うたかた 
       
       
       
      いつからだろうねぇ、こう、スッキリ、身体が起きれなくなったのは。  
       
      厄介な目脂のヤツが、こそげても霞んじまうよ。 やだやだ、コレじゃぁノシタん所のババァみたいじゃないか! あのバァさんも昔は、PX根城に、アメちゃんのデカイのを随分咥えたらしいけども、ふん、今じゃ哀れなもんだよ。 日がな便所の壁の穴ん前で、こっくりしながら、時々突っ込む酔狂のをしゃぶってさ、歯が無いのがアレそっくりで按配が良いって、目脂擦って自慢して、駄菓子買うみたいな小銭貰って、うっとりしてるだなんてさ。 あぁ厭だ厭だ。 あたしはね、あぁは、なりたかないね。 あぁなんないさ、なるもんか。 
       
       
      すっきり起きれないのは、あながち、あたしだけのせいだけでもない。 何しろ薄暗い部屋だよ。 けちな大家が仲良しこよしで、二棟、狭い土地にボロアパート建てやがってさ。 こちとら朝だか夕だか、薄暗くってわかりゃぁしないよ。 ま、仕事ハネて寝るにゃ、都合が良いけどもね。  
       
            で、どこ行ったんだい? あたしの王子様は? 
       
       
      今朝方戻った時は、なんだかゴソゴソやってたねぇ。 健気に、働きモンのあたしの為に、掃除の一つもしてくれたって訳じゃぁ無さそうだけど、ふん、ゴミ溜めだよここは。 人の金使ってあの王子は、ガラクタばっかのお城でも作る気かい?  
       
            あぁ、で、どうしたよ、ガラクタ王子は。  
       
       
      そういや、何か言ってたね。  
      とっちらかっちら、人の頭んトコうろうろしながら、なんだかんだ言ってたね、  
       
       
      ーーー なんだい? また金かい? お喋りは、後にしとくれよう!  
       
      って、あたしは怒鳴ったよ。 あぁホントに、あたしは疲れてたんだ。 腹ん中に泥饅頭、詰め込まれたみたいだったさ。  
       
      ヤナ客だったね、夕べの二番目は。 
       
       
       
      鼠みたいな顔した、風采の上がらない小男。 皺だらけの吊るしの安モンの背広着てさ、貧相な持ちモンで、何仕出かすのかと思えばとんだ鼠の王様だ。 あぁ、そりゃあたしは、仰せのままに大忙しさ。 便所になったり、家畜になったり、肉袋になったりさ。 
       
       
           王様、 お次は、何を致しましょうか?  
       
       
      あははは、愉しいかい? ドブ鼠!! あんたの御袋は、随分、手塩にかけて御育てになったんだろうねぇ、小汚い味噌っ歯曝してさぁ。 差し詰めこうかい? 親父は稼がないし、てめぇは売りモンにもなんないしで、可愛らしくも無いひねた息子の歯なんざ、構っちゃおれなかったんだろうよ。 あはは不憫な親子だねぇ! 
       
       
      あたしは男が喜びそうな卑屈な顔で、なんでも、仰せのままにやったさ。 あぁ別に、悔しくも無い。 世の中にはさ、役割ってのが有るんだろ? やる奴、やらせる奴 痛めつける奴、痛めつけられる奴 金のある奴と、金の無い奴 這いつくばる奴と、それを足蹴に出来る奴。  
       
      たまたま、今夜、あたしは、金貰って遣らされる奴であって、今夜、あの鼠男は、たまたま、あたしよりは金持ってて、遣らせる奴だった。 そんだけの事さ。  
       
      あぁ、そんだけの事。  
       
      持ちまわりだったんだよ。 
       
       
       
      あぁ、畜生、どうにも、スッキリしやしない。  
       
      ボロみたいに丸まった、チンドン屋みたいな服が布団の端から覗いてる。 そうだよ、あんまりクタクタで、そこいらに脱ぎ捨てたんだったね。 どうだろ、吊るしといたら、ちっとはマシになるだろか? 出来りゃ、今晩も着たいんだけどね。 引っ張り出したら、紙屑が転がった。 転がった紙屑が、腐った桃みたいな痣のある、あたしの脹脛にカサカサ触れた。 たいした価値ある紙屑だってのを、あたしは思い出す。 
       
       
      一万二千円だとさ!!  
      アレでかい? あたしの大活躍は、一万二千円だってのかい? 
       
       
      下卑た万札のジジィのツラに、これまた、似合いの染みが一つ。 
       
       
      あたしはへとへとで転がっていたし、もう、指一本動かしたくなかったから。 そうだねぇ、今夜が路地かどっかでなくて、チンケな安ホテルでも、とりあえず、屋根のあるトコで遣ってて良かったよって、そう思ったよ。  
       
      鼠がさ、勿体つけて、札を放ったのをぼんやり見たさ。 のろのろ、札に手を伸ばしたあたしに、そいつはさ、唾、吐きやがった。 粘っこい、生暖かい、それがあたしの剥がれかけたマニキュアの爪をつたって、札のジジイのツラにじんわり広がるのを、あたしは、這いつくばったまま、見てた。 
       
       
      だから、何だい? 怒鳴れって? 馬鹿馬鹿しい。  
       
      あたしの世界じゃ、こう云う流儀だ、さして珍しい事でもないさ。  
       
      払うだけましだろ? あぁ、別に悔しかない。 悔しかないけどね、哀しくもないけどね、ただ、早く、あたしの、可愛い王子に会いたかった。 甘ったれで碌で無しの、可愛い、あたしだけの王子を、うんと甘やかして、うんと我儘に応えて遣りたかった。 そん時、あたしは、ただ、それだけを、望んでいた。  
       
       
           ホラよ! どこだい?! 金だよ! 居るんだろ?! 
       
