昼飯前

 何やってんだ俺、と疑問に思わないではない。だって二時間近く掛かるのだ、柏から町田まで。その考えは、睡眠に充てる数十分を除き道すがらでずっと転がしているのだが、相変わらず出なくって、古ぼけたアパートの扉を開けた途端に思考は停まる。夏の平日午前十時半。

 ちょっとばかり眠い。

「お帰りなさーい」

「おー、ただいまー」

「外暑かったでしょう。帽子被って来ないと日射病になっちゃいますよー?」

「んー、でも帽子被ると余計暑いし」

 借り物だ、という考えを、しなかった訳ではない。カノンはバノッサのもの、と。しかしそういう括り方をカノンもバノッサも好まないし、キールだってまさか自分をカノンに貸しているのだという風には思うまい。「愉しいから」が答えになればいいなと思うし、実際わくわくして此処までやって来ているのだ。カノンの身体に触れるのが嬉しくて。

 みんな、そうだと思う。……籐矢とキールは一人のときにも自ら此処へ来ようとはしないけれど、六人で遊ぶときにはあの二人だってカノンを可愛がる。ソルだって、もちろん。俺ばっかりじゃない。

 寧ろ、アレだ。一緒に居るときはさ、余計なこと考えないで遊べばいいんだ。

 信じられる、というか、疑ってはいけないのは、俺が幸せになること、カノンが幸せになること、少なくともこの六人で汚れた旗を立てた空間において、誰もが同じように悦びと思うのだということ。無縁なる嫉妬、不要なる独占欲、俺たちは六人一塊おんなじ身体。

 だから思考停止に責められるべき謂れはない。六人揃ってりゃ音楽が出来る。何の楽器も弾けないハヤトだけれど、バンドでもやろうか、いい年だけれど。

「こないださー」

 座るなり、カノンはすぐに麦茶を置いてくれる。クーラーのない部屋の窓は全て開け放たれているが大した風は這入っては来ない。外よりも蒸し暑いくらいだ。

「キールと、ホテル行ったよ。柏のさ、国道沿いにあるホテル」

 カノンは暑い部屋でも乱れるということはないようだった。ちゃんとTシャツを着て七分丈を穿いて。乱れているのは恐らくその中で、今日はどんなの穿いてんだろうと想像するのは愉しかった。

「ホテルというと……」

 カノンは前髪を上げるためのピンを留め直す。

「いわゆる『ご休憩』のホテルでしょうか」

「うん、そう。近所だとさ、大学の知り合いとかに見られたら恥ずかしいから、わざわざ歩いてさ」

「キールお兄さんがよく素直に付いて行きましたねえ」

「ひきずってったからね」

「ああ、なるほど……」

「三十分くらいかな、歩いて行ったんだ。なのにさ、フロントに『男性同士お断り』なんて貼り紙してあってさ」

「そうでしょうねえ……。もうちょっと都会の、新宿とか池袋とか行くと男性同士でも入れるホテルが在るってトウヤお兄さんがゆってましたけど」

「そう。俺も後から籐矢に聞いてさ。せっかく三十分かけて歩いて行ったのにな」

「男同士だと部屋を極端に汚したりするっていう誤解があるみたいですね。その……、まあ、アレです、アレが、ね。そういうの好きな方たちも居るみたいですし」

「その辺はちゃんとするよなあ。其処まで非常識な真似しないよ」

「ええ。僕もどうかと思います」

 麦茶はすぐに空になり、その空はすぐまた麦茶で満たされる。三十分かけて行ったホテルで遊ぶことは結局叶わず「これからまた三十分かけて帰れってのかよ!」とげんなりしたハヤトと安堵するキールはホテル代をタクシー代に変えてアパートに戻ってきた。そして、腹いせのように時間を気にすることなく、空っぽになるまで遊んだのだ。

