ツクヨミ
             
   



                   世界一幸せな馬鹿の話ってのを教えてやろう。

                   始まりはこんなだ。


孔雀石を採りに行った弟が言葉を盗まれ眠り男になってしまったので、お袋は雌鶏を逆さに吊るし、爺さんの忌み袋でもって、毛羽立つ足の付け根を幾度も撫でた。 

厄災屋の双子が言うには、こうしてる内、雌鶏も嫌気がさし、うっかり真実を白状するらしい。 その時、すかさず、首をはねるのがコツだと言う。 眠り男はいずれ、鼠に喰われるから、その前に、はねた雌鶏の首を、眠る弟の胸に乗せ、その首が歌う前に何らかの手を打つが良いと言う。 

だから急がねば。 弟が低く鼾を掻き、吐く息に混じり幾つもの言葉が流れ出て行く。 おい、まるで蟻の行列だ、言葉がゾロゾロ森へと逃げる。


俺が緑のキノコの夢を見るようになったのは、その晩からだった。


そいつは俺の背中に瘤みたいに吸い付き、見る見る大きくカサを広げる。 山羊を担ぐ? あぁ、そんなもんだ、そんなくらい。 俺は、夜道を急ぎ足で走る、が、一足毎にそいつはずっしり重くなる。 家に帰ろう、家に帰って親父と呑んだくれの叔父に、こいつの根元を鉈で打つよう頼まにゃなんねぇ。 よろよろヨタヨタ、よろよろヨタヨタ。 

皮盗り乞食の呼ぶ声も聞かず、笑い狼の舌が長く伸びるのを見ないように、俺は、早く早くと気は急くんだが、キノコのやつが大きく大きく、ヤメロ、止めてくれ、なぁ、お前、俺の、命水を分捕りやがってるんだろう?

闇夜のその先、ピカピカ光る映し黒松の林が見え、あれを抜ければ家は近い。 二本の足は、ナメクジみたいに、引き摺り引き摺り、光に向かって這いずるように、そして、俺は気付くのだ。 俺は、もう、俺じゃない。 映し黒松の鏡面に写る、でっかい緑の歪んだキノコ。 その軸の横、干し肉みたいな奇妙な瘤は、あぁ、俺だった、俺なのだ。


『どぉしたよう?! 耳長虫にハラワタ突付かれたんかよう?!』

赤ら顔の叔父が、俺を起す。 

叔父と俺は同じ部屋で、二つのハンモックに揺られ眠るが、あまりの俺のうなされ様に、叔父は回転ウォッカに悪酔いし、したたか転げ落ち、瘤をさすりつ、俺を起こす。 それが続く。 弟は眠り、昨日乗せた雌鶏の首は、未だ鼻歌すら囁かず。



憔悴し腹を下し、圧し掛かるキノコの恐怖に目玉が赤く染まった俺は、お袋に引っ張られ、厄災屋の前に立つ。 でっぷり太った双子は末端肥大の右手でもって、芍薬煙草を忙しく吹かす。 兄はめくらで弟はつんぼ。 息のあった双子は、俺を上から下まで検分し、素早く正しい理と結論を出す。


『オマエは呼ばれているんだよ。』
『コトノハを追って行くがいい。』
『コトノハの先にツクヨミが居る』
『月の無い夜にツクヨミを訪ね、逃した言葉を貰うがいいよ』
『コトノハ返しに、気をお付け!』
『新月の夜は、明日の晩だ、急ぐがいいよ!』


そうして俺は、ハラワタが森の毒気に当てられないようにと、耳長虫の黒煎りを一匙、めくらの兄に飲み込まされて、つんぼの弟の祈祷を受け、まだ日が高いその日の午後、碧羅雲母の森へと出発した。




眠る弟の胸、だんまりを決め込む雌鶏を眺め、俺は一人で家を出る。 映し黒松の鏡面に、赤眼の俺が自慢のデカイ身体を揺らし、闊歩するのが幾つも映る。 


―― 何処行くんだよう?
―― オマエの背中に、猿が引っ付くぞ!!


