誓   詞  

 ピンポーン。  玄関のチャイムが鳴る。あゆきがドアを開ける。 「いらっしゃい、あがって」  そこにはとまりがいた。 「あ、ごめん、いきなり電話してさ」 「ううん、かまわないわ」  とまりを部屋に通しながら、あゆきが答える。  部屋を見回してとまりが尋ねる。 「宇宙先生は?」 「自室で資料を整理してるわ……用事って?」 「そうそう……今ごろになって何だけどさ……こないだフィルム現像して」  バッグから小さなアルバムを取り出す。 「お泊り会の写真だよ」 「あら、懐かしい」 「何だかんだで、あゆき上手い事逃げるからさ、あんまり写ってなくって。てか、他の 皆がデジカメで撮ってた奴、何気に自分の写ってた分、消去してただろ」 「気のせいじゃない?」  そっぽを向いてしれっと答えるあゆきに。 「気のせいじゃない!」  むきになって返す、高校の頃からの習い。  わずかなやり取りにすっかりノリを取り戻し、二人はおしゃべりする。  昔の事、今の事、大学の単位の事、テレビの話、たわいない話……。  とまりがふと壁の時計に目をやる。 「……と、もうこんな時間か。今日夕飯の当番の日だし、もう帰らなきゃ」  あゆきも振り返って時間を確かめる。 「あら本当。今日は何にするの?」  わずかにテレの残った笑顔でとまりは言う。 「はずむの好きなロールキャベツ」 「いいわね」  玄関口でとまりが靴を履きながら言う。 「じゃ、またな」  「とまり」 「ん?」  振り返るとまりに『今、幸せ?』そんな単純な言葉を口にするのを何故かあゆきはためらい、 あいまいな笑みを見せながら、別の言葉を選ぶ。 「また、遊びに来てね」 「ああ、今度ははずむも連れて来るよ」  とまりは無邪気ににこっと笑いながら言った。  玄関の鍵を内側からかけながら言う。 「さあ。私も夕飯、何か作らなきゃ」  あゆきには珍しい独り言。 「忙しくて、食事は手抜きがちだったし」  くるりと部屋の側を向き直る。  見慣れた風景。理系の授業とこの部屋での研究に忙殺される日々。  知識は吸収できているという手応えはある、それでも。  私はちゃんと立てているのかしら。  そう思った瞬間急に周囲が真っ白になる。  足元が、まるで落とし穴の中急降下しているみたいに。  この感覚は……まずい、倒れる。  そう思ったあゆきが次に感じたのは浮遊感だった。  視界は変わらず白のまま、仕方なしにあゆきは目を閉じる。     それから10分? 30分? それともほんのわずかな時間だろうか、背に当たる柔らかい 感触にうっすらと目を開ける。 「目を覚ましたかね。丁度良かった」  宇宙仁の背中をあゆきは見つめる。広いけれどどこか寂しい背中、そんな事を思う。  彼がこちらを振り向く。 「着替えは自分でしたいだろうと推測し、着衣はそのままだが」 「はい、あの……ありがとうございます」  あゆきの方に歩み寄る。 「気にすることはない、成る程、同居と言うのはこういうメリットもあるのだな」 「そうですね」 「どれ……」  ベッドに横たわるあゆきに宇宙仁が顔を近づける。 「え……」  あゆきが戸惑いの顔を見せているのに構わずに、宇宙仁は更に距離を縮め、そして。  ピタ。おでことおでこが触れ合う。 「ふむ、平熱よりは幾分高め程度か」 「な……!」  熱のせいで多少、頬を赤くさせていたあゆきが顔全体を灼熱させる。  その様子に顎に手を当て、首を傾げながら宇宙仁が尋ねる。 「ん、地球人の割と一般的な熱の計測方法を真似てみたのだが、どこか間違っていたかね」  うろたえた様子に映らないよう、努めて視線を伏せて答える。 「いえ、ただ、これは心の距離が近いもの同士がするとされていて……」 「『心の距離』。君には珍しく抽象的な言葉だ。それに君が体調を崩す事自体珍しい」 「ここ最近忙しかったので、疲れていたみたいです。テストもレポートも終わっている からちょうどよかった」  彼女の説明を聞いた後、宇宙仁がぽつりと言う。 「来栖とまりが訪れて、帰ってから急激に悪化したようだが」  まるで先程の彼の言葉が彼女に対する引っ掛けであったかのように。   