ABCを頂点とする三角形が重心を中心に六十度回転したとき頂点ABCの軌道が描く

「……ほんのちょっぴり、うん、時々だけど、でも、うん、心配になることもあるんだよ。俺、邪魔してんじゃないかって。……お前たちがさ、二人きりでラヴ&ハッピーなところに、勝手に入り込んじまってんじゃないのかって、さ」

 砂漠の光を用いたハイテンションな夜の終わりに、バスルームでブランクは言った。

しかし「そんなこと」をブランクが気にしているということは、ジタンにとってもビビにとっても心外なことではあるのだ。ジタンはブランクが好きだ、ビビも大好きだ。「ヒトリヨリ フタリガ イイ ソレヨリモ サンニン」、僕ら三人で三角形、一つの図形の真ん中に、本当の幸せを作り出す。そんなロックでポップなライフスタイルがイイ。

「お兄ちゃんのことを、思いきり、思いっきり、幸せにしてあげようと僕は思う」

 ビビはいつもよりも少しだけ、凛々しい声を出した。ジタンが「はあ」と気の無いような返事をしたので、大変、腹を立てた。

「ジタンはお兄ちゃんのこと好きじゃないの!?」

 そりゃあ、好きだけどよ、とジタンはそっぽを向いて言う。ついでに鼻くそをほじくった。ビビのことを「好き」と言うなら、鬱陶しいほど目を合わせて顔を近づけて鼻息荒く。ビビが頬を膨らますから、ジタンはよしよしと髪を撫ぜて、

「あいつは十分幸せじゃんか。お前の側にいられてさ、お前にそんな風に思って貰えんだぜ?」

「でも、お兄ちゃんあんなこと心配してたなんて知らなかった。……お兄ちゃん無しじゃ困るよ、いなくなっちゃったりしたら、寂しいよ……」

 お兄ちゃんのこと、大好きだもん。

 そんだけ思われてりゃあ幸せじゃねーはずねーが。ジタンは嫉妬すら感じる。もちろん自分にだって同じ程のものを抱いていてくれていることは知っている。

「だから」

 そんなことを言うビビの目は、本当に普段よりちょびっとだけ、格好いい。それはジタンも認めるところだ。

「お兄ちゃんのことを、僕は、思いっきり、幸せにしてあげるんだ」

「ああ、そりゃあいい」

 ジタンは薄汚いベッドと同化して、ぱた、ぱた、手を叩いた。こんな朝早くからブランクは何処へ行ったかと言えば、コンデヤ・パタまで買い出しに。愛する二人のための、美味しい朝食を作るのだ。そんな彼を愛している。そんな彼を、そりゃあもう、愛している。愛しているからこそ、そして彼を理解しているからこその、この怠惰な態度を、まだ十代になってから一年経っていない少年に判れというのは傲慢だろう。だから、「ジタンのばか」と言われても、ジタンは文句を言わなかった。

 

 

 

 

 しかしその方法というのはまるで思いつかないビビで、どうしたらお兄ちゃんは心底幸せだと思ってくれるのだろう? 考えはじめて、この聡明な少年をして数十分、何一つの答えも出ない。往々にして恋愛関連色恋沙汰は三者三様十人十色、前例なきことが前例、有史以来一体どれほどの者が恋に泣き恋に死んだことか。まだ年端も行かぬ少年一人が解決できるような問題ではないのである。

 ジタンとはかれこれ二年近く、ブランクとも同じ程。しかし知り合ってからの年数のうち、半分はジタンと一緒、もう半分が三人一緒。ジタンとは「恋人」という関係に発展する過程にも、確かなものがあった。一方で、ブランクとは? 何となしのきっかけでやってきて、浮気関係から発展した、三角形。ジタンとビビがどんなに正三角形のつもりでも、ブランクは鋭角二等辺三角形の頂点としか自分を置いていないに違いなかった。

ジタンとブランクが昔「そういう」関係だったことはビビも既に知っている。そして、自分の最初の相手がブランクだったことも、おぼろに覚えている。それなのに、そんな離れたところに、ブランクは自分の尻を落ち着ける。

それを「無理」と言われたって、ジタンとブランクを、同じ程に愛しているし、それを体現しているつもりもあるビビにとっては、あまりに寂しい。もっとこっち来てよ、一緒にいようよ、手を伸ばしても、苦笑いで手をひらひらされて。

同じ円の中にいて欲しいのに。

言葉の単語の意味を、ちゃんと知っている訳ではない。

だけど、ビビは、切ない。

 質素だが決して空虚ではない朝餉は当たり前の顔をしてテーブルに並び、まだ成長期まで間遠い少年の血となり肉となる。相変わらず痩せっぽっちの自分の身体を鏡に映して見るたび、この身体の中を、お兄ちゃんのくれた栄養が確かに息衝いているんだと思いを馳せている。例えば、こういう瞬間だ。「僕はお兄ちゃんに、大事にされている、幸せにしてもらっている」、心底からの幸せと共に、感じるのは。

