千の風になれない

 メイド服姿の少年を外に連れ出して叢の中であれやこれやの行為、それはジタンの趣味の範疇であって、またビビも大いにそれを欲し、更には及ぶ手の無い場所であるが故に、此処において批難の対象には成り得ない。ただ少年のビビと、一応はまだ少年のジタンと、そろそろ分別のある青年にならなくてはいけないブランクの三人は、今日も幸福の蜜を存分に享受し、落ち着かない物思いに沈むよりは形に変えて、甘さをもっと強めていけばいいと思っている。

 スカートの下は、何も穿いていない。擬似失禁とでも言おうか、ジタンは、ビビが下着を濡らす様を見るのが、大層好きなもので。そもそも女性物の下着を仕入れてきたのは彼である。生活費用など必要もないが、それでも潤沢にあるとは言えない財布を割いて買って来たものだ。洗えばまだ使える、何度だって使おうと、言う本人がちゃんと洗うのだから文句も出ない。ただ、悪戯っぽく風が吹けば、尻も陰茎も晒されてしまうという危機感がビビにはちゃんとあるから、やや短く詰められたスカートの裾を抑えながら歩く。もとより風通しが良くて、今一つ頼りないスカートであって、その下に何も身につけていないとなれば、余りに心細い。砂漠の光の力によって、今日も今日とて淫れ狂った下半身を叱咤し、ジタンとも、ブランクとも、手を繋がずに歩いた。

 最も、黒魔道士の村にビビの下半身を見てよからぬ反応するような者は居ない。ビビがスカートを穿いて歩いていようが、その下に何も身につけてなかろうが、そもそも三人とも裸で歩いていようが、それを異様と判別する者は居ない。ただ、三人が幸せであるのを見て、自分も一緒に幸せになってしまうような者ばかりであるから、三人、主にジタンとブランクは大いに助かっていると言える。二人とも、ガーネットやフライヤやスタイナーの前でこんな自分で在ることを見せる訳には行かないような人間である。ビビの育ての親のク族には、感謝謝罪、しながら今日も、ビビ目掛けて顔射するような人間なのである。

「お腹空いたろ」

 家が見えてきた。小川に掛かった橋を渡るとき、くるりと風が一つ踊って、ビビのスカートを捲る。慌てて抑えてももう遅い、さっきまで淫らな水晶を飲み込み、二本の男根を交互に受け容れていた場所とは到底思えない清らかなラインの臀部に、陽の光が差し込んで、ビビは真っ赤になる。散々見て今に至るくせに、眼福であると、ジタンは拝むし、ブランクも目の端にきっちりと捉える。

「食べたいもの何でも言えよ、ビビがたくさんサービスしてくれたから、今度は俺がビビのこと幸せにしてあげる」

 ビビの銀髪を撫ぜたブランクの掌は結局何処まで突き詰めて考えたところで、ビビの心を蕩かし、幸いを挿入する為の意義を失うことは無い。真似をして撫ぜるジタンの掌だって、不器用であることは確かでも、同様にビビを喜ばせる。三人が幸福であることを、誰にも否定することは感情に基づく論理上、出来ないのである。

「……着替えても、いい?」

 家に入り、ドアを閉めてもまだビビは、スカートの裾を抑えていた。汚れきった下着を持ったジタンはそれをナイフとフォークで上手に食べることだって出来たけれど、これからもビビを愛したいと思うから、洗う為に風呂場へ向かう。ブランクは普段通りのシャツとパンツとズボンを取りに、寝室へと向かった。ビビはメイド服のブラウスのボタンを、上から順に外し始める。

 と。

「ふなあぁあっ」

 音を文字で表すならばこうか。

 ブランクとビビが聞いたのは、まるでカエルかゴキブリでも見付けた処女の叫び声、だが、その実、ジタンが上げた素っ頓狂な悲鳴だった。反射的にビビは動きを固め、ブランクは寝室から飛び出してきた。片手には、短剣。泥棒か、それとも強盗か、何でもいい、何でもいいが、ビビとジタンを危険に晒すわけにはと。

