M25 ただの物置。

オールイン



!注意

オズワルド×ジェネラルで怒涛の甘さ。
二人とも余すところなく乙女全開。


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ガタンッ、と。
ジェネラルが腰掛けていた椅子が啼いた。
座位を保ったまま顔を無理に後方に逸らされ固定されると、カサついた唇がやんわりとジェネラルに触れてくる。
躊躇なく頬やら鼻先やらに口付けられると、咄嗟に静止を求めて僅かにジェネラルの腕が動いた。
しかし、それを目の端に捕らえた相手は、慌てることなく―――むしろ、ジェネラルの反応を愉しむように―――顎を捕らえている指先で喉元を擽ってきた。
つぅ、と繊細な手つきで筋をなぞられると背筋がざわついて、僅かに動いたはずの腕は再び凍りついた。

「―――――…オズ、ワルド…ッ」

顔中に降るキスの嵐に音を上げると、喉奥で噛み殺したように笑われ、羞恥で頬に熱が集まった。
捕らえる腕を振り払うこともなく、直接的な言葉で拒絶しないこともないと、何もかもを見抜かれている。
羞恥と狼狽で目を細めて眉を寄せると、今まで頬を滑っていた唇がジェネラルのそれに触れた。

「……ッ」

思わず引き結んだ唇を、オズワルドは決して無理に抉じ開けようとはしない。
その代わりに、舐めるように啄ばみ、幾度も角度を変えて責められる。
オズワルドの熱い舌を唇に感じ、ぞわぞわとした悪寒とは違う感覚が背筋を這う。

「―――〜〜〜ッ」

少しでも口を開いたら、あの熱い舌が忍び込んでくるかも知れないと思うと、呻き声を上げることすら憚られる。
ジェネラルは僅かに顔を逸らし強く目を閉じるが、手馴れたように顔の向きを直される。
ジェネラルの唇をオズワルドの唾液が濡らし、ぴちゃ…と、なんとも耳と心臓に悪い音が室内に満ちる。
ドクドクと心臓が喧しく跳ね回り、羞恥が過ぎて耳鳴りまで聞こえてきたジェネラルは、そろそろと瞼を押し上げた。
明けた視界の中では、オズワルドが機嫌良さそうにジェネラルの唇を食んでいる。

「……閣下?」

僅かの距離を取ったオズワルドが、からかうようにジェネラルを呼んだ。
赤いグラス越しに、今にも泣き出しそうな子供のような酷く情けない顔をしている自身を見つけ、ジェネラルは一層眉を寄せた。
困り果てた、と言葉にせずとも表情に出したジェネラルを小さく笑うと、オズワルドは漸くジェネラルを開放したのだった。





一体いつからだったか。

ジェネラルは自室で紅茶を飲みながら思案にふけっていた。
思案の中心を陣取るのは此処のところずっと決まっている。
やんちゃなカード使い、オズワルドだ。
…正しくは、オズワルド個人ではなく、彼の行動によってジェネラルは胃を苛まれている。

「―――なにが楽しいというんだ……」

はぁ、と、重苦しい溜息が室内に落ちる。
見るものが見れば、ジェネラルの周囲に暗雲が立ち込めているのが分かるだろう。
ジェネラルはもう一度息を吐くと、ティー・カップから手を離した。
口元に僅かに温まった指を運ぶと、アールグレイの残り香が馨る。

「………」

指先に感じる唇は硬く、取り立てて熱はない。
けれど、その場所が何処よりも熱くなる瞬間を、ジェネラルは知っていた。
ほんの数時間前も、その場所は燃えるように熱かったのだから。

