街角 詩人Kの日常
     
       



プラタナスの並木に愁う、木枯らし吹く、薄曇の朝。 此処は、モンマルトルに似ている。


似ている気がする、七色商店街、シャンゼリゼロード。 

喫茶「ピノキを」にて、オレは、今日も、カオスの瞑想に浸る。 かつて、カフェ・ドゥ・マゴに集い、芸術を、思想を談義したであろう、気鋭の文豪宜しく、オレは、ステンド硝子に見えなくもないシール付きのドアを、そっと押した。 カラコロと、カゥベルがオレを迎える。


『マダァム・トリュフ・・・ 陰鬱な朝にボンジュ〜ルだ・・・ 』

『なんだい、ボンクラ、朝っぱらから、気味の悪い仇名で呼ぶんじゃないよ。 
あたしゃね、バンジュンそっくりの亭主と所帯もってからずっと、エノキダってんだよっ!!』


ペシミストのマダムは、人生の苦渋と喜びを、ウィットに富んだ会話でオレに示唆してくれる。 あぁマダム、オレには、あなたの優しさが、痛いほど分かる。 

吝嗇家でもあるマダムは、幾度目かの不可逆的臨死体験をしたに違いない、その、瀕死の眼鏡の蔓を、セロハンテープと輪ゴムで、強引に蘇生させ、屍未遂の硝子のまなこで、オレの浅ましき心の深淵を、御見通しだよと、覗き込むのであった。 脆弱で愚かなオレは、マダムの視線を頬に受け、呪詛の如くに想いを伝える。


『マダ〜ム・・カフェ・オウレとクロック・ムッシュゥウ・・・頼むよシルヴプレ・・。』

『あいよ。 あんたァ〜、カヘオレあんど〜ハムチーズ!』


ねぇ、わかってらっしゃるんでしょう? マダム。 

・・・ オレは、道ならぬ恋に、身を捩り、眠れぬ夜を重ね、ナイチンゲールの声ってか、裏のムッシュウ・ハヤシんちの、いかれたチャボのイナナキに、忌わしい朝の訪れを悟り、時々フェイントに激怒し、この、遣る方無き身を竦め、下着を汚す。 あぁ、いっそ煉獄の業火に、焼き尽くされれば、一筋の煙りとなり、我、迷う事無く、天に昇ろうものを!! 

チーズの焦げる匂いに、腹が鳴った。 


それでも、腹が減るのか! 貪るか、餌を! 垂れ流すか、時間を! 
我、浅ましき、胃拡張ナリ!! 


『マダム、哀しいね、なんて安っぽい時間なんだろう?!』

『あんだよっ、ゴクツブシが、うちのバイト募集の時給にケチつける気かい? こんな暇な店で、700円も払ってやるッつってんだよ、たいした大盤振る舞いじゃないか? けッ!』


恋は、人生で最も哀しく、安く、同時に大盤振る舞いのオマケであると、あぁ、マダム、貴女は、何もかも御見通しなんだね。 溶けたチーズが口唇を焼き、あげた悲鳴に、マダムが舌打ちを返した。 琥珀色、曇り硝子の向こうに、極彩色のなれの果てが揺れる。 

なんで、ああ云うの吊るすかな、電柱に、並木に、セルロイドの紅葉、ナンデ? 何とはなしに、ソレを窓越しに辿れば、指先にウンコ色が染みた。

―― マダム、窓、磨いた方が良いようだ、これは色硝子じゃない、ヤニ、つき過ぎだ。 あと、煙草、ワカバは止めたほうが良い、アンタ、肺、真っ黒だ。 


迷走する指跡を残し、マガイ茶硝子は鈍く室内灯を反射する。 そこに、陰鬱な男、つくづくアレだが、ヴェルレーヌに似てるんと違うか? と、自賛するオレが映る。 あぁ、愛しき我ランボーよ! シャルルヴィルの白い墓石に刻むのは、余白すら美しい君の名、ただ一つ 