「ひッ……」

 雄々しく踊り出て、短剣を構えたブランクは、そんな情けない声を上げて、一歩と言うにはずいぶんと長い距離、後退った。ブランクの足元で尻餅を着いたジタンはわなわなと震えて、目の前に在るものを見る目の焦点すら合わせることが出来ないで居る。……杖を……! 二人を、守らなきゃ! メイドの格好をして、スカートの下は何も穿いていなくて、そもそもその身体のルールからは逸脱した行為を愛しているとしても、ビビだって男の子である。壁にたてかけた杖を握って、スカートの裾のことも今だけは忘れて、掌に、炎を宿す。

「フレ……、あ……?」

 しぽん、と音を立てて、ビビの掌で、紅い光が消えた。

 ジタンの鼻先を、ブランクの腹の辺りを漂って、淡く白い湯気が、優しい石鹸の泡の匂いと共に抜けた。からかうように、ビビのスカートの中に這い入る。

「……そんな物騒なものは、仕舞って」

 微苦笑の声は、高いところからふわり、ふわり、羽根のように、三人の間を揺れた。

「勝手にお風呂を借りたのは、謝るよ。でも、留守だったし、服は腐ってなくなったし、泥だらけのまま待っているのも気が引けたから……」

 三十六度の声は、予めビビの耳の、それを聞き分けるために、今までちゃんと開けて置いた場所に、すんなりと収まる。

 いつだって聞いていた。聞き慣れていた。だが、それはまだ不完全だったのだと、ビビは思い知る。自分の耳の能力を超えて、その声はほんの少し、尻を落ち着けるまで時間を要する。ぱちん、音を立てて、ビビの中で少し弾けて、中に入っていた液体が、耳道を濡らす――

 常日頃あれだけの回数のセックスをしていれば、溜まる物だって溜まらないと思っているのだ。実際、ビビは幼い身体でジタンとブランクを受け容れるとき、もう他に何も要らないという気になる。こんな風に愛されているのに、何故これ以上、一体何を望む? それなのに、時の隙間に込み上げる性欲は、寂しさに染まり、この気持ちを晴らさないでどうやって眠りに就けるだろう?

 こんな遅い時間に起きているところを見られたら、きっと心配をかけてしまう。

 だから、息すら抑えて、パジャマ姿のままで、少し寒い外へ出る。生き物の気配がまるでしない村の、夜の底を、足音を立てないようにしつつも、焦りそうになる。

 風すら止んだ空間に座り込んで、ビビはオナニーをする。

「……おにい、ちゃん……っ……んぅ……っ」

 結ばれたことなど、一度しかなかった。それにその呼称、今はブランクのことをそう呼んでいる。お兄ちゃんはたった一人、僕の、ブランクお兄ちゃん、そう信じて疑わないし、常にそれでいいと思っているくせに、少年はそう口走る。自己嫌悪に苛まれながら、それでも止まらない右手は、あの夜優しく身体を洗ってくれた人の。

 悪い子だね、こんな時間に、お外でそんなことをしたらダメだよ。

 何時だって優しい声でそう咎めてくれた。

「だ、って……っ、んっ……、ん、あ……」

 側に居る、見てくれて居る、そう信じられるように、死んだように収まっていた風が、ビビの耳を撫ぜる。僕の、身体を、裸を、……パジャマも、下着も、全て石段に脱ぎ捨てて、か細く声を震わせて、幼い欲の遣り場に困る自分を、傍で、見てくれている。

 気持ち良いの?

「あん・・…っ……、もちぃ……っ、んんっ……、お尻っ、……おしり、欲しい……っ」

 さっきあんなに弄って貰ったのに? まだ欲しいの?

