灯かりの僅かしか届かない路地裏で、キスをする。
妙なこだわりはもう互いに捨ててしまったから、感じるのは唇が触れ合う独特の生々しい感覚だけ。乾いた唇を重ね、微かに漏れた吐息を飲み込むために唇を開き、そのまま、味わうために舌を出す。その自分の舌を味わうために出された舌を舌で捕らえて、湿っぽい口の中の何処か慣れた味を満喫する。
中途半端だと自分たちは自覚しているから、いいんだ、
俺は、俺で、ジタンは、ジタンで、互いにやりたいようにやってる、例えば一日二十四時間、抱き合ってるのは三十分、その三十分のあいだだけ、互いの事だけが好き…それで、いいじゃん。
ジタンがどう思うかはまた別問題だ、ブランクは、達観と呼ぶよりは負け惜しみに近い文句を付け加えて、窒息死させるほど長い長いキスで、思い通りになるこの半時間を開いた。
「……どーして欲しい?」
溢れた涎を手のひらで拭ってやりながら訊ねる。
……時間は、そんなには無い。あまり長引かせて帰りが遅くなると不信がられる。できる事は限られているけれど、出来る限り楽しんで、愛し合っていきたいのは互いに同じ。
「ブランクは?」
「俺? ……うーん」
考えてる時間は勿体無いような気もする。
しかし同時に、その焦れる感覚も知りたいという贅沢な思いもある。
「じゃあ、……口でして」
一瞬嫌な顔をしたジタンに、「な?」と念を押す。いつもされていることなのに自分がするのは嫌なのかと問われたら反論のしようがない。ジタンは膝を突き、ブランクは着衣を外す。行き場を探して、どうやら出口に一番近いらしいそこに集まった熱の塊を緩く握り、ジタンは目を閉じて口を開けた。
微かな、匂いがする。
ここに限らず、ブランクの体のあらゆる場所から、この匂いがする。
この匂いを嗅ぐたびに、ジタンは微かな嫌悪とともに、自分がしている事の意
味を探る。
しかし、その匂いを、この三十分のあいだは嗅いでいたいと思う気持ちもある。
口の中に入れた熱を舌で愛撫し、いつもされているように吸う。拭いてもらったすぐ後なのに、また口が汚れる。唇の端から唾液が零れる。唾液の味の中に、少しだけ、違う味が混じる。その味も、確かに、匂いを持っていた。
こういうコト、教えこんでんのは、要は自己中なんだよな、
ジタンの為なんかじゃなくて、俺が気持ち良くなりたいからっていう、ただそれだけ。だけど、俺が男抱くの上手くなってるのだって…、ジタンが「いい」とか言うのだって、
ジタンの自己中なんだよな。
この、四十八分の一日にかける互いの、向きを間違えた情熱。
「ん……、上手いぞ、ジタン、すげぇ、上手」
口の動きは拙い。にも関わらずこんなに感じるのは、他ならぬジタンだからだ。
ジタンの、普段は面倒くさそうにブツブツ言ってばかり、たまには棘のある言葉を自分にまで吐き棄てる口、だからこそ。
そう、気付いてはいた、しかし、出てくるのは。
「ヤラシイんだよな。こういうコト、覚えが早いもんな、お前」
頭を撫でてやりながら汚い言葉を吹きかける。ジタンは眉間に皺を寄せて、不快感を訴えながらも、咥えたものを離さず、それどころか口を窄めて吸い、もっとブランクの良いように奉仕する。左手で、ズボンの上から自らの熱も撫でて刺激しながら。
「い、くぞ、全部、飲めよ」
微かに震えた声に遅れて、口の中でブランクが弾んだ。喉の奥に放たれたものは否応無く飲み込まざるを得なかった。ブランクの味が、そして、濃厚なあの匂いがした。それに一層自分の勢いが増す。ブランクが大きく溜め息を吐き、ジタンの頭をぽんと再び撫でた。
「ご苦労さん」
のろのろと立ち上がり、隠すことなく欲求を露にする。
「俺も、欲しい」
「口で? 口でだけでいいのか?」
首を横に振る。
「尻に入れて欲しい。……ブランクの、欲しい」
壁に手を付いて、待つ。声にならない笑いを押し止めて、ブランクはその尻を撫でた。触り心地のよいそこを手のひらで覚える。ジタンを抱くたびにいつも、触覚を覚えるけれど、しかし少し経つとまた触れたくなってしまう。妙に拘泥してしまう。別に変な趣味あるってわけじゃねーけどな、っていうか男抱く時点でもう変な趣味か。今日もこんな風に、痴漢みたいに撫でている。ジタンが甘い吐息を吐きながら震えるのがいとしいから。
それを、馬鹿みたいに見たいから。
「ブランク……、俺、もう、我慢出来な……」
「まだまだ。慣らしてから入れねーと、痛ぇだろ?」
膝を突いて割り開き、…時間はまだある、ゆっくりと焦らしながら、濡らす。舌先を器用に動かして普段は触れもしないようなところを翻弄する。
「あ、んん、ん」
唇から零れる声に、微かにブランクと同じ匂いが漂うのを感じる。
膝から崩れそうになったのを支えて、口を離し指を差し入れる。太股に唾液が伝うほどに濡らした肛門はずぷっと音を立ててブランクの指に悦んだ。
「ここ、こんなにされて気持ちいいんだ」
「気持ち、いぃ。……っ、わ、るいか、ブランクのせい、だぞ」
「……責任転嫁か」
最もまぁ、確かにフツーに育ってればコイツ、そろそろ女相手にひとつやふたつ。
「でも、いいんだろ?」
「……ぁん、……いい、いぃ……」
結果オーライ。 欲望が再興したブランクは立ち上がり、絡み付いた唾液が少し乾きはじめてきた砲身を、今にも崩れそうなジタンの身体を支えながら下半身に繋げていく。密かなポイント、誰にも知られていない狭い空間へ、溜め息一つ分くらいの愛情を注ぐために自らを沈めていく。互いの快感のために――互いの幸せのために。これでもまだ「コイビトじゃない」なんて、胸張って言える…?
