森に見る夢




 弟のルクセイルが森に突入して行方不明になったのは、ちょうど3年前で彼が10才の時。俺自身がどういう訳か森に行ったのと同じ年令になってすぐのことだった。そして俺が過去のすべてをあの森に置いてきたのに対し、セイルはその時の記憶をのみ置いてきた。だけど彼がその森の中で何があったかを忘れてしまっているのは確か。俺だって他の誰だって、森の中で何があったかなんてことは覚えていない。
 だけど、セイルはこのところ何かを思い出したらしかった。「メヌア」という名前を時々口にする。森の中であった少年で、とても美人だとわがこととのように自慢する。
 そしてその名前を聞いて。俺も少しだけ思い出したものがある。太陽を背にしたように顔の見えない人の、立ち姿。背はそれほど高くなかった。柔らかにウェーブした髪は肩の辺りで揺れていて、見えない表情は穏やかな笑みのカタチをつくっている。そして柔らかな声がかけられた。「おいで。助けてあげる」と・・・。
 あの声の主は誰だったか? そして10才以前の記憶の一切を失っている俺の、どの時点の出来事だったんだろう? 思い出そうにもまるで成果があがらない。そしてセイルが口にするメヌアとおいう名前でなぜそのことを思い出したのかも分からない。
「今日、メヌアの夢を見たよ」
 あの森であったんだ。
 セイルがそういって来た時、俺は自分の耳を疑った。あの森であったことは、全て忘れているはずだから。そのようになっていたはずなのだ。
 そうしてわき上がってきたその考えに、思ったのか。
 ・・・・なぜ? 何がそのようになっていたはずなのだろう?
「声とか分からないけど、ぼくに笑いかけてくれたんだ。あれ、きっとメヌアだ」
 セイルにはそれがメヌアという少年だという自信はあっても、確証がないらしい。ただ彼の記憶になく、それでもどこか見たことのある少年。だからそれはメヌアだというのだ。
 だけど、なぜ思い出せるのだろう? 『かれ』がすべてを忘れさせるはずなのに。
 ・・・・・・・『かれ』? いったい誰だ? 
 俺は自分の思考が分からなくなってきた。俺は何故か知っている。あの森に入ったものは記憶を奪われるのだ。『かれ』によって。それが最良の手段で、いつもそうされている。『かれ』は泣きながらそう言ってくれたじゃないか。
「兄さん、どうしたの?」
 自分の思考に落ち込んでしまった俺の顔を覗き込むようにしてセイルが首をかしげる。小さな弟に、心配をさせるつもりなんてなかったのに。
「ああ、ごめん。なんでもない」
 心配そうにするセイルの頭を撫でてやりながら、それでも俺は別のことを考えはじめていた。
 セイルの『メヌア』の話で俺はこの妙な記憶に捕らえられている。なら、その『メヌア』のことが分かれば、この記憶の謎も解けるだろうか?
「セイル。そのメヌアってどんな人だ? 年格好は?」
 これを聞いて、俺はあのシルエットがそのメヌアなのか確認したかった。この曖昧な記憶が、森の中のものなのだと確証を持ちたかった。
「・・・・・・美人だよ」
 とたんに、セイルの声から元気がなくなった。これだけ騒ぎ立てておいて、俺がその『メヌア』に興味を持つのがいやだと言う事はないと思うんだが・・・。
 重ねて誰ににてる、と聞くと、セイルはただただ首をふる。どんな人にも似ていないともとれるが、どちらかと言うと・・・・・。
「・・・・わかんない。すっごく優しく笑うんだ。だけど、顔は見えないの」
 心底悔しそうに呟く。顔が見えなくて美人はどうかと思うが、多分美人なんだろう。セイルの話では男らしいけど、何故か美人と言う言葉には納得してしまった。俺も、さっきの太陽を背にした人を形容するなら、きっと美人と言うだろう。顔は見えないけれど。
「まぁ、ゆっくり思い出せばいいさ。今日は夢を見たんだろう? またその夢を見れるよ。で、また思い出したら探せばいい。会いたいんだろう?」
 セイルはこっくりと頷いた。俺が頭から否定しなかったことにほっとしたらしい。あの時のことは我が家では御法度で、父さんや母さんには相談出来ない。俺が否定すれば、セイルははけ口をなくしてしまう。だから、だろう。
 だけど・・・。俺の思惑は別。もちろんセイルのことは可愛いから、弟を理解してやりたいとは思う。だけど、それ以上に・・・。
 夢を見たら、俺に教えて欲しい。その、『メヌア』のことを欠片でも思い出したら、俺に余さず伝えて欲しい。そこに、俺の記憶の糸口があるから。
「夢を見たら、何か思い出したら、絶対に兄さんに話すからね?」
 セイルの笑顔に、俺はただ笑顔でかえした。




                                  END
 


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