「んんっ、だって……っ、……だってっ……」

 満ち足りて居ないはずがない。あれだけ愛されて、包まれて。それなのに、温かな場所から抜け出してまで、こんな事をしている自分の浅ましさは、どんな言葉を使ったって追いつかない。なんて貪欲な、自分、それすらも、認めて欲しいと思う、貪欲。

 いいよ、お尻、あげようね、……舐めて。

 導かれるように左手の指を舐める。舐めるという行為にすら胸の先がちりちり焦げる。指の、微かな塩の味が、性器の味とは違うことをよく知っているくせに、身体の中心で震える性器を見せびらかしながら、ずいぶん長いこと、しゃぶっていた。

 僕にも、見せて。君の、弄る処。

「ん……、僕の、……お尻……」

 唇の端から流れた涎を拭うより先に、足を崩して尻を付き、欲深にひくつくくせに無垢にしか見えない場所へ、指を当てた。

 彼らは知らないだろうね、君の、そんな風に淫らになってしまうところを。

 淫らなことは知っているだろう、ほぼ間違いなく、ジタンもブランクもビビという少年を「えっちな子」と認識しているはずだ。だが今の自分が彼らの想像の更に上を行っていることは判っていた。どうかしている、どうかしている、どうかしている。こんな姿を晒して、益々感じきっている。

 見えるよ。君の中に、入ってく。……入ってるだけじゃ足りないね?

 こく、と頷いて、ビビは指を動かす。少し寒い、なんて、いつ思っていただろう? 熱る体の表面を、僅かに冷ます効もない風が撫ぜた。

「も……っ、だめっ……、っちゃうよぉ……っ」

 涙混じりの声は、言葉の内容を精査しなければ、どこまでも年相応で、無邪気としか言いようのないもので。

ぴっ、と、ビビの胸へ、少量の精液が飛び散る音を立てたのを最後に夜が吸い取り紙のように濡れた声を呑み込んで、残ったのは、ビビ自身の呼吸、未だ収まらない、鼓動。見下ろす青い月の、焦点の定かでない顔と、暫く見詰め合っていた。

恋人が居る。二人も、居てくれる。自分の事を抱き締めて、世界で一番大事だと言ってくれる。同じようなことを、ビビだって思っているつもりだ。大好き、大好き、大好き、ジタンも、お兄ちゃんも、大好き、大好き、大好き、大好き、大好き。それなのに、こんな僕、おかしなこども。

 普段は、そんなに贅沢なつもりも無い、自分の掌の上に乗り切るほどの幸せで十分、それを零さないようにしていればいいと思っている。新しい何かを求めるよりは、日々に転がる要素一つひとつ拾い上げて多角的に分析、して幸せを噛み締めればいいと、ごく自然に考えることは出来るのに。

 パジャマをちゃんと着直した同じ体が、ほんの数分前までしていた事を思い返して、羞恥心が下っ腹の辺りにじわりと広がった。していたことの異常性を詰ることも、確かに在ったろう。だがそれ以上にビビが恥じるのは、自分の貪欲さだ。僕は何を欲しがっている? これ以上、何を求めている? 例えば彼が今また僕の目の前に現れてくれることを望んでいるのだろうか? それがどんな事態を招くかも知らないで、そんなルール違反を願うのだろうか? 何て醜い、汚らわしい、……ジタンが、ブランクが、「可愛い」と本気の目をして言うことも、きっと何かに騙されているのだと、疑ってしまいそうになる……。

 涙が滲んで、星が揺れた。その背中を、掌で押すように、温かな風が吹く。

 彼らが待っているよ。

 うん、と頷く。ほんとは、来ちゃいけないのに、……。

「心配しないで、僕はいつも、君と一緒にいる」

 振返ったところ、微笑んで立って居た。君が幸せならばそれで構わないと、彼もまた、そういうことを言うのだ。

 

 

 

 

 銀色の髪はまだ半ば湿っぽいが、櫛を通したりしなくても十分に見られたものである事情は、ビビを見れば判る。儚い命をそのまま表すように、人間よりもジェノムよりも美しい相貌を持つ、彼らはそういう種族だった。

 ジタンを、ブランクを、そしてビビを、順に見回して、彼はにっこり、微笑んだ。

「驚かせてごめんね」

 彼は風呂上りであって、当然全裸である。それでもだらしなさや見っともなさと無縁で居られるのは、風呂上りのビビの裸がベッドの上でのそれとは違って淫らさよりも無邪気さを感じさせるようなものだ。上げた前髪によって開かれた額は理知的で、目元も涼しい。

