『うさぎとカメ ―zenzai ver.』 

「なんでこんなことするんだよ!」  怒りにまかせてはたき落したプレゼントの箱は教室の隅にまで飛んでいった。 「……」  黙ってあゆきが箱を拾って、はずむに渡し、あたしの方を見る。  受け取りなさい、あゆきの目が、あたしの事をそう非難しているようで。 「……っ」  何も言わずに、はずむから受け取る。イラついた表情は隠さずに。 カツカツ……。並子先生の足音が聞こえ、ドアが開く。 「先生、まだ風邪が治りきってないみたいなので、早退します」  そう言ってあたしは先生と入れ違いに教室を出る。  嘘だけど、先生は信じてくれたかもしれない。  それぐらいあたしの顔は今、蒼ざめていると思う。  どっちにしたって、こんな気持ちではずむと同じ教室になんかいられない。 「とまりちゃん!」  背後にあたしを呼ぶはずむの声。 「あらぁ、はずむ君と明日太君は日直よ、HRの挨拶……」 「は、はい……」  並子先生がはずむを止め、仕方なしにはずむは席についたみたいだ。  あたしは立ち止まったりせずに、そのまま昇降口へと歩いていく。  足音があたしの方に近づいてくる。 「とまりさん!」  声があたしを呼び止める。誰かはわかってる。やす菜だ。振り返って言う。 「風邪、治りきってなかったみたいだから、早退」 「そう」  やす菜があたしが持ってる端っこが潰れてしまったプレゼントの箱に視線を置く。  軽く持ち上げてみせながら、尋ねる。 「やす菜も、もらったんだろ、はずむからのプレゼント」 「ええ、素敵なカチューシャ」  笑顔すら浮かべてやす菜が言う。あたしは箱を振り回しながら、反射的に言い返す。 「嬉しいのかよっ!これは……形見の品ってことだろ」  自分が発した言葉に吐き気を催し、あたしは口を押さえ、前屈みになる。 「嬉しくなんかないわよ」  即答するやす菜に、あたしは思わず顔をあげる。 「はずむ君がそんなつもりで贈ってくれた物なんて」  変わらぬ笑顔のまま、言葉を続ける。 「でもね、私は絶対このまま終わらせないから」 「やす菜……」  「このまま思い出になんかさせない、だから私は喜ぶの、はずむ君からのプレゼントを」  首を傾げ、あたしに笑いかけるようにして、やす菜が言う。 「だから、とまりさんも……」  教室へ戻りましょう、多分、そんなつもりでやす菜はあたしに手を差し伸べてくれた。  でも。 「あたしは…あたしは、そんな風に笑えない!」  やす菜の声も手も振り切るようにして、あたしは学校を飛び出した。  まっすぐ家に帰る気にもなれなくて、公園のアスレチック滑り台の上、膝の上にプレ ゼントの箱を乗せて座る。 「今日はずむと何か話したっけ」  一人呟く。その後あたしは口の端に苦い笑みを浮かべ言う。 「『なんでこんなことするんだよ』だけか」  何してるんだろ、あたしは。はずむとの大事な時間を……。  重い溜息を一つついてから、あたしはプレゼントの包みを開ける。高そうな陸上 シューズと、中央にある……小さなガラスのうさぎ。 「ば…か……」  あたしは包みごとぎゅっと膝を抱え、俯く。   あの雨の日、泣き明かし、引いてしまった風邪の名残が、急激にあたしを襲う。俯いた 途端、瞼が重い。  意識が遠のく。あ、まずいな……ここで寝たら、また…か、ぜ……。 ――夢の中にいる。子供の頃の夢。  あの頃の……はずむがあたしをうさぎさんみたいに足が速いと無邪気に尊敬してくれ ていた頃の…。   いつもの広場に行くと、男子達の囃したてる声が聞こえる。 「はずむまたビリかよ」  「もう、やめろよ、ずーっと、はずむがオニじゃつまんねーもん」 「しょうがねーな、カメはずむ」 「カーメ。カーメ」  はずむは男子達の輪の真ん中で、手の甲で涙を拭きながら肩を上下させ泣いている。  あたしはたまらずに大声を出す。 「お前ら、またはずむをいじめてんのか!!」  皆が慌てて口々にあたしの悪口を言いながら逃げていく。 「やべえ、とまりだ」 「カメいじめたら、うさぎが出てきた」 「妖怪うさぎババアだ、追いつかれたら食われるぞ」 「逃げろ逃げろ」  散り散りに逃げていく男子達の背に向かってあたしは言う。 「ばーか。あたしが本気で走ったら、お前らなんか軽く捕まえてるよ」  はずむの方を振り返る。 「大丈夫かはずむ」  あたしの声にはずむが顔をあげて言う。  「僕、『カメ』だって」  何故か嬉しそうに。 「悔しくないのかよ」 「でも、とまりちゃんがうさぎさんだと思ったらちょっと嬉しかった」  そう言って おっとりとした人のよさそうな笑みを浮かべる。  