『レポート:追加分』  

「他人の唇の感触というものはどのように表現するべきなのだろう」  あえてレトロな趣味の入力端末を操りながら、宇宙仁は母星に報告するレポートを まとめていた。 「実際にどなたかにしてみたら実感できると思いますが」  傍らでこちらは大学に提出するレポートをPCに打ち込むあゆきが返答する。 「フィールドワークかね。私は自分の感覚ではなく、この星の感情のある住人達のも のを知りたいのだが。君はどのように思う?」 「さぁ、私にはわからないことです」 「そうかね」  学生達でにぎわう居酒屋に明日太は入る。きょろきょろと見回し、はずむの姿を見 つけ、そちらに手を振る。 「ういーっす、あれ、今日はとまりと一緒じゃねーの」 「うん、風邪ひいちゃったみたい。『あたしの事は構うな』って言われて。やす菜 ちゃんは、もうそろそろ来るみたいだけど」 「あゆきはレポートの詰めが忙しくってバツか、総合生命化学って何やってんのかね」 「ねぇ」  明日太は上着を脱ぎ、ハンガーにかけつつ慣れた調子で、店員にビールを注文する。  ふと思いついたようにはずむが言う。  「とまりちゃんに、お土産買って行ってあげないと。何がいいと思う?」 「とまりの好みなんか、はずむが一番知ってるだろうが」  明日太はつっけんどんに言い、ほえる。 「こんちきしょうめ。いいなぁ親公認の同棲生活!」  照れたように頬を人差し指で掻きながら、はずむが言う。 「まあ、同棲より先に明日太はまず大学受からなきゃね、年下の彼女さんと一緒にさ」 「う、まあな……同棲といえば、あゆき。まさか宇宙先生となぁ…あっちもあゆきの 親父さんが宇宙先生の只者じゃない雰囲気が気に入ったとかで、すんなり許されて」 「うん、あゆきちゃん本人は素っ気無く『シェアしてるだけよ』って言ってたけどね」 「引越しの手伝いって言うか、荷物の設置の手伝いしたけどよ、部屋の1/3は実験 室だったよ。しかもさ、あの二人、部屋でも白衣着てるんだぜ。まさに博士と助手な …あ、どうも」  明日太は店員からジョッキを受け取り、ぐいっと一口飲むと、はずむの方をジョッ キで示しながら言う。 「まだはずむの家にいた時の方が同棲っぽかったんじゃないか、同じ部屋だったって 言うし」 「そんな事ないよ。家では宇宙人スーツ着てたし…どっちかって言うと、ドラ…いや 何でもない」 「あー、『ラブやん』みたいなもんか」 「……なんで、ためらいなく言うかな」      *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 「ふむ、感情の発露のきっかけ……周囲からの学習、非常に強烈な経験…」  レポートを綴る宇宙仁にあゆきが話し掛ける。 「ご自身についての感情の発露についての報告はされないんですか?」 「私には感情は無い、少なくとも君達地球人に胸をはって言えるほどの物は」  「感情が無いなんて嘘です。だって、はずむ君を助けてくれたでしょ?」 「あれは宇宙法に則っただけの事だ」 「それなら…2度目は?その法すらも無視して…実刑も意識して…」  宇宙仁はそれには答えず、あゆきに言う。 「君が自分自身よりも優先しかねない存在、大佛はずむの生命を永らえさせたという 事に恩義を感じているというのは理解している。ただ、そのために私を過大評価する 必要は無い」 「そんなつもりでは、ありません」  宇宙仁は視線をあゆきからモニターに移し、入力端末で文字を打ち込みながら言う。 「いい機会だから私の今後についての提案を伝えておこう。大佛はずむへの恩義がこ こで君が助手をしているという理由であるならば、充分すぎるほど君には働いても らった……ここの仕事をやめ、もう自由にしても構わない――」  はずむは3週間ぶりに実家の門をくぐる。 「お母さん、ただいま」 「おかえり、はずむ。今日はご飯食べてかへんの?」 「んー、ちょっと冬服取りに来ただけだし、とまりちゃんが今日夕飯作ってくれる日 だからさ。それに明日から試験だし……試験終わったら、またゆっくり来るよ」 「とまりちゃんとは仲良うしてる?たまには家に連れてきいな、お父さんも会いた がってたで」 「お父さんがいると、すぐ撮影会になるからなぁ…撮影って言えば、ジャン・プウ ちゃんはちゃんとお父さんのカメラのアシスタント務まってるの?」 「うん。あの子よく動いてくれるらしいで、それに試しにカメラ持たせてもな、なん や面白い視点持ってる言うて、お父さん誉めてたわ」 「そっか」  自分の事のようにはずむは微笑む。  その笑顔につられ、はずむの母もまた笑みを見せながら言う。 「そや、おかずタッパーにつめるし、少しやけど持っていき」  キッチンの戸棚を開ける母にはずむが言う。  「お母さん、とまりちゃんとの事、その…祝福してくれてありがとう」  はずむの方に振り返って、答える。 「自分とこの自慢の子が胸張って選んだ子や、祝福して当り前、そやろ?」   続けて言う。  「お母さん達幸せ者やわ、可愛い娘達に囲まれて。