「……お兄ちゃん……」

 呆然と、ビビが紡いだ。「え?」、ブランクは、彼の素顔を知らない。刹那、自分の名を呼ばれたと勘違いしたが、すぐにそうではないと悟る。ジタンはただただ、口を薄く開いたまま、言葉を失っている。

「どうして……」

 ぺたん、膝をついて、ビビはジタンよりもブランクよりも背の高い彼を見上げた。

「ゆう、ゆう、ゆう、ゆうれい」

 ようやくジタンが声を発したが、上擦り、哀れなほど震えていた。彼は片膝をついて、ビビと目線を合わせる。銀色の視線の交わるところに、他の二人の除きこみようの無い感情が行き交った。同属、血の繋りという拠り所は無くても、兄弟のような者同士である。同じ不安、同じ恐怖、分け合って来た。

「寝てたんだよ」

 少しばかりは成長したとは言え、あの頃とほとんど変わらない。少女の格好をしたってそれがちっとも不自然ではないようなビビの顔を、懐かしげな目で、彼は見た。

「完全に止まって、寝てたんだけど、……今も、心臓は動いていない。それなのに、不思議なんだ、さっき、目が覚めた。息苦しくって、……おかしいな、僕はもう、止まってしまったはずなのに。でも、苦しくって仕方がなくって、暗闇でもがいて、両手で必死に、何かを掻き分けていた。爪の間に細かな粒が入って痛くて、……痛いのもおかしな話、何の感覚も無いはずなのに……、それでも、苦しいのと痛いのとで、もがく手は止まらなかった。気付いたときには、土から顔を出して、ぜえぜえ息してた」

 ブランクは目の前の黒魔道士の正体を知る。「馬鹿な」と、戦慄く唇で呟いて、耳に届く言葉を分析する余裕もない。

「夢の中で、……止まっても、不思議とね、心はちゃんと動いていたんだ、この体の中で、秒針が止まった体なのに、形のないものだけはちゃんと動き続けていた。君のことを、君たちのことを、僕はずっと、夢の中で考え続けていた。元気で居てくれているだろうか、幸せで居るだろうか。そればかり、ずっと考えていた」

 幽霊、幽霊、……ジタンはその単語ばかり頭の中でぐるぐる回していた。この世に未練が在って甦った、命の規則に反した存在に、しかしちゃんと二本足がある。極めてよく見知った顔をして、恐怖心を和らげる柔らかな声を出して。

「……ほんとに……、本物の、……」

 一言、美しいと表してしまって構わないような笑顔を、彼はジタンに向けた。

「君にも、会えて嬉しい。そして、君にも。君がブランク、だね? はじめまして」

 続いて彼は、ブランクの方を向いた。短剣を握る手を、体の脇にだらんと下げたまま立ち尽くした彼は、目の前の裸の男に見覚えはなくとも、それが誰であるかを、よく知っていた。まだ彼がビビの心身に「間借り」の自覚で這い入っていた頃に、愚痴を風に紛らせるために、聞いてもらっていた相手である。

「君たちが、僕の元へ来て、僕に喋りかけてくれた声は、……正直、何て言っているのかは聞き取れなかったけど、とても温かい音として、届いていた。時折泣いていたり、困惑していたり、うん、ビビの、すごく可愛い声も聞こえていた」

 指先を頬に当てられて、ビビは少しく紅くなる。ジタンはようやく我を取り戻し、まじまじと彼の顔を見詰めた。「本物か……?」、彼の華奢な右腕に、量産型黒魔道士の証たる刻印は無かった。

「信じてもらうほかない。僕だって、判らないんだ。こうやって、意志に基づいて自分の体が動くことが」

 彼は、立ち上がる。

「……勝手にお風呂を借りておいて申し訳ないんだけど……、服を貸してくれないかな。裸だと、ちょっと寒いや」

 やっとのことで立ち上がったジタンがブランクに、何か言いかけて、やめた。ただ、寝室へ言って、タオルと、自分の服を一揃い、持って戻ってきた。想像していた通り、ジタンよりも十五センチほど背の高い彼には、丈の窮屈なものでしかなかったが、彼は文句の一つも言わないで袖を通すと、三人を順に見回して言った。