 「もういいその辺の茂みでやろう」などと言い出す前にタクシーを拾うことにしたキールの判断は賢明だった。

「ちなみに、此処までは往復で二時間かかるわけです」

「んー、まあ、そうだね」

「……早くみんなで暮らせるようになりたいですねえ。そうしたら、ほら。お金も時間もんかけずに遊べますよ」

 高校生では、もうない。夏休みだからと言って遊びほうけていられるわけでもなく、各自色々とやらなければならないことがある。六人揃ってお出かけーなんて、いつ以来やっていないだろう。こうなってくると、普通の「友達」ならば何となく疎遠になって、でも互いに時間を確保しあえる新しい「友達」を見付けてという形に落ち着くのだろうか。

 そんなことが耐えられるならばしている。

「夢みたいですよね、素敵過ぎて、幸せ過ぎて……」

 隣に座ったカノンが当然のようにハヤトの肩に頭を寄せる。

「夢じゃなくって、現実にするために今頑張ってんだ」

 カノンが首に手を廻し「暑くない?」とハヤトが訊いても答えないまま膝に乗り、

「一人の時間は、不必要なくらいにいつも長くって……」

 悲しいような、笑みを浮かべる。天井から吊り下げられた蛍光灯の紐はまるで揺れず、砂壁は疲れたような黄色。膝に乗るカノンは翡翠の髪をして、紅い眼をして、幼い頬に恐ろしいほどの色香を纏っている。

「お仕事してるときには集中してますから、一人でも大丈夫なんです。でも今日みたいにバノッサさんがお仕事に行っちゃって、僕一人でお留守番してなきゃいけないようなときにはどうしても寂しくなっちゃって……」

 まず、うん、その、眼がやばいんだ。人ならぬ形をした眼。とりこまれそうになる。

「大丈夫だよ。必ず俺たち六人、ずーっと一緒に過ごせる時間が来る。そんな先のことじゃない」

 カノンの冷んやりとした掌が頬を包んで、キスをする。のっけから、そう。ガードの堅くないハヤトの唇を開き、挿し入れ、しばらく絡ませたら、そっと引く。僅かに繋がった糸と開いたままの唇が、煽る、煽る、煽る。

「僕は贅沢でしょうか。……何年か前までは、バノッサさんが居ない時間だって僕は一人でどうにか転がせて……、もちろん寂しかったですけど、我慢してました。一人で、おちんちん弄ったりして、余計に寂しくなったりしても、でも我慢できました。でも、皆さんと一緒に過ごす時間が出来てからはもう、ダメですね、僕は……。バノッサさんのこと、前よりもっと好きになってて、……お兄さんたちが居るからです、バノッサさんが幸せになれるのが本当に本当に嬉しくって、一緒に居る時間は泣きそうなくらい愉しくって。でも、その分だけ、一人で過ごすのが辛くなりました」

 ぎゅ、と、優しい力で抱き付いた。腕力なら誰より強い、しかし、細い腕。

「ハヤトお兄さんからメールが来なかったら、僕が柏まで行ってたかもしれません」

「ん。そう言ってもらえると、性欲抱えて来たのが間違ってなかったなーって思えるね」

 下らない言葉を飲み込んで、カノンが笑ったから、ハヤトは傷まなくて済む。俺だってキールが家に居てくれたなら来なかっただろう。キールは都心で今日も働くソルが忘れた弁当を、トウヤの代わりに届けに行った。トウヤは何をしているのかと言えば、働いているバノッサにちょっかいを出しに此処から十キロほどの現場へ行っているはずだ。

 しばらく、救いを求め合うような寂しいキスに没頭する。カノンの舌は、ハヤトの知る誰の舌よりも柔らかく濡れていて、何処か甘いような気さえして、羨ましい。誰と比べて良いと言うのではない、自分がそうなれたらいいと思うのだ。

