生産的なモノなど一つもないが、ソレが似合いだという事を俺達は知っていた。
      誰に教わる訳でもなく、そう云う類の生き物なのだろうと、俺達は知っていた。



ジワリと熱を感じ、弛緩する刹那の快楽に膝が震える。

丸めた敷布を手に立ち尽くす俺に 「膝笑ったんかぁ?」 と、ナカネさんが声をかけた。 ― いや、ぼうっとしたッスよ、スミマセン ―  汗を拭い曖昧に笑う俺を見て、ナカネさんは少し心配そうな顔をした。 「カクちゃんよォ、アンタ、ガタイいいけど、ちっと、運び過ぎと違う? いまに、腰と膝イワスよォ。」 そう言いつつナカネさんが指示し、俺は敷布を荷台に噛ませた。

モノは大したもんじゃない。 さほど大きくもない冷蔵庫で、コンビはベテランのナカネさんだ。 四階まで一気に行けば、まぁ、ここは階段も広いしそう難しい事ではない。 ないけれど、問題は別だった。 俺は俄かに気が散っている。 便所、行きてぇ。 便所行って、最後まで出してしまいたい。 俺のブリーフの中、特大のパットがじっとりとションベンを含み、据えた匂いを放っている筈だ。 

蟹股にならないよう、せぇの、と 腰を落とした。 額の汗が、タオルを通過し眼に染みた。 まだ、随分日が高かった。 額に汗し、労働し、数時間後にはとっ払いで札数枚を握り締め、俺はその金を、ドブに捨てる使い方をするだろう。 俺の為? いや、奴の為。 奴の為、俺は蛋白混じりの小便を漏らし、奇妙な筋肉をつけ、捨て金を稼ぐのだ。 そして俺は、それを生き甲斐と感じている。 

どうしようもないな。 俺も、奴も、どうしようもない屑だった。



高2の夏、部活の顧問を殴って退学になった俺は、誰でも入れて、誰でもグレル、ヤンキ―の名門、○×職業訓練校で相当な駄目に磨きをかけた。 塗装と溶接と、碌でも無い事一通りをマスターした俺の卒業後は、その日暮らしのロクデナシと相場は決まる。 塗装のバイトより、ラシンでラリる時間のほうが長くなり、溶接で汗流すより喧嘩で血を流すほうがずっと膚に合うと思い始めた夏、屑の先輩二人と俺は、リツの良い頭脳職に精を出し始めた。

俺達は先輩のアパートで、風邪薬をすり鉢で潰し、サランラップでスプーン半分包む。 あとは優男のヤシ先輩がクラブで声をかけ、口の巧いハチ先輩が商談を纏める。 そして、連れ込まれた路地裏で、乗せられた馬鹿がルル3錠に5000円払い、俺は勿体付けブツを渡す。 人相の悪い俺は、この任務に適役といえた。 

ときには往生際の悪い慎重派の馬鹿もいたが、そんな時、ココゾと俺達は名門ヤンキ―の実力を発揮する。 高いだのガセじゃねぇかナドとごねる客は、善人面のハチ先輩が般若に豹変するのを見てビビり、優男だけどキレやすいヤシ先輩の前科二犯モードを体験学習したりして後悔しきりだ。 最も大抵、俺のささやかな教育的指導で、事はスムースに進んだ。 ボロイ商いだった。


そんなこんなで懐も潤い、バイトが長続きしなくなり、ハチ先輩がいきなりバツイチの女と所帯を持ったり、ヤシ先輩が傷害で三つ目の前科を作ったりした一昨年の暮れ、俺は何もしてない清らかな深夜、通り裏の袋小路でシメられた。 柄シャツ二人はプロだった。 能率良くテキパキと、もうしませんと叫びたくなる遣り方で、あっちゅう間に俺は瀕死の血みどろ達磨に成り果てた。