「推論に過ぎないけれど、……黒魔道士の命というのは、時限的なものだ。僕も、他のみんなもそうだったように、刻限が来れば止まってしまう。だけど、それすらも仮初の終わりなのかもしれない。僕がこうして生き返った、……生き返ったというのはおかしいか、心臓は相変わらず止まったままだ……、そう、だから、直ったように、他のみんなもひょっとしたらこれから、次々に目を覚ますことが在るかもしれない」

 賢者は、静かにそう言う。

「あるいは、僕自身、幽霊のようなものなのかもしれない。君たちに会いたいという思念が、この体に規律を破らせたのかもしれない。もとより、裏付けるものは何一つ無い。ただ僕は今こうして自分の目で君たちのことを見ているという事実が、どう表現したらいいのか判らないぐらい、嬉しくって仕方がない」

 どんな類の表情も浮かべられないでいたビビは、彼の差し出した手を、両手で握った。そうすることを想像していたのだから、彼自身、狡猾な自分であることを判っているが、柔らかで、傷のない掌に包み込まれた瞬間に、彼の中の形亡き秒針が、確かに時間を刻み始めたことを、彼は感じた。

「ねえ、ジタン、ブランク」

 ビビは、ぎゅうっと彼の手を握ったまま、目に涙を浮かべていた。それは珍しく、ジタンもブランクも、在っていいと思う感情に基づくビビの涙だ。普段、感じすぎて流す涙は幾らだって在っていいと思うけれど、悲哀や傷によって零される涙なら絶対に存在を認めたくないと思っている二人である。

「君たちの幸福の邪魔をすることはしない。この村に家を建てて、生活しようと思っている。とりあえずこうして動ける以上、また土の中に戻ろうとも思わないから。だけど、ビビの顔を見たい。君たちの顔も見たい。側に居させてもらえないだろうか?」

 ジタンとブランクは顔を見合わせる。何という言葉をかけてやるべきなのだろう、困惑は彼と直に接したことのないブランクの方が濃く、霧の中を手探りで進んでいる最中で、まだ事態の輪郭を掴みきれてはいなかった。

「ダメなんて言えるかよ……」

 疲れたように、ジタンが言った。

「……ビビが嫌じゃないんなら、俺たちだって嫌じゃない」

 その言葉に、288号は静かな声で、「ありがとう」と言った。

 

 

 

 

 ビビがぎゅっと288号に抱き付くのを見て、苦い気の浮かばない二人である訳もない。恋人三人水入らずの生活を送っていて、正三角形の状態に何ら不都合を感じていたわけでもないのだから、其処へビビのよく懐く青年がひょいと現れて、またこの青年が悔しいぐらいに整った理知的な顔をして、自分たちなどとは比べ物にならぬほど穏やかにビビを可愛がるのを見て、もちろん288号が、ビビが、幸せそうであることは歓迎すべきであると判断するぐらいの分別は身につけている二人ではあるが、飲み込もうにも288号は背が高すぎる。

 ビビの性格についてはある程度把握している彼らであって、288号の復活がビビの精神にどういった影響を及ぼすか、そして自分たちがどうなるかという点には、ある程度以上の想像もする。これまではジタンとブランク、義兄弟というか穴兄弟、仲良く半分にビビを愛することが出来ていたが、ビビは288号のことも平等に愛したいと願うだろう。しかし優しい少年は、自分が288号を愛することによって起こり得る二人の男の精神状況にも考えを及ばせる。小さな体に詰まった優しさが葛藤で濁るのは見たくないから、結局ジタンもブランクも、いいよ、うん、お前のこと大好きだから、お前のやりたいようにしていいんだよと、16パーセントを我慢する。迷惑をかけないと288号は言ったが、ビビがどういう少年であるかを鑑みればどう足掻いたって実現不可能な誓言であって、上手いこと言いやがると、……一度は命を失い、生き返って戻ってきた者に対しては余りにも傲慢なことでも、しかし思わずには居られないし、命の根本的なルール違反が前提に在るのだから、前例だって無い話、文句を言うことが間違っていると断じられることもない。