「……どうしたらそんな風に、上手に出来るん?」

 ようやく唇が離れたら、カノンは首を傾げる。

「上手になりたいって思ったからでしょうか」

 そしたら俺なんてもう超絶技巧。

「……まあいいや、うん、そのうちなるだろ」

「というか、ハヤトお兄さんは十分上手だと思いますよ? でも多分、僕相手には絶対上手には出来ないんだと思います」

「というと?」

 カノンは立ち上がって、七分丈のボタンを外す。中に穿いていたのは夏らしくパステルブルー。でもトランクスの方がきっと涼しくっていいよな。

「キールお兄さんにするときの方がずっと上手に決まってますよ。……でも、キスするのは好きです。何だか、頭がぼーっとなって、どんどんえっちな気持ちになります」

「お前は元々えっちじゃん」

「ですけど、もっとなります」

 それ以上なられたらバノッサだって困るんだろうなあ、などと。視線の先の下着に、いつからか欲と熱を持て余している性器のフォルムがくっきりと浮かんでいる。焦らすように先端を少しだけ覗かせて、「ね、こんな風に」

「エロいの」

「エロいです。だってバノッサさんのエロガキです。だから此処だってエロガキのおちんちんです」

 太腿までずり下げて晒した性器は、勃起して初めて危険なものとなる。一本の毛だって生えていなければ、包皮だってやっと半ばまで捲れているような、其処から精液の出ることだって疑わしいような。

 生殖機能がなくたって構わないと思っているカノンだ。

「ハヤトお兄さんが今どれくらい上手になってるか、テストしてあげます」

 にこ、とカノンは微笑んで言う。毒の何処にもない幼い顔ながら、挑発するような眼の光だけが極端に淫らだ。

「あのなー……、いくらなんでもそれは舐めすぎじゃね? お前のちっこいのいかせるくらいは俺にだって簡単に出来るよ」

「じゃあ、いかせてみせてください」

 カノンの足の間から抜けて、よろしくお願いします、と頭を下げる。

 案外、されないんだろうなとハヤトは何となく想像する。カノンは誰かに施すのが好きだ。例えば男性器を五本並べて、順に射精に追い込んで行く、その、ハヤトには到底出来ないようなことをするのが好きだ。恐らくはその口に身体の中に流し込まれる精液を以ってそのまま幸せと思える構造の心身をしているのだろう。バノッサに対しても、自らの身体を総動員して彼を幸せにするようなやり方を選んでいるのだとしたら。

 するのが好きか、されんのが好きか、……俺はどっちも好きだなあと思いながら、ペニスに顔を寄せて見る。そういえばキールはもちろんのこと、トウヤのもソルのもバノッサのも何度も間近で見て、それぞれの特徴というか違いのようなものを知っていて、それこそ彼らのものなら其れだけ並べられてもどれが誰のか判るつもりのハヤトだが、カノンのものだけは、この距離で見たことはほとんどないような気がする。

「すげー……、マジでつるッつるだなあ……。子供のちんこみたい……」

「……あの……」

「皮は、……うん、一応指使えばちゃんと最後まで剥けんだな。でも……ほっといたら戻っちゃうんだ」

「あのう……お兄さん……」

「ちょっと……、うん、そっか、俺らみたいに剥けてないからかな、ちょっとだけ匂いするなー」

「お兄さんっ」

 見上げれば、カノンは珍しく頬を紅くして、ちょっとだけ怒っていた。

「冗談だよ冗談。っつか俺この匂い嫌いじゃないし、この匂い嫌いな奴なんて俺らの中には居ないだろ」

「もう……、そんなの、いいですから……。しょうがないでしょう、おしっこしたらみなさんと違って、多少は皮の中に……」

「拭けばいいじゃん、トイレットペーパーでさ」

「紙が溶けて先っぽにくっついちゃうんです! 次におしっこ行ったときに乾いて張り付いてたりしたら、剥がすの痛いんですよ?」

 いつでもとびきり飄然として誰より強いように見えるカノンにも、小さな悩みはあるらしい。

「……っていうか、あの、……おちんちん臭いなら、洗ってきます……」

「だからー、臭いんじゃなくって、匂いがするってだけ。んなこと言ったら俺だって外歩いて汗だくで来てんのにお前平気じゃん」

「だ、だって……、お兄さんの汗の匂い、は、臭くないです。バノッサさんのも、皆さんのも、僕は好きです」

「だろ? 同じことだよ」

 自分で言っていて釈然としないのだから、聴かされるカノンはますます納得しがたいことだろう。ハヤト自身、自分が汗臭いのを気にしている。構わず肌を重ねたがるカノンが居るから、俺は俺のまま此処に居ていいんだと、そんな安心が生まれる。

