『一方、並子さんは』  

 月並子、彼氏いない歴36年イコール実年齢。  夕飯時と言えば、一人テレビを見ながらコンビニ弁当が常であるが、今日はいつもと違っ て客人がいた……と言っても、当然のごとく女であったが。 「じゃあ、乾杯」  客人がビールの缶をかかげる。 「再会の乾杯はもうしたでしょ、今度は何によぉ」 「並子の失恋に」 「うがぐっ」  昔のサザエさんのような声を並子があげる。  客人がその様子を見て満足げに笑う。 「ちょっと特子ォ。その話どこから……」 「家に前来てたあゆきちゃんに取られたらしいじゃない、翔乃がはずむちゃんにメールで 教えてくれたってよ。まったく、せっかく私が譲ってあげたのに」 「あれのどこが、譲る態度よ」  観音特子が頬に手を当て、しなをつくりながら言う。 「あら、私が本気になったらね、たいていの男はイチコロよ」 「いまどきイチコロって、やばいぐらい古いわよ、特子」  呆れ顔で突っ込む並子を横目で睨みつつ、言い返す。 「同い年なんだからこだわらない方が身のためよ」 「そ、そうね」  強引に話題を変えるように並子が言う。 「…翔乃ちゃんと言えば、どう受験勉強は上手くいってる?」 「あの子は黙っててもやるタイプだし、大丈夫じゃない?……そうそう」  何かを思い出したように手をポンと打ち鳴らし、特子が言う。 「言おうと思ってたんだけどね、大学受かったら、並子、翔乃の事ここに住まわせてくれ ない?」  カンッ。ビールの缶をテーブルに力強く置きつつ、並子がシンプルに突っ込む。 「なんでよ」 「翔乃は家事だったら何でもできるわよ、料理も得意だし…前に食べたでしょ」  顔を近づけ誘惑する特子に、並子が身を仰け反らせる。 「う、うぅ、凄い魅力的だけど、でも駄目、私もお年頃。男の人が泊まりに来るかもしれな いし……」 「大丈夫、もしまかり間違って、何かの拍子にうっかりそんな千載一遇のチャンスが並子に 回ってきたら、ちゃんと上手い事するように翔乃には言っておくから」 「……何でそんなにありえないシチュエーションである事前提な訳?」  手をパタパタと並子に向け扇ぐようにしながら、特子が言う。 「まあまあ、そんな細かい事気にしないで飲んで飲んで」 「そんな事で誤魔化せると思って……」 ………… 「大体なんで大学の下見に来たって、翔乃ちゃんがいなくて特子だけが来るのよン」 「大分酔ってきたわね、始めに言ったのに……だからぁ、翔乃は風邪を引いてるから、 この時期に余計に体調を崩したらいけないから、置いてきたのっ」  酔っ払いの目で睨みつつ、缶ビールを持った手で指差しながら並子が言う。 「特子が若さのエネルギーを吸い取ってるんじゃないのォ?」 「やめなさいよ、そのゲイバーのママっぽいトーク」 「うっ、言ったわねぇ」 「並子こそ、若い生徒に向かって『若さをちょうだぁ〜い』とか『愛を分けてェ〜ン』と か言ってるんじゃないでしょうね」  特子から目を逸らし、自分の人差し指同士を突っつき合わせながら並子が言う。 「そ、それと似たような事は言ってるかもしれないけど……一字一句、同じことを言って るのじゃないわよン……」 「やっぱり……あんたは恋愛が絡むと突飛な行動に走るからね」 「否定はしないけれど、特子に言われると釈然としないわン」  フゥッとひとつ溜息をついてから特子が言う。  「大体ね…覚えてる?わたしのファーストキスの相手は並子、あんたなんだからね」  ガタン。ローテーブルに手をついて並子が腰を上げる。 「え゛……そんな覚えないわよ、まさか特子あたしの寝ている隙を狙って……」  並子も負けずに身を乗り出す。 「違うっ!あんたからしたのよっ!文化祭の打ち上げの時に、並子も大分お酒飲んでて、 私が出来立ての彼氏を自慢したら『先越されるなんて悔しい!あたしがファーストキス 奪ってやるぅ』って」 「嘘でしょ?」  眉をしかめ、特子が首を横に振る。 「……て事はあたしのファーストキスも」  ショックを受ける並子をよそに、ほのかに頬すら赤らめ、唇に手をそっと触れ、何か を思い出すようにそらを見ながら特子が呟く。 「ま、次の日にあの人に泣きついたら『可哀想に』って、口直しのキスをしてもらった からいいんだけどね」 「ちょっと、何それ!?」   並子が叫ぶ。 「私からつきあいましょうって言ったはいいけど、向こうは今ひとつ煮え切らない態度 だったから、ちょうどいいタイミングだったわ……そのまま二人は着実に親密度を深め ていったって訳」 「何、じゃあ、もしかしてワタシ、キューピッドってことなのォ?」 「ふふん、それだけは並子に感謝してもいいかもね」  じり、じり。身を特子の方に寄せながら並子が真顔で言う。 「……まさか、特子…翔乃ちゃんの若さだけじゃなく、あたしの恋愛運まで吸い取った んじゃないでしょうねェ」  逆に身を離しながら特子がいう。 「どこからそんな発想を」 「返してっ!あたしの恋愛運!」  言うや早いや、並子が特子に襲い掛かる。 「やめっ……!…この、酔っ払い!」  二人とも学生の頃はさして体力差は無かった筈なのだが、謀らずとも山登り、崖落ち、 たび重なる死のダイブと、実践的に体を鍛える機会が多かった並子がじわじわと特子を 押さえ込んでいく。 「ワタシの男運……か・え・し・てェ…」 「やめ!…や…め……」 ………  翌日。 「あの…昨日は…色々と……しちゃったのかしらン…」  並子が後ろめたげに特子に声をかける。 「……どこまで覚えてるの?」 「えーと、そこはかとなく……まずい事を…」 「……私、今は口直しする相手いないんだけど」 「ごめんなさい」  並子が小さくなって謝る。  わかってるわね?といった視線を送りながら特子が言う。 「翔乃のことだけど」 「……はい」  ただ、並子は頷いていた。    *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  チャラララー。はずむの携帯のメール着信音が鳴る。 「あ、翔乃ちゃんからだ」  傍らにいたとまりが尋ねる。 「へぇ、珍しいな、何て?」 「翔乃ちゃん、こっちの大学受かったら、並子先生の所に下宿するって」 「悪い影響受けなきゃいいけどな」  苦笑しながらとまりが言う。 「にぎやかになりそうだね」  はずむが無邪気に笑って言った。

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