ハピバスデイ
                                         
                                    
                      

                  ありがとう、僕とキミと、世界にありがとう。 僕とキミとの、光の先にありがとう。




  ――  ついてくんな。 犬か? あんた ・・・・・・。


 キミは、微塵の躊躇いもなく、潔い薄べったい背を僕に向け、夕暮れの三叉路を北に向かう。 僕は、一瞬でも触れようとして、伸ばした手の所在に迷い、馬鹿みたいに立ち尽くす。 北に向かって歩き出すキミの背中、ただただ見つめ、ただただ焦がれる。 

  ねぇ、名前、呼びたいんだ、でも、キミはきっと怒るだろう? 
  ねぇ、背を向けたキミに、もう、僕は必要ではない? 
  ああ、そうだね、キミはもう、泣いては居ないし、じゃ、キミにはもう、必要無いんだ。


 犬と呼ばれた僕は、犬のようにキミを見送り、振り向き振り向き東へと歩く。 一歩、一歩、僕は振り向き、キミを想い、届かぬ気持ちを数で誤魔化す。 やがて蕩ける月を仰いで、枝を歪な槍の形に、寂しい垣根の木蓮の下で、五百二十歩の距離に愁いて、僕はキミを諦める。 振り向かないよ、もう先に行く。 でもキミは、きっと、また哀しくなって、きっと僕は、力になるから、今は、こうして歩いて行ける。 キミの背中が全てであっても、僕は、ここから、振り向かないよ。


  ―― シメタと思って、ツケ入るんだろ? ザマァと思うか? サッサと抱けよ。


 呼びつけたくせに、キミは怒る。 駆けつけた僕にキミは絡み、僕を殴って僕に抱かれる。 キミは勝手だ、卑怯で残酷。 ねぇキミ知ってる? 僕も涙を流すって事。 僕がキミを愛してる事。 あぁ、キミはどうせ聞いてはいない、幾度も幾度も繰り返したって、キミは僕の言葉を聞かない。 愛しているよと繰り返す僕は、つんぼに飼われたオウムみたいだ。 

 抱き締めた身体、温かい身体、絡みつく指は本当なのに、吐息の熱は、嘘じゃないのに。 でもね、キミは、僕って奴には抱かれちゃいない。 君が求める肌の温もり、君が求めるその場の快楽、そうだね、僕にはそれしか遣れない。 キミもそれしか欲しくないだろ? 僕の心は余計なんだろ? 青味がかったキミの瞼に、僕は静かな祈りを捧げる。 どうかその目で、見つめてください。 どうか僕を、僕って男をその目で認めて、笑ってください。

 真摯な願い、ささやかな期待、空事ウワゴト夢みたいだろ? 茹だる盛夏も、寒々した部屋、ささくれた畳。 うつ伏せるキミの背中を辿れば、静かに切りつけるような無言の拒絶。 吐き出す紫煙に、僅かの熱さえ、キミは残さず僕を追い出す。 でもね、繰り返さずにはいれない、キミに焦がれる、キミはそんなで、言葉を聴かないつんぼの王子で、だけども僕はね、焦がれるオウムで、君に心を幾度も伝える。 薄寒い部屋に今も多分、埃みたいに重なり積もる、僕の心が重なり積もる。



 『・・・・・・・ごめんなさい、クリスマスのは、もうないんです。』


 小さな白い、色味の無い顔が言う。 

 似てないんだけど、キミと重なる。 スマナイ顔した彼女は、何故だか、赤く潤んだ目を瞬かせる。 

いや、クリスマスじゃない、違うんだ、そう、誕生日なんだ。 
イエスの影に息を飲み込む、声を殺して涙を堪えた、祝う言葉を受取れなかった、大事な人の、今夜は静かな誕生日なんだ。
だからね、サンタは今日は要らない。
手のひらの上に花が零れる、そんな果実の小さなケーキを、僕は選んでキミに贈ろう。 


 ウサギみたいな瞳の彼女は、少し考え、小さく笑って、二十本の蝋燭を数え、淡い水色レースが縁取る紙に包んで、花束みたいなデコレーションの影に、そっと秘密めかした儀式みたいに、そっとそれを、忍ばせてくれた。 


 『ハピバスデイ!  幾つになってもみんな、ホントは好きなんですよねぇ、誕生日。』


 差し出す彼女の指先はまるで、聖なる夕暮れの薔薇色の空。 綺麗だね、こんなのどこかで見たことがある、桜貝のホログラムだった、仄かに蒼く揺らいでいたよ。 あんなふうな、夕焼けの空、キミは覚えているだろうか? キミはきっと、笑うだろうか? 弓なりの眉を片方上げて、偽悪的に、魅惑的に、確信犯のキミはきっと僕を笑うだろう。 


  ――― あんたと見た空なんて、
         小馬鹿にしたような見下げた目で見た蒼なんて、今すぐ、綺麗に、忘れてやるよ!
 

 やっぱり忘れるかい? あぁでも、かまやしない。 

 それでも僕は、僕はキミと見たあの夕暮れ、ホログラムの夕焼けの空を、何年経っても一人になっても、息が詰まりそうに薔薇色の空を、僕は決して忘れはしない。 鬱陶しいだろ? 怖いって思う? キミはそうだね、ずっとを嫌がる、明日と今日が続くなんて事キミには辛くて仕方ないんだ。 だけども、思いは、想う気持ちは、はいココまでだと切り取れやしない。 キミに伝えた言葉は続いて、何百回、何千回、何万回伝えたかわからない、愛してる、愛していると、伝えた言葉と同じ、強い気持ちを僕は、決して忘れはしないんだ。 


 それだから、僕は、蝋燭を灯した。 


 捻じ曲がった標識、剥がれかけた掲示板、キミと別れた、キミを見送る、後姿にただただ焦がれた、この三叉路からから、先の見えないアスファルトの上、僕は順繰り蝋燭を灯す。 二十六歩に一本の火を、一歩一歩キミから離れて、やがて蕩ける月を仰ぐ、振り向かずに行く木蓮の下。 二十本目の炎の先に、僕は笑ったキミを想う。 

 ねぇ、キミ、たった、五百二十歩。 なのにどうして遠いんだろう? 

 キミは僕からもう遠い。
 凍りつく夜、藍色の夜、聖夜の温みを知らない君に、僕は、こうして光を送ろう。


 ありがとう。 


 キミと僕と、世界にありがとう。 キミと僕と、光の先にありがとう。


 蕩ける月の下、木蓮の歪な槍の影、凍るアスファルトの上に零れる小さな果実の花束に寄せて。
二十本目の蝋燭をキミに、キミに心からの愛を込めて、ハピバスデイのおめでとうを伝えよう。


 ハピバスデイ。 僕は、この先、一人で行くから。



 ハピバスデイ、キミにおめでとう。

 そして、ハピバスデイ。
 キミにサヨナラ。







December 21, 2002




      * 佐伯 様 
      『受をこよなく愛する攻』暗暗でじめじめで、そこはかエロ。 小道具にロウソクの灯り。

     ・・・・・・エロはどうしたよ?