「まあ、そういう訳で、いただきます」

 れ、と垂れ下がる袋から味を確かめる。しょっぱい。汗の味だ。当然のことながら、カノンだって汗をかく。しかし自分のように汗っかきではないし、その膚の質感が何だか絹のようにサラリとしているものだから、この味は意外な気もする。

「っ……なんで……、其処から、なんですかぁ……」

「んー、慌てない。せっかく上達して此処来てんだから、気持ちよくなってもらいたいじゃん?」

 ついでに、カノンを色々観察したい。

「綺麗だよなー……。俺の毛ぇ剃ってもこうはなんないからなー」

「……剃ったこと、あるんですか」

「んー、一度だけ。キールびっくりさせようと思ってさ」

 びっくりどころの騒ぎではなかった。硬い毛をT字剃刀なんかで適当に剃ったものだから剃り跡はずいぶんと無残な有り様で、時間の経過と共に痒くなった。元々「粗末」を自認するハヤトであり、その場所は毛がなければ確かに中学生くらいには見えなくもないのだが、オナニーに狂って毎日五回ずつする馬鹿な中学生の下半身のようで、とても愛せたものではなかっただろう。

 翌日キールが毛荒れ専用のクリームを薬局で買って来た。ピンク色のパッケージから推測するに、女性が無駄毛処理後に使うものだ。まさか薬だって自分が男のちんこまわりに塗られる羽目になるとは思っていなかっただろうなあ。

 然るに、カノンのこの場所の綺麗なこと。勃起していても何となく白っぽくて、不潔な感じは全くない。シャツの裾をぎゅっと握っているせいで露わになる腹回りのラインからして幼いのだから、何と言うかこう、とてもいけないことをしているような気にさせられる。同い年なのに。

「……割りと、あれだな、カノンは濡れやすいな」

 先端、既にじわじわと蜜が溢れて、皮の縁まで濡らしている。戯れに皮の上から幾度か扱いたら、新たに滲んだものも混ざって白く細かな泡となる。亀頭全体と皮の濡れて性器は愛らしいながらも其れだけではない。そういうところも含めて、カノンの身体の一部だと思う。そして心に繋がっている場所だとも。

 カノンはまだ声を乱さずに堪えていた。こんな風に遊ばれたことがないからだろう、真ッ赤になって反応も遠慮がちだ。恐らく一番して欲しいのであろう場所からまた逸れて、再び陰嚢へ、今度はぱくんと咥えて中で舌を動かす。お前が教えてくれたんだよこれ、キールにやったら焦ったみたいに髪掴まれた、……でもお前はされたことないんだね。そういう言葉を囁かないで、指は強張る太腿をあやすように撫ぜる。

「お兄、さん……っ」

 カノンから切羽詰ったような声を聴かされるなんて、今までに何度あっただろう。バノッサは普段から聴く機会に恵まれているのかもしれない。俺なんていつだっていっぱいいっぱいだからなー……、キールは恵まれているのだろうかと、ハヤトは考える。

 まさに目と鼻の先でひくひく震えるか弱い性器は、当人が思っている以上に我慢強くないらしく、カノンはハヤトの視線の先、シャツを強く強く握り締める。

「じゃーさ、……言ってよ。何して欲しい? こうやって袋舐められてるだけじゃダメ?」

「だって……、だって、其処だけじゃ、いけないです。其処まで僕、上級者じゃないですもん……」

「……っつかどんだけ玄人だよ此処だけでいけるとか」

 しかしあまり待たせるのも可哀想だと判っている。優しさと意地悪の匙加減を間違えないのがこの場のルールだ。

「んーじゃあ、そろそろお待ちかねのちんちんの先っぽしてあげようか」

 悪戯っぽく言っても俺の場合可愛くないか。

 ぱくん、としゃぶりついて、……おお、しょっぱいな……、ちょっと感動する。

「んああぁう……」

 声を震わせて、きゅ、と髪に掴まる。「そ、ンっ、なっ、先っぽ、ばっかりし、ちゃっ、ダメですっ……!」

 カノンは強い。腕力も、精神力も、誰より強い。

 そんな少年が震えてか細い声を上げて、泣きそうになっている。先端から潮をトロトロと漏らす性器の生殺与奪を握っているという思いは、案外なほど愉快なものだった。もういかせちゃおうか、それとももう少し意地悪してやろうか。思いを巡らせながら、いつだったか教えてもらったように股下に指を滑らせ、窄まった孔を擽る。