「……本当に、何が楽しいんだ……」

胃を苛む痛苦によって、その呟きはジェネラル自身にも聞き取りづらいほど沈んでいた。




最も古い記憶は、酒席。
酒に酔ったオズワルドが、ジェネラルの頬に戯れで口付けたのだ。

『―――オ…オズワルド…?』

酒に弱いと自覚があるジェネラルはそこまでの深酒はしておらず、理性も確かだった。
だから、突如オズワルドの顔が頬に近づいたことにも驚いたし、その唇が頬に触れたことにも大層驚いた。
オズワルドは酔っ払いの例に漏れず、自分が何をしているかの自覚が薄かったのだろう。
ジェネラルの驚愕に気付く素振りすら見せず、笑みを浮かべたまま二度三度とそれを繰り返しジェネラルの度肝を抜いてきた。
あまりのことに長らく硬直してたジェネラルは、頬に触れる唇と微かなリップノイズに我に返ると、咄嗟にオズワルドから距離をとった。
それはジェネラルにしては酷く露骨な仕草だったが、ある意味では立派な正当防衛である。
頬にオズワルドの唇が触れるたびに心音が加速して妙な鼓動を打ち始め、
今まで和やかだった酒席が一気に違う色に変化しそうな気配を感じ取ったのだ。
酒のお陰で巡りの良くなった血流に乗るように羞恥が身体を駆け巡り、正直そのままいつものワープで逃げ出したいほどだった。
けれど。

『――――……申し訳ありません。少し…浮かれていたようです』

ジェネラルが距離を取った直後、オズワルドはハッと、我に返ったように笑みを消した。
次いでその顔に浮かんだのは、自責に満ちた苦笑だった。
そのあまりに苦しそうな微笑に、言い知れぬ罪悪感が腹に溜まる。
酒に呑まれたのはオズワルドの責だとしても、長年の友である彼にそんな顔をさせたかったわけでは断じてない。
何ともいえない焦燥がジェネラルを苛んでいる間にも、ジェネラルの肩に掛かっていた手は離れ、今まで懐いていた唇は余所余所しく離れていく。

それを、嫌だと。

その時のジェネラルは確かにそう思った。
同時に、どうして良いか分からず固まったが、決して接触が不快だったわけではないとも。
だから、ジェネラルにしては珍しく、後のことを考えずに口を開いた。

『嫌では、なかったぞ』

『………閣下…?』



『貴方だから、だと思うが…不快ではなかった』



そう告げた唇はそのあとすぐにオズワルドに奪われた。





事の発端を思い出し、ジェネラルは頬に熱を上げた。
素面であれば、拷問をされたって言わない台詞だ。
酔っていたのはオズワルドばかりだと思っていたが、自覚がなかっただけで自分も相当呑んでいたのだと
気付いたときには既に遅く。その夜は散々口付けをされて、羞恥で頭が飽和しそうだった。

「…アレで終わると思っていた私もまだまだ、だな…」

結論から言うなれば、最初の口付けは酒の勢いが原因だった。
お互い酔っていたのだから、酒に流して忘れることも可能だったし、
仮に記憶があったとしても忘れたフリをするくらいの礼儀は弁えている。
と、いうよりも、忘れたフリをするほうが円滑な人間関係のためである。
何より、ジェネラルにとってオズワルドは長らく親交のある友人なのだ。
そんな相手から口付けされたことも、それに過剰に反応して耳まで染めた記憶も、出来ることなら全てを封じてしまいたかった。

しかし、オズワルドはそれを良しとしなかった。

酒席の翌日にトーナメント会場で出くわし、何食わぬ顔で雑談をしていたと思ったら、人通りが絶えた瞬間を狙ってキスを落とされた。
視界一杯をオズワルドに占領されたジェネラルはあの夜のようにまずは凍結し、次いで両腕を突っ撥ねて痩躯を押し返した。

『何をやっているのかね…ッ!』
『いえ。閣下が嫌ではないと仰って下さったので』

ニコニコと笑みを返してくる老獪さはジェネラルの知るオズワルドと相違ない。
しかし、幾らなんでもあの酒席から十二時間以上経っている上に、
オズワルドほどの使い手が酒の名残を纏ったまま試合に臨むとは到底思えない。
極自然に行われた今の行為とて、ただの友人である二人の関係では不自然かつ不可解だ。
酒のせいだと言い張るにしても度が越している。
つま先から脳天まで突き抜けるような羞恥に苛まれながら思考が疑問と狼狽で満ちる。
ジェネラルは奪われた唇に手背を押し付けて頬に上がる熱を誤魔化そうと試みるが、
何の前触れなく洒落で済まされないことをやってのけたオズワルドに責める言葉が口をついた。

