾げた。
 ジタンはじっとその字を見詰め直してみた。それから、思い立って空中に指で書いてみた、「愛」と。
「なるほどー」
 愛、という字は「受」という字の中に「心」が入っている、という風に見る事が出来る。つまり、心を受け止めるのが「愛」という訳か。しかも、「心」の入っている位置は真ん中。なるほどなるほど、とジタンはぼんやりと幾度も肯いた。確かに、「恋という字は下心、愛という字はまごころ」なんて文句があるっけな。言われてみれば、なるほど確かにいい得て妙とはこの事だ。
 ……てことはつまりだ。ジタンは適当な紙を取ってきて、掠れたインクのペンで「愛」と大書してみた。
「僕はビビを愛しています、っていうのは……、俺はビビの気持ちを受け止めますってことか」
 恐らくは多くの人間が気付いているこの会意に、初めて気付いたジタンは、しきりに感心して、なるほどなるほどと連発した。だが、彼は一歩飛躍した。
「そんなん。今更確認するまでもないじゃん、俺はビビの気持ちだったらいつだって受け止めたいと思ってる。ビビが俺にまごころをくれるなら喜んで……、って」
 ふと、もう一度口に出して言って見る気になったのだ。
「俺はビビを愛してる」
 この言葉を解析してみると、「俺はビビのまごころを受け止める」という事になる。妙なうすら寒さを感じた。
「ビビは俺を愛してる」
 こちらは「ビビは俺のまごころを受け止める」という事に。だが、これでは妙な事になる、俺はビビのまごころを確かに受け止めているはずだけれど、ビビは俺のまごころを受け止めてくれんのか?
 そうとは限らない、つまり、自分がだれかを「愛する」という行為によって出来るのは、相手の気持ちを受け止める、というただ一点に尽きるのであって、相手に自分の恋愛感情(という四字熟語も今のジタンには胡散臭いものに感じられた)を伝達するということでは無い、無理に言うとすれば「相手の気持ちを受け止める」というのが「恋愛感情の発露」である以上、自発的に相手を愛する、というのは不可能なのではないか。
 おおそうかなるほどな、とジタンは感心した一瞬後に、舌打ちをした。
「何だよ……」
 愛している、という言葉の為す所は、相手の心を受け止める、という宣言に過ぎないのだ。
「……こんなに好きッ、て気持ちあるのになあ、なんだかそれじゃあなあ……。こんなに想ってる気持ちはどうなるんだ……」
 愛、という漢字一字が原因で、何だか気分が滅入ってきてしまう。ちぇっと呟いて、辞書を畳んだ。畳んで、ふと、「愛」と大書された紙の端に、書かずにはいられなくなった。
「ビビの事をこんなに想っている」
 またも、違和感を感じたのだ、胡散臭い、そんな感じを、この言葉から受けたのだ。じーっと見ているうちに、「想」という感じ一字が、全体の中で奇妙に浮ついているように思えてならなくなった。一度気になり出すと止まらなくなる。
「想、という漢字は……」
 相互の心、と書く。お互いに思い遣る気持ちを以って、「想う」という漢字を使う条件が成立するのだという事に気付く。
 つまり、「ビビの事をこんなに想っている」という言葉の、気持ちを表すには相応しくないということだ。
 徐々に分かってきた。
「正しくは、……俺はビビの事を好きだとおもっている……、この『おもう』は田に心の『思う』だな……。うーん……、これはこれで何というか、薄っぺらな印象が在るな」
 だが、その薄っぺらな印象がひょっとしたら自分の「好きだと思う気持ち」の正体かもと思うに至っては、甚だ呆然とさせられるのである。
「……言葉って難しいもんだな」
 ひとりごちて、しかしその言葉を用いずして、やっぱり好きで好きで堪らないビビと、自分の思うような生活を送る未来を創り出す事は不可能なのだ。
 大好きなビビと、一緒にこれからも、俺は生きていきたい。そして、俺の心をビビにも、受け止めてもらい……。そうして、「愛」し合って、……出来れば、えっちもしたい。俺はビビに対して率直に、性欲を抱いている。ずっと抱き合っていたい。しかし、俺がビビを「愛する」ことにまつわる一連の行動は、全て俺の欲求以外に基づくもののない行動であるからして、あくまで自分勝手の範疇に止まる。
 だから、ビビに応えてもらえなくたって、構わない。
「やだようそんなの……」
 ジタンは頭を抱えた。
 しかし、「愛」がそういう意味のことであるという真理に、彼はいま、辿り着いたばかりなのだ。

 

 

 

 