「ひぁっ、お、尻っ、お兄さっ、ンんにゃっ、したらっもぉっ、れちゃいますよぉっ……!」

 思っていたよりもずっと簡単に、カノンは限界を迎えた。強く吸ってやったら、捲れていた皮が舌の上でぬるりと滑って戻り、包皮の向こうで亀頭が弾けるような感触に遅れて耳朶のように柔らかな包皮の隙間から滑らかな舌触りの精液が溢れ出した。

 味、薄ッすいなー……。

 カノンの精液を呑むのはもちろん初めてだ。ぶっちゃけ、という前提で言えば、自分の精液を呑んだことがあるハヤトだ。もちろん自分で咥えて呑んだわけではなくて、籐矢に呑まされた。「勇人の精液は、すごく濃いね。もっとキールに可愛がって貰えばいいのに」目を白黒させて呑み込んでのたうち回るハヤトの姿を見ながら、親友は愉しそうに言ったのだ。「それとも、キールは勇人の潮っぱくて濃いゼリーみたいな精液の味が好きなのかな」

 味の濃淡というのは、即ち愛され方の濃淡と反比例するんではないか。即ち、日長一日寂しがって過ごしているくせに、実はこの少年がパートナーから一番良く愛されているのではないか。……逆説的に俺が愛されてないみたいじゃないか、そんなことないぞ。

「……俺、とキール、の次に籐矢、バノッサ、ソルって来て、お前だな」

 舌で唇を拭って、言った。

「な、何がですか……」

 皮をまた剥いてやったら、紅くなった亀頭はまるで鬼灯のようでもある。

「精液の味の順。俺の、濃いらしいから」

 カノンは何とも形容しがたい顔で見下ろしていたが、やがて気を取り直したように座って、唇を避けてキスをした。

「変態です、お兄さんは」

「俺らの中でマトモな奴なんて居やしないよ」

「同感です。僕は淫乱ですし、これくらいで僕ら丁度いいんです」

 言いながら、まだ太腿に引っ掛かったままだったパンツと、シャツをぐいと引き脱いで放り、開き直ったような力でハヤトのベルトを外す。

「え、……え?」

「順番ですよ。僕の精液呑んで頂いたんですから、僕にもお兄さんの濃いぃ精液呑まして下さい」

 カノン相手に羞恥心を覚えることはまずない。「そんなもの」必要ないと言うような振る舞いを彼が平気でしているのを見せられれば自分だって恥ずかしがっているような余裕など無くなるのが常だ。

 が。

「え?」

 大して力を入れられたような感覚はない。ただ、尻をついて座っていたハヤトの身体はくるりと四つん這いになった。当人がそのことに気付いたときには、もうベルトは簡単に抜かれていて、ジーンズは下着もろとも太腿まで落ちていた。

「え、あの、え?」

 要するにカノンの目の前には自分の尻が在る。

「いっぱい意地悪して頂いちゃいましたから、お礼しなくちゃいけませんよねー」

「え。ちょっと、待って、待って、シャワー浴びてないから汚い……」

「いいです。汗ばんでてー、湿っぽくってー……、ハヤトお兄さんのお尻、食欲のそそるいい匂いがします」

 羞恥心が尻から背中へ背中から脳髄へぐいいと上がって中を犯す。「いただきまーす」と声がして。

「ひ」

 卑猥な舌の先が、入口を辿る。

「えへへ……、ハヤトお兄さんのお尻、可愛いですねえ。ちょっと舐めただけなのにきゅうって」

 尻の穴を、舐められる。尖らせた舌先が、触れるか触れないかのぎりぎりの距離感。僅かに離れて安堵した瞬間に、再び生温かい舌がちろり、触れて、緊張する。心の緩急はそのまま環状筋の緩急に繋がっているから、きゅう。そうやってハヤトは、カノンを喜ばせる玩具となる。

