僕 の 中 の ア リ ス「くんくんはともかくとして、お雛様にふさわしいのはやはり、この翠星石ですぅ」 「雛もお雛様したいの!」 「くんくんがお内裏様とあっては、黙っていられないわね。私が一番似つかわしく思える のだけれど?」 階下から賑やかな声が聞こえる。いつもの事だ。 僕は教科書を開いて、数字と記号の行列を眺めやる。 言葉の意味を追いかけなければならない、社会科よりは幾分気が楽。今はそんな気分だ。 外を見る。今日もいい天気だ。窓も全開にしてある。 ヒューン。四角い物体が視界に入る。 ん、あれは。鳥だの飛行機だの言う突っ込みはあえて避ける…って、もう遅いか。 ともかく、すっかり見慣れた空飛ぶ鞄がこちらに急接近する。 お、今日はもしかして。 ストン。 何も破壊されることなく、静かに鞄が着地に成功する。 よかった。今日は何事もなくて。ささやかな幸せ…何でこんな事を喜ばなきゃならないんだ。 そんな心の葛藤を知るはずもない蒼星石が、澄ました顔で挨拶する。 「こんにちは、ジュン君。皆がいないみたいだけど」 僕は親指で階段の方を差して言う。 「下の部屋で『くんくんがお内裏様をやるとしたら誰が一番お雛様にふさわしいか』って テーマで議論してるらしい」 「そうか、丁度良かった」 「?…が」 「うん。男の君と少し話がしたいと思ってね」 「いいけど」 珍しい。もしかしたら、二人っきりで話すの自体、初めてかもな。 僕は座り方を変え、椅子を抱きかかえるような格好で、蒼星石の方を向く。 きちんと正座して居住まいを正し、生真面目に両手を揃えこちらをまっすぐ見ている。 「あのね、ジュン君」 「うん」 「君は愛のないsexについてどう思う?」 「ぶっ」 思わず素で吹いた。 「何か面白かった?急に吹き出して」 「ち、違…びっくりしたんだ!」 蒼星石が自分の胸の前でポンと手を叩いて言う。 「あ、あぁ、質問を間違えた」 どこをどう間違えたら、そんな質問が……。僕はどうにか聞く態勢を整えなおす。 「sexのない愛についてどう思うか、だった」 「ぶっ…って、同じようなもんだろっ!!」 「…全然違うよ」 その声に只の下ネタじゃない響きを感じ、僕は蒼星石の顔を見る。 真剣な目の彼女が続ける。 「例えば、君たちが当たり前に出来る行為のいくつかは僕らには構造上、不可能なものがある」 「むしろ人形がそこまで出来るのって凄いなって思うけど」 「ありがとう」 蒼星石が少しだけ表情を和らげる。けれど、続く言葉は相変わらず重い。 「僕らには感情のようなものも、人間のような思考もあって、でも、それらも所詮、真似事だっ たり、それらしき物でしかないんだ」 言いながら、蒼星石は自分自身を抱きしめる。存在の危うさを再確認するかのように。 「――時々、限界があるんじゃないかって考えてしまう。例えば恋愛…僕達は皆 お父様の娘で、 男の子はいない。だからね、異性に対する愛って実はわかってないように思うんだ。そして、結局 は人形だから、体ごと愛することも愛されることもない」 僕には何もいえない。 「アリスになれたら、本当に愛してもらえるのかな、全身で。僕もまた、愛することが出来る のかな――そうしたら…本当のアリスに…パラドクスだね、無限の」 なるべく、そっけなく聞こえるように、僕は言葉を吐き捨てる。 「卵が先か鶏が先か、みたいだ」 「ジュン君らしい言い方だね」 憎まれ口はかすかな笑みではぐらかされ、ごまかされる事なく蒼星石が尋ねる。 僕の方を向き、小首をかしげながら。 「ねぇジュン君。それで君はどう思う。さっきの質問」 どうやら、答えなければいけないみたいだ…恋愛とSEX、か。 ありふれた、陳腐といってもいい組み合わせ。だけど、同時に僕には凄く遠い言葉。 