―― なぁ兄ちゃん、イソブロどこでパクった? なぁ、教えとけよ ――


白い靴の尖った爪先が、俺の血やらで汚れてた。 その踵が無造作に、俺の左手の中指を折る。 マジ、いてぇ! いてぇけど、知らねぇよ、何だよそりゃ? 知らねぇったって、プロは厳しい世界だから許しちゃくれない。 風邪薬しか知らねぇたって、通用しなかった。 俺はどっかの巧い事やった奴の分まで、念入りにボコられた。

―― 荒稼ぎはァ、いけないよう・・・・・・・お友達にも言っときな ――


知らねぇもんは知らねぇんだが、ようやく放免された俺の左手は、親指以外順番にヘシ折られ、変な方向を向いている。 どうするよ、痛みもスゴイがぼうっとして、眠くなって流石にヤバイ。 息苦しいのはアバラ、やられたんだろう。 喉潰れてるんだか、声は出ない。 馬鹿じゃねぇの? と、言っては見たが、ガサゴソ歪な隙間風が、喉の奥からしただけだった。 凍りつく、師走の小汚いアスファルトがへばりついた頬に気持ち良く、こりゃ死ぬかもな・・と、ぼんやりした俺は、奴に出逢う。


 『ゴメンねぇ、アンタ、見殺しちゃったよ。』


画面は白黒。 

ぼやけた意識の薄暗がりに、細くて黒くて蜘蛛みたいな手足を持て余して、やけに白い、ピンぼけの顔。 今時珍しい真っ黒な髪と真っ黒な眼、いっそう色味の無い小さな顔。 瞬間、開いたスナックの裏口、その白はマダラの電飾に照らされて、真っ黒のビー玉の眼が野犬みたいに紅く光った。 なんだよこいつ、気味わりぃよ。 薄笑いの口唇だけが、何故か酷く生々しくて、ソレが動くのを俺はモドカシク思う。


 『ねぇ、死にそう? ねぇ、アンタ不運だねぇ。』


掠れて絡まる、むずむず鼓膜に響く声。 死にかけの俺に、一つも後ろめたさなんて無い、絡みつく声。 頬にピンクと緑と黄色の斑紋、瞬いたのが仮面みたいで、薄気味ワリィとゾッとした。 ぞっとする、コイツ気味が悪い。 気味が悪くて綺麗だった。 死神? 成る程、それはきっと、こんなだ。 気味悪くって、綺麗で、残酷だけども悪意が無い、死神ってのはこんなだろう。 


―― おら、連れてけよ 


言葉の代わりに飛ばした血沫を、電飾を浴びた死神の指が、ゆっくり辿って
・・・ 笑った気がしたんだが ・・・。




― オトモダチを、怪我さしちゃった ― 

死神の業務連絡はこんなだったらしく、ソレを受けた死神の父は手際良く、速やかに、実践的示談に打って出た。 かくして俺の生活は、ゴージャスを極める。 ミト医院、7階特別室、バストイレ応接室付き、一泊4万5千円也。 死神の父は、ここの病院長だった。 確かにここは、あの世に近い。 巧くしてやがる、親子で仲良しなこった。 俺は死神親子に囲われる。 死神の名はスケキヨ。

スケキヨが流し売り捌いたヤバイクスリの諸々の為、俺はプロにボコられた。 プロの壊し屋は俺の内臓幾つかと、骨何本かを駄目にして、それは結構厄介で、一番の厄介はインポの可能性、それだった。 確める事は、まだ叶わず。 イカレたミイラ男のこのザマでは。


 『まぁ、使ってみなきゃ、わかんないよねぇ。』

スケキヨは、何をする訳でもなく、日がなこの部屋に入り浸り、南向きの日当たり良い、革張りのソファーに寝そべってはうたた寝をし、当たり前のように冷蔵庫を開ける。 冷蔵庫の中身も、俺の身の回り一切合財、奴のパパの懐から出た訳だが、間接的加害者が、こうものうのうとしてて良いのだろうかと疑問に思う。