『アレは酔った貴方の悪戯だったろう!』
『やはり覚えて下さったんですね。光栄です』
『はぐらかすなオズワルド!』

忘れたフリをしていたことすら忘れていたジェネラルが墓穴を掘ったと悔やむより早く、オズワルドは本当に嬉しそうに微笑んだ。
その笑みを見た途端、心臓が嫌な収縮をしたが、それよりも現状打破を優先させたかった。
苦し紛れの怒声は聞き流されるかと思ったが、オズワルドが乗ってきた。

『確かに酔ってはおりました。ですが、酔ったら誰彼構わず口付ける訳ではありませんよ』
『昨夜の今では信憑性は薄いがね』
『これは手厳しい』
『……今までの良好な関係に免じて、忘れて差し上げよう』
『いえ、それには及びません』

言うが早いか、オズワルドはジェネラルの腕を引き、軍帽に隠れた額に口付けた。
触れると同時にジェネラルが全霊を脚に込め瞬時に身体を起こすと、絶妙なタイミングで団体が廊下を曲がってきた。
もしも少しでも離れるのが遅かったら、と僅かに冷や汗を滲ませるジェネラルに、オズワルドは口元を隠して笑った。

『―――忘れないで下さい』

私も忘れませんから。

口だけを動かしてそう告げたオズワルドの目に笑気はなく。
否が応でも本気なのだと気付いてしまったジェネラルは声も出せずに棒立ちになるより他なかった。
そして、何が楽しいのか本当に分からないのだが、今では顔を合わせるたびに必ず抱き寄せられて唇を奪われる日が続いている。

「―――……はぁ……」

ジェネラルは臓腑に淀む蟠りを吐き出すように重く息を吐いた。
本当に、何が楽しいのか分からない。
そして、口付けされる度に上がる熱の意味も理由も。
訳の分からない疑問ばかりが溢れかえり、ジェネラルは親指の腹で唇をなぞった。
ほんの数時間前にそこを伝った熱を思い出したのか、ジェネラルの指先に僅かな熱が移った。

「……近頃の紳士はやんちゃで困る……」





「――――………?」

ジェネラルは微かな違和感を覚えて歩みを止めた。
身体を反転するようにして、今まで歩いてきたトーナメント会場の廊下を振り向く。
時間帯のせいなのか、ジェネラルが通ってきたルートのせいなのか、見通しの良い廊下に人通りはない。
それを確認して、ジェネラルは再度首を傾げた。
視覚で確認するまでもなく、ジェネラルは気配を探れば大体の状況は把握することが出来る。
今とて、ジェネラルの察知圏内には無機物・有機物の気配はない。
だから、振り向く必要もなく、廊下は完全にジェネラル一人なのだと感覚では知っていた。

「……何だ……?」

それなのに、だ。
ジェネラルが感じた違和感は拭われることなく、未だ腹に溜まる。
顎に手を添えて、掌で口元を隠すと疑問の声を漏らす。
感覚が収まらず、ひたすらに違和感ばかりが溢れてはジェネラルの心中を乱してきた。
収まることのない違和感をジェネラルは溜息一つで押さえ込むと、止まっていた歩みを会場へと向けた。



試合後の控え室で、ジェネラルは一人でティー・タイムを愉しんで―――

「……はぁ……」

いなかった。

試合は上々で、己の能力も最大限に引き出せたし、決して悪いものでもなかった。
けれど、試合前に感じた違和感は今尚消えることなく紅茶の芳醇な香りを愉しむことすら出来ない。
薄く口を開いて招き入れたセイロンの微かな渋みさえ、少しも舌に馴染まない。
ジェネラルは豊かな味を感じられないまま、諾々と紅茶を飲み干していく。

