きっと誰も知らない

「やあ、とまりちゃん、今日もお見舞いかい、ありがとう」  病室にははずむのお母さんとお父さんが二人ともいた。  今日のはずむは薄紫のロングスカート姿。 「ほら、今日の服も似合ってるだろ、ちゃんと写真も撮ったよ」  お父さんがカメラを見せる。 「はずむが起きたら写真見せて驚かせてやるんだ」  そうしてはずむの方に向き直って、呟くように言う。 「今度はウエディングドレスにしてみようかな」  誰の答えも待たないで首を横に振りながら、続ける。 「いや、やっぱり、ドレスは結婚式の時に見たいかな、僕は泣いちゃうだろうけど」  いつまでも見飽きない、話し足りない様子のお父さんにつとめて明るい声ではずむのお母さんが言う。 「あんた、そろそろお仕事に出かける時間やで」  壁の時計を見て声をあげる。 「あ、本当だ。じゃ、とまりちゃん、ごゆっくり」  一人で色々話していたお父さんがいなくなると病室はいきなり静まり返る。  お母さんがはずむの方を向いたままぽつりと言う。 「とまりちゃん、はずむの事好きやったんやろ」    「……はい」  あたしの返事でホッとしたような表情でこちらを向く。 「せやろ、二人で結婚の約束してたもんな、あ、はずむから聞いたんやないで。あんたら 二人がおままごとの時、おしゃべりしてるの一寸聞いたりしてな」  あたしに笑顔を見せる。少し困ったような、でも確かに自分に向けている笑顔ははずむに よく似ている。  もうどれだけはずむ自身の笑顔を見ていないんだろう。 「でもな、もう忘れてくれてええんやで」 「え……」  ぼんやりと聞いていた中に言葉が飛び込む。一瞬、頭が言葉の意味を理解するのを拒む。 「大丈夫やから。とまりちゃんは気にせーへんでも、はずむもきっともういいよって言う と思うし」  あたしはその言葉に何て答えればいいのだろう。 『違うんです、はずむがここにいるためには、あたしは忘れてはいけないんです』  言えるはずもなく、あたしはただ黙ってなんとか笑みを返しながら首を横に振ってみせる。  それにその言葉が答えにならない事だってわかっている。  どっちにしたって、あたしははずむを忘れる事なんてできない。  しばらくして、あたしは病室を出る。  何となくまだ病院から出たくなくてあたしは自販機でリンゴジュースを買い、一口飲む。  溜息を一つ小さくつく。  何時しか季節は秋から冬の始まりへ、確実に時は流れてる。  はずむは眠ったままなのに。  何であたしは後もう少し足が速くなかったのだろう。  もう少し早く走り出さなかったのだろう。  悔やんでも仕方が無いのに。  おとといも生物教室で宇宙先生と話していた。 『宇宙先生、はずむはいつか目覚めるんですか?』 『現在の地球の科学力を考えるとどちらとも断定はできない。あえて言うのならば元少年 次第、と言えるかもしれない』  あたしは顔をあげた。先生の表情から答えが見えるわけも無いけど。 『じゃあ、じゃあ……あたしの運命因子は後どれだけ……?』 『本当に、知りたいのかね』  先生は尋ねる。  無感情な顔、声のままで。それなのに何故あたしの耳に優しく届くのだろう。 『……いいえ』  あたしは俯いて、先生の視線を避け、そのまま背を向けて教室を後にしていた。  飲み終えた缶をゴミ箱に捨てる。 「とまりさん」  声を掛けられ振り向く。 「ああ、やす菜もお見舞いか」 「ええ。ほら、これ作ってみたの」  小さな花かごに入ったアレンジメントを掲げて微笑んでみせる。 「可愛いな、はずむがいかにも好きそうだ」 「でしょ?」 「見せたいな、はずむに」  つい呟く。デリカシーのない言葉だ。  「ごめん、やす菜。あたし……」 「はずむ君、相変わらずなんだ」  ぽつりと呟く。 「うん」 「きっと辛いよね。両思いのはずなのに見つめるだけって」 「……それは」  やす菜があたしと顔をまともに合わせたかと思うと、心底すまなそうに眉毛を歪 めながら言う。 「ごめんね、とまりさん、それでも私はあなたが羨ましい」  ちがう。  咄嗟にあたしは思うけど、だからってやす菜にそれは言えない。  きっと言ってはいけない。 「それじゃとまりさん」 「うん、また明日」  病室に向かうやす菜に手を振る。  やす菜が角を曲がり、姿が見えなくなる。  と、同時にあたしの身体から力が抜ける。 「違う、やす菜」  呟きながら壁にもたれかかる。  自分の思い通りに動くつま先を見るともなしに見る。 「あたしも嬉しいんだ」  目を閉じる。  はずむの笑顔は今だって思い出せる。  どうしようもないほどに、はっきりと。 「朝目覚めて、まだ、はずむがあたしのことを思ってくれてるってわかって、それで 嬉しくなって……ひどいよな」    そんな思いだけで、いくらでも待つ事ができそうな自分が、あたしは嫌いで。  そんなあたしの事も全部好きだと思ってくれる、はずむが好きで。  だからあたしは、ううん、そうでなかったとしても。  きっと明日も病室へと足を向けるのだろう。

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