大切な人を守りたい、ずっと一緒に在り続けたいと想うのは、もとい、思うのは、きっと誰もが同じ事だ。それはジタンにも解っているし、聡明なビビが解っていないはずがない。
「ビビ……、今、暇? 隣いい?」
 暇そうにしているビビに、ちゃんとそう聞いてから、隣に腰掛ける。
「どうしたの?」
 ジタンの心をまず蕩かせる、その銀の眼が覗き込む。少年らしい面影を色濃く残すその眼に、自分が映っていると思うそれだけで、ジタンは嬉しくなる。その目いっぱいに自分を映して、止めてくれる、少年の瞳に、自分がいる、ビビの中に、俺はいる。
「……ジタン?」
「うん、……うん、平気だ」
「そう? ……ジタン、ひざまくらいい?」
 前触れも無く、そんな事を言い出す。ジタンはたちまち心臓を打ち鳴らすが、それを外には出さぬようにして、
「どうぞ、お気軽に」
 などと言う。
 普段からこうなのだ。ジタンが「挨拶みたいなもんだよ」と称してキスを教え込んだから、やや度を越したスキンシップも当然なのだと、ビビは理解してしまった節がある。まだ子供であるがゆえに、甘えん坊だし、こと人肌を介したやり取りはかなり好むようだ。
 これで、俺を好きじゃないなんてことが、果たしてあるだろうか?
 膝の上の顔を見る。
「ジタン、大好きだよー」
 ジタンにとってはこれ以上無い最高の笑顔を浮かべて、ビビが見上げる。二つの肺がぎゅっと小さくなったかのように、吐息が漏れた。
 どうか神様、この子の言う「好き」が、アイスクリームが「好き」、クイナが「好き」、みんな「大好き」の「好き」とは、違うものでありますように。
「……ビビ、あのさ」
「あ……、そっか、ごめんね、お話があったんだ?」
 ビビはひょいと起き上がる。そうして、ジタンの膝の上に向かい合って座る。まるでそこが自分の椅子だと言わんばかりだ。こう教え込んだのも、ジタン自身であり、こうしたときに彼のした行為は、彼自身の首を激しく締め付ける結果となっている。
「いや、楽な体勢で聞いてもらって構わないんだけど」
「ううん、ちゃんと起きて聞くよ。大事な話?」
「……まあ、ああ、それなりに大事かもしれない」
 じっ、と自分の双眸を見つめてくれる。
 ビビの眼に自分の目が映っているのが見えるのだ。
「……俺は……、ええと」
 ジタンは一度、目を逸らして、頭の中の箪笥から出来る限りの言葉を引っ張り出して、着れるだけ着込んだ。言いたいことは散々整理した。あとは、やっぱり書き言葉ではなく話し言葉で伝えようと決めたのだ。その方が、きっとビビにも、感情が正しく伝わるんじゃないか、そう、思ったから。ただし、288号にもらったアドバイスも汲んで、何をどんな風に伝えるのか、綿密に検討した台本を作って、熟読し、頭に叩き込んだ。後、必要なのは、自棄糞の勇気のみだ。
「……俺は、ビビが、好きだ」
「ボクもジタンのこと好きだよ」
 ここで喜んではいけない。
「……その、ビビが好きっていうのは、どんな、好き、なのかな。……好きって言葉にも、いろいろあるから。食べ物のことだって、好きって言うだろう?」
「んー……。ジタンのことはボク、ケーキよりもずっと好きだよ」
「うん……、っていうか、種類が違うんじゃないかなって。俺は……、俺はね、ビビ。お前のことが、たった一つ、好きなんだ。他に好きなものが無い好き、なんだ」
「ジタンはケーキ嫌い?」
「そんなことはないよ。ケーキもまんじゅうも好きだ。でも、俺は、……例えば、俺はね、ビビがずっと俺と一緒にいてくれるんだとしたら、ケーキもまんじゅうも、ずっと食べなくっても平気なんだ。他のものは何もいらない、ビビが一緒にいてくれるなら」
 ビビは、眼をぱちくりと瞬いた。
 ジタンは、息を一つ整えて、続ける。
「俺は、お前がこんな風に、膝の上にいてくれたり、キスをさせてくれたりすることが、すごく幸せなんだ、嬉しいんだ。今まで俺は、こういう風にすることを、友達としてのコミニュケーション、……コミニュケーションって、わかるよな? ふれあいだって、言って来た。でも、そうじゃない、これからは、俺は、その、……」
 口の中、舌の根、上顎が、からからに乾いてくる。じっと、生真面目に見つめる双眸に、竦んでしまいそうになる。
 十秒後、俺はこうして、ビビを膝の上に置き続けていられるだろうか? この心地よく軽い重量を、感じ続けていられるだろうか?