       
      おかしいねぇ、どこ行っちまったんだろうねぇ。 あたしは、立ち上がりついでに、転がり落ちた煙草を一本見つけて、ガスレンジで火を点けた。 髪の毛が焦げる匂いが少しして、腹が減ってるのに気が付いた。   
       
           で、どこ行ったよ? 隠れんぼするにゃ、狭い部屋だろ?  
       
      狭いガラクタ部屋。 ここで、あたしは、存分に甘やかすんだ。 あたしは、ココでは与えることが出来て、喜ばす事が出来て、笑いかける事だって出来るんだ。 そして、あたしは、頼られて、委ねられ、愛を乞う事だって出来るんだ。 
       
       
      けど、どうしたんだよ。 菓子喰ってるかゲーム遣ってるかのあの、役立たずで可愛い、あたしの碌で無し王子が居ない。 ゲーム? あぁ、あの忌々しいアレ。 あたしの丸2日分の稼ぎで、碌で無しが買いに走ったあのゲームっての?  それがテレビから外されてるのに気付く。  
       
      そうして良く見りゃ、金目のガラクタが消えている。 ビニールの癖に馬鹿高い、でかい、腕時計だの。 目の色変えて、あたしから金せびって買った運動靴だの、そんなのがガラクタん中から消えていた。 
       
       
          『王子様は、ようやく、魔女の家から、おうちへと帰りましたとさ。』 
       
       
      そういう事かい。  
       
       
       
      あたしは這いつくばって、ガラクタを、一つ一つ、二枚重ねのビニール袋に詰めた。 大きなビニール袋がガラクタで一杯になる頃、あたしは泣いてるのに気が付いて、安っぽいあたしらしさに笑ってやろうとしたけど、そんなに巧くはいかなかった。 馬鹿野郎、馬鹿野郎、どいつも、こいつも、どいつも、こいつも、馬鹿野郎、馬鹿野郎、西日に頭がくらくらする。 
       
       
      そうして、大きなビニール袋を部屋の隅に置き、やけに、がらんとした部屋を眺め、あぁまた仕事だな、と。 それでもまた、あたしの生活は続いてくんだと悟った。 続くのさ、ずっと、ずっと、ずっと、どっかの偉い奴が、 終りだよ とでも言ってくれない限り続くのさ。 
       
       
      夕暮れ、まだ皺が残るチンドン屋の服を着て、あたしは街に出る。  
       
      夏の七時ったら、まだ日が高くってね。 てんで商売なんかにゃならないから、あたしは、雑居ビルの前、ガードレールに腰を凭れさせて一服した。 まじないみたいなもんだよ。 今日も、何とかなる、そこそこ、マシな客も付くってさ。 
       
       
      斜向いのコンビニの前、若い男の子が二人、美味そうに缶ジュースを飲んでいた。 喉もとの白、清潔な色。 二人ともこざっぱりして、綺麗な歯をして、何が愉しいんだか小突きあっては声を上げ笑って。 あたしは何とはなしに、それを眺めてた。 ああいう風に生まれ、ああいう風に育つってのは、どういうモンなんだろうね。 
       
       
      まぁ、あたしにゃ皆目も付かないけれど、耳の裏まで清潔に、こざっぱりした服着せられて愛されて育ったんだろうね、ああいう子は。 あたしなんかとは違うってことだ。  あははは、とんでもなく違うね、あたしとじゃ。  差し詰めミルクに浮かんだ、薔薇色のホッペ、愛らしい顔のキューピー王子。 
       
       
           ホラよ、笑ってやるよ。  
       
       
      あたしは殊更愛想良く、にっこりと、払いの良い客にやるみたいに王子に笑ってやった。 王子の飴玉みたいな眼が、あたしを見る。 あぁ、チビの頃あぁいう飴玉が欲しかったよ。 甘ったるくて、大きな、頬張るくらいのを、誰かに口に放り込んで貰いたかったよ。 
       
       
           これはこれは、お目もじ光栄、王子様! 御機嫌麗しい、夕暮れですねぇ!!  
       
       
       
      王子の、飴玉みたいな眼が、あたしを見る。 
       
       
      御綺麗で、こざっぱりして、金の匙で甘いモンしか食べたことが無いみたいな、キューピー王子の口元が、御友人の耳元で、御上品に動く。   
       
       
       
              アノ ババァ オカマ ダ    
       
       
       
      あはははは、勿体無いオコトバ、身に染み入るわ!! 
       
       
       
       
      さ、とっとと仕事だよ。 シャンとおし。 
       
      連れ込んで何ぼの立ちんぼだ、 
      御綺麗なアンタらじゃ、糞のタシにもナンナイんだよ。  
       
       
      今夜は思いきって、二つ向うの橋の上で張り込むかね。 
       
       
      あそこアタリなら厚かましいロシア女も居ないだろうし、あぁ、袂ん所の安ホテル、あの看板の可愛いピンクがあたしを照らせば、このあたしだって、まぁ、そこそこには、見られたモンだろうよ。  
       
       
       
      そしたら、あぁ、きっとまた見つかるさ、 
       
       
       
      あたしだけの、 
       
       
      甘ったれで、どうしようもない、可愛い屑王子がさァ。 
       
       
       
       
       
       
       
       
      August 13, 2002 
           
           
       
            
      *     電気屋の店先で、もののけ姫をプラズマで観た。 筋は、どうでもいい。 
            ただ、ミワアキヒロ様に、朗読して貰いたい文を、書こうと思った。    ・・・ 無茶、言うな。 ・・・     
       
         
        
                    
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