『 恭ちゃんはぁっ!』  

 結婚式。新婚旅行。実家に戻って、お土産配り。で、やっと新居に舞い戻って。  今日から、恭ちゃんとの新婚生活が始まる、香月明乃として。  上手に家事とかできるかなとか、二人っきりの夜ってどんな気分なんだろ とか、色々な期待や不安で胸が一杯になる。  ピンポ―――ン  ドアチャイムの音。恭ちゃんはまだお仕事のはずだから…。 『こんにちは!お兄ちゃんの忘れ物、持って来ました』 「やっぱり、ちはやちゃんだ。今、鍵開けるね」  ドアを開ける。 「お邪魔しまーす」 「お邪魔します、よさそうなマンションね」  …って、え? 「め、恵!どうしてここに!」  ゆったりとした笑みを口元に浮かべ、恵が言う。目は笑ってないけど。 「あら、お友達のご新居を拝見しに来ただけど。おかしいかしら?」 「え、え、ううん、一寸驚いただけだから」  何かを察知したのか、ちはやちゃんが割り込んでくる。 「あの…さっき、入り口で会って、これ、お土産のケーキだそうです。お茶入れて きますね」  言うだけ言うと、さっと台所にちはやちゃんは引っ込んでしまった。 「と、とりあえず座って、恭ちゃんはお仕事で遅いと思うけど」 私の向かいのシングルソファに座りながら、恵が言う。 「あら残念、せっかく今日は明乃にも立会ってもらって契約しようかと思ってたのに」 「契約って?」 「『愛人契約』」 「あい…って、ちょっとぉ!!」  フッと何故か余裕にも見える笑みを浮かべ、恵が言う。 「やっぱり、新しいマンションときたら、何てね。ま、冗談よ、冗談」  恵の澄ました顔に、おとなげ無いとわかっていながら、私は言う。 「…恭ちゃんはあたしのって言ったよね…」 「確かに聞いたわ、だから、苗字が一緒になったんでしょ」 「うん」 「あ、あのお茶が入りました」  気まずいながらも、私達の話が気になるらしい、ちはやちゃんがお茶とケーキを 運んできて、私の隣に腰掛ける。 「週末の夜も、そして朝も明乃が独り占めできる」 「うん」 「恭介との子作りも、大手を振って行える」 「…う、うん」  流石に顔が赤くなる。ふと横を見ると、ちはやちゃんは何故か顔を曇らせている。 「そのうち、おなかが大きくなってご近所さんに『あら、出産はいつですの』なんて 聞かれて、にこやかに『ええ、3月中旬です』とか答えて、やらしいったらないわね」 「う、うー」  私は更に動揺する。隣のちはやちゃんの顔は青ざめる。 「ところで。妊娠中、恭介は性欲処理をどうするのかしら。恭介が自分で、なんて かわいそうよね」  そ、それは、やっぱり…。 「今、じゃあ『お口で』って思ったでしょう」 「え!お口でもそんな事しちゃうんですか!!」 「ちょ、ちょっと、ちはやちゃん」  私は図星を指されたのと、ちはやちゃんに大声で言われたのが、二重に恥ずかしく、 耳まで赤くし、うろたえる。 「それでいつも済むと思ったら、甘いわね。『いや、俺はお前の中に入れたい、出したい』 という日がきっとあるわ…心当たりあるんじゃない?」  ――う、否定しきれない自分がいる。 「妊婦、ましてや初産。激しい運動は控えたほうがいい、ましてやアレなんて、ねぇ」 「それはそうだけど……」  言葉に詰まる私を眺めつつ、恵は紅茶を一口。 「そうでなくても、ふと、伴侶以外の人を抱きたくなる事が男にはあるものよ。 その時は、どうするのかしら…やっぱり、風俗?」 「え、やだ」  反射的に答える私。ふふんと、恵が笑う。 「そうよね、どこの誰とも知れない女を抱く恭介なんて想像したくないわよね」 「う、うん…」  畳み込むように恵が言う。 「たまには私が恭介の相手をしたほうがいいんじゃない?」 「う…ん、じゃなくて!一寸待って、どっかで騙してるでしょ!」  危うく恵のペースに巻き込まれるところだった。  私の必死の反撃を、恵は軽やかにさばく。 「あら、まさか病気が心配?仕方ないわね、ちゃんと検査受けるから――どのみち 恭介以外とする気はないけど」  ピンポ――ン  私が返す言葉もなく、口を開けたまま固まっていると、ドアチャイムの音が再び響いた。  なんとなく、安堵のため息をつきつつ、玄関へ向かう。 「どちら様でしょうか」 『おぉ、拙者、綾之部珠美と申す者……』  ドアフォン越しにゴチッという鈍い音と誰かが怒っている声が聞こえる。  大体誰かはわかるけど。 『ごめんね、妹が相変わらずで、可憐です』  やっぱり、この二人。 「はい、はい、今開けるね」  二人が顔を覗かせる。 