『空の色、雲の形』

「ねえ、お姉ちゃん」  父の診療に付き添い、外のベンチで待つ間、エトワールは知らない少年に話し 掛けられた。プルーはどこかに遊びにいってるらしく気配がない。 「お姉ちゃんって大きくなってから目が見えなくなったって聞いたよ。見えなく なるってどんな感じなの」 「え、ええ、そうね」  少年の無遠慮な質問にさしものの彼女も戸惑いを見せていた。 「怖かったりしない?知らない人に初めて会う時とかさ。例えば僕とかだって……」 「ちょっと待って」  エトワールがそう言いながら右手を少し上げ、左手の人差し指をおでこにあて、 考える仕草をする。 「んー、年は7歳ぐらいで、お友達を作るのが上手で、お家のこともよく 手伝ってあげられる……大きいイチョウの木の隣りのお家に引っ越してきたパン 屋の息子さん、じゃない?あなた」  違う?そんな風に問い掛けるようにエトワールが首を傾げる。   少年はあんぐりと口を開け、答える。 「当たり……本当は見えてるの?それともお姉さん、本当は――」 「魔女なんかじゃないわよ」  笑みを見せ、答える。  「声の感じで年はだいたいわかるし、まだこの村に来て間もないみたいのに 草の香りをさせて…友達と遊んでたんだなって。私にもためらわないで 話し掛けてきてくれたしね」  くんくんと自分の体の匂いを確かめるようにしながら、少年は尋ねる。 「パンの香りも一緒にしてたの?」  ええ、そうねと頷きながら彼女は付け加える。 「ほのかにではあったけど、それでも香りが残るぐらいに一生懸命手伝ってるん だなって……そうそう、さっき通りかかった大人の人にも『毎度あり』ってきち んと挨拶してたでしょ、だから。それで引っ越してったパン屋さんの所に越して 来たのかしらって思ったの」  相変わらず笑顔で説明するエトワールに少年は少し拗ねたようにベンチに腰掛 けたまま、足元の草を両足で蹴る。 「僕はさ、きっと見えなくなるよって言われたら怖くなる。だって月がない夜 だって怖いのにさ、それがずっと続くんでしょ」  「でも、私は見てきたから」 「え?」 「怖くないわ、こうなってしまう前に色々なものを見ることが出来たから」  お父さんとプルーのおかげで。心の中で呟きながら。 「こんな涼やかな風が吹く、こんな暖かな陽が注ぐ日の空の青さだって覚えてるよ 雲が浮かんでるとしたら、きっと真っ白でふわふわしてるの」  エトワールがすっと立ち上がり深呼吸する。 「でも、今の雲の形まではわからないけど」  ほんの一瞬、彼女の表情が寂しげなものになる。少年が何かにせかされるように 立ち上がり、雲を指差しながら言う。 「僕が教えてあげるよ! あのね、おっきくて犬みたいな雲がひとつとその隣りで 小さな丸っこい雲があってね、それから」 「ほらね」  エトワールの言葉に疑問顔の少年に向かって続けて言う。   「目が見えなくたって、君の優しさも暖かさも知ることができるわ」  そうして腰をかがめて少年の頬に触れ、エトワールはにっこりと笑った。

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