皮盗り乞食のキィキィ声が、耳障りに引っ切り無し、俺の気を惹こうと追いかけた。 返事なんてするもんか。 一度返事をしようものなら、奴等はこぞって俺を囲む、そして散々質問を浴びせ、返事が遅れりゃ指の先程、俺の生皮剥がすだろう。 

蟹屋の親父は奴等に囲まれ、指の先程3百8箇所、皮を剥がれてマダラになった。 アレじゃぁ、商売あがったりだ。


腰でぶらぶら瓢箪が揺れる。 精がつくよ と、お袋は出掛け、白樺水を苺で溶かした。 薄甘いそれを一口啜り、見上げる空のその向こうまで、目玉トンビが一列に飛ぶ。 向かう先にはツン廻し山の、険しい峯が鋸の形。 あぁ、急がなければ、目玉とんびが峯を回り、戻って来たらば日は暮れる。 

カタカタする、雲母のナイフを柄から出して、切っ先に滲む光を眺めた。 これで、俺はツクヨミを刺す。 ツクヨミを刺して、ツクヨミの内に、堆積しているコトノハを奪う。 


して、ツクヨミとはどんな奴か? とんだ化け物に違いはないが。


一つ目の池を、泳いで渡る。 水は冷たく、途中熱い。 俺は最初の二掻きの間、玉袋の中、氷が張った。 そして苦悶の五掻きの間に、背骨が三つ熱さに曲がった。 まぁ、大した事じゃぁねぇだろう、幾らかチビになっただけさ。 

二つ目の池で、痒みに襲われ、掻き毟る俺は爪を剥ぐ。 池には無数の飛びナマズが棲み、俺の毛穴に卵を産み付け、最初の湿地を這いずる俺は、風船のように浮腫んで膨らみ、ブチンブチンと弾けて孵化する、ナマズの稚魚をその場で喰った。 


やがて暗がりゲラゲラ笑う、陰気で無様な笑い狼、奴らとキタラバ作法が悪い、べろんと伸ばした舌の先には、これ見よがしのチビけた陰茎。 奴らは獲物を喰らって犯す。 笑い狼の胃袋の中、犯した獲物は数秒で孕み、長い腸内二十三日丸々太ってぐるぐる回る。 そしてついには、腹喰い破り、げらげら笑ってこの世に出でる。 

冗談じゃねぇ、ゾッともしねぇ。 俺は慌てず猫笛を吹く、猫笛を吹くと奴らのチンコはドボドボ苦いションベンを垂らす。 な、そんなじゃぁ、喰うのも不自由、犯すも無理だ。 俺は笛吹き足早に去り、あくび野原で、大あくびする。


眠気に襲われ、あくびを連発、やがて長閑な野原を抜ければ緩々光る、ケチな月。 爺の髭より細く、白く、山羊の乳より有り難味はねぇ、そんな月下に、俺は眠ろう。 半日歩いてすっかり疲れた。明日もなんて,こりゃうんざりだ。 

不思議な事にこの半日で、俺はどうやら色々忘れた。 お袋の名も、弟の名も、飲んだくれッちゅう気がする叔父の名も顔も、ぼんやり霞んで思い出せねぇ。 そんなわからん連中の為に、この半日の苦労といったら、こりゃあんまりだ、ひでぇ話しだ。 ツクヨミなんざ、ホントに居るんか?



『欲しい言葉、教えてやろうか?』

カナリヤくちなし、瑠璃いばら、
俺の知ってる綺麗な音は、こいつのソレよりずっとガサツ。 


『さ、もう帰ろう!!・・・な、ソレだろう?』

金剛ペリカン、匂い木鼠、
俺の知ってるソレよりも奴は、ピカピカ光って、いい匂いがした。


『教えてやったさ、言ってやったろ? だから、オマエも、くれるだろ? オレに。 オレの大好きな言葉をくれよ・・・』


ケチな月からぶらぶら下がって、緑の光の絹糸に揺れて、ソイツは俺の、眼の上ちょっとに、ふんわりピカピカ綺麗に囀る。 

プチンと千切った糸の先は消え、残ったソイツが、寝転ぶ俺の、腹の真ん中トンと座る。 重さなんて、羽根ほども無い。 光る緑、冷たい沼の水草みたいな滑る緑の晧々とした眼。 ヒンヤリ硝子の粒を集めた湧き水みたいに流れる髪の毛。 俺の胸にも腹にも流れる。


