『  妖   精  』

「またここに来てたのですか」  腰に手を当て、しょうがないなー、とでも言いたげな笑顔をネイジュが見せる。  もう、日が暮れかけているというのに、ロレーヌは葡萄畑にある自分の名がついた  葡萄の木の上にいた。 「早くお屋敷にお戻りになって下さい」  木の枝にしがみつく彼女に向かって言う。 「もう夜になりますし」 「……お父様がお迎えに来てくれたら帰る」  少女は頑なに背を向けたままで答える。 「お父上は今夜はお帰りが遅く……」  言いかけて、口をつぐむ。そんな事は言われるまでもないだろう。 「あぁ、やはりここに、お嬢様、ネイジュも!」  二人に気付いた、ネイジュの父、ポールが走り寄って来て言う。 「お嬢様、早く、お屋敷に戻らないといけませんよ、こんな夜に畑にいたら、妖精に さらわれますよ」 「妖精……ここに来るの?」 「そうですとも」  真面目な顔で大きく頷くポールにロレーヌは重ねて問う。 「何でここに?いたずらをしに?」  手を小さく振りながら答える。 「いやいや、とんでもない。害虫を追い払ってくれたり、泥棒を痛い目にあわせたり この畑を見守って、私達の手伝いをしてくれるのです」 「……凄いのね!どんな姿をしてるの、それで……」  話を聞きたくて、木から降りてきたロレーヌは話の続きを催促するように、指を組んで ポールの前に立つ。 「しかし」  コホンと咳払いを一つして、手を後ろに組み、話を続ける。 「その妖精が言う事を聞くのはこの畑の世話をするものだけなのです」 「え、それなら私を見つけたらどうなるの」 「他の者の事は、泥棒だと思うか……お嬢様のように可愛い娘なら妖精の国へ連れて行って しまうでしょう、たとえ、畑の持ち主であってもです」 「まあ」  ロレーヌが両手で口を押さえ、驚いた様子を見せた。  傍らでネイジュは真剣な表情で黙ってその話を聞いていた。   その夜。  月夜に照らされながら、人影が葡萄の木へと近づいていく。  木の下には何やら毛布の塊らしきものがある……いや、あれは、人?  人影がその毛布に向かって声を掛ける。 「もしかしてネイジュ?」  毛布…いや、ネイジュは振り返り、ギョッとした顔をする。 「お、お嬢様、なんだってまた……あー、パジャマのままで」  にっこり笑って少年の隣りに座りながら言う。 「きっとネイジュと一緒だと思うわ」  父がしたように、眉をしかめて腰に手を当て、たしなめるように言う。 「お嬢様、子供がこんな時間にこんな所にいたら、妖精にさらわれるって言われたでしょ」 「あら、あなただって……」 「僕は大丈夫です。今だって父さんを手伝ってるし。いずれは畑の守りを継ぐんですから。 だから、僕ともちゃんと契約してもらいたくて、今日は来たんです。でも、お嬢様は……」   言いかけるのを全然聞いていない様子で両手をポンと打ち合わせるとさも名案のように ロレーヌが言う。 「いい事を思いついたわ。私が今宵だけネイジュの奥さんになればいいのよ」 「それは、まずいですよ!」  反射的に言い返す。 「あら、私が妖精にさらわれてしまってもいいの?」 「それもまずいです!……けど、妖精はそれで納得してくれるでしょうか」 「平気よ。それなら夫婦らしい事をしましょう」 「らしい事って、どんな事ですか」  こころなしか頬を赤らめてネイジュが言う。 「そうね、まずは くっつくぐらいに並んで座るの」  ロレーヌはそう言うと、自分の肩がネイジュの胸元に当たるぐらいの距離に、身を寄せた。  彼女の髪先がネイジュの鼻をくすぐる。  その姿勢は丁度、ネイジュがたびたびロレーヌに一緒に遊ぼうとせがまれる時の格好と よく似ていた。 「いつもと変わらないような気がするけど」  彼は思わず独り言を漏らす。  気にするでなく、ロレーヌは続ける。 「それでね、むつみごとをかわすの」 「むつみごと?」  聞きなれない言葉にネイジュが問い返す。  両手を合わせて、少し考えるような仕草を見せながら、ロレーヌが答える。 「多分、お話する事だと思うの。んー、じゃあ、今朝お庭で咲いていたお花の事を話してあげる」  苦笑を漏らしながらネイジュが言う。 「やっぱりいつもと同じだ……」  普段、お日様の下にいるときとまるで変わらぬように、ロレーヌは身振りも交え、ネイジュに 今日あった事を夢中で話す。 「――それでね、よく見たら、つぼみが幾つもあったから、きっと明日も……フアッ……」 「ふあっ?」 「くしゅんっ!」  ロレーヌが両手で口元を覆うようにして思い切りくしゃみをする。  「あ、すみません、気がつかなくて」  慌てて、ネイジュが毛布を差し出す。  いつもの自分ならそれぐらいすぐに気を遣ってあげられるはずなのに、どうも勝手が違う、 そんな事を思いながら。 