 『あはは、気にすんなって。』

御気に入りの板チョコを齧る奴が、ベタベタの茶色を俺の布団の端で拭く。 小さく尖った舌が、蛇みたいに口唇を舐めた。 スケキヨは、不穏だ。 白日、長閑な日向に寝そべっていても、奴の周りは空気が冷たい。 それは、奴が好んで黒い服を着込んでいるせいばかりじゃなく、奇妙に白い肌も、細い手足も、年齢が読めない綺麗な顔も、何もかもが不穏で、居心地悪い存在なのだ。 


 『スネカジリってのはァ、暇なのよ、  飲む?』

差し出した水は、緑の壜に入っている。 水滴が一つ、ポツンとリネンに染みを作る。 植物みたいなスケキヨの指、小学校の藤棚の蔓、猫の死体が絡まっていた、こんな感じに。 なぁ、一体、なんで俺を拾った? お前、善意じゃないだろ? 俺は藤棚に揺れる、腐りかけた死体を思い、吐き気を堪えた。 勧めた水を自分が口にし、上下する白い喉をスケキヨが曝す。 口唇が濡れていた。

 
 『・・・役に立つって、良いじゃない?』


凝視する暗闇の目に、つい、魅入ってしまう。 感情の無い暗いソレがあんまりに綺麗で、俺は、スケキヨがヒョイと俺の腕を持ち上げたのも、そこに白い歯が喰い込むのも、やけに長回しの記録映画みたく、眺めていた。 激痛に身体が跳ねた。 あちこちの治りかけが悲鳴をあげ、俺自身も低く呻き、払い除けたその腕の先、抜けた点滴の管が、揺ら揺らして床に滴下するのを、スケキヨが笑って見ていた。 


 『太らせてから、喰わなきゃな!!』


スケキヨが、笑っている。 ゾッとする、綺麗な顔で笑っている。 
緑の壜を片手にぶら下げ、廊下に出た死神は、― 看護婦さ〜〜ん、抜けちゃったってサァ!! − と、鼓膜にゾクっとする例の声で、歌うように連呼する。 

ヘンゼルとグレーテル、ガキの頃、読んだ絵本をようやく想い出し、だけど、あの兄弟のようには、戻れないだろう自分を確信した。 腕の先、抜けた連結部に、逆流する赤。 くっきり刻まれた、手背の歯形。 歯形の窪み、唾液のぬめりがテラテラ光る。 俺は、インポなんかじゃねぇよ。 そんなんじゃねぇが、全くホッとしない疼きに俺は、身を震わせた。



囲われ男の生活は、不穏ではあったが満ち足りていた。 スケキヨはあんなだが、邪魔になる訳じゃない。 ろくすっぽ話もしないが、退屈ではない。 病人の一日は常に時間割が出来ているから、それなり毎日何かしらがあり、週に一度スケキヨの父が病室を訪れて「不自由はないか」と訊く。 ねぇよ、アリガトウ。 それで、また一週間。 

喰って、時間割をこなして、ぶらりスケキヨが遣って来て、なんか喋ったり喋りもしなかったりして、チョコでベタベタの指、なめとる舌とぬらぬらの指に、俺はこっそり目を背ける。 夜になったら消灯だ。 昼間のスケキヨを俺は、網膜の裏、弥が上にも再生する。 そして疼きに侭ならぬ夜を見回りの靴音を聞き、長く耐える。 もう中庭に桜が咲くそんな頃、いよいよ本格的なリハビリが始まった。

その頃、スケキヨは数日また数日と、断続的に見えない事が続いた。 院長パパの回診も数回、スケキヨはどうしているのか、一度訊いてはみたが、オヤジは眼鏡の奥、瞬きをし、緩く首を横に振る ― あれの事は、わからんね ― 。 もっとも、ああも入り浸る毎日がおかしいのだ。 スケキヨに、ここ以外の生活があるのは当たり前なのだが-- 生活 --その言葉がどうにもしっくり来なかった。 何処にも所属せず、何処にも馴染まない異質。 

スケキヨとは、何をしている奴なんだろう。 


スケキヨが不在だろうと、リハビリは進み、俺は目に見えて機能を取り戻す。 踏み台昇降に脹脛が攣り、足首の負荷に軋みを感じ、汗を掻く事を久しく思う俺は、予期せぬ障害をこうむっていたと気付いた。 ゆっくりしゃがみ、ボールを拾う、そんな暢気なトレーニング途中、ジンワリした感触に驚愕する。 

ションベンを、ちびっていた。 俺はションベンを我慢出来なかった。 
インポなんかより、よっぽど厄介じゃぁねぇか?