『なぁ、ケチ言うなよ、こんなトコまでわざわざ来るには用事があるだろ? 用事を済ますにゃ、言葉をくれなきゃ、そりゃ、礼儀だろ? それともオマエ、ただの馬鹿?』


綺麗な声に、うっとり聴き入り、腹に乗っかる無作法な奴を叱りもせずに、俺は呆ける。 眉の無い眼が、僅かに瞬き、蜘蛛の巣みたいな靄を纏った細い手足が苛々促す。 


―― 用事はあるさ、わざわざ来たんだ、俺は馬鹿だが礼儀は知ってる。 けどな、そいつは相手によるさ。もしもお前がツクヨミならば、俺はお前に言葉を遣るよ。

すうっとソイツの美しい顔が、俺の間近に引き寄せられた。 すっげぇ綺麗、異形の癖に!蝶々みたいな口唇が開き、笑いのカタチで言葉を吐き出す。 言葉は芳香、目玉に沁みる。


『やっぱ、馬鹿か、でも馬鹿は好きだ。 馬鹿は言葉が本当だから、オレは腹を壊さなくて済む。 オレの身体が縮まなくて済む。 あはは、ホラホラ、じゃぁ寄越せ! オレは、ツクヨミ、コトノハの主、オマエの用事を叶えてやるよ!!』


威張るそいつを腹に乗せたまま、身体を起して間近に捉え、緑に光る二つの炎をじっと見つめて俺は言う。


―― お前の欲しがる言葉を遣るけど、ソレが俺にはわからねぇ。 俺の用事はお前を刺して、お前ん処に逃げ込んでった弟の言葉取り返す事。 お前刺したら言葉は遣れねぇ、言葉遣ったら刺されてくれるか?

『・・・・そりゃ、あぁ、難しいな・・・で、すぐオマエ、オレを刺すのか?』


―― いや、月の無い明日の晩、俺はお前を刺すらしい。

『・・・ふん、ならば明日まで考えよう。 オマエはオレの欲しがる言葉を、オレはオマエに刺されていいのか。 明日の晩までじっくりゆっくり、オマエは馬鹿だが俺が付いてる、二人でこうして考えりゃきっと、いい答えってのが出るだろう?』


ツクヨミが実に綺麗な声で、綺麗な姿で提案するから、俺はすっかりその気になって、明日の晩までコイツと一緒に、考え事も、悪かねぇなどうっかり暢気に思ってしまう。 何度もイカレた木瓜鳩みたいに肯く俺に、にんまり笑ってツクヨミの奴が、スルリと俺の首っ玉んトコ腕巻きつけて、勢い付いて俺は転がる。 


ふんわり冷たいツクヨミが俺に引っ付き、ふんわり綺麗な良い匂いのする、言葉と身体で俺に語る。 髭よりチンケな薄い月の下、評判の馬鹿の俺と寝転ぶ、綺麗で不気味な物の怪ツクヨミ。


『決れば早速、ついでだものなぁ。 オマエの命の動く音を、こうしてオレに、ちょっとくれ。』



簡単な事だ。 ヤブサカでもない。 

ツクヨミと共に俺は寝転び、ギュッと引っ付く奴と眠る。 ツクヨミの胸は拍動しない。 ツクヨミはずっと冷たいまんま。 ツクヨミの腕は細くて白くて、硝子の髪は夜露に光る。 閉じた目玉の緑が消えて、寂しい綺麗なツクヨミの顔。 言葉を紡がぬ蝶々の口唇。 

なぁ、お前、何が欲しい? どんな言葉、欲しいんだろか? 

