『 い く じ な し の 兄 さ ん へ 』
  

「夕凪お嬢様」  お手伝いの八重さんに呼び止められる。彼女の手には下げられたお膳、という事は。 「お兄様が呼んでらっしゃるのかしら」  自分が要件を言う前に私が察したためか、ほっとしたように告げる。 「ええ、例によって小説の着想のためにとかで離れに来るようにと……お嬢様もお忙しいでしょうに」  行信坊ちゃまにも困ったものだ、そんな言葉を言外に匂わせこちらに笑いかける。  もしかしたら私が後妻の連れ子だから兄さんが私の事をぞんざいに扱っている、そう思って同情 しているのかもしれない。そんな事ないのに。 「いえ、別に今日は差し迫った用事はないですから」  私は曖昧な笑みを返し離れへ向かった。 「お呼びでしょうか」 「ああ夕凪よく来た。筆が少し止まってしまっていてね」  穏やかな笑みで迎えてくれる。  二人で話すのは大概は私が学校でした事や家によく遊びに来る兄さんの文学仲間の事。 「八重に聞いたよ、近頃はよく男の人から文をもらうそうじゃないか」 「よく、ではないけど」  不意に言われ、頬が熱くなる。 「ふん、どうせ誤字だらけの気障な文なのだろうさ」  「兄さんならきっと、素敵な恋文を書いてくれるのでしょうね」 「……」  いけない、皮肉に聞こえてしまっただろうか。ただの本心だったのだけど。  少しの沈黙の後、兄さんが口を開く。 「あいつらね、女の事をよく知るには女を抱くのが一番だなんていいやがるんだ、君はまだなんだろと」 「……そんなこと言うんですか」  戸惑って見せたけど、今までも時々兄さんは、お友達とのそんな話題を口にすることがあった。  私が禁忌に思える物をあえて見せつけるように。自身はこれぐらいどうという事もないようだと主張する ように。 「僕が言い淀んでいるとね、何、金さえ払えばいくらでも場所も機会もあると続けるんだ、冗談じゃない」  兄さんの口調がいつもより声高で早口なように思えた。  こちらを向いて大げさなしぐさで両腕を広げる。 「どうせならば最良のものでありたいじゃないか、例えば」  私の両肩に手を置いた。 「え……?」   今まではどんなきわどい話でも話だけで終わっていたのに。  欠片も考えた事のなかった展開。 「夕凪、お前のような」  私はたやすく押し倒される。 「兄さんやめて、お願い」 「なんで? 僕が嫌いなの? そんなはずないよね」 「違う、だけど……」 「僕の仲間に太助っていう奴がいるだろう、あいつもとうとう女を知ったそうなんだ。だけど、 焦ってるってわけではなくて、そう、もう頃合いだと思っていたんだ、お前が熟すのに」  唐突な言葉あるいはわざとらしいほどの前置き。 「僕と夕凪は実の兄弟って訳じゃない、ただ幼い頃から一緒だったっていうだけだろ? ただ僕は知りたいんだ。お前を抱いた後、自分が何を感じるか何が変わるか。 僕の作品はきっと新しい視点を持てるんだ」  その差し迫った口調に私は行信兄さんの顔を、目を、見つめる。  今は確かに私の事を見つめているその瞳は本当はもっと遠くに視点を置いている。   私を抱いた記憶は散り散りになって、これから描かれる女たちの中に散りばめら れていく。  そんな事実に私は耐えられるのだろうか。  私の一瞬の思考の隙を突くように、ブラウスははだけられ、下着姿の上半身が兄 さんの目にさらされる……こんな時ですら私はこの人を兄さんと呼んでいるのか。  「思ったとおりの白い肌だ」  家族同然で私たちは暮らしていたから小さな頃は一緒にお風呂に入っていたりも したけれど、年頃になってからは兄さん……ううん、男の人には誰にも見せること のなかった場所を今凝視されている。 「何故だい? 見る間にお前の肌が桃色に染まっていく……」  自分自身でも感じる、体温の上昇。  体が熱いのは羞恥のためなのだろうか、それとも見られることに興奮しているのだ ろうか。まさかこれから起きるだろう事に期待している?  そんな自分の考えになおの事私の肌は上気する。 「綺麗だよ、夕凪」  胸元へされる口付け、きっと赤い烙印が押されているのだ。 「ん、あ! そんなの……」  熱く吸われる中に、軟体動物の動きを感じる……舌が私の肌を撫ぜる。 「白いものは汚したくなる」  上半身を上げ、まるで小説の登場人物のような口調で兄さんは呟く。 「え……」  両の手で私の首に触れる。 「この手で壊したくなる」  びくりと背を震わせる。兄さんにも伝わってしまっただろうか。 「違う……そうしたいのは自分のものにしたという証が欲しいからだ」  両手はそのままそろそろと肩に降り、私の下着の肩紐をずらしていく。  動けない。けれども動けないでいるのが恐怖からくるものでないのは確かだ。 「白い雪原に初めて足跡をつけるものはその瞬間だけその雪原を全て自分のものに する事が出来る」  兄さんになら、全てを奪われてもいい。 「逃げないのかい?」  無言のまま兄さんを見つめる。それできっとわかってくれる。 「……目を閉じないのかい?」     顔を近づけ、私の唇に自分の唇を重ねようとし、少し戸惑いの色を交えたまま問う。 「あなたが兄さんのままでいてくれるのなら」  首をわずかに傾げ不思議そうな顔をして、再び問う。 「このままの関係がいいという事?」  私の口の端から堪えきれない微笑がもれる。  私の言葉の意味なんて伝わる筈も無い、首を横に振って言う。 「違う、けどそれでもいいわ」  そこまで言って私は目を閉じる。  先程までの大胆さにうって変わり、今度はおずおずと唇が私の唇に触れた。  きっと男の人が持っている一番柔らかい所。  軽く噛んで感触を確かめてみたくなる衝動。けれど私はそれをしない。そんな事をすれば 兄さんは怯えて逃げてしまうだろうから。  荒い息が私にかかる。作品の為と言いながらも抑えきれない興奮があるのだろう。  私はそれに安堵する。  このまま私は処女を失う、それでいい。  あなたが兄さんでいてくれるのなら、物語の向こうの人になってしまいさえしなければ。  せめて兄さんは、この世界の人のままで私を貫いてくれたらいい。  それならば私はこの身体を喜んで捧げよう。  この身を裂かれ物語の中に散りばめられようと構わないから。

『他の作品』に戻る TOPに戻る