「―――……」

ぼんやりと何度かそうしていると、いつの間にかカップの茶は底を尽きた。
ジェネラルはポットから紅茶を注ぎ淹れるも、どうにも気が乗らない。
僅かな逡巡ののち、横に用意している小瓶から砂糖とミルクを取り出し、紅茶に落とした。
透き通った紅茶にミルクが混ざり、子供の肌のような色へと変じていく。
湯気に混じり、砂糖の甘さがふわりと香る。
口に含めば、いつもとは違った味が広がり、磨耗した神経を優しく癒してくれた。
ジェネラルの弛緩しきっていた頬が、僅かに持ち上がる。
気分を変えてミルク・ティーにしたのは正解だった。

『セイロンはミルクと相性が良いそうですよ』

不意に、そんな言葉を思い出した。
さて、誰に聞いた話だったか。と、ジェネラルの視線が僅かに天井を向く。

「―――あぁ、彼か」

少しの間のあと、ジェネラルは吐息のように声を漏らす。
細く、器用な手を持つオズワルドは基本的なことは卒なくこなす。
彼の紅茶はジェネラルの舌を満足させるもので、舞織とは違った美味しさを感じられた。
あの奔放な企業に勤めているとあれば何でも出来る、というのは必要スキルなのかもしれないが、
紅茶の淹れ方まで心得ているとは恐れ入る。
皮手袋に包まれた指が手馴れたように紅茶を注ぎ、ジェネラルへと差し出す姿はとても堂に入っており、
きっと社内でも振舞っているのだろうと見て取れた。
一口飲んだだけで神経を包むように香る茶葉の匂いが心地良く、ジェネラルは今のように頬を緩ませた。
その頬を冷たい手が捕らえ、笑んだ顔が近づいて――――

「――――ッ、何を考えてるんだ私は!!」

がちゃん!と、ジェネラルに有るまじき音を奏でながらティー・カップをソーサーに叩きつける。
頬に上がってくる熱をどうにかしたくて、手の背で目元を拭う。
目元と、手の触れ合う感触に、再び記憶は蘇る。
今のように頬の熱を厭うたジェネラルの手を手袋を外したオズワルドがとり、その爪に、壊れ物のように優しくキスを落とした。
狼狽するジェネラルを小さく笑んだ後、赤いサングラスを外して――――

「――――――〜〜〜〜ッ」

ジェネラルはゴン、と強くテーブルに額を打ち付けた。
そのまま何度か頭を打って記憶をどうにかしてしまいたかったが、
ジェネラルの思考に住み着くやんちゃな紳士はそんな抵抗すらも手玉にとってくる。
強く塞いだ視界の中さえ侵略してくる手際さは素晴らしく、華々しい戦歴を重ねるジェネラルの目からみても流石の一言に尽きた。
思考をオズワルド一色に染め上げられたジェネラルは、心を乱す己の未熟さを呪うと同時に、八つ当たりのように非難の声を飛ばした。

「何がしたい、何を変えたい。私は貴方の友人だろう……ッ!」

必死に言い募るその声には焦燥が含まれていた。
そして、ジェネラルには珍しいことに、僅かな苛立ちも。
その事に気付かず、ジェネラルは糾弾の声を続けた。

「―――傷だらけの軍人をからかうにしても手口が汚いぞ…っ」

からかうだけのつもりにしろ、度の過ぎた悪戯にしろ、頗る性質が悪い。
こちらが真剣に抵抗しないのを良い事に散々心中を乱してくるなど、フェアでないにも程がある。
ジェネラルは現役の軍人だが、オズワルドは一線を退いて久しい元暗殺者でしかないのだ。
かつては名うてであっても、ジェネラルが真剣かつ本気で抵抗すれば、その身に傷をつけることは容易い。
そんな葛藤すら老獪な紳士は目を細めて笑うのだ。
どれほど否定し拒否しても、結局は心底愉快そうに喉を鳴らしてジェネラルを笑っては繰り返し口付ける。
慈しむような手つきと、堕ちていくジェネラルを嗤う瞳。
その全てを裏切るように熱い唇は、ジェネラルの矜持も意地も看破して降り注ぐ。
かと思えば、こちらがどれだけ身構えようと、気が乗らなければ平気で何日も顔すら合わせない。
全てがオズワルドの思い通りだ。
パーフェクト・ソルジャーだの最強の尖兵だのと散々賛辞を贈っておきながら、
その実、完璧でも不敗でもないジェネラルで遊んでいるのだろう。
さながら、オズワルドお得意のカード・ゲームのように、
ワンペアの役すら作れずにいるジェネラルのフォールドの声を待つかのように。