「お邪魔します、これ、私と珠美から」  玄関口で二人からプレゼント包装の箱を受け取る。 「はい、これ新居祝い、約束してたルームライト」 「わぁ、ありがとう……って」  可憐の足元を見ると、ただ遊びに来るには大きすぎるくらいの、布のバッグ。  私の視線に気づいた可憐が答える。 「あぁ、このバッグ。うん、嫁ぎ先のところから直接来たから。珠美とは途中で待ち合わ せてね」  珠美ちゃんがすかさず補足説明をしてくれる。 「姉ちゃん、嫁ぎ先、また飛び出してきての、先週一度したばかりじゃというのに」  部屋に入りながら、余計なほどに、にこやかな笑顔を見せて可憐が話す。  「だって、またあの人ったら、キャバクラの女の子の名刺を隠しこんでてね、つい、かっと なって、ま、付き合いで仕方なかったみたいだけど」  ソファに座った珠美ちゃんが、手を頭の後ろに組んで、呆れ顔で言う。 「姉ちゃん『つい、かっと』な割には、今も反省はしてないようじゃがの」  可憐は人差し指を立てて、振りながら、珠美に向かって言う。 「当たり前でしょ。隠そうとする態度が気に入らないのよ」  はじめこそ、悲壮な覚悟での結婚だった可憐だけれど、今はすっかり、お気楽主婦の座に 収まっている。なんだかんだと可憐が我侭を言っても、笑って許してくれるような、おおらか な人らしい。可憐のやり方を見習う気は、まぁ、ないけれど……。  可憐と珠美ちゃんとの会話が続く。 「これで、飛び出したのは七回目になるのかのう。日帰り入れると、もっと、かもしれんが」 「んー、八回かな。一回、実家に戻らなかったことあるし」 「それは初耳じゃ、ホテルとか泊まったのかの?」  可憐は首を横に振りながら答える。 「違う、恭介のところ。去年の6月に」  え、一寸待って。私は可憐のほうを向き、問う。 「な、何で恭ちゃんのところに?」  さりげなく、長い髪を耳に掛けながら、可憐が答える。 「えーと、その時は一週間前に一度、飛び出したばかりだったから、実家には戻れないし、明 乃のところも、恵のところもお家の方にご迷惑かけるかなって思ったのよ」  詰問調で、ちはやちゃんが可憐に言う。 「あの、私、その話知らないんですけど!」 「丁度ちはやちゃん、お友達のところでお泊り会してたから」  可憐は笑顔すら見せて答える。 「ま、まさか、そこまで計算に入れて!」  ちはやちゃんの驚愕の声。 「さぁどうだったかしら」  あさっての方向を向いて可憐はとぼけて見せる。  私も我慢できずに言う。 「…私、その頃、恭ちゃんにデートのドタキャンされたことあるんだけど。断り方が妙に歯 切れが悪かった覚えがあるんだけど」 「そうだったの?私もあの時は相当沈んでたから…」 「『てたから』何?」 「やぁ、もう、気にしないで。昔の話よ、む・か・し・の」  私の背後からボソッとした独り言が聞こえる。  「こっちは現在進行形だったりして…」 「…恵…何か言った?」  近所のおばさんがするように、手首のスナップで、手をパタパタさせつつ、恵が言う。 「やぁねぇ、空耳か被害妄想よ」  そんなはずない!心の中で私は叫ぶ。  こちらの暗雲が立ち込めつつある空気に、まるで気づかないといった調子で、可憐が私に 言う。 「で、ね。新婚家庭に申し訳ないんだけど、しばらくの間、ここに居候させてくれない?」 …え?……ええぇ!! 「流石に、明乃もさっきの話を聞いた後じゃ、可憐を泊めづらいんじゃない?」  恵が言う。こ、これは助け舟なのかな。恵が続けて言う。 「私も一緒に泊まろうかしら」 …ちょ、ちょっ、待って。 「なんか面白そうじゃのう、私も参加しようかの」 明らかに現状を楽しんでる珠美ちゃん。 「それだったら私だって」  何か決意を固めたような表情でちはやちゃんが宣言する。 「ちはやちゃんまで!?」  私は思わず叫ぶ。  頬に手を当て、恵がわざとらしく思案顔で言う。 「じゃあ、客間三人と、寝室三人という割り当てになるかしら」  そんな馬鹿な! 「お兄ちゃんは、寝室でしょ」 「なら、公平にあみだくじで決めるとしようかの」  バッグから珠美ちゃんがメモ帳を取り出し、手早く線を引き出す。 「じゃ、わたしはここ」 「私はここにお願いね」 「明乃ぉ、参加しなかったら、自動的に客間になるわよ」  待って、それおかしいでしょ?    ね、ねぇ、恭ちゃんはあたしのもの、なんだよねぇ!?

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