 だが、ジタンにしろ、ブランクにしろ、最優先されるのはビビの幸福に就いて。ブランクは自分がジタンを差し置いてビビを独り占めできる時間の在ることの背景には、自分の狡さとビビの欲深さが在ることを知っているし、ジタンだってそもそもブランクや更にその前の誰かに抱かれたことのある少年を自分の恋人と扱う以上、単純な関係ではないことを忘れては居ない。例えば288号がこうして再び目の前に現れることが無かったとして、しかし何時誰が現れてビビの心の一部分を攫って行ってしまうとも限らないのだ。そしてその事で彼らはビビを責める気も無い。赤子が手を伸ばすように、幸福に対して貪欲なのは当然で、第一ジタンとブランクだって、はじめは相求め合う恋人同士だったのだ、気持ちの判らないはずがない。

 それにしたって、膝に乗せたビビのことを後ろから抱き締めて、目を伏せて、静かに呼吸している288号を見ていると、嫉妬心の芽は摘んでも摘んでも止まない。ジタンはブランクが、ブランクはジタンが、同じようにビビを愛していたってそんな気持ちは起こらない。ひとえに、288号とビビに、共通するものがあって、自分たちはそれを手にすることが出来ないという条件によるものだ。だが、結論はすぐに出る。突発的な変化を前に、まだ心が慣れていないというだけのこと。ブランクだって石から解けたら恋人だったはずのジタンが小さな少年にボルトを上げているのを見たときには大いに動揺したし、ジタンもまた、そのブランクが自分からビビを取り上げるのではないかと戦々恐々としていた過去が在る。そしていずれにせよ、一度は失ったはずの恋人を、きちんと今も側に置いていられることを幸福と定義しているのだから、この生活は多少のことではぐらつかない。平坦な、しかし緩やかな下り坂を、するする、するする、風に押されながら転がる鞠のように。

「家建てるっつったって、時間掛かるだろ」

 だから暫くは泊まって行っていいよ、とジタンは言った。見ないようにしていたのに、ビビが隠しようの無い嬉しさを瞳の中に光らせたのを見てしまった。「申し訳ない」としおらしく謝るくせに、288号はまだビビを離そうとはしないし、ビビも膝から降りようとはしない。ブランクが四人分のお茶を、三つは揃い、一つは客用のカップに入れて戻ってきたが、皮肉でも何でもなく、揃いは三つしか無いのだ。紅茶を入れながらブランクは、四つ一揃いを探してくる必要性を、真剣に検討している自分に気付く。詰まるところ、順応能力の高さが求められているのだ。ようやくビビを膝から下ろし、砂糖壺から各砂糖を一つ、ミルク差しからミルクを少量、入れて飲むのを観察しながら、たっぷりミルクと砂糖二つで飲むビビ、ミルクだけを入れて飲むジタン、頭のメモに書き足して、ブランクは何も入れないで啜る。

 ビビはほとんど何も喋らない。ただ、ぴったりと288号に身を寄せて、紅茶を飲んで、湯気を吐く。288号の生前に、あの子がこれほどべったりとくっついているところは、ジタンも見たことはない。ただ、想像に基づいて――酔夢の中で語らった時に、288号はそれを認めていたが――二人が自分の預かり知らぬところでセックスの一度や二度、していたって不思議はないと思っている。ブランクとだって、公明正大に三角関係を認め合う以前からしていたのだ、無論それを責める気はないが。失ったはずの宝物を取り戻して、それが殊更いとおしく感じられるビビの感情は十全にジタンの心にも響いた。鈍い回転しかしない頭で、ぐるん、ぐるん、さっきから考えていることがある。紅茶を空にしたビビに、「アイス買って来て」と、季節はずれのお遣いを言い渡した。ビビは瞬間的に抗うような目をしたけれど、「行っておいで。大丈夫、どこにも行かないから」と288号に促がされて、仕方なく立ち上がった。ちなみに着替えるのを忘れて、相変わらずノーパンメイド服のままである。