幸い、大量に垂れ流す訳じゃぁない。 腹に力が掛かるその時、ジワリと僅か、時に、洩れるのだ、いつも漏れる訳でもない。 いつもじゃねぇが、いつかはわからんションベンの為、俺は女みたいに、でかいパッドをチンコにあてる。 パッドで膨らんだブリーフは、泣けるほどに不恰好だった。 

何でこんな目に? 

スケキヨを恨んだのは、多分、その時が初めてだったと思う。 俺は、こんな事になって始めて、スケキヨを恨んだ。 恨んでも、どうにもならないんだが、恨むよりなかったのだ。 奴のせいで、俺のチンコは、おっ勃ち、疼き、奴のせいで、俺のチンコは、お漏らしをする。 恨みでなければ、俺は、奴をどうしようというんだろう?



― 出来る限りは、したつもりだ ― 院長がそう言って、俺は実に6ヶ月ぶり、この部屋の外、ごった煮の世界へ出る事を知った。 手渡された封筒は、ちょっと見、わかんないほどの札束が唸り、つまり、これでチャラにしてくれという事なのだろう。 俺の身体は、もう、これ以上回復しない。 荷重に耐え、日常に耐え、生きてく事は出来るが、跳躍し、走り、ションベンを我慢する事は難しい。 

飛躍的な回復? けど、これが限界だ。 これで俺はまた、生きて行くのか? 碌でも無い連中と、碌でも無い犯罪をして? だがしかし、もう、俺の身体は、叩きのめし蹴り上げる事が難しい。 力を無くし、どう生きる? まして、無くしたモノはそれだけじゃない。

スケキヨは、この2週間、姿を消していた。 明日、ここを出る俺は、恐らく、もう、奴に逢う事は無い。 奴の世界と俺のソレは、決して重なりはしないだろう。 俺はスケキヨと重なるこの、止まった世界を失うのが怖かった。 焦っていた。 何故?



夜半過ぎ、二度目の巡視と入れ違い、滑るように、音を立てないスケキヨが、俺の枕元、奈落みたいな暗い眼で、薄笑いの口元をして覗き込む。 いきなり、口の中、甘ったるい味と匂いが捻じ込まれ、吐き出そうとする手を、スケキヨの白い骨ばった指が絡み、制す。 喉を通過する、胸が悪くなる、こってりしたチョコの味。 口の端に伸ばされる、白墨みたいな白い長い指。 

檻の中、二人の子供に、魔女が言う

         ― サテ? ドレドレ、フトッタ コロカイ? ―


 『退院、オメデト! リンツ、美味いだろ? お祝いだよ!』

耳の奥がむずむずした。 久し振りに見るスケキヨは、ゾッとするほど痩せていた。 真っ白に漂白され、浮かび上がる小さな顔、ひらひらした優雅な手は、まるで外国の幽霊みたいだった。 一段と細く長く見える手足は、闇に溶ける。 そして、酷く、艶かしかった。


 『確認せねばぁ、ナリマセンよ!』

あまりに軽いスケキヨの身体。 乗り上がられた、腹に骨の感触。 見下ろす奈落は何処までも暗く、唯一、生を感じさせる口唇は、薄く開かれ、造りモノみたいな歯が、行列する。 おい、俺は何故、抵抗しない? 木偶みたいに転がってる俺は、何を期待してる? スルリと黒のシャツを脱ぎ捨てるスケキヨの、伸び上がる腹の窪み、ぺちゃんこの胃袋、浮き上がるアバラの配列は、ベッドランプの薄明かりを蒼白く弾く。 