その笑みを見て、あたしは苦笑しながら言う。 「『うさぎとカメ』じゃ競走しなくちゃいけないんだぞ」 「うん、でもね、大丈夫」  変に自信ありげにはずむが言う。 「何でだよ。言っとくけど、あたしは居眠りなんかしないぞ」  もう一度あたしににっこり笑いかけて、はずむが言う。 「大丈夫。とまりちゃんは一人でどんどん行ったりしないもん。僕の事を いつだって待ってくれる……そうでしょ?」  幼子が母に向けるような無防備な笑顔で。 「あぁ、そうだな」  そんな顔を見せられたあたしは、それぐらいしか言えなかった。  ある日、遊びなれた山で、うっかりあたしは足を怪我してしまった。  心配そうにはずむが覗き込む。 「とまりちゃん、大丈夫?」 「うん、でも、歩けそうにないな、はずむ、誰か呼んでこいよ、あたしはここにいる」  はずむが首を横に振る。 「だめ、カメさんは本当はうさぎさんと仲良しなんだよ、一人はダメだよ」 「でも、しょうがないだろ、歩けないんだから。早く呼んで……」  はずむは言う事を聞かずに、横に回りこみ、あたしを抱きかかえようとする。 「だから、うさぎさんを置いてっちゃいけないんだ」  べちゃ、非力なはずむは一瞬とも抱っこすることなくこける。 「お前、横向きに抱くのは無理だって、前やってみたろ」  強引にあたしのことを自分の背に乗せながら言う。 「それなら、おんぶ…ん、しょ……ん…あっ!」  よろよろと2、3歩進んで、べちゃっとこける。 「も、もう一度……わっ!」  よせばいいのに、何度も繰り返す。   やがて、地面の冷たいのが気持ち悪いのか、自分の不甲斐なさからか、はずむの目から ぽろぽろと涙がこぼれる。 「…はずむ…もういいよ……ここで待ってるから……」  そう言うあたしも泣いている。はずむを泣かせているのが悲しくて。  はずむはあたしの言葉にキッとなって振り返り言う。 「だめ。ぜーったい、置いてかないの、いっしょでなくっちゃ……だめなのっ!」  涙や泥でぐちゃぐちゃなはずむの顔。きっとあたしも同じようなものだ。  何度やってみても、全然前には進めない。  すっかり疲れ果てて、おんぶする事も出来なくなって。  それから二人はどうしたのだろう、よく覚えていない。多分、大人の人があたし達を見つ けてくれたんだろう。  それでも。  二人して泣きじゃくりながらも、はずむはあたしの手をしっかり握っていてくれていた。  その手の暖かさ。それだけは覚えている。  ゆっくり目を開ける……そっか、あたし、やっぱり寝ちゃって…。  不意に肩に暖かさと重みを感じる。まさか。横を向く。そこにはすっかり気を許した寝顔 を見せる…はずむ。  また、あたしの側にいてくれたんだ、あの日と変わらずに。  その寝顔にあたしは投げかけてやりたい言葉が浮かぶ。  あたし達が離れる事がなかったのは、本当ははずむが待っててくれてたからだよ。  あの時の事を覚えていてくれるんだったら、こんなふうにうさぎをあたしに贈るなよ。 『僕は絶対、うさぎさんを置いてかない』なんて……嘘つき。  はずむがあたしの動いた気配に目を覚ます。  二人の目が合うと、はずむがすまなそうに言う。 「ごめん……僕、また何かしちゃったかな…」  あたしの気持ちに気付きもしないで……。 「でも…僕、とまりちゃんとケンカしたままでいたくない」  それって……心残りを作りたくないから?――はずむの…ばか。 「とまりちゃん?」  吐き出したい言葉、言える訳なんかないから、あたしはただ、はずむの胸にしがみつく。 「はずむ……はずむぅっ」  まるで伝えられない言葉の代わりの様に涙が溢れる。 「とまりちゃん?……とまり…ちゃん…とまりちゃんっ!」  初めは戸惑っていたはずむが、やがてあたしの事をしっかり抱きとめて、泣く。 『いかないで どこにも』 『はずむがいない世界であたしはあたしのままでいられないから』  心の中だけで叫ぶ。  あたしの言葉に頷いてもらいたいわけじゃない。 『僕は死にたくなんかない。僕は生きていたい、愛する人と』  はずむ自身がそう思ってくれるのでなければ意味がないから。  あたしのためでなくっていい。  はずむが見つめる先が誰であってもいいから。  ただこの世界にいてほしい。  二人は抱き締め合って、思い切り泣いた。  泣きすぎて、涙は頬といわず、顔中を濡らし、舌先にも触れる。    緑豊かな公園の土の香りのせいだろうか、あの日と同じ涙の味がした。

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