いつもの平穏そうでまったく平穏ではない放課後、頼まれごとを終えた慎一は、恵理子の店にある秘密の隠し部屋で握り寿司を食べていた。
今度の部屋は和室で、障子戸やら水墨画、生け花がわびさびを感じさせる。
恵理子にしては随分と気前のいい振る舞いなので、何かあるのではと慎一は勘ぐりたくなったが、とりあえずは好意を素直に受け取っておくことにした。
というのも、寿司ネタがとびきり上等なものだったのである。
色よく煮詰まったアナゴのコク、肉の分厚いイカ、脂ののった大トロ等々、どれもこれも慎一が普段口にすることの出来ないシロモノだ。
味に関しても、この前食べさせられたつばめのピザとはまるで比べ物にならない。
こんな高級なものを簡単にご馳走するあたり、流石は理事長の娘といったところか。
さて、何故慎一が恵理子から寿司をご馳走になっているのか。
それは、恵理子の頼まれごとを聞いたからに他ならない。
恵理子曰く、つばめの竹刀が最近調子が悪いということで、つばめから手入れを頼まれているとのことであった。
そのため慎一は、つばめの竹刀を部室から持ってきて欲しいと頼まれたのである。
どことなく謀略の臭いも漂っていたが、つばめが既に了承してるとのことだったので、慎一はつばめの竹刀を持ってきたのである。
そのお礼が今食べている握り寿司であった。
「どう?おいしい?」
向かい側で同じように寿司を食べ、頬に飯粒をつけた恵理子が感想を聞いてくる。
「ああ、うまい。『ウーマーイーぞー!!』って叫びながら巨大化して大阪城を壊してしまいそうなほど最高だ」
「そうなの?よかったよかった。先輩、たっくさん食べてしっかり栄養つけてね」
「言われなくてもな。それにしても随分と奮発してくれたな」
「まぁね」
「俺、恵理子のちょっと見直したよ。お金にうるさいケチだと思ってたから」
「『ケチ』じゃないもん!」
「ははは。悪い悪い」
慎一は緑茶を手にとって、ふと今朝のことを思い出した。
「そういえばつばめの奴、なんだか俺のことを避けてるみたいなんだよな。今朝もつばめに会って『おはよう』って挨拶したら、無言のまま顔を真っ赤にしてどこかへ行っちまうし……どうしたんだろ?」
「ああ、そのこと。それはね、多分あたしが『つばめの奴、自転車じゃなくってたまには俺にも乗ってくれればいいのに』って先輩がぼやいてたって、ついでにそのふかーい意味も事細かに説明しといたからじゃないかな?きっと」
「ぶっ!!」
慎一は飲みかけていた緑茶を吐き出しそうになってしまった。変なところに入ってしまい、激しくむせる。
「ちょっとちょっと?汚いよ先輩。お茶くらい静かに飲めないの?」
「ゲホゲホッ……恵理子、お前なんてこと言うんだ!!俺はそんなこと一言も言ったことないぞ!!」
「だーって先輩とつばめの仲、全然進展しないんだもん。たまにはアメリカンジョークのひとつでも言ってテコ入れしてあげないとね。あんまし気にしなくっても大丈夫だよ」
「気にするわ!!」
「先輩って意外に小心者なんだね」
恵理子はまったく意に介さず、と言った感じで寿司をパクつく。
まったく……だからつばめは逃げ出したのか。
はぁ……後でちゃんと誤解をといておかないと。
気を取り直して、慎一は再び寿司を食べ始めた。
「まったく……誤解を生むようなこと言うなよ。おかげでこっちは大変なんだぞ?」
「はいはい。善処するように努力はするよ」
「はぁ……それじゃあ、つばめに会ったとしても、まともに話すことはできなかっただろうな。一応断りを入れてから持ってこようと思ってたんだが……当事者間で話がすんでて助かったな」
「当事者間の話?なにそれ?」
「えっ……?」
慎一は食べようとしていた焼きサーモンをポロリと落とす。
「お前とつばめの間で、俺がここにつばめの竹刀を持ってくるって話、ついてたんじゃなかったのか?」
「何のこと?そんな話、あたしはつばめとしてないよ?」
「だ、だってお前!俺に……!!」
「古いことわざにもあるでしょ?『ウソも方便』って。ああでも言わないと先輩、協力しなかったと思うから」
恵理子はニヤリと笑う。
慎一は愕然とした。
ハメられた……完全に……
この寿司はその代償だったのか……
「……ってことは……」
「うん。つばめ、今頃消えたマイ竹刀を必死で探してるんじゃないかな?」
「ああっ……」
「酷いなぁ先輩。黙って人のモノ持ってくるなんて。モノ隠しは立派なイジメだよ?あ、この場合はモノ隠しじゃなくって窃盗か。パパにバレたら退学モノかも?」
「な、なんだよそれ!?」
「おめでとう先輩。間違いなくオシオキ決定だね」
「バ、バカ言え!!恵理子、お前のせいじゃないか!!……って、大変だ……早く返してこないと……」
「まぁまぁ」
慌てふためく慎一を楽しむかのように観察していた恵理子は、指をパチンと鳴らした。
途端に部屋の中が真っ暗になり、巨大なスクリーンが天井から下りてくる。
「な、なんだ?」
「これより上映会を始めちゃいまーす」
「はぁ??」
「まぁ、黙って見てて」
恵理子は幻灯機の電源を入れる。そしてスライド上映が開始された。
恵理子のヤツ一体何を……げっ!!