遠くで小さく、戸惑いコウモリの群れが鳴く。 懐から耳栓を出し、そっと、ツクヨミの耳ん中に押し込んだ。 ツクヨミは、起きなかった。 そして俺は耳を塞ぎ、ギュッとくっつく冷たい身体をギュッとしてクンクン嗅いで、いつか眠った。 夢ん中ツクヨミは、緑の目で笑ってた。




『兄さんは、まだ眠っているのかい?』

弟の声に驚き目を開けると、モヤモヤの服にすっぽり包まり、目玉だけが覗いて光るツクヨミが、昇り切った陽光の下、ぼんやり霞んで見下ろしていた。 


『クダ巻きロバの、藁は敷いたか? ボンクラめ!!』

叔父の声で罵倒するツクヨミは弱々しく光り、サァ、どうする? と、瞬きした。 どうったって、どうすんだろう。 わかってるのは俺のしなきゃいけねぇ事。 

俺は月の無い晩にツクヨミを刺し、刺したツクヨミから流れるコトノハを奪い家に帰る。 月の無い晩は今夜。 そして、その前にツクヨミの欲しい言葉をツクヨミに与えねばなんねぇ。 ソレが約束。 して、まだ、晩じゃねぇ。 まだこんなにも日は高く、目玉トンビもノタクタ遥か北の空を、まだ飛んでいる。 


―― お前を今夜、月の無い晩に刺そうと思うが、それまで、時間はじっくりあるし、お前の欲しがる言葉について、考えるんだが、そら、難しそうだ・・・


『難しい? オレを刺すのがか? オレの欲しい言葉捜すのがか?』

どっちもだった。 オレは、ツクヨミを刺すのがなんかヤダなぁと思った。 刺せばコイツはどうなるんだろう? 雲母のナイフでコイツを刺すと、化け物といえど、死ぬんだろか? しかし、コイツはそもそも命の、息吹が一つも無い物の怪だが、緑の目玉は泣くんだろうか? ピカピカの身体、消えるんだろか?


『泣きゃ、しねぇ、死ぬのとも違う、けど、コトノハが流れたら、オレは無になる。 そんだけだ。 流れる血も涙も無い、そう、面白かねぇんだが、お前が決めたんなら仕方ない・・・』

目玉だけ光らすツクヨミは、もう既に刺され掛けてるかのように、弱々しく、半分消えかけてる風に見えた。 俺はこいつの好きな言葉を、考えねばなんないが、好きな言葉・欲しい言葉、俺ならナンダ、どんなのが欲しい? 


―― もう、帰ろう・・・
―― おら、沢山食べな!
―― 今日は、働かなくっていいよ。

じっと見つめる緑の瞳が、俺の言葉に小さく瞬く。


―― ツクヨミ、綺麗だなぁ、緑の眼ん玉・・・

見開いた緑がすっと閉じられ、霞みの向こうに溜息が洩れた。 溜息すら、良い匂い。


『・・・馬鹿だな、オマエは。 そんなんじゃねぇよ。 』


ソレきりツクヨミはダンマリを決め、俺はかったるそうなツクヨミをギュッとして、日向が暖かな野っ原の草に埋もれ、トロトロ眠ってトロトロ起きた。 ツクヨミはふんわり冷たく、ふんわり良い匂いで、ギュッとくっ付き喋らなかった。 白樺水を途中二回飲んで、二回ともツクヨミに勧めたが、ツクヨミは2回とも低い綺麗な声で 「いらねぇよ 馬鹿」 と、言った。




何度目かの夢うつつに、遠く目玉トンビの帰り呼び声を聞く。 もう風は冷たく、日は傾き、ざわざわ夕暮れの侘しい風が、野っ原の草を揺らしていた。 ギュッとしてた筈のツクヨミは、寝転ぶ俺の足元に背中を伸ばし立っている。 ツクヨミの肌はピカピカ輝き、霞みの服から手足が伸びて、硝子の髪が風になびいた。