「ねえ、お兄さん。僕がいっつもお尻弄られてばっかりで満足してるって思います?」

「……え……?」

 畳に頭頂部を押し当てる形でそっと眼を向ければ、みっともなく勃起した自分のペニスの向こう側からカノンが意地悪な笑みを浮かべて覗いている。

「僕だって、男の子ですから」

 知ってるよ、と声にならない。バノッサが発情したカノンに身体を、というかその一部分を「貸す」のだということは知っている。知っているが、それは「知識」として持っているだけのこと、現実に其れが在るのかどうかという点に関しては実際に見たわけではないから。

「……ちょ、ちょっと、待ッ……ン!」

 熱を帯びた動きの舌に、危機感が募る。その小さな身体で五人の男を受け容れているからには、どの程度の無理が利くかという点に関しての知識も在るはずだ。だから却って性質が悪い。

 気持ちいいですかー? と囁きが尻に垂らされる。一度もまだ触れられていない性器が反り返って震えているのはカノンにだってばれている。

「僕、おちんちんも好きですけど、お尻も大好きです。お兄さんの引き締まったお尻見てると、……僕のちっちゃいおちんちんでもいっぱい気持ちよくなってくれそうで、すごくどきどきします」

 口にしているのは物騒な言葉なのに、あくまでその声は和やかなのだ。「そういえば、前にお兄さんたちが買って来てくださったうすうすぴたぴたローションたっぷりのゴム、まだ残ってますよ? あれ着けてお兄さんの中に這入ったら、きっとすごく気持ちいいんでしょうねえ……」

 主導権を、握りこまれる。その掌の中に。

「あはっ……、お尻舐められてこんなにがちがちにしてるんですねー……、先っぽもすっごいぬるぬる……、ハヤトお兄さん、すっごい可愛い」

 このまま、いい子にして待っててください。言い置かれて、カノンが立ち上がる。流しで口を濯いでいる気配がする。劇的な屈辱に身動きなど取れるはずもなくて、ハヤトは背中まで真ッ赤になってそのまま居た。「はい、おりこうさん」と戻ってきたカノンが尻をひと撫ぜして、

「ひぁ!」

 ぬるん、と尻にローションを纏った指を、差し入れた。

「ちょっとだけ、開きますよ。ちょっとだけ……、だからそんな緊張しないで大丈夫です」

 ちょっと? 「ウニャっ……」……やべ、変な声出た。

「おちんちん入れるのはまた今度にしておきます。お兄さんのお尻うにうにしてたら、僕のお尻までむずむずしてきちゃったので。だからおちんちんの代わりに、ね」

 カノンは依然としてあまり興奮を感じさせない声で語る。ちゅぷ、と音を立てて抜かれた指の代わりに、硬いものの感触が当たる。

「え……?」

「悔しいけど、僕のおちんちんより気持ちいいと思います」

 めりこむ。ぐにぃ、って。でもって「う……はぁ……っ」環状筋を抜けると、後はずるんって入る。尻の穴は閉じているのに、其処から延びるコードが挟まっているせいで、異様な落ち着かなさを感じる。