彼が今本当に知りたい事、恐らくは彼女が体調を崩した理由をそれでも彼女は答えない。 「バイタル的な数値を計測されたのですか」 「……そうだ」 「それが全てなのではないでしょうか」   あゆきの言葉に彼は無言で立ち上がり部屋のドアへと向かう。  それからあゆきに背を向けたまま言う。 「写真を渡されたのが何かのきっかけとなったのかね」  あえてだろうかたまたまだろうか、彼女に答えを考えさせる時間を与えるように彼は 部屋を出る。  ぼんやりと閉じられた戸を眺めていると、再び戸が開く。  手には水の入ったコップと見慣れない薬のビン。  ベッドの脇のダッシュボードの上――いつもは眼鏡を置く場所にそれらは置かれる。   とまりが持ってきた写真は写真はリビングに置きっぱなしだったかしら。あゆきは思う。 「思い出は君にとって不要のものなのかね?」  写真を先生は見たのだろうか、カメラに目線を合わせたものなど一枚も無かった。 「自分のための、という意味でしたら。そうですね」  「思い出と時の流れと他者への思いと……」  彼はいつものように顎に手を当て思索するポーズをとると、彼女に背を向け、ぶつぶつ 呟く。  不意に振り返ると唐突に彼女に問う。 「例えばの話だが。君自身の運命因子を伝えられるといったら君は知りたいと思うかね」 「いえ」  彼の問いの意味を吟味する余裕も無く、つい彼女は即答する。 「地球人にとって、あらかじめ運命を知るのは不本意だからかね」 「それもあります……」 「それも?」  何故今日に限って先生は言葉の隙を鋭く突いてくるのだろう。  それとも私がいつものように返せないほど弱っているだけなのだろうか。  あゆきはフウッと一つ溜息をつき、あたかも発熱の苦しさのためのように瞳を閉じると、 呟くように言った。 「どの道、百年は生きられませんから」  確かに彼女の目は閉じられている。脳裏に誰かの姿が浮かぶ事すら避けるように固く。 「薬を持ってきた」  彼女の動揺をフォローするようにか事実無関心なのか、彼は別の話題を持ち込む。  先ほど彼女の枕元に置いたビン。確かに中には何かカプセルに入った薬らしきものが 入っている。 「何のクスリですか?」  眼鏡のブリッジを押し上げながら彼は答える。  「我が星で開発された、ナノマシーンだ、侵入した病原菌を分析し、様々な抗体を作り出 す事ができる。半年に一度ほどメンテナンスが必要だが」 「これぐらい、自分で治します」  あゆきは少しだけ、唇の端だけで笑顔を作って見せる。 「抗体は自身で作り出していかないと。ずっと薬を飲み続けられるわけではありませんし」 「君は百年は生きられないと言った、だが」  又違う話題、あゆきは戸惑う。今日の先生は話が飛びすぎている……いや、自分の頭の回 転が幾分遅すぎるのだろうか。  宇宙仁は続ける。 「共に生きるという選択肢もある……君がこれからも今の状況を望むなら。肉体も頭脳も 変わらずにあることが、私ならできる」 「良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に……」  あゆきはそらんじる。常に暗記してるわけではない。丁度最近、宇宙仁に頼まれ、結婚と いう形態の起源と歴史について調べた所だった。 「結婚の誓いの言葉かね」 「ええ。あの二人にこそ似合うと思いませんか……わたしには……」  言葉の語尾が震え、あゆきは我慢できずに両手で顔を覆う。目尻を涙が伝う。  まるでその涙に何の感慨もないというような読み取れない表情のまま、あゆきの傍らに立 ち、宇宙仁が尋ねる。 「君は自分の人生は短いものかと思うかね」 「よく、わかりません。少なくとも今は、だから……」  今の自分の涙の意味と同じように、答えを持ちながらもそれを言葉に出す資格が 自分にはないような気がして、あゆきは嘘をつく。 「しかし、考える時間はまだある」  宇宙仁は右手の指先で彼女の瞼に触れながら呟く。 「だから、今はゆっくりと眠るといい」

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