変わらない事  

 学校から帰ってきて、一応、机の上に宿題のノートを広げてみる。  「……わかんね」  溜息一つついて、ついでに頬杖もついて窓の外を見る。  夕焼けに秋の雲、この間まで夏だったはずなのに。季節が変わっていく……変わって いってしまう。   なぁ、はずむ、俺達、親友同士だったよな。今もさ……そうだよな?  ゲーセン行ったりさ、アイドルのグラビアとか写真集見て、あーだこーだ 言ったり、一緒に笑ったりとかしてたよな。  「今、そんな事したら、セクハラだもんな」  自分の独り言に笑えばいいんだか、嘆いたらいいんだか。  なぁ、はずむ、お前は今だってお前のままだって信じてる。  でも、それはどうやって確かめたらいいんだろう。 「何、たそがれてんだ、俺は。秋だからいけねーのか」   らしくない自分を誤魔化すように、シャーペンを手にすると、くるくると鉛筆回しを してみる。 「秋深しか……『秋深し』えーと、後なんだっけ……まぁ、いいか、どうでも」  ピンポーン  ドアベルの音。  集金か、セールスか。親も出かけてるってのに。のろのろと一階に下りると玄関に 向かい、ドアホンを取る。 「はい」 「『あ、僕です、はずむです』」  今まではずむの事を考えていたのと不意の訪問に俺の心臓の鼓動が早くなる。  どうにか冷静に努めて答える。 「……おう、今あける」  ドアを開けると部屋着なのか、あまり飾り気のない長袖ワンピース姿のはずむがいた。 「どうしたよ」 「うん、これ」  バッグからDVDを取り出して言う。 「春に借りてたでしょ、明日太が『凄い感動した』って言ってたアネハヅルの」 「あ、あの特番のか……見たか?すごかったろ」  人差し指で顔を掻いて、困ったような笑顔を見せながら、答える。 「んー、見ようと思ったらさ、家のプレーヤー壊れててさ……とりあえず、返しとく」   はずむの言葉が少し詰まる。 「返すのなんか、いつでもよかったのに」  自然に俺は言えただろうか。 「うん、でもさ、やっぱり返しとくよ」 「そうか、じゃあ」  手を伸ばして、受け取る。 「えと……また、ね」 「あ、あぁ」 「じゃ……」  右手を上げながら踵を返すその背に、反射的に声をかける。 「はずむ!」 「えっ?」  普通にはずむは振り返る。でも、何かに救われたいと思っているような、すがる瞳 に俺は出会う。 「家で見てけよ、今日は親父もお袋も帰り遅いから、リビングのテレビ空いてるし」  普段なら多少の下心付きで、後ろめたさが付きまとう台詞を、今日の俺は素直に言う。  はずむの姿が頼りなくて、ほっとけなくて。  「……いいの?」  はずむが手を後ろに組んで、俺の顔色を窺うかのように小さな声で尋ねる。  俺は呆れたように片眉をあげて見せながら言う。 「遠慮か、それは?俺は全然構わないよ」  リビングの明かりをつけて、冷蔵庫からジュースを取り出す。  DVDをセッティングするとソファに並んで座る。気持ち二人の間に距離を置いて。  当り前だ、男同士の時だってそんなにピッタリくっついて座ったりなんかしなかった。  ましてや今は男と女なんだ……恋人でも何でもない。  淡々としたナレーションにひたすら事実を流す映像、それはアネハヅルの過酷な旅路 の、生き様の記録だ。  山越えのシーズンが近づくと、彼らはふもとにと集合する。その時を待つために。  画面に映し出されるアネハヅルの姿は小さく、実際羽根を伸ばして4,50cmぐらいの大 きさしかない。そんな奴がヒマラヤを越える。地上4000mの上空を越えていく。  世界で8番目の高さを誇るマナスルを。 「……」  目の前のジュースを飲むぐらいで俺はただ、テレビに集中する。  時折、横ではずむが『うわっ』『あ……』と小さく声を上げる。   いよいよ渡りのタイミングを探して待機していた彼らのマナスル越えの時が来る。  ツルたちが あるものたちは数羽で、大きな群れは数十羽、あるいは数百羽と各々グ ループをつくり、飛び立っていく。  小さな身体に目一杯の風を受け、上昇気流に乗っていく。  人だったらそれ相応の装備を背負わなきゃ越えられないような成層圏に届く高さまで 昇り、越えていく。  