「しっかり立てよ」
膝が壊れそうなほどに震えている、無理な話だ。
「……しょうがねぇな」
…一旦抜き、地面のホコリを適当に払い去り、座る。尻が少し汚れるのは仕方ない。
ジタンの背中を汚すよりはまだ、こっちの方がマシだ。
「おいで」
正面から向き合う形だと、互いの欲望の矛先を隠しようが無い。
反り立つ、愛より性感を求める汚らしい自分を、しかしこの三十分間は互いに認め合い、「そこ」を愛し合うのだ。到底見られた形ではないが、今はそれでいいから。
隠す必要などない、片方が裸だからもう片方も裸になるという、真っ当な論理。再び繋がり在った時に、同じ匂いのする吐息を感じて、肌を重ねて、その言いようも無い感覚に溺れていく神秘的ですらある時に、そんな建前の羞恥心など邪魔なだけだ。誰かが違うと言ったとしても、ブランクと、ジタンにとって、この短い三十分、そのあいだに繰返される瞬間瞬間は、間違いなく意味を掴みきれない「愛」なのだ。
「こういう風に……」
繋がったまま、抱き合って、まだ動かない。
ジタンの小さな耳元で囁く。思い付くままに表現する、普段ならば笑われてしまうような科白も今だから許される。
「一緒になれて、幸せなのにな」
ジタンも今暫く、抗えない程の大きな快感を耐える。ブランクの身体の縫い目に指を這わせて、不規則な浅い呼吸をなるべく飲み込み、ブランクの声を耳の奥に縫い付ける。互いの鼓動が接合点でダイレクトに伝わる。こんな状況を作り出す相手を選ばない奴がこの世にはたくさんいる。一瞬幸せならいいと考える奴がいる。
俺たちもこんな風に、互いを中途半端な繋がりのままで捉えているのなら同類項かもしれない。
だけど、他の奴らとは、違う。
俺たちは愛を売買したりしないし、この瞬間俺たちの中にあるのは、無形の愛情だ。大体、愛が何かなんてことも解かんないのに、愛を売り買いなんか出来るもんか。でもとりあえず、科白だけでもいい。
「……愛してる」
合図になったように、ジタンが腰を揺すりはじめる。
「遅かったッスね、ジタンもう寝ちまったッスよ」
「おお…。あー…なんだ、ちょっと、な」
見ると、ジタンは既にベッドの端で丸くなっている。青白く見えるのは月明かりのせいばかりではなさそうだ。
三十分丸々、し続けたのだから、当然といえば当然。
実際、ブランクも微妙な姿勢を取り続けていたせいで腰に鈍痛を抱えていた。
「……んで、お前らはなんで起きてんだ?」
「起きてた訳じゃないズラよ。小便から帰ってきたところズラ」
「あ、そう。まぁいいや。もう寝ようぜ。今日はくたびれた」
ブランクは適当な所に腰掛け、ふぅ、と小さく溜め息を吐いた。
「兄貴?」
首を振る。
「別に。何でもねえよ。……くたびれただけだって」
普段使わない頭とか、使うとね、疲れるんだよ弟たち。
「……ジタンのやつ、兄貴のベッド使っちゃってて……。ちょっと臭うけど、よかったら俺のベット使っても良いッスよ」
「構わねえよ。俺、床で寝るから。気にすんなって」
「でも……」
「いーの。兄貴の言う事は聞いとくもんだぜ」
マーカスとシナは顔を見合わせ、ブランクが座ったまま動かないのを見て、それぞれベッドによじ登っていった。
「でも…………………布団ねぇのは寒ぃな」
二人が寝静まってから独語し、ひとりで苦笑する。
やっぱり、ジタンを引き摺り下ろしてベッドに入るか、それとも……。
ジタンと一緒にぬくぬくしようか。
いや。
「……おい、ジタン」
梯子の下から剣の柄で突っつく。
びく、と震えて、のろのろと目を覚ました。
「…………あ、んだよ」
「布団一枚寄越せ」
「…………知るかよ…………俺だって、寒い」
「いいから。言う事は聞け」
「…………」
不機嫌に、面倒臭そうに、ボロボロで匂いの染み付いたタオルケットを一枚引っ張り出して、投げる。
「サンキュー。悪いな、おやすみ」
「…………」
ジタンは答えず、ベッドに墜落すると、すぐに規則正しい寝息を立てはじめた。その寝顔を数秒間見つめて、奇妙な笑みが浮かんでくるのを感じると、ブランクはすぐに元居た床へ座り込んだ。身体にタオルケットを巻き付けて、膝に頭を乗せて、眼を閉じた。すぐに、鼻を何かが擽る。
髪の毛。ジタンの髪の毛が、執着するように、パイル地のタオルケットに絡み付いていた。ブランクは指先で摘まんで捨てて、改めて、少し寒い眠りに潜り込んでいった。