屈み込み、合わせた肌はサラリと低い温度だった。 捲くりあげた、スウェットの中、滑り込む指先が、俺の胸を引っ掻いた。 おい? ビクッときた皮膚をきつく吸われ、舌先がチロリ触れた。 乳首を舐められるなんて、女とは無い。 そこに触れたままで、口唇がやわやわと動く。


 『・・任せとけよ・・・』

臍のキワ舐めあげられ、情けない声が洩れた。 少し腰を浮かせたスケキヨが、後ろ手に腕を伸ばし、潜り込む指が、蜘蛛みたいに、そこに触れる。 充分にいきり立つソコは、逆らいもせず指を喜ぶ。


 『おめでとう! 完治だねぇ!!』

吊り上がる口元。 暗がりで光る目。 俺の腹に指を広げ、軽い身体を支える手、まるで肉の薄い、関節の継ぎ目まで見て取れる腕。 そして、俺は握り込まれ、脈打つそこと、もうひとつの問題に、うろたえる。 駄目だ! よせ! まずいんだ! 咄嗟に身を起こし、スケキヨの腕を掴んだその時、俺は熱と解放と弛緩を感じ、背中が急速に冷たくなった。


 『これ・・ションベン?・・』

あぁそうだよ、テメェのお陰で、俺はションベン垂れになっちまったよ。 インポなんて、問題じゃねぇんだよ。 見開いた目、瞬きもせず凝視した黒い硝子玉、後ろに回した手を、濡れた指を眺め、薄笑いの形に吊る口唇が、さも楽しげに言葉を紡ぐ。


 『・・つまり、マニア向きって訳ね?・・・なら、問題ない・・』

頬にションベンが擦り付けられ、ソレをスケキヨの尖らせた舌が舐めとった。 腹の底がせり上がる。 問題無い? なら、かまやしないって? 摺り下げ蹴落とした、濡れたスウェット、反転して押さえつける、忌々しい死神の身体。 妙に嬉しそうな、白いぼやけた顔、とりつかれそうな奈落の目を手のひらで塞ぎ、俺は、その口唇、舌を貪った。


 『・・問題ねぇよ・・・全部、よこせ・・・』

吐息混じりの掠れた声。 後ろ頭、鷲掴まれて、逆撫でされた背骨がブルッた。 息が上がる、飲み込む唾液、甘ったるいリンツとそして、あぁ、ションベン、混じってるな。 煽られたのは俺ばかりではなく、熱を孕むスケキヨは、悪夢みたいに鮮明で、俺の中、何もかもを毟り取る。 手馴れた動きに誘導されて、俺は確かに奴を犯した。 水際に跳ねる魚のような、くねる身体を、押し付け揺すった。 なのに、俺は、奪われている。 

身震いして、放ったソレに、何が混じってようとどうでも良かった。 俺のを受け、締め付けるスケキヨが、欲しがる物ならくれてやれば良いと思った。 腰骨の出っ張り、赤の痣、俺の指の形の痣、そこを噛んでやりたい衝動のまま、スケキヨのおっ勃ったのを、含み、舐る。 搾り取るよう飲み込んだソレは、喉に絡み、胸苦しく息を詰まらせ、まるで、奴の声に似ていた。


死神は、いともたやすく、俺の魂を搾取した。




 『・・・・・・で、お前、カイボーと付き合いあんの?』


駅ビルの待合場、ソニプラ前でハチ先輩に会う。 よれたTシャツ、フリースを重ねた俺の手には不似合いな赤い袋。 袋の中、リンツのチョコが二枚、行儀良く収まっている。 既に習慣、俺はほぼ毎日、ここでコレを買い、ここで先輩からクスリを、買う。