はずむととまりちゃんと……」 「それにジャン・プウちゃん」   その言葉に母は満面の笑みで頷いた。      *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  幾つもの実験器具を操り、何か調べているらしい宇宙仁の背にあゆきが話し掛ける。 「両親にお見合いを勧められました。学生の内にというのも大分早いと思ったのですけど」 「恋愛関係を作るのを前提として両者が出会うもの、だったかな定義は。ご両親は真剣に 君が恋愛のある関係を持てるよう支援しているということになるか……」  背を向けたまま宇宙仁が言う。  真面目くさった表情のまま、あゆきが答える。 「いえ、両親は一度ぐらいは経験しとけば、などと実に気楽に。お見合いといっても少し きどったレストラン……あの駅前の『モンテカルロ』で昼食を、という程度のものですが」 「そうか」 「私もあなたに初めて、実際的な経験を報告できるかもしれませんね」 「そう、だな」 「明後日がお見合いの日なので、支度のために今日から実家に戻ります。何かあったら携 帯に連絡して下さい」 「了解した」  結局、あゆきが部屋を出るまで宇宙仁が実験器具から目を離すことは無かった。      *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  お見合い当日。あゆきはカバンから携帯を取り出し、電源を切る。 「電源は落としておかなければ、マナー違反だしね」  何か言い訳でもしているかのように呟きながら。  レストランに現れたのはあゆきより5歳ほど年上で世慣れた感じの男だった。顔はまぁ ハンサムといっていい方かも知れない。仕事は某研究所勤務でちょっとしたOB訪問の気分 を、あゆきは味わっていた。  あゆきの父親と相手方の叔母が立ち会う中、お見合いはつつがなく進行した。 「あゆ、と、名前で呼んでもいいかな?あゆきさんとは気が合いそうだ」 「そう…ですか。光栄です」 「これからもお付き合いできたら嬉しいな……」  キイッ。レストランのドアが開く音が聞こえ、あゆきは何となくそちらを見る。 「……!」  息の止まるような思い。  あゆきの目に飛び込んできたのは白衣を無造作に引っ掛け、ポケットに両手を突っ込み、 まるきりいつもの調子で佇む宇宙仁の姿だった。  あゆきが呆然としているのに構わず、つかつかとあゆきのテーブルに近づき言う。 「君に質問をするのを忘れていた」 「はい?」 「この男性と恋愛をはぐくむことは出来そうかね」  男が立ち上がり、非難するように宇宙仁に言う。 「な、誰だ、君は…そんなの勿論――」 「いえ、残念ながら出来そうにありません」  あゆきが男の言葉を遮るように容赦ない返答をする。 「えぇっ……」  情けない声を男があげる。 「それなら、私への調査報告は出来ないのではないかね?」 「そうなりますね」 「では現在の調査、実験は中止してもらいたい」 「あなたががそう言うのなら」 「……」  宇宙仁は無言で踵を返すとそのままレストランを後にした。  ガチャ。  住み慣れた部屋のドアを再びあゆきは開ける。  昼の服装のまま、部屋の壁にもたれかかるようにして、宇宙仁が床に座っているのが 見える。  いつもの習慣であゆきも上着を脱ぎ、白衣を着るとペタンと宇宙仁の隣に座って言う。 「今日は報告書を書かれないんですか」  宇宙仁は正面の夕焼けを眺めたまま答える。 「いつものように他者の観察記録だけならばもう書き始めているところだが、今日は自 身について大分書かなくてはならない。色々なバイアスを外すのが大変そうだ」  宇宙仁が眼鏡のフレームの位置を中指で整えながら、それでも正面を向いたままで、 あゆきに問う。 「君の家族は今日の件について何か言っていたかね」  あゆきも宇宙仁同様、夕焼けに視線を置いたまま答える。 「父が妙に上機嫌で『今度奴が家に遊びに来たら一発ぶん殴ってやる』と言ってました」 「今日は日常とは大きく異なる事象が多かった。実にレポートの書きがいがある、が」 「が?」  「困った事に報告しようにも……何故それをしたのか説明できない…運命因子の時と同 じだな」 「例え瞬時のものであったとしても、それもまた感情なのだと思います」 「ふむ、つくづく研究のしがいがあるようだな」  宇宙仁がどのような顔で返答しているのか見たくて、あゆきは軽く身をよじる。と、 指先が彼の指先に触れる。 「あ……」 「ん……?」  宇宙仁もまた触れた指先が気になったのか、あゆきの方を見る。二人の視線が合わさる。   あゆきは目を細め、柔らかな笑顔で問う。 「宇宙先生、唇の感触……知りたくはないですか?」 「――何故だか今は興味深いな」 「それなら――」  あゆきはそう言って、瞳を閉じ、宇宙仁は『他者の唇の感触について』のフィールド ワーク第一回目を行った。

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