「お前に、恋人に、なってほしい」
 ジタンは堪えきれずに、目を逸らしてしまった。
 何てざまだろう。ジタン=トライバルほどの者が。俺が。
 しかしどこかで、これが本気の証拠なのだと誇らしくラッパを吹き鳴らしている。
「恋人?」
「そう……。友達じゃなくって、俺の、恋人に、なってほしい、ビビに」
「えっと……」
 ジタンの首、心臓の当たりに眼を落とし、ビビは少し戸惑ったように考えている、言葉を捜している。ものの五秒もなかったかもしれない、その間が、ジタンには、月並みだがとても長く感じられた。
「恋人って……、……ごめんその、ボク、わかんないんだけど」
 ごめん、の一瞬で、心臓が止まりかけたのを隠しつつ、ジタンはもじもじと言葉を継ぐビビを、今度も辛く感じながら、待った。
「その……、普通は、男の人は女の人と……、その、なる、んだよ、ね?」
 痛い所を突かれたジタンだったが、すぐに対処の言葉を引き出した。そんな事は分かっているし、今更問題にすることでもない。
「そう考える人が多いのは確かだな。でも、俺は必ずしもそうじゃなきゃいけないとは思わない。二人がそれで良いなら、良いんだよ、男同士でも、女同士でも。一緒にいて幸せになる形に、周りが条件を付けたりするのは変だろ?」
 そもそも、同様の抵抗を、ジタンもかつては抱いていた。考えてみれば、あの時の自分もまだ子供だった。ブランクに抱かれ、その結果抱いてしまった気持ちを、どうにか足掻いて捨てるよりは、自分の気持ちとして抱き続けていくのがどうしても自然と思われた。ブランクにそれほど深い考があったとは考えにくいが、当時の自分はそう結論づけて、今の自分もそれに基づいている。
「……ビビが、もし、嫌じゃなければ」
 ジタンは思い切って、右手でビビの頬に触れた。ジタンが思い切らなくとも、ビビはそうされることにもう慣れているから、何も起こらなかった。
「俺の、恋人になって欲しい」
 ビビは静かな目で、じっとジタンを見つめ続ける。
「俺は、お前の心を、これからもずっと大切にし続ける。お前のことを愛し続ける。だから、お前にも、俺と同じ気持ちを、出来るなら、嫌じゃないなら、もし良かったら、持って欲しいんだ」
 ビビはなおも、じっとジタンを見つめた。
 やがて、困ったように眉を八の字にした。ジタンは胸が冷たくなった。
「……むりだよ」
 胸が凍り付いた。
「……無理……?」
「うん……。だって……、……ジタンにはダガーがいるじゃない。ジタン、ダガーのこと、好きなんでしょう? ダガーだってジタンのこと、きっと好きだよ。ダガーと恋人になった方が、ジタンはいいに決まってる」
 一瞬言葉に詰まって、ジタンはすぐに否定した。躍起になって否定した。
「そんな事ない。俺はダガーよりもお前のことが好きだ。お前のことだけが好きだ。ビビ……、誤解しないで欲しい、そりゃ確かに、ダガーのことだって俺は嫌いじゃない。だけどその気持ちは、彼女にだけじゃなくって、スタイナーやフライヤにも同じ物を、俺は持ってる。一緒に旅をして、助け合った大切な仲間だ。だけど、ビビ、俺が恋人にしたいのは、お前だけだ」
「でも、そうしたらダガーはどうなるの? ジタンのことが好きかもなのに」
「……違う、そんなことは……」
「違わないよ。ダガーはだって、いっつもジタンのことを見てたもの。だから……、ボクは……」
 ビビは俯いてしまう。
 ジタンは平静を保ちながら、ビビに尋ねた。
「……教えてくれ。ビビは……、俺のこと、どう思う? ダガーのことは関係なくして。ビビは……、俺の恋人になれる?」
 ビビは俯いたまま、「わかんない」と首を振った。
「わからない?」
「だって……。関係ないって、無理だよ。ボク、ダガーのことだって好きだもの。ジタンだって大好きだけれど」
 好き、と大好きの間に、微妙な温度差を勝手に汲み取りながら、ジタンは少年の言葉を聞いた。