 あるいは。

 朝食後ずっとブランクの手伝いをしながら、ビビなりに考えた。お兄ちゃんはジタンと一緒に僕を裸にするとき、とても嬉しそうな顔をする。ちょっと困ったように、気圧されたように、「やべえ」って言いながら、でも、とても嬉しそうな顔をする。あのとても嬉しそうな顔、きっと、少しくらいは幸せに思ってくれている、ん、じゃ、ないか、と、ビビは思う。

 ブランクの心の中を覗くことは出来ない。しかし、身体の作りは同じか、悪くても似ているのではないかと、……聡明なる少年、そこまで辿り着く。窓を拭く手を止めて、映る自分の顔を見た。

 それはとても短絡的だと、半透明の自分は言った。それはとても真っ当な、十の顔をして。

そこを透かして見る景色、淡い肌色の向こう、今年も庭に咲いたのは、ブランクとジタンが栽培するチューリップだった。咲いている限りは、今は葉ばかりのプランターの側にしゃがんで、毎日きれいな花をこの目に映していた。

ビビが笑ったからという理由で、ブランクが毎年満開に咲かせることを提案し、ジタンに無理矢理手伝わせている、ガーデニングともいえないような、しかし美しい花園だ。

胸を満たす贈り物の一つ二つ、抱えて在るこの身を想い、愛すべき者に全て、捧げて在るこの身は重い。身体と心は別のもの、しかし繋がる一つのもの。

「お兄ちゃんをもっと幸せにしたい」、敢えて択ぶことない搦め手、あまりにシンプルな答えで、申し訳なさ胸に堪えて、だけど自分らしさと諦めて。

夕べの怒涛を反芻する。

ジタンは大喜びでビビの中で好き勝手した。ビビも全身を貫く快感に身を委ねきった。欲の海に頭まで浸かって、色々とまたはしたないことをしでかしたが、総じて幸せだったと言えるのは確かだ。忘れてはならないのは、満々と幸福の塩水を湛える海を作り出したのは、他でもないブランクであり、彼はジタンが十分満足しきるまで、あくまで傍観者の立位置を崩さなかったという点である。

そんなブランクを意識しないわけがないから、三人でする際には平等を心がけているビビであるが、ふとしたきっかけで箍が外れれば、幼い体に宿る心も、己が快感を追い求めてしまう。だから、ブランクをないがしろにしてしまっていることが全く無いかと問われて、自信を持って頷けない。

 繰り返し、短絡的だと思う。

 それでも、ビビは素直に択ぶ。

「俺、草むしり終わったばっかで……、だるいんですけど」

 ソファでだれているジタンの腹の上に乗っかって、……ビビがもう少し乱暴なところのある少年だったら、間違いなく頬をつねるくらいしていただろう。

「お兄ちゃんを幸せにしてあげたい」

 ビビは賢い子である。聞き分けのいい子である。そんじょそこらの十七歳すなわち自分などより、よっぽど出来た子供であると、ジタンは大いに理解している。

 然るに、固執している。

 「お兄ちゃんを幸せにしてあげたい」、……では聞くが、君は常日頃私を幸せにしたいと思ってくれているのかね?

「……ジタンなら、お兄ちゃんがどうしたら幸せか、知ってるでしょ?」

 私が君を幸せにしようしようと無い知恵を搾り出していることを、知っているのかね?

 そんな風にちょっとしたいじわるも思いつかないではないが、よっこらしょと起き上がって、頭を一撫でする。

「……おんなじこと言うけどさ」

 思いついたいじわるは、趣味の領域である。この少年がどんなに自分を愛しているか、知らないはずはないジタンである。そして、ブランクがどれほど節度を持った所にちんまり座っているかも判っている。それが自分たちのバランスであると、思っているつもりのことに、このずっと年下の少年が異を唱える。

 俺ら元々二人っきりだったんと違うっけ。

 ああ……、そっかあの黒魔のお兄ちゃんもいたっけね。

 主張していることが、自分の握る手を少し緩めることに少しも繋がらないと信じているらしいことは、聡明な少年にしてはずいぶん意外なことではあったが、ジタンも諒解する。ブランクを愛していて、だからこそその座る椅子の心地がいいように慮っているつもりもあり、それは双方の理解に基づくものであるとも思っているが。

 だから、「あいつは、幸せなんだよ?」。

 しかし、言わなかった。ビビは、やや反抗的な唇をして、ジタンの言葉を待ち構えていた。

 ただ柔かく唇を緩めて、

「じゃあ、シャワー浴びにいこか」

 とだけ、言って抱き上げる。

「お兄ちゃん気持ちよくすんなら、キレーな身体のほうがいいべ? お兄ちゃんがどうすると喜ぶか、風呂場でじっくり教えてやるよ」

 もっと三人で仲良く。牧歌的な少年の理想を目の前に見せられて、さあ自分はどんな顔をする?

 ビビを幸せにするのが自分の幸せだ、生きる道だ、それが出来ないで、どうして恋人面して側にいられよう。甘く淫らな匂いを、首の辺りから無意識のうちに漂わせる、ジタンを虜にする、ああ、君の言うことなら何だって聞くつもりだ。君が側にいてくれるんならね。


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