「……嘘みてえだよな、何でこんな道選んだんだか」  はずむがいるから一応、口に出して言ってはみるけど、別に返事は期待しちゃいない、 まあ、独り言みたいなもんだ。  「……」  案の定、返事は無い。 『――古代の本能がそうさせるのだろう』  独り言の答えのようにナレーターは淡々と説明する。  続く説明を聞きながらも、それでも、俺にはアネハヅル達は自分でその道を選んでる ように思えた。幾つもの可能性の中から、より自分らしくあるために。  はずむに俺達が求めているのはこのマナスル越えのようなものかもしれない。  辛い事なんかわかりきってるけど。それでも俺は……俺達はお前に越えてほしいんだ。 「なあ、はず……」  俺は何か話し掛けたくなって、横を向き、息を呑む。  涙を伝わらせる横顔。それに驚いたわけじゃなくて。  はずむは優しい目をしていた、ただ、静かに見守るものの目を。  この道のりを、山を、自分が越えていく事なんか考えちゃいない、当り前だけど  いや。それとも。はずむは越えていくつもりなのかもしれない。  俺達を残し、ただの一羽で、上昇気流にのり、俺達が窺い知る事の出来ない、高みへと。  俺は無意識のうちにはずむの肩を掴む。その存在を確かめるように  びっくりしたように振り向いたはずむの顔は幾すじもの涙の跡を見せる。  涙を拭うのも忘れて、画面に見入っていたから。   俺は目の前のティッシュの箱を手にとり、はずむに渡す。 「ほれ」   俺は何でもない風を装いながら、テレビの画面に視線を戻す。  はずむが言う。  「ごめんね、驚かせちゃったかな」  動揺を見せないように、俺は必要以上に素っ気無く言う。 「ばーか、はずむが泣き虫なのは昔っからだろ」 「そうだっけ?あー、でも、前は『男が泣くなよ』とか言ってからかわれてたような気が するけど」 「からかうって……人聞きが悪いな」  俺は指で自分の鼻の頭を人差し指で掻きながら言う。 「ま、女の子に目の前で泣かれるとなると、そりゃ一寸は優しくなるかもしんねーけどよ」 「人前で泣いちゃってもいいし、甘い物だって思いっきり食べられるし、ガーデニング だって。ねぇ、明日太、僕、女の子の生き方の方が合ってるのかな」  ティッシュの箱を机に置きながら、冗談めかしてはずむが言う。  それから俺のほうをを向いて、笑ってみせる。  どこか虚ろな笑顔で、本人が気付いてるわけじゃないのが逆に辛い。 「……本当の女の子になっちゃおうかな」  「それ以上どうやってなるんだよ」  はずむが首を傾げ俺を上目遣いに見ながら囁くようにして言う。 「明日太に女の子にしてもらう、とかさ」 「どういう意味だよ」  どこかはかなく艶めいた視線に動揺して、つい、問い返す。おいおい、はずむに何を 言わせる気だよ、俺は。 「男の人と女の人がする、エッチな事……」  そう言ってはずむは俺の太腿に手を置き、俺のほうに身を寄せてくる。  反射的に逃げ腰になった俺は体をわずかに斜めに傾かせ、両手をソファについた格好 になる。   はずむはそのまま自分の身体を俺に預けてくる。 「……しようか、明日太」  大胆な言葉。そのくせ、はずむの身体は小さく震えてる。  自分の両手を俺の腰に巻きつける、ぎゅっと。  まるで手を離したら、そのまま永久の別れにでもなってしまうかのように、必死で。  頭を俺の胸に押し当てる。   俺を誘うようなシャンプーの香り。はずむによく似合う花の香り。  その髪を指で優しく梳いてやりたくなる。 「早まるなよ」  はずむに言ってるんだか、自分に言い聞かせてるんだか、それすら怪しい。  はずむがしがみついたまま言う。 「……明日太、寿命とか運命とかってどう思う?」 「へ?そんなの……わかんねーよ」  俺は間抜けな返事しかできない。  はずむが続けて言う。 「僕ね……本当はね……」  まさか打ち明けようっていうのか、自分の運命因子の事を。 「僕は……後ね……」  駄目だ、はずむ、俺になんか告白したら。  自分の気持ちの捌け口なんかにしちゃ……逃げ道なんかにしちゃ……。 