只の戯れでしかないのだと、ジェネラルがどれ程の苦痛を伴って飲み込んでいるのか知りもしないで。





「……………」

熟考の果てに辿り着いた答えに、ジェネラルは今度こそ声も出せず硬直した。
次いで、まるで世界中の電子情報が脳に及ぼされたかのように、思考は混乱を極めた。
片手で口元を押さえ、そのままズルズルと椅子に凭れ掛かる。

「……………………」

未だ思考は混濁し、まともな思慮など出来もしない。
それでも、混乱の中であっても、心中で叫んだ声は消えることなく脳に刻まれている。
腹にすとん、と落ちた理解に、全身の体温が上昇する。
キスされるたびに上がる熱の意味も、接触が不快でなかった理由も全てそれに付随するのだと、気づいてしまえば容易い。

「………………もう、…………」

ジェネラルは嫌だったのだ。
酒の戯れでしかないキスが、からかいでしかないキスが。


同じ思いを持たずに触れ合う口付けが、堪らなく嫌だったのだ。


触れれば胸は高鳴り、息が止まるくらい切なくなるから。
優しいキスに酔って、勘違いをしてしまいそうになるから。


それが―――それだけが―――本当に嫌で仕方なかったのだ。



「……………私の負けで、構わない………」

気づいてしまった極論に、軍帽を落とした金髪をぐしゃりと掻き混ぜた。





オズワルドは疲れていた。
傍目にはそうとは見えず、常と同じ笑みを湛えていたが、実際はまっすぐ帰宅したいくらいに疲れていた。
原因はいたって単純で、奔放かついい加減な運送会社の社長が、行き先も告げずに数週間もの間行方を眩ましたのだ。
社長が居なくなること自体は最早ルーチン・ワークの一環になっているが、今回は時期が悪かった。
オズワルド自身もトーナメントに出場が決まっており、会社と会場の往復する日程と
運悪く―――もしくは、狙ったかのように―――重なってしまったのだ。
運送会社において、別段役員でも重役でもないが、
一番の年長であり古株でもあるオズワルドは社長が消えてからというもの各部署に引っ張りだこだった。
それでも、仕事に手を抜くことを良しとしないオズワルドは、
今日も予定通りにトーナメントに出場し、今しがた試合を片付けてきたところである。
身体が本調子であれば、などと言う気は一切ないが、それでも腹に溜まった鬱憤は淀みになって胃を圧迫した。

「―――本当に…どうしようもない人ですねぇ……」

呼気交じりの呟きに、うっすらと殺意が滲む。
今回の騒動で一体何日社泊したかすら覚えてない。
寝不足でふらり、と揺れる視界さえ億劫で、オズワルドは小さく息を吐いた。

「………帰ってしまったでしょうね……」

ぽつり、と、思わず零した独り言は、人気のない廊下に思いのほか響いた。
オズワルドは皮手袋をした手で、そっと己の唇に触れた。
唇に、皮の滑らかな感触が伝わり、切なげに目を細める。


本当なら、こんなものではなくあの唇に触れたい。
近い距離で、眦から頬へと朱が広がる様が見たかった。


オズワルドは煩悩を振り切るように頭を振った。

「やれやれ…やんちゃは閣下の専売特許でしょうに」

口先だけで自らを諌めるも、何の効力もありはしなかった。
もしもそれだけで衝動とも呼べる厄介な感情が収まるようなら、
ジェネラルの意思を無視してキスを降らせることなどなかったのだから。
幾ら理性でブレーキを掛けようと試みようとも、ジェネラルの前では理性すらも崩壊する。
ただ口付けたいという欲求のみが身体を支配し、まるでオズワルドの味を覚えこませるようにキスを重ねてしまう。
薄い皮膚越しに伝わるジェネラルの熱と小さな動揺に、胸が揺れて仕方ない。