「大丈夫よこれぐらい。だって、ネイジュだって毛布の下はパジャマなんでしょ」 「でも、お嬢様はそんなペラペラのパジャマだし」 「『ペラペラ』じゃなくてこういうのは『ひらひら』って言うのよ」  ロレーヌが口をむーっとさせながら言い返す。それから、名案が浮かんだとばかり、にっこり 笑って言う。 「そうだ、一緒にくるまりましょ。そのほうが夫婦みたいだわ、きっと」 「え。それは」  彼の戸惑いに構わずにロレーヌはばさっとネイジュの頭に毛布を被せるとそのままぴとっと身 を寄せ、一緒に毛布にくるまり、嬉しそうに呟く。 「ふふ、ネイジュがさっきまでくるまってたから、とても暖かい」  その言葉を聞いて、ネイジュは自分の体温が急に上がったような気がした。  ネイジュは思う。いつもと同じ筈なのに、どこか違う。  二人を照らす月の光のせいだろうか。 「ねえ、妖精さんはいつ来るのかしら」  小さな声で囁くように彼女は尋ねる。  同じくらいの音量で答える。 「いつかはわからないけど、父さんは妖精は流れ星に乗って来るって言ってました」 「そう、早く会いたいわ……ネイジュと一緒に」  ロレーヌは星を見上げる。  ――いつもと違って感じるのは、星空の下、二人きりのせいだろうか。それとも……。  ぼんやりと考えにふけるネイジュの脇で、ロレーヌが声をあげる。  「あ、流れ星よ!」  言われてネイジュが見たのはしかし、ロレーヌの指の指し示す先ではなく、その横顔だった。 月光に照らされ、その緑の瞳は一層深みを見せる。   望んで湖の精に魅了され、引き込まれる漁師のように、彼はその瞳に引きつけられる。 「ネイジュ!今の流れ星、とても明るくて、尾も長かったわね!」  不意にネイジュのほうに向き直り、目を正に輝かせながらロレーヌが言う。 「そう、でしたね」  ネイジュが上の空なのに気付かぬほど興奮している様子を見せながら、 それでも残念そうに言う。 「でも、ここに落ちてはくれなかったわ。妖精さんはどこに行ってしまった のかしら」 「ここにいます」  ぽつりとネイジュが呟く。 「え……?」 「僕の隣りに」  ロレーヌは一生懸命辺りを見回す。 「どこ?……やっぱり、私には見えないの?」  もしかしたらからかわれたのかしら、そう思いながらネイジュの顔を見る。  しかし、彼の目は真剣で。ロレーヌが何か言おうとするのを遮って言う。 「……僕の目の前に、います」 「それって……」 「お嬢様がここにいてくれるだけで、きっと葡萄はより鮮やかに色づき、その味はより 深みを増してくれる、そんな気がします――て、あ、あの……」  自分の言った言葉で恥ずかしくなり、急にしどろもどろになる。 「す、すいません、ずうずうしい事を。ただ、本当に――」 「それなら私と契約しなくちゃ」  そう言って、気にしていないことを示すように、ロレーヌは首を傾げ、微笑んでみせる。 「契約、ですか」 「そうよ『どんな時でも共にある事を永久に誓う』って」 「まるで結婚の誓いみたいですね」 「同じ事よ」 「え!」  ネイジュが顔を真っ赤にさせるのを楽しそうに見ながら、ロレーヌは言う。 「だって私はいつまでもこの葡萄畑の主人だし、あなたもここを守ってくれるのでしょ?」 「え、えぇ、それは勿論」  ネイジュは思い切り首を縦に何度も振る。 「それなら……誓いの儀式を」  ロレーヌは右手の甲をネイジュのほうに差し出す。  戸惑いつつも彼はその手を取る。 「私は、ネイジュと共にあることをここに誓います」  ロレーヌの真っ直ぐな視線をしっかりと受け止めながら、ネイジュも言う。 「僕は……僕も、いつ、いかなる時でも……お嬢……ロレーヌの傍らにあることを誓います」   ネイジュはそっと彼女の手の甲に口づけをする。  それから、二人は顔を合わせ、緊張が解けたように、ほっと溜息をつき、微笑みあった。  この日からロレーヌの前ではネイジュの敬語は消え、二人の関係は少しずつ、より近しい ものへとなっていった。   *   *   *   *   *   *   *   *   *  「ロレーヌ、わかったね。来週までにはすっかり支度を終えておかないと」 「お父様!」 「話は終わりだ。もう寝なさい」 「……はい」  ロレーヌは部屋に戻り、そのまま身支度を整える。けして来週に控えた婚礼のためでなく。  そして誰にも気付かれぬよう、そっと屋敷を抜け出す。  裾をたくし上げ、ネイジュの元にロレーヌはひた走る。  あの日のことを思い出しながら。 「私が永久の約束を交わすのはあなただけ」   妖精は契約者の元へと急ぐ。誓いを裏切らぬために。

『Roman』に戻る TOPに戻る