『ヤー公にバラされたってお前がさぁ、カイボーんちの病院に居たって聞いてさ、で、アイツ、知り合いなの?』

俺は、いっとき、死んだと言われてた。 スケキヨは、有名人らしい。 スケキヨは、やばいクスリを横流し、金の代わりに臓器を覗く。 ミト医院は、その後始末、解剖後のスケキヨの客どもが、たいてい数人溜まっていると言う。 先輩、俺は客じゃねぇんだよ。 奴の客じゃねぇけども、もっときっと、始末が悪い立場なんだと思うよ。


あの日、スケキヨを抱き、スケキヨに搾取されたあの夜、オーバーテーブルに喰いかけのリンツ、青い包装の余白に書き流した、意外に整った数字の羅列を見た。
 ― ****-**-***** ― 


翌日、退院の手荷物は小さなスポーツバック一つ。 それすらも用意された至れり尽せりで、7ヶ月ぶりの街に立てばあまりに変わり映えの無い雑多とした下界。 取り敢えずのアパート契約を札束で済ませ、俺は屍の一週間を無為に過ごし、8日目の朝、焦燥に駆られ、9日目の昼、幾度も握り締め、破りかけたその番号を読み上げるのだった。 もう、何か、足りないまま生きられない。


 『・・ちょうどイイ、アンタ、恩返ししてよ・・・』


耳障りに掠れ、鼓膜に張り付き絡む声。 何もかも絡め獲るその声に命じられ、俺は金持ちの溜まる馬鹿でかいマンションに呼びつけられる。 表札の無い17階。 ドアは、開いていた。 カーテンの引かれた薄暗い部屋。 異臭。 澱んだ空気。 排泄臭と甘ったるい ---これはリンツのチョコの匂い。 澱みの最奥、皺と重なりのベッドの上、死体みたいなスケキヨの白い裸が横たわる。


 『・おひさしぶりィ・・チョコ、食べさしてくれる? あと、水、あと・・ねぇ、アンタさ、クスリ、調達してくんない?』


投げ出された腕の先、手のひらの下に潜む銀色の携帯。 薄い皮膚の下には柔らかさなど微塵も無く、落ち窪み蒼白な顔はクシャリと握り潰せる按配で。 骸骨みたいなスケキヨは、生きてるのが不思議な有り様にまで憔悴と衰弱を極めていた。 

こいつ、喰ってない、喰えんのか? 喰えないんじゃないか? 
それに、クスリはオマエの得意技だろ?


 『・・・・・・いいんだよ、チョコと、水とクスリ、そんだけでいいから、オレねぇ、病院立ち入り禁止になっちゃってさぁ、あははは    ・・・なぁ、頼むって、恩人だろ? なぁ・・・』


ガサゴソした笑い声、咳き込む背中に浮いた背骨はまるで、もがき苦しむ蛇みたいに波打った。 藍色のシーツの上、既に干乾びた吐瀉の跡と排泄の染み、辛うじて服を脱ぐしか出来ないスケキヨの、脆弱な丸めた身体。 汚染されてる筈の身体は尚も白く、いっそう白く、藍色に沈み、切ないくらいに死に近かった。 

視線を追って部屋の奥、冷蔵庫の前に進み黒い扉を開けた。 冷気を吹き上げ、電気屋だってもう少しマシに思える殺伐とした中身。  綺麗に10本並んだ緑は、薄荷の味がしそうな水。 トレイに6本、積まれた板チョコは忌々しく甘いリンツ。 そしてチルドの棚、恭しく銀の小皿の上、デザートのように乗せられたソレを俺は見つける。 

耳だった。

銀と黒のピアスが三つ、ホクロみたいに並んで留まった、青黒く変色した、多分女の耳だった。 


 『その子ねぇ、ココに来たんだよ。 どうしてもクスリくれって言って・・ね、綺麗でしょ? ねぇ、そんなカタチの良い耳ならば、手持ち分けたってイイと思うよねぇ。 ・・・くれたんだよ。 引き換えでイイからって・・ねぇ、悪くないでしょ?』


笑うスケキヨに涙が出た。 

哀れではない。 同情もしない。 だけど、知らない内に、知らない場所で軽くなり、汚物にまみれ、ゾッとするような綺麗なまま、死に向かって行くスケキヨを想うと、俺、どうにも腹立たしく、泣けてしようが無かった。 