慎一は映し出された映像に、愕然となる。
それはどれもこれも、慎一と恵理子がお仕置きされているシーンであった。
慎一の胸裏に痛々しい思い出が蘇ってくる。
「これでお終い」
薄暗い闇の中で、恵理子が静かに呟いた。
「お前……こんなもん見せて、どーゆーつもりだ?」
「ふふん。先輩、気づかなかった?」
「気づかなかった……って?」
「だから先輩は甘ちゃんなの。そんなことじゃ商売人としてやっていけないよ?」
恵理子は偉そうに慎一に説教する。
「わからないなら教えてあげるけど。いい?つばめはオシオキする時、必ず竹刀を持ってるのよ」
「まあな」
「つまり、言い換えれば!つばめに武器がなければ、あたし達はオシオキされなくってすむ、ってことよ」
「まぁ、確かに……」
「だから先輩につばめのマイ竹刀を持ってこさせたの」
「なるほど……」
慎一は思わず頷く。
恵理子にしちゃなかなか冴えてる考えだが……しかし……
「でも、それって根本的解決になってないような?竹刀は部活で使うものだし。それに、なくなったら買い換えればいいわけだし……」
「だ・か・ら。超小型発信機を柄に埋め込んでおくのよ。これでつばめの場所は一目瞭然!」
「おおっ!!」
慎一は思わず声を上げた。
確かに、予め場所がわかっていればそれなりの対処が出来る。
恵理子の奴、なかなか鋭い考察をするじゃないか。
「思えば苦難の歴史だったわ……」
恵理子も感慨深げにグッと拳を握り締めて天を見上げる。
「毎度毎度つばめのオシオキに怯え続けてきたけど……今日からもうそんな心配しなくっていいんだわ。後はつばめの竹刀に、超小型発信機を埋め込んで返すだけだから!」
「さすが恵理子!!よく考えた!!感動した!!」
「当たり前よ!なんたって、あたしは天才だもんね」
恵理子は得意げに両腕を組みながらポーズをとる。
「と言うわけで、今回は先輩にボーナスを出そうかなって思ってるんだけど」
「ボーナス?」
「うん。つばめの家の合鍵なんてどう?これでつばめの家に忍び込んで、つばめのベッドでゴロゴロし放題だよ?」
「いや、それは流石に……」
「じゃあ堂々と夜討ち朝駆け。夜這いなんていわずに正攻法で二人の夜明のコーヒーっていうのは?つばめ、先輩のこと好きだから迫られたら絶対オッケーすると思うし」
「そ、そうかな……」
「そうよ。考えてもみてよ。何であたしがつばめの家の合鍵持ってると思うの?これは先輩に渡してって渡されたものなんだから!」
「そ、そうなのか!?」
「そうなのよ!だから先輩、もっと自信を持って!!」
「恵理子……」
慎一の頬がどんどん緩んでいく。
「それに先輩だって、つばめのベッドでゴロゴロしたいんでしょ?ホーント、悪人なんだから」
「いやいや、恵理子には叶わないよ」
「アーッハッハッハッハッハ」
「ハーハハハハハハハハハハ」
慎一と恵理子は声を上げて笑う。
と、その時。
突然、どこぞの時代劇で聞いたことのあるようなトランペットの音が鳴り響いた。
「な、なになに!?」
「これは一体……」
慌てふためく慎一達に、障子戸の向こうに映し出された人影がさらに衝撃を与える。
「楠瀬先輩……恵理子……悪巧みもそこまでです……」
「!!」
「!!」
その聞きなれた声を耳にして、慎一達は一瞬のうちに固まってしまった。
「ま、まさか……」
「この声は……」
驚愕する慎一達をあざ笑うかのように、障子戸が開かれ、その人物の姿があらわになる。
同時に部屋の灯りがついて、一気に明るくなった。
「つ、つばめ……」
「やっぱり……」
その姿は誰であろう、話題の中心人物つばめであった。
つばめは冷たい微笑を浮かべながら鋭い眼光で慎一達をにらんでいる。
そして右手に輪にまとめた黄色い弦を持ち、先端を口で咥えていた。
「恵理子……楠瀬先輩……毎度毎度懲りないですね……」
「い、いや、コレは……」
「そ、その……なんだ……」
慎一達の弁明にはまったく耳を貸さず、つばめはトランペットのBGMにあわせて弦をクククと伸ばす。
「……オシオキの時間です……」
そして……慎一達に向かってその弦を投げると同時に、いつもの惨劇が幕を開けるのであった……