「もし、ダガーがいなかったら? ダガーがいなかったら俺の恋人になってくれる?」
「……だって実際、そんなことはないじゃない。ダガーはいるんだし……。考えられないよ……」
「……」
「……ジタンだって、きっとダガーと一緒に、恋人に、なったほうがいいに決まってる……」
 ジタンは焦れはじめていた。何だ、自分はビビに、やっぱり好かれているんじゃないか。なのに……、こう言っては何だが、ダガーのことなど気にしないで、だったら、俺の隣にいて欲しい。ダガーのことなど、という言い方自体は唾棄すべきものかも知れないが、
「自分の幸せと誰かの幸せと比べて、いつも自分を抑えてたんじゃ、損ばかりになるよ」
 ビビはじっと俯いたまま応えない。
「俺もう、恥ずかしげもなく言うけど……、ビビの事が好きだ。……もしビビも、俺に、俺と同じ気持ちを抱いてくれているなら、ダガーのことなんか考えないで」
「……でも」
「……俺は……、俺の気持ちは? ビビ、ダガーの事を考えるお前の気持ちは、すごく優しいと思うよ。だけど……、俺はビビが好きなんだ。俺の気持ちはどうなる?」
 言わねばよかった、言ってから後悔した。そうでない事から作りだしたはずの気持ちが、一瞬で根底から覆すようなことを。だけど、言わずにおれなかったのは、やはり自分の根っこには、ビビが欲しいという、烈しい要求が渦巻いているからだろう。只管に、ビビを求める気持ち、それがあるから、「ダガーなんか」、そんな言い方だってしてしまう。心の形として正しいかどうかは置いても、それがジタンにとっての真実になのだ。ビビと幸せになりたい、ただそれだけの力だ。
 ビビは俯いて、黙りこくってしまった。
 ジタンの胸の中に、自分の言ってしまったこともあいまって、再び焦りが掛けはじめた。ぐるぐると焦りが走り回るのだ。
「俺は、……ビビが好きだ。ごめんよ、自分勝手だけど、俺はビビに一緒に、これからもずっといてほしい。ビビとだけ、一緒にいたい、他には何もいらない。お前のことを俺は……、愛してる、ああ、そうだ、愛してる、俺はお前を」
 愛している、「愛」という字は「心」を「受ける」と書く……。
 しかし、そんなことはどうでもいい。この、激烈な感情を、共に生きたい、共に在りたいという願いをこめて放たれたとき、言葉は「愛」を用いようと、薄っぺらなものにしかならない。
「愛してる……」
 逃がしたくない、どこにも。その気持ちのままに、膝の上の小さな身体を抱きすくめた。どこにも、行って欲しくない。ずっと。こうして俺の膝の上に在るビビでいて欲しい。
 自己中心的な、しかし、確かな形を持った願いを、字面の意味じゃなく、「愛」と呼ばなくて、きっと他に言葉はない。
 自分はビビのことが好きというただそれだけで、自分を愛してくれたのかもしれない人のことを裏切る。自分の幸せのために。自分の幸せだけのために。しかし、その人が俺をもし、愛してくれたのならば、俺はその事を忘れないし感謝するし、そうしてその人を裏切ることにすら、誇りを持つ。
「俺はビビが好きだ、ビビとだけ一緒になりたい。俺は、お前に、俺の我が侭に着いてきて欲しい」
 ビビはずっと、何も言わなかった。ジタンに強く抱かれるがままに、なっていた。ジタンは苦しい気持ちに耐えながら、ひたすらに、言葉を待った。
 言いたいことは、伝えたいことは、山ほど在る。しかし、それを全て飲み込んだ。
 言うべきことは、伝えるべきことは、もうひとつもない。これから出てくる言葉があるとしたら、自分ではきっと聞きたくないようなものばかりだ。
 ビビが、すん、と鼻を鳴らした。
「……ボク……」
「……」
「……ボクだってジタンのこと……」
「……うん」
「ボクだって、ジタンのこと、ずっと、好きだったよ……」
「……」
「……」