「……ふぅ…」

ここ最近の多忙さで触れたい欲は日ごと強まるものの、寝る間すらも惜しまねばならない状況下において
ただ欲求を満たすためだけにジェネラルの姿を探すのも躊躇われた。
散々縁を切られても文句のひとつすら言えないようなことを強要しているという自覚はあるのだ。
近づけば笑みも浮かぶし、話しかければ雑談に応じてはくれるが、それがいつまで続くか確約はない。
ジェネラルとオズワルドは友人の位置に納まる間柄でしかなく、
それ以上を望む感情を言葉として伝えていない以上、その関係は打破できてはいない。

「―――年を取ると……厄介ですねぇ……」

オズワルドは呆れたような声を漏らした。
現状、ジェネラルがオズワルドの行動に心底嫌気が差したら全てが終わる。
ジョーカーは常にジェネラルの手にあるのだ。
それが切られた瞬間に、どんな役すらカードの屍山に堕ちて意味を失う。
酷く心もとない綱渡りは、初めて暗殺者として人を殺した瞬間の吐き気がするほどの緊張感にも、
暗殺者を引退して、真っ当な職に就いた初日に感じた高揚感にも似ている。
親愛以上の想いを込めて億万のキスを降らせようと、言葉すら伴わない行為は肌の上を滑るだけだ。
それを理解していながら、それでも言葉ひとつ出ない理由はいっそ笑えるくらい情けないもの。

「……好きの一言も言えないとは……」

呟きはオズワルドの想像以上に、精神へ多大な打撃を与えた。
情けなさも不甲斐なさも一つ息を吐いて抑えると、帰路へ着くべく歩を進める。
長い足に似合わない遅々とした進行速度で廊下の角を曲がった。

「――――ッ!?」

しかし、オズワルドの身体が角を曲がりきる前に、
前方から伸びてきた腕に襟首を掴まれ、勢い良く壁に縫い付けられた。
オズワルドの広い背中と壁がぶつかる音が、静かな廊下に盛大に響く。
肺に溜まった空気が揺れ、オズワルドは喉奥で小さく呻いた。
衝撃にぶれた視界を二、三度の瞬きで洗うと、未だ襟首を掴んだままの襲撃者にピントを合わせた。
しかし、視界が明瞭さを取り戻すまでもなく、それが誰かは分かっていた。
相応の実力を持ってトーナメントに出場しているオズワルドに、
気配を察知させず、致命傷になりうる箇所を押さえ、壁に縫い付けることが出来る人物など限られている。
何より、そんな仕打ちを受ける覚えは目下のところ一つしかないのだ。
オズワルドは、けほ、と、弱弱しい咳払いをしてみせると、小さく笑みを浮かべた。

「―――熱烈なご挨拶ですね、閣下」
「…………」

オズワルドの隠された瞳を目を細めて見つめる襲撃者はオズワルドの想像通り、ジェネラルだった。
ジェネラルにしては珍しく、オズワルドの言葉に何の反応も返さない。
その様子に、静かにオズワルドの背筋を冷たい汗が伝った。
恐れてやまないジョーカーの効力を、まざまざと感じさせられる。
嫌な速度で打ち始めた心音から意識を逸らせようと、オズワルドは口を開いた。
しかし、言葉が出る前に、ジェネラルの声に遮られた。



「もう、触れないでくれ」



その言葉に、早鐘を打っていた心音が聞こえなくなった。
空虚で無常な静寂がオズワルドを包み、次いで、
その言葉を理解できる程度に理性を保ったままだった自身を盛大に呪った。
押さえられている以上に肺が軋み、呼吸が詰まる。
心臓がズタズタに解剖されたように痛んでは、オズワルドを苛んだ。
受諾も否認も出来ずに立ち尽くし、声も出せない。
グラグラと思考が混濁に染まり、自力で立っているのかすら認識できず、懸命に冷静さの帰還を請うた。
オズワルドは心中で荒れ狂う感情を押さえつけるように静かに瞼を下ろし、小さく息を吸った。
今まで散々ジェネラルの意志を無視し続けてきたツケを払う時が来たのだ。
崩壊も終焉も覚悟をしていたが、如何に覚悟をしていたとしても欠片の痛苦も感じないはずはない。
オズワルドは、心の底から言いたくない是を返すために閉ざされた視界の中で力の入らない唇を開いた。