「両方あった方がいいような気はするけど…どっちにしたって、僕にはまだわからないよ」 「童貞だから?」 「うぐっ。いいんだよ!まだ中学生なんだから」 「『愛に年の差なんて』って言うよね」 「中途半端に知ってる成句を使うな!関係ないだろっ」 只の茶々入れに蒼星石は敏感に反応する。悲しげに両の拳を握り締め、俯いて呟く。 「…そうなんだ、僕ってば、頭でっかちで言葉ばっかりで、自分から動くことに不慣れで」 沈み込む蒼星石。僕は得意の悪態の一つもつけなくなる。 蒼星石なりの精一杯だったのかな、この唐突な質問は。彼女もまた、激しくアリスを求めて るんだ、自分なりのやり方で。 僕は蒼星石に何かをしてあげたくなって、椅子に腰掛けなおすと、うなだれている蒼星石に 声を掛ける。 「僕の膝の上に座ってみるか」 何故こんな事を言う気になったんだろう。多分、ほんの気まぐれ。きっと、それだけ。 「え…」 顔を上げ、きょとんとした顔を蒼星石が見せる。急に恥ずかしくなる、けど耐えて続ける。 「男の人が判らないって言うからさ、その…少しでも、足しになるかなって…いや、言って みただけだよ。ただ…」 言葉が尻つぼみになって、背中を向けようとする僕に、蒼星石が小さい声で言った。 「本当にいいの?」 僕は椅子に座ったまま、蒼星石のほうに手を伸ばした。 「ああ、構わないよ」 そのまま抱きかかえて横向きに座らせ、蒼星石から手を離す。僕は整った彼女の横顔を見る 形になる。 蒼星石は、まっすぐ本棚を見ている。背筋を伸ばして、緊張気味に自分の膝に両手を揃えて。 緊張がこっちにも移る…いや、僕は僕で緊張してるんだろう、きっと。 「ど、どうかな」 何がどうなんだか、心の中で呟きつつ、僕は言う。 「う、うん。僕、よく考えたら、あんまり、こんな風に誰かの膝の上に座ったこともなくて、あの、 でも、なんか、いいかも…」 ただ、時間が流れる。時計の音がやけに大きく聞こえる。そのくせ階下の喧騒は、はるか遠く に聞こえて。 あと、何かしてあげられること…こんな事言ったら怒るかな。でも、僕は言う。 「僕に抱きしめられてみる?」 「……」 答える代わりに、コテンと僕の体に身を預けてくる。 そっと抱きしめる。多分、恋人同士のそれよりも幾分優しい、慈しみの抱擁。 柔らかくて、髪の毛もさらさらとして、目を閉じたら人形であることなんか忘れそうで。 このまま、せめてもう少し、このひと時が続けばいいのに。そう思ったけれど。 トタタタタ、トタタ 「ちっ、仕方ねぇですぅ、くんくんのお内裏様は真紅に譲ってやるですぅ」 「当然ね」 「雛はねぇ、巴の隣りぃ」 「翠星石は蒼星石と座るです。ちび人間が寂しいって言うんだったら、一寸は座ってやっても いい――あら、蒼星石、来てたですか」 「う…ん」 翠星石たちの足音を聞いて、慌てて飛びのいた蒼星石は、僕から少し離れた所に正座している。 傍らにあった本を意味なく両手で抱え込んで、頬を少し赤らめて。 僕は自分の太腿の辺を見る。今も残る、蒼星石の控えめな重み、と、そこに。 どすん。 「あー、またXの本読んでるですか?」 翠星石が思いっきり勢いをつけて飛び乗ってくる。 「いて、いきなり飛び乗るな!」 そんな様子に呆れ顔で真紅が言う。 「翠星石、もう少し慎みを持たなくては」 「雛も、雛も、ジュンのとこ、行く」 雛苺は僕の周りをぴょんぴょん跳ねながら、心底楽しそうに笑う。 「フフフ」 皆を見て静かに微笑む蒼星石。 それぞれのアリスに皆がなれればいいのにな。甘すぎる願いだけど。 ローゼンが聞いたら笑うかもしれないけれど。 〜 Das Ende〜
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