 その顔を覗き込んで強烈に確認したい衝動に駆られたが、それすらも抑えて、ビビの声を待ち続ける、抱きしめ続ける。
「……ジタンは……、ボクのこと守ってくれたし、いつも一緒にいてくれて、……抱っこしたり撫でたり、してくれるから、ボクはこれからも、ずっといっしょに……」
 だんだん小さくなっていく声。ジタンは柔らかな髪の毛を、撫でた。頼まれもせず、しかし今撫でないでいつ撫でるのだと、絶妙なタイミングなのだと、知っているのはきっとこの世界に自分しかいない。使命感が燃える。
「ビビ、……お前は、幸せになって、いいんだ。お前は、幸せになる権利を持っている。俺もお前も、同じように幸せになっていいんだ。お前が、俺と在り続けることで幸せになれるんだとしたら、俺はそれよりも幸せなことはないと思う。……俺はお前と幸せになりたい。お前に俺と、幸せになって欲しい」
 噛んで含めるように、ジタンは言った。
 ビビが、ジタンのセーターをぎゅっと握り締めた。
「だから、こういう時は、自分の幸せの事だけ考えればいい。それが出来ないなら、自分が好きな人の幸せだけを、考えればいい。……俺の事を好きだと思ってくれるのなら、ビビ、俺と、これからもずっと一緒に……」




「気を付けた方がいいと思う、とだけは言っておくからね」
 夕方になってやってきた288号は、まずそう言った。
「それから、おめでとう。良かったね、上手く行って」
 ジタンの膝枕で昼寝中のビビの穏やかな寝顔の、瞼が少し赤いのを、幸せが伝染した笑顔で、288号は覗き込んで見た。
「あんたのアドバイスも効いたんだ、ありがとう。……なにを気を付けた方がいいって?」
 お茶も出さず、ジタンは尋ねた。その手は無意識のうちに、ビビの手を握っている。
「うん……。いや、あんまり言いたくはないんだけどね」
「じゃあ言うなよ」
「そういう訳にもいかない。……まあ、聞いて。……君はその……、ビビと、したいんだろう?」
「何?」
 288号は居心地悪そうに座り直すと、膝の上に置いた帽子を何となく弄った。
「……その、……性行為を、だ」
「ああ。今夜でもしたいね」
 何でもないことのように、ジタンは言った。迷いもない。ビビと同じ布団で寝たことはあっても、さすがに「寝た」ことは一度もないから、ずっと楽しみだったのだ。
 288号は言いづらそうに、眉間に皺を寄せる。
「……男の子同士、なのに、かい?」
「悪いかよ。もうそんなの俺たちには問題じゃないんだ。愛し合っていれば性別なんて関係ない」
「……そう……、そうなんだ。それは……、素敵なことだね。でも……、その、何て言えばいいかな」
「なによ」
「……うん。……あの、解るだろうけど、ビビは身体も小さいし、まだ子供だし……。君の相手をするには、まだまだ不足するところがいっぱいあると思うんだ」
「そんなのはわかってるよ。まさかいきなしビビが俺の事よくしてくれるとは思ってないし。そういうのの順序は解ってるつもりだよ。安心しろよ、本当に優しくするから」
「……なら、いいんだけど」
 288号は頬を掻いた。またビビをちらりと見る。
 こんな小さな子供に対して、性欲……。いや、存在することは悪いことではないし、二人が幸せならそこから先、自分が口を出すべきことでないことも解っている。
「まあ……、ただ、本当に気を付けてあげてね。可哀相なことはしないように」
「大好きなビビに可愛そうなことはしないよ。安心しろよ、この子泣かせたりしないから。約束するよ、この子が嫌がるようなら、しないから」
「……うん、そうしてあげて」
 まだ心配そうな顔で、288号はまたビビを見た。ジタンの抱くような恋心は無いけれど、それでも弟に近い親愛の情を持って、愛しいと思う子の事だから、あまり繊細ではなさそうなジタンに委ねるのは、正直不安があるけれど。本人が望んでいるなら何も言えない。
「じゃあ、僕は帰るから。本当に、おめでとう」