『もうよ、あんまり時間がねぇんだけどよ・・・』

振り向いた緑の眼は晧々と冷たく燃えさかり、良い匂いの言葉は唇を震わせた。 やっぱツクヨミは日が落ちて綺麗になるんかなぁとウットリする俺を睨み付け、重さの無い足をトンと足踏みの形に動かして、どうやら腹を立てているツクヨミが、苛々睨んで俺に近付く。 


『馬鹿は馬鹿なりにチッたぁ考えろよ! もう、幾らも時間はねぇんだろ? もうじきテメェはオレを刺すんだろ? そら、決定だろ?・・・ならよ、くれよ・・・オレに言葉くれってんだよ!!』

綺麗な声で空気を切り裂き、ツクヨミはカンカンに怒っている。 なのに俺は言葉も遣れず、ただ、そんなでも綺麗な声、綺麗な異形のツクヨミを、ウットリ呆けて眺めるばかり。 


『・・・馬鹿だなぁ・・・・』

ツクヨミがしゃがみ込み、間抜け面の俺の頬を冷たい手でそっと触れた。 


『・・救いよう無く、馬鹿だなぁ・・・馬鹿に刺されて無になるオレは、どうしようもなくツイてねぇなぁ・・・・』

歌うようなツクヨミが、笑うような泣くような、あぁ、泣くような顔をした。したように、思えたんで、俺は、硝子の髪に顔を埋めて、クンクン嗅いで、ギュッとした。 馬鹿だ、馬鹿だとツクヨミは歌い、ギュッとする俺は、何でツクヨミ、暖かくなんねぇかなぁと、いつまでもクンクン嗅いで、ギュッとした。 

日がぐんぐん暮れ、いよいよツクヨミのふんわり冷たい身体が輝き、靄みたいな輪郭も晧々とはっきりしたその頃に、月の無い夜は全くの闇。 馬鹿だ馬鹿だと想い出しては嘆くツクヨミは、ずっと俺の腕の中、何故かじっとギュッとされて、なぁ、ツクヨミの声はホントに綺麗。 


―― ・・・で、お前が教えるってのはどうだろう? おまえの欲しい言葉、お前がこっそり俺に教えて、俺がお前にくれてやるっての、ソレでどうだろう?

身じろいだツクヨミが、俺の事をギュッとした。


『・・・意味ねぇよ・・・馬鹿野郎・・・』


三つ子星が黄色く瞬き、闇苺がほんのり香る野っ原で、俺は、そろりそろりと懐を探り雲母のナイフを柄から抜いた。闇夜でチカチカ輝く切っ先。 その刃先を軋ますツクヨミの髪は雲母より星よりずっと、綺麗で綺麗で、輝いていた。 ギュッとしてるその後ろ頭に俺は言う。


―― じゃ、よ・・・言葉、思いつかねんだけど、お前刺そうと思う。

『ロクデナシの、大馬鹿だ・・・・』


も一度ギュッとして、俺はその背中にナイフの切っ先を勢い良く沈めた。 呆気無いほど抵抗無く、ソレはすっと背中に吸い込み、身震い一つしないツクヨミはただ、・・・馬鹿だ馬鹿だ・・・と繰り返し、綺麗な声は掠れもせず、背中で蕩けたナイフの痕から、ぞろぞろ喧しいコトノハが流れ、それは俺の良く知ってる人の声であるようだが、実はもう、わからなかった。

そして、コトノハ達は一目散に俺の背中に乗り移り、どうしやがったか俺は背中に抉られるような痛みを感じる。 


―― おい、どうなってんだよう?