冷蔵庫の前、立ち尽くす俺に 「チョコと水だよ・・」 と、スケキヨが促す。 青い包装を千切り、手渡せば、薄い口唇がチョコを小さく齧り、二口目と水一口で三口目のチョコをスケキヨは吐いた。 


 『ソコ・・金ならあるから、まずクスリ・・な?・・   おい、泣いてンの?』

壊れ物マガイの身体をゆっくり引き起こし、俺は胸に抱きしめた。 腕を回せばすかすかする、薄っぺらなスケキヨの身体。 手のひらに感じるのは、温度の低い、さらさらの肌とグロテスクな程、突き出た骨。 首の付け根、ぐらつく頚骨は危なかしく、嘔吐臭のする髪は、何故かサラリと乾いていた。 


 『・・悪いけども、今、アンタにヤラれたら、オレ、死ぬね!』





スケキヨの金でクスリを買い、売人はといえばチンピラから出世したハチ先輩で、涙と感動の再会を果した俺はさっさとアパートを解約し、スケキヨのマンションに転がり込んでスケキヨと暮らす。 

スケキヨは膵臓を中心に、内臓がイカレてた。 イカレてる癖にスケキヨは、吐きながらもリンツと水しか口にせず、数時間の正気を保つ為の最低量の薬を欲しがった。 クスリ代は、日々馬鹿にならない。 治すクスリも、壊すクスリも、飲み続けるその為には毎日キチリと、馬鹿にならない金が掛かるのだった。 

有り余るように思えたスケキヨの残高など、3月もしない内、ガキの小遣い程度に減った。 住む処には、困りはしない、が、スケキヨの親父は、もう、それ以上、スケキヨに一切の金を渡さなかった。 つまり、そこでもう死ね、という事だろう。 けど、人はそう簡単に死ぬもんじゃぁない。 死にかかってるスケキヨは、まだ自分を壊そうとワクワクしている。


生きるスケキヨが死に向かう日々、俺は、キツク、稼ぎが良い、飛脚のマークのトラックに乗り込む。 音をあげる身体を誤魔化し誤魔化し、誤魔化せないションベンを垂らし、テレビだのピアノだの、サイドボードだのを団地中心に運び、日銭を稼ぐ。 



『なぁ、カク、オマエの客ってさ、毎日この量、テメェが使ってんの? 相当ヤバイんじゃねぇの?』

― あぁ、かなり、ヤバイんだけどね ― 

ハチ先輩が無造作に袋を手渡し、俺は温まった札をケツポケットから引っ張り出し渡す。 少し調子が良いスケキヨは、今日、チョコを半分喰えるだろうか。 カウチに埋もれ、舐めるよう水を啜るスケキヨが昨日、俺の腕を引き寄せてヒンヤリ濡れた舌で触れた。


―― なぁ、やらせてやったら、腹ン中見せてくれる? 

白い蔓が俺に絡み、俺の死体はきっと、ぶらぶら巻き取られ、腐り、揺れるだろう。 
崩れ落ちた俺は、何もかもを、吸い上げられ、貪欲で儚い、蔓の一部になるだろう。 


見せてやるよ、だからお前、もうちっと生きてろよ、生きてヤラせろよ、やらせてくれたら見せてやるよ、腹ン中。 でかい机の上、俺はお前に腹切らせてやるからさ、あぁヤシ先輩が来年そうそうに出てくるって言うし、とっておきの机、作って貰えばイイよな、なに先輩は溶接より、今じゃ机作んのが巧いらしい。 


     なぁ、お前、死神だろ? だったら、俺より先に逝くな、なぁ?






November 18, 2002




        * 桜井 様 7000Hit > ジャンキーマガイの不健康ガリ、彼氏は佐川急便オトコ(尿モレあり。)
                        後アジ〜が、悪いのよ・・・。 でも、キワではない(言い張る)。