ヴィオレット――オルタンシア冷たい雨の降る埋葬の日の朝。 そんな朝に似つかわしくない子供達の元気な声が家の中で響く。 「僕、こっちの紫の服の人形がいい」 「よかった、私は青い方が気に入ったもん」 戸棚にかたしておいたはずの人形を見つけたらしい。 「これ、あなた達、ヴィオレットとオルタンシアを返しなさい」 二人の子の母が軽くたしなめるように言う。 「へー、名前がついてたんだ……こっちが紫だから『ヴィオレット』?」 紫の服の少女の人形を男の子は母親に掲げて見せる。 「私のは紫陽花みたいな青だから『オルタンシア』なのね、素敵」 青い服を着た少女の人形を女の子はぎゅっと抱き締める。 「お人形、返しなさいって言ったでしょ?」 母は腰に手を当てた格好でけして厳しくなく、それでいて毅然とした態度を 保ったまま、二人に同じことをもう一度告げる。 仕方なしに子供達は人形を差し出す。母は微笑んで、机の上にそっと人形を置く。 「僕達のじゃなかったの?」 それでも男の子が未練がましく尋ねる。母が答える。 「違うわ。昨夜お姉ちゃん達が来たでしょ」 「うん、大きいお姉ちゃんと小さなお姉ちゃん」 「この子達は生まれて来れなかった、お姉ちゃんの赤ちゃんが寂しくならないよ うに、一緒に土の中に入れてあげるの」 「お姉ちゃんの赤ちゃん……?」 母は黙って頷く。 言葉の意味が完全にはわからないまでも、母の真剣な様子を見て取り、男の子は 口をつぐむ。 女の子はそれでも不満なのか、顎に手を当て、考え考え、母に向かって言う。 「でも…生まれて来れなかったのなら…何も知らないし、わからないんでしょ?寂 しいという事もわからないのじゃないかしら」 母は首を振って答える。 「知らないかもしれないけど、それでも覚えているの」 不思議そうな顔をする子供達の頭を両の手で撫ぜてやりながら言う。 「ずっと夢を見ていたのよ、お母さんのおなかの中で、この世界の」 「夢……」 「夢だから…全て正しいとは限らないし、はっきりしたものでもないでしょうけれど」 母は男の子の頬に手を当てて尋ねる。 「お前がまだ小さかった頃ね、よく夕焼けを見て泣いてたのよ、覚えてる」 男の子は黙って首を横に振る。 女の子が両手を上げて振りながら言う。 「私、覚えてる!私が『どうして泣いてるの?』って訊いても、ただ首をブンブン横に 振って泣きじゃくってたの」 「そうだったわね」 母が女の子の方を向き、頷く。 「それは夕焼けが夜に続く事を知っているから、死に行くものである事を生まれてすぐ でもすでに知っているから」 俯き、半ば独り言のように母は呟く。 「本当だったら、陽の光も月の光も変わらずに受けるはずだったの。でも、それはもう叶 わないから」 母が辛そうに一瞬、眉を寄せる。かつて生んであげられなかった自分の子達の事を思い 出したのかもしれない。 それでも彼女は再び、子供達に微笑みかけ、話を続ける。 「だから、青の娘と紫の娘は生きてから死ぬまでに出会えるはずだった色々な事を、寂し い子のために教えてあげるの」 人形達の事を思ってか、男の子が母の服の裾にすがりついて言う。 「でもさ、お人形さんたち、ずっと暗い中にいなきゃならないんだ」 母は人形の方を見やりながら言う。 「そう。この子達は生まれなかった子のお母さんの代わりに、土の中に入れないお母さん の悲しみを共にしてくれるの」 ポンと二人の頭を優しく叩くと、母は二体の人形を手にしながら言う。 「さ、この子達は窓際に飾ってあげましょう。土の中に入ってしまう前に世界をわずかでも 見せて上げましょうね」 顔をあげて、女の子が聞く。 「私達も行っていい?」 母は首を横に振る。 「あなた達は駄目」 男の子が聞く。 「雨が降ってるから?」 母は一瞬、首を横に振り掛け、思い直して頷く。 「……そう。だから、二人とも、お昼寝をしてなさい。眠りにつくまで子守唄を歌ってあ げるから」 二人はパアッと花が開いたような笑顔を見せる。 「それなら、僕、風車の歌を聞きたい」 「私には茶色の子犬を歌って」 母は思う。子供達は今、柔らかな春の中に生き、やがて、厳しいながらも生を謳歌する夏の 青年へと育っていくだろう。それからは愁いの秋、死を意識する静かな冬。 けれどその季節を知ることなく亡くなった命を直視するにはこの子達はまだ早いだろうから。 だから、母は笑顔を向けて言う。 「ふふ、気が早いこと、まずは朝ご飯でしょ、皿を並べるのを手伝ってね……」
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