『・・・どうもこうも、オレが無くなんだから、仕方なくテメェん中に逃げ込んでんだろ? 馬〜鹿・・・』


ソレが、ツクヨミの最後の声だった。 

ファン・・と、キノコの胞子のように、ツクヨミの身体は空気に弾け、後には何も、残らなかった。 空っぽの腕の中、ふんわりいい匂いの冷たい名残は跡形も無く、ただ、抉られるように背中が痛み、何しろ喧しく、重たかった。

のろのろと立ち上がり、ならば、もう、俺は帰るしかない。 

俺は重い身体、痛む背中を庇い、せむしの爺みたいに、一歩一歩と歩き始める。 一歩歩くとコトノハは騒ぎ、騒ぐと身体は重くなる。 どうしようもねぇ、そう云う定めだ。 月の無い夜、やけに暗い。 あぁ、さっきまでは晧々と光る、ツクヨミがココに居たんだなぁと、俺は自分の掌を眺め、そっと匂いを嗅いでみたけど、何にもしない、草の匂いと俺の汗。



あくび野原で眠気を堪え、白樺水を一気に煽り、空の瓢箪をそこらに捨てた。 それしきの物も捨てたかった、それっくらいに、重くて参った。 コトノハの重み、ツクヨミの身体、不思議だなぁ、こんなの抱えて、どうして奴は、風の花みたく軽かったんだろ? 

喧しい奴ら、背中のコトノハ、不思議だなぁ、奴らこんなにガサツで喧しいってのに、ツクヨミの声はどうして綺麗? 


ベロンと舌出す狼の群れ、厄介な背中折り曲げる俺は、ヨタヨタそん中、猫笛を吹いて、ベロンと伸ばした舌先のチンコ、じょばじょば放尿する様を見る。 もうよ、だリィよ、実言えばもうよ、コイツラに喰われてコイツラのガキ孕んだってまぁ、どって事ねぇんだよと思わなくも無かったが、けど、俺の背中の厄介者はツクヨミの中に居た奴等だから、俺が喰われりゃそいつ等も喰われんだろし。 ツクヨミの破片があの連中に喰われて孕むのはなんか、嫌だなぁと思う。 

俺は狼の群れを突き進み、ヨタヨタと通り抜けて、溜息を吐く。


四苦八苦して飛びナマズの池に着き、ふと思い、俺は服を脱ぎ、背中のコトノハに巻きつけた。 驚いた事に、コトノハどもは赤ん坊ほどの瘤を作って、俺は惨めなフリチンのせむし、そんななりで、池を渡る。 水ン中なら背中も軽く、歩くよりかはマシに思えたが、しかし、剥き身の俺に群がる飛びナマズどもの厚かましさよ。 

俺はしたたか産卵されて、がりがり爪を立て掻き毟り、掻き毟り、対岸に渡り水を出れば、指の届く全てが赤く、皮膚一枚失う有り様にぞっとした。 しかし、仕方ない、次の池はもう近い。


熱湯の如くその水温に、飛び上がる俺。 しかし、決意し身体を沈め、赤剥けた皮膚が白く縮んで、ジワジワ背骨が撓って曲がる。 ヒンヤリしてふんわりしていい匂いのソレを思い、はて、それは一体何だったかと俺は思いあぐね、のろのろ水を掻く指が急に氷の水温に触れて、瞬間、さらさら流れる硝子の束を目玉の後ろに浮べて俺は、竦む。 

心臓がギュッとした。それは氷の水温だけのせいでなく、何かギュッと締まる腹の奥、耳長虫に遣られたハラワタが痛むそんな感じに、ギュッとして。 そう、ギュッとするソレを俺は知ってた気がするんだが、なぁ、それは何だったろう? 池から上がると爛れた皮膚が、ペロリと、唸り蛇の脱皮みたく、一剥けして足元に溜まった。 想い出せない何かの痛みが、俺の頭蓋で眼球を突付く。 

だから俺はメソメソ泣いた。 赤い目玉に赤い涙。 せむしの俺は物の怪のようだ。 


なぁ教えてくれ、何故、俺は泣く? 何故俺は痛む? 何を忘れて何に悲しむ?