そして、次の瞬間、それを待っていたかのようにジェネラルの唇がオズワルドのそれと重なった。



余りの驚愕にオズワルドが目を見開くと、至近距離でジェネラルが瞼も下ろさず唇を重ねていた。
触れ合うだけのそれは短い間で離れたが、オズワルドの胸に驚愕と狼狽と疑問を多大に及ぼすことに成功した。
オズワルドにしては珍しいことに、驚愕を表情に表したまま離れていくジェネラルを見つめている。


「―――……好きと……私を見て、言って欲しい」


その視線を受け、ジェネラルは僅かに形の良い柳眉を顰め、青い瞳を苦しげに細めた。


「……それが出来ないなら……もう、触れないでくれ…」


紡がれる言葉はオズワルドの鼓膜を、心を、静かに、大きく揺らした。
耐え切れず、オズワルドは両腕をジェネラルへと回し、その身を強く掻き抱いた。

「―――ッ!?」

驚く気配が腕から伝わってきたが、衝動が強すぎて抑制が出来ない。
あらん限りの力でジェネラルを抱きしめ、整えられた金髪を乱すように指を差し入れ、
触れ合ったばかりの唇を何度も貪る。
角度を変えてキスを繰り返し、緩んだ口腔に舌を差し入れ、
逃げようとする腰を捕らえ、ひたすらに口付けに没頭する。
その猛攻に、ジェネラルは渾身の力を振り絞って痩躯を押しやった。

「オズワルド!私の話を…ッ」
「好きです」

聞いていたのか!と、いう怒声は、真摯な告白に奪われる。
吐息が濡れた唇をくすぐり、鼻先が付きそうな距離での囁きに心音が跳ね上がる。
カッと頬に朱を走らせたジェネラルに、切なげに目を細めてオズワルドはなおも続けた。


「誰より何より閣下を愛しています。身も心も、全て閣下に差し上げます」


押しやるためにオズワルドの胸に付いた掌が感じる鼓動の方が、ジェネラルのそれよりずっと早い。
その鼓動の早さが何よりの証拠に思えてしまったジェネラルに、オズワルドは祈るように瞳を伏せた。



「―――…私の片割れになって下さい」



全てを賭けて紡いだ恋心に、ジェネラルは微かに指を揺らした。
次いで、ゆっくりとその手を背へと回し、オズワルドの肩に額を乗せる。
身体がより密着して、互いの鼓動が近く、早い。
羞恥が脳を灼いたが、触れ合う熱は堪らなく心地よく、ジェネラルは掠れた小さな声を漏らした。



「―――……もう、今更だろう……」



羞恥を多分に含み、吐息のようにささやかな呟きは、それでも確かにオズワルドの耳に届いた。
オズワルドはこの上ない幸福を感じて、腕の中の身体を一層強く抱きしめ、
通じ合った想いを確かめるように唇を重ねたのだった。














【おまけ】


「――――と、言うのが、私と閣下の馴れ初めですね」
「聞いてない、と再三言ったにも関わらず話しきった厚顔さは恐れ入る。今一度言うぞ。誰が聞いた、そんな禍々しい話」
「おや、閣下が『皆さんの閣下』から『私の閣下』になった歴史に残る瞬間ですよ?気になるでしょう?」
「頗るどうでもいい」
「……その後の閣下は本当に可愛らしかったんですよ? いつも可愛らしいですが、あの時は年甲斐もなく夢中になってしまうくらいに、本当に可愛らしくて…」
「さて、帰るか…」
「ふふ、貴方ともあろう人がフォールドとは、らしくないですねぇ」
「………何だと……?」
「愛しい風の方との馴れ初め話、語るほどの物でもないのでしょう?」
「―――ふん。安い挑発だが…良かろう、乗ってやる」
「そうこなくては。さて、追加の酒精は何にしましょうか……」





多分、尖兵が一人寝してるときの飲み会の1コマ。
聞かれたらココデスカッ&カァンカァンカァンの餌食。




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