「パンツ……」

「ああ……、まあ、行って帰ってくるだけだし、いいだろ。スカートの中に普通のパンツ穿いてたらおかしいよ」

「で、でも、スカートの中にパンツ穿いてないのもおかしいよ。っていうか、着替える……」

「帰って来るまでに着替え用意しておいてあげるよ」

 分からないことを言って、ジタンはビビの頭を、出来る限り優しく撫ぜた。俺だって、うん、こんぐらい優しく撫ぜることは、出来る、……と思う。

「何でも、ビビのいいように、したいようにすればいいっていうのが、俺たちの方針だ」

 ビビを見送ったジタンは、ソファに座りなおして、切り出した。ブランクがのろのろと煙草を取り出して、緩慢な仕草で火を点けた。

「でもって、多分あんたは、ビビの性格については知ってるよな? あの子は誰かに愛されるのが大好きな子だ。……いや、自分に向かう愛情に、すっげえ敏感って言った方がいいか。愛されたりしたら大変だ、同じ以上返さなきゃって、そんな風に思い込んでる節がある。世間一般的な尺度でそれを優しさって呼ぶかはわかんないけど、俺らはとりあえず、そう呼ぶことにしてる」

 ビビよりも猫舌なのだろうか、ゆっくり、ゆっくりとカップに唇を付ける288号の紅茶は、まだ三分の一ほど残っていた。黙ったまま、ジタンが言葉を継ぐのを――かなり決定的な言葉を告ぐのを――待っている。

「あんたは、ビビとしたこと、あるな? ……風が、言っていた」

「風、が」

「……あんたが答えたんだと思ってたからさ」

 ずいぶん長い間、睫毛を伏せたまま、賢者は黙っていた。罪を咎められたことを恥じるというよりは、ジタンの並べた言葉から導き出されるものを前に、責任の考察をしている。確かに、自分はこんな立場でビビを愛している。ある意味一朝一夕、共に過ごした時間はジタンとブランクと比して遥かに短いし、ビビが彼らと恋人同士であることを知っていながら、叶うことを望んで抱くことが許されるような感情ではない。

「当然……、ビビの中に、あんたに向かう感情があるってことだ」

 肺に充満させた紫煙を噴き上げて、ブランクは言った。目を閉じていないと、嫌な目つきになりそうな懸念が在った。男の嫉妬は醜いと誰かが言った。それなりに的を射ていると思うけれど、違うな。男の嫉妬は、醜くて、怖い。女の嫉妬よりも、ずっと怖い。

 だが、嫉妬? 何故この男に対して嫉妬する必要がある?

 そんな考え方は、ジタンにしろブランクにしろ、とっくに身につけているものであるし、そもそもブランクとジタンだって、ビビのいないところで愛し合う術を持っている。既存の枠組みを持って来て無理に当てはめようとしたなら初めから長続きしようもない三人だった。

 大丈夫、ビビがいなくなるわけじゃないさ。ジタンはそれを恐れる日々を覚えている。ブランクは、そうまでは、割り切ることは出来なくとも、奪われてしまうわけではない、ビビは変わらず自分の側に居てくれるのだと。

 三角形の重心に居るのだ。同じ距離感を共有する。

「いいよ」

 溜め息と共にブランクは言った。開いた目で、真っ直ぐに288号を見た。綺麗な顔してやがる。羨ましいなあ。ありゃあ別にビビじゃなくたってそこらで誰かひっかけんのなんて簡単だろうがよ。

 衒い、何一つ無く、288号は言った、「ありがとう」、苦笑いで、

「迷惑をかけないなんて、最初から無理だったみたいだね」

「期待してなかったし」

 ジタンがソファに背中を凭せて、天井を見上げた。寂しいなんて思わない、妬ましいなんて。足音に遅れて、厚紙の箱に人数分のアイスを入れて、ビビが帰ってきた。

 


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