皮盗り乞食の群れに入るが奴らは何故だかシンとしている。 どうした? 静かだ、気味悪いじゃねぇか? でも、俺は気付く。そらそうだろう! 俺に、皮など一つもねぇし。 奴等にとっちゃ興味もねぇか! 静まり返ったその暗がりを、とっとと行くかと言えば、そら、無理。 俺の背中はどうにも酷い。 重くて、重くて、その上身体も、さっきの池で、かなり縮んだ。 今の俺じゃぁ、多分テーブルの上に頭の天辺、出やしねぇ。 一歩一歩、曲がった足を萎えた膝を、俺は突き出し道を進む。 

ところで何で、何しに帰る? どうにも俺には想い出せねぇ。 この手に触れてた良い匂いって、なぁ、教えろよ、アレはなんだ?


泣く泣く歩く俺は行く手に、ぴかぴか光る塊を見る。 あぁ、アレはキットなんか良い物だ。 そうだよ、ああしたピカピカした奴、ピカピカ光って綺麗な何かを、俺はこうしてギュッとしたんだ。 ギュッとしたらば良い匂いがして、俺は綺麗な、綺麗な? 何が? 

ピカピカしたのは陰気な古木で幾つも幾つも陰気に生えてて、ピカピカ光ってその幹の上に、醜い小人の行進を映す。 しかし、小人は醜いが、小人の担ぐそれは、なんて美しく、なんて綺麗。 ぼんやりした霞みを纏い、硝子の束が流れる髪で、勝ち誇る月みたいに晧々と輝くそれは燃えさかる緑の眼。 

小人が赤い目で泣いている。 赤い涙をダラダラ流し、くちゃくちゃの焼け爛れた顔を血膿で汚し、泣いている。


――あぁ、そこに居た、そこに居た、逢いたかった、恋しかった、も一度ふんわり冷たいお前をギュッとしたくてクンクンしたくて、あぁ、そこに居た、逢いたかった、ツクヨミに、俺は、逢いたかった、ずっとツクヨミと居たかった・・・他はもう、どうでもイイや・・・


緑の目が大きく開き、薄い口唇蝶々の口唇、ソレがすうっと笑いのカタチ。 首筋に回るひんやりした腕、醜い小人にガラスの髪が、湧き水の如く覆い被さる。 カサブタになった耳ん中に、囁く声はとっても綺麗。 

カナリヤくちなし、瑠璃いばら、あぁそんなのよりずっと綺麗で、覗き込む顔、緑の炎が二ぁつ燃えてる美しい顔は、金剛ペリカン、匂い木鼠、そんなもんよりずっと、ピカピカ。


『・・・・馬鹿は何でもノロノロしやがる、纏めて言っても得にはなンねぇ!・・』


綺麗な声、ツクヨミが笑う。 嬉しそうに、嬉しそうに笑う。 そして俺はみるみる身体の力が抜けて、映し黒松に映る不気味な小人が縮まり蕩ける様を見た。 小人は溶けて、影になった。 黒くて大きな影になった。 影になったオレはピカピカの奴をギュッとして、ふんわり冷たいソレをギュッとして、いい匂いをクンクン嗅いだ。 

俺の居た場所から沸いたようにコトノハが走って行く。 モタモタと最後を行くのは多分、弟のコトノハだろう。 一目散に走り去る奴らは、きっと元の主の所へ行くのだろう。


『で、おらよ! ギュッとしろよ! 逢いたかったろ? 嬉しいだろ? ずっとオレと居るんだろ? あははは! 馬鹿はイイなぁ、馬鹿は綺麗な美味しい言葉をオレにくれる!! 馬鹿は好きだ! なぁ、オマエ、馬鹿で良かったなぁ!!』




そして、光るツクヨミと黒い俺は風に乗り、渦を巻いて、闇夜の向こうへ飛んで行く。 ツン廻し山の多分その先、俺達はずっとギュッとしながら、多分、ずっと一緒に居る。


俺は、世界一幸せな馬鹿だ。





December 12, 2002




        * オオハラ 様
        > 今まで生きてきた中で一番恐かったのは夢の中で、巨大なキノコに踏みつぶされそうになった事。 
          という男の話。    という、話しらしい・・・ポエマ〜なアタシ・・・・