「……駄目だ」  俺はやっと、それだけを口にする。 「明日太を誘惑するには魅力が足りなかったかな……」  顔を俯かせたままの冗談半分なはずむの言い方、残りの半分はわからないけど。 「……いや」  俺の本気の言葉。 「僕達が……親友だから?」  はずむは俺から離れることもなく、静かな口調で俺に問う。悲しみも、絶望も、怒 りも、そこからは感じ取れない。  「あ、ああ、そうだ」  俺は頷く。何故そんな空々しい理由にすがり付いているんだろう。  はずむの事をそんなふうには見られない――たとえ、バレバレの嘘でも――そう 言って拒絶してしまえないんだろう。  俺の切なる望みは、はずむが生き続けてくれる事で。  それと、今、はずむを抱いてしまう事に何か矛盾があるのか?  今、俺がはずむを完全な女にしてしまえば、運命因子を共にする役割は俺になるの かもしれない。  二人のうちのどちらの気持ちが薄れてしまっても、そこで二人の生命の灯火は消える。  まさに一蓮托生の運命。  それが怖い……訳じゃない。ただ、はずむの気持ちがわかりすぎて。  ぐっ。  俺ははずむの両肩を掴んでゆっくりと押し戻す。  ゆっくりなのは俺にある幾分の名残惜しさ。否定はしない。  二人の距離がいつもぐらいの、机を挟んで向かい合わせぐらいになるぐらいの距離 まで離れる。  肩を掴んだまま、はずむの目を見つめる。どれぐらい振りだろう、こんなに真っ直ぐ にはずむの顔を見たのは。  「はは、やっぱり僕なんかじゃ気持ち悪い?」  馬鹿、笑いながら言うなよ。『そんな事ない』って言っちまいそうになるじゃねーか。  それから、お前の事を抱き締めて、親友って領域をたやすく越えて……できねーよ、 俺には。   だから、俺は言ってやる代わりの言葉を。 「逃げんなよ、はずむ」 「えっ」 「いくら、女の子の仕草が板についたって、女の格好が平気になって、女の中にいる お前に誰も違和感持たなくなって、男と付き合いだしても誰も不思議に思わなくなった としても、それでも……それでも、お前が本当に想うのはとまりか神泉なんだろ」  はずむの顔から笑顔が消えて、俺はそれに安堵の息をつく。はずむは俯いて言う。 「……ごめん」  わかっている。はずむは逃げを選ぶためだけに、こんな事をしようとしてた訳じゃない。  自分を慕う二人の女の子が、自分がいなくなった後の悲しみを未練を、少しでも小さ なものにするために。彼女達の中の自分への思いが少しでも小さくなるように。  男の俺になら、自分のそんな気持ちがわかるだろうと思って……。  だからって。『わかるよ』なんて言える訳がない。   「俺に甘えてくれるってのは……まあ、光栄だけどな」  俺が口にできるぎりぎりの本心。  俯いたままではずむが言う。 「明日太にはわかっちゃったか」 「だてに親友やってねえよ」  運命因子の事を知らなかったら、どうだったかはわかんねーけどな。 「明日太」 「なんだ?」 「生まれ変わっても親友でいようね」  はずむの言葉は残酷で、そのくせ響きは優しい。  俺が何も知らないと思って。  なら、俺だって意地悪を言ってやる。 「それは保証できねえな」  慌てた様子ではずむが顔を上げる。 「えー、僕とじゃもう嫌なの」 「いや、そうじゃなくてさ……」  何度も思い浮かべた妄想。はずむが初めから女の子で、多分、その笑顔に俺は一 目惚れして、『ガーデニングが趣味なんだ、女の子らしいね。力仕事ぐらいなら、 手伝えるかな』なんて俺も笑って見せて、それで……。 「そうじゃなくて…何?」  俺の沈黙が不安になったのかはずむが俺の顔を下から覗き込む。  俺は目線を上向きに逸らしながら、はぐらかしてみせる。 「今は内緒だ……いつか教えてやる」 「いつかって、いつ?そんなに勿体つけるようなことなの?」 「それも、内緒」 「えーっ」  案の定、はずむは不満げに口を尖らせる。  俺はただ、にやりと笑う。昔みたいに。はずむに、とっておきの悪戯を仕掛けた 時のように。  いつかはある、きっと。とまりと神泉の事を本気で想っているお前なら。  運命なんかに負けやしない。

『かしまし』に戻る TOPに戻る