「ありがとう。送ってけないけど」
「いいよ、そのままで。ビビによろしくね」
 そっと、288号が帰っていった後で、膝の上、ビビがううんと、眠りを浅くした。
「……おはよう」
「ん……んんー……」
 大きく欠伸をして、はれぼったい目でぱちくりと瞬く。身を起こして、まだ眠そうなビビの頬に、ジタンは口付けた。
「……こういう感じで。慣れていって」
「……ん……」
 ビビはにっこりと微笑んだ。
「ただ、こういう感じだけじゃ、無かったりもするけど」
「ん?」
「何でもないや。……な、二人でご飯、いっしょに作ろうか」
 二人で、どんなことをしよう。考えはじめると、顔がどうしようもなく緩んできてしまう。どんなことをしよう。どんなことだって出来る。思い付いたことを片っ端から、やって行こう。例えば、初めて二人でご飯を創る。そう、「作る」ではなく、「創る」、ご飯を作って、二人での幸せな日々を創るのだから。
 二人であり続ける限り、俺たちはどんなものでも作っていけるよ。
 俺たちの日々が生まれる。
「なに作るの?」
「何にしようか」
 どんなふうに、作って行こうか? 暮らしていく日々を考えて、またジタンは笑いそうになる。
 そうして……、よこしまな願い、今夜は。
「なに?」
「なんでもないよ」
 とりあえず、一緒にお風呂に入って、そうして……。考えていると、お腹も減っているし、涎が零れそうになる。いけない、これじゃあ格好悪い。それに、自己中心的な考え方は駄目だ。決めたんだもの、俺は、
「ビビ、愛してる」
 って。性急にしなくとも、ジタンは、自分の望む形の夜はきっとくると、若い欲求を抑制するのだった。
 だからその夜は、別の機会にでも。
 はじまったばかりの恋人同士は、周りから見たら鼻つまみものであろうとも気にはしない。いや、寧ろそう在ろうとすらするもので。
「ご、ごはん作るんじゃないの?」
「んー、もうちょい」
 キッチンで、抱き上げて、強く抱きしめる、そうして心から、
「愛してるー」
 と言える幸せを噛み締める。これから何度でも言うその科白が、言葉が、永遠に錆び付くことのないように。
「んー……、恥ずかしいよう」
「だって愛してるんだもの、好きなんだもの」
「……もう……」
 ほっぺたに、歯が溶けるほど甘い、口付けをする。口付けの意味すら、さっきまでとは違う。
 ビビは耳まで赤く染めて、それに返す。キスをしたら、何だか解らなくても、感謝の気持ちをこめて、しかえす。小さなキスは、ジタンにとって、歯どころか骨まで溶ける甘さ。
「ボクも……、あいしてる……よ」
 よろめいてそのまま、ソファまでたたらを踏んでいって、そして押し倒してあらぬことまでしてしまいたい、そんな衝動を抑えるために、ジタンは高々と抱き上げた小さな身体の胸に顔を押し付けて、一杯にその匂いを嗅いだ。ふわりとしたセーターに、甘い紅茶の香りがする。高さに脅えて自分の頭にしっかりとしがみ付く。苦しいくらいに、吸い込む。
 神様、神様、神様……。
「おおお……」
 呼吸困難になってよろめいて、危うい所で踏みとどまる。びっくりしたビビが、涙を浮かべる。
「大丈夫だよ、ごめんな」
「……ん」
 そうして、首にしっかり手を回してくる。ひやりと冷たい腕が、ジタンの熱くなっている肌に、吸い付く。
 神様、この子と僕との相性を、僕らに授けてくれて、どうもありがとう。
 この不思議な偶然、凸と凹が合致するような結果は、恐らく、言葉で言えば「縁」、ということになるのだろうか。「絆」と言ってもいい。
 いずれにせよ、運命の糸、運命の意図で、繋がっているのだ、俺たちは。
「ジタン……、ごはん、作んないと」
「ああ、そうだね」
 よいしょ、と軽い身体を下ろす。
 形ばかりは離れているかもしれない。けれど、ジタンとビビはいつでも、繋がっている。

 


back