「で、僕はこっち」

 カノンはハヤトの足と足の間に潜り込む。腺液を漏らすペニスの匂いをすんと嗅いで、「ああ、ほんとにいいにおい……、とけちゃいそうです……」

 つめ、た。い。冷たい……。

「な、な……ンっ……」

 ハヤトが見えるのは、畳に散らばるカノンの髪、そして、ペニスに当てられた紅い舌。喉を逸らしてカノンがハヤトを見上げ「大丈夫ですよー、ただの氷水です」と答える。

「こ、こぉり……っ」

 唇の端から雫を垂らして、カノンは笑う。手にはキューブアイスを幾つか握っていて、其れを口の中に放り込むと、いい音を立てて噛み砕き、しゃり、と飲み込む。

「せっかく僕のとこ来てくださったんですから、普段しないようなことで気持ちよくなって頂けたらいいなーって」

 後孔の中に押し込まれたローターのスイッチが入った。腹の底で振動する固体から逃げようとした先にカノンの口が在って、……きんきんに冷えた舌が絡み付く、吸い付く。

「ふ、ぁっ、あっ、か、のっ、カノンっ、冷たっ、ちんこ冷たいっ……!」

 実際、氷を含んだからと言って極端に口中温が下がるはずもない。それでも誰の口より冷たいカノンの舌に、ペニスが麻痺したような感覚になる。カノンは愉しそうに舌でハヤトを愛撫しながら、手にした氷で陰嚢を撫ぜる。腰がのたうつことを許されないのは、カノンがしっかりとローターのスイッチを握る手で拘束しているからだ。まだ微弱な振動に過ぎないローターが、自分が変に腰を逃そうとするのを咎めるように強振動を始めたらと思えば、身体を氷のように固めているしかない。従順なハヤトを更に追い立てるように、カノンは溶けて小さくなった氷を、後孔へと押し当てる。

「っつ、めっ、たっ、カノンっ……、マジ、でっ……冷たいっ……」

「んへへ……」

 口から出したペニスにれろりと舌を当てる。「ハヤトお兄さんのお肌はすっごい熱くなってますよ。ほら、氷がどんどん溶けちゃう……、これくらいなら」

 少し、声を低くする。喉仏のまだないつるりとした喉に出せ得る、最も低い声だろう。

「入りますよね」

 質問ではない。

「ひ……!」

 だって、答えは待たれていない。

 指先ほどの氷が身体の中に押し込まれると同時に、カノンの指先はローターの振動を一気に強める。……壊れる……! カノンは其れをあらかじめ判っていたように、ぱくんとハヤトの性器を咥え込んで、溢れ出る澄んだ液体に畳を濡らさせはしないのだ。

「や、あっ……! か、はぁっ……っンんっぃ、ぃああっ」

 氷と熱の塊をどうにかして身体から追い出してしまいたかった。壊れる壊れる壊れてしまうマジで壊れちゃうって! 必死で。もうカノンが「限界を知っている」とか「本当に無理なことはしない」とか、そんな甘いことを考える余裕はなかった。

 ころん、ごとん、と二つ転がる音がした。一つは氷の粒で、もう一つはローターだ。

 動けない。

「ごちそうさまでしたー」

 足の間から這い出て、ハヤトの顔を覗き込んでカノンが言う。

「はしたないお兄さんですねえ、のど渇いてたから丁度いいですけど。あ、でもしょっぱいの呑んじゃったらもっとのど渇いちゃうかもしれませんねー」

 唇を、舐める。ハヤトはその顔を見ていられなくて、畳に額を押し付けた。ああもう、このまま潜り込んでしまえたらいい。どうせ耳まで真ッ赤だ。

「……だいじょぶですか?」

「だいじょばねーよ!」

「でも、畳は大丈夫ですし、……うん、お尻の方も大丈夫です、余計なものが出てるようなことはありません」

「アレとかアレとかっ、そういうのどうかってゆってたのお前だろ!」

「んーと、公共の場でそれは『どうか』という意味です。……それか、ハヤトお兄さんはそういうのおっけーでした?」

「んな訳あるか!」

 尻がじんじんしている。ごろん、とようやく身体から力を抜いて横たわった。

「……キールとするときは、アイツがちゃんと、してくれるし……、だいたい、自分でちゃんと出来るように、してるし……。だってヤだろ!」

「僕は気にならないですけど」

「……マジで?」

「マジです」

「……お前、バノッサとそんなことしてんの?」

「してません。バノッサさんが気になさるといけないのでいつでも綺麗ですよ? なんなら生で入れてもおっけーなくらい」

 カノンは其処まで言って、眼に妖しい光を点す。

「……全部ご存知なハズないでしょ? 僕の身体のことだって」

 にこーとカノンは笑う。やはり鬼だ。

 さてと、とカノンは下は裸のまま、壁に掛かった時計に目をやる。

「お昼ですねえ。ご飯、作ります? それとも駅の方に食べに行きましょうか。美味しいカレー屋さんが出来ました」

「……正直、今は食いたくないな」

 胃の辺りを撫ぜて、げんなりと言ったハヤトの言葉に、我が意を得たりとカノンがシャツを捲り上げる。

「じゃあ、こっち、また召し上がります? えーと、おしっこ出ないですけど」

「……お前なあ」

「でも、白いのならまだまだいっぱい出ます。っていうか、出なくなったことないので」

「赤珠打ち止めってやつか」

「ほんとに赤い珠出たら引きますねえ」

「出ないよ」

「それくらい出し続けたことがおありですか」

「……ええ、まあ」

 へえ、とカノンがシャツを脱ぎ捨てる。「どんな感じになっちゃうんでしょう」

 興味津々、子供の顔でカノンは訊く。ハヤトはむ、と唇を尖らせて、

「どんな感じって……」

 意味もなく、伸びた前髪をかきあげる。長いほうがちょっとは可愛く見えるかしらと思って伸ばしたはいいけれど、無計画の産物、うっとうしいことこの上ない。

「ちんこが……、ダルくなって、先っぽヒリヒリして、……最後のほうとかいってもあんま気持ちよくなんないし……」

 じい、とカノンの視線が陰嚢に当てられている。ハヤトもハヤトで、カノンの其処を見ているのだ。……俺よりぜんぜんちっこいくせに、この世の中には納得の行かないことが多々在る。

「……今日お帰りになるのは多分夕方ですよね?」

「んー、そうだな、キールと一緒に晩飯食いたいし」

「お昼ご飯はおうちで食べましょう。お素麺茹でます」

「ああ、いいねえ、素麺好きだよ」

「冥加お嫌いでしたね」

「あんなん好きな奴いんのかよ」

「バノッサさんも嫌いです、僕は食べられますけど」

「籐矢も食べられるんだな確か」

「この間冥加の酢漬けを持って来てくださって、バノッサさんに怒られてました」

「イヤガラセ以外の何物でもないよな」

「うずらの卵もあります。おつゆに二個入れて食べましょう」

 起き上がって、もうすっかり温くなった麦茶をハヤトは飲んだ。

 カノンと眼が合う。

 人ならぬものの眼は紅く、瞳の形も異なる。見透かすことなどいくらだって出来るくせに、言葉をハヤトに用意させる。

「素麺なら五分もあれば支度出来るな」

「食べるのに、大体十分ぐらいでしょうか」

「食休みくらいはしようぜ、五分」

「合計二十分。つまりあと四時間四十分あるわけですね」

 ハヤトもシャツを脱ぎ捨てた。カノンの視線は少年自身の緩やかなラインで描かれる体とは違う、はっきりと男性のものとして在るハヤトの裸身をじりじりと音を立てて彷徨う。

「言っとくけど、俺がどんだけ付き合えるかは判んないよ? 帰ってからまたキールとするんだ」

「ええ、その辺は自重します。自分の身体に関しては自重しませんけど」

 ひょいと立ち上がると、うすうすぴたぴたローションたっぷり、を引き出しから持ってくる。中を覗いて「えー、と。まだあと八個入ってますね」と。

「三箱セットで買って来たんじゃなかったっけ?」

「実はこれ、新しく買って来たんです。前のは全部使っちゃったので」

「ああそう……」

「それで、まだあと一箱未開封のがあるんですけど、其れは今夜バノッサさんと使うので」

「ああそう……」

 プレジャーラン・トゥ・プレジャーランド。悦びの歌を唄おう、今は二人、あと四人、足して六人、町田ラヴァーズ。

「でも、そういうことは気にしなくていいので、僕を空っぽに出来るもんならしてみちゃってください」

 出来る訳がない、とブツブツ呟きながら、ハヤトはカノンの髪に手を伸ばす。もう「何やってんだ」とは思わない。


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