・・だよな、所沢の爺さんの墓とか、フランスに移せねぇかな、無理か? けど、俺ヴェルレーヌだしよ、所沢っちゅうのも、ナンだよ。

カフェ・オゥレの御代わりを頼むオレに、マダムが尋ねる。


『日がなボサァ〜ッとしやがってさッ、あんたァ、親父は元気なのかい?』

『ああ、変わりない、御心配なく、マダム。』


現世に民衆をオドラセル、因果な仕事に、父は明け暮れる。 そしてオレは、映し身の現実を呪うが如く、ただ、待ち侘びる、恋の牢獄の愚かな囚人。


『なら言っときな、アンタんトコの台、裏で細工してンのと違うかいッ? リーチからが、掛かり過ぎなんだよっ!! 庶民からボッたくりやがってさっ!!』

『カジノの事は、オレにはわかりませんよ、マダァム・・・』

『カジノだぁッ?! キドンじゃないよっっ! パチンコパーラーキジマのボンクラがっ!』


―― それは、だって、俺のせいじゃないモン。


長く細く吐き出す、マダムの紫煙を目の端に捉えつつ、これ以上の辛辣な愛情に耐え難いデリなオレは、猫舌を叱咤し、無理矢理にカフェオレを口にはこぶ。 はは! 自暴自棄な蛮行ナリ、 これでこそ、詩人! あぁ、自棄だとも、このままマルセイユで奴隷商人に身をやつし、ガレイ船で海原を渡ろうじゃないか? 

けど、それってパスポート居るんかな・・・てか、可能かも知れねぇのはどうよ。 見送りされちゃう程度に、認められちゃうっての詩人らしくないじゃん。 それ、旅行? とか、駄目じゃん。

呪われた一族。 微妙に、損だと思う。 ママンは、美容院チェーンのオーナー、パパはパチンコ店繁盛中の金持ちだから、ンだから、所詮、オレは放浪の詩人を目指しても、単なる道楽詩人と間違われてしまうよ。 親の因果って、こう云うんだと、しばし、己の出自を呪った。


望むは、薔薇と退廃の人生。 パリの空の下、アブサンの酩酊に身を任せ、美しき悪魔、彼のランボーに傾倒した愚かな男。 あぁ、しかし気持ちは痛いほどわかる、何故なら、お前はオレだ、ヴェルレーヌさんよ。 雑音の混じるラジヲは、砂漠を行くキャラバンのざわめき。 
マダムがそれに合わせ、低くアリアを口ずさむ。


     〜いィ〜のちくれェえ〜〜なァアイィい〜〜♪〜


1200円をテーブルに置き、席を立った。 マダムのアリアは、途切れる事無く、カゥベルの音が響き、冷気が肌を刺す。 ジャケットの襟を立て、オレは三叉路に続く、街路樹に凭れる。 小脇に携えた濃緑の表紙、開いたページを、朗々と読み上げ、涙するオレなのだった。 


   秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し 鐘のおとに
   胸ふたぎ 色かえて 涙ぐむ 過ぎし日の おもいでや げにわれは うらぶれて 
   ここかしこ さだめなく とび散らう 落葉かな.        「落葉」 ポール・ヴェルレーヌ


くぅ〜〜ッ、イイ事言うなぁっ!! アンタ、やっぱ、オレだよ、ヴェルさんよ! そしてオレはここで待つ、さぁ、来たれ、我 最愛の君! 道行くマドモアゼルが、視線を外す。 幼子を連れた、疲れた母が、子の耳元で 『見ちゃいけないよ』 と小さく囁く。 ハードカヴァーに手首も震える。


   おぉ かの君よ、トキメキのメモリアルよ。 その街角より出でて、瑞々しいエロスを、
   我に振り撒かんとするか?  過ぎ去りし季節、野に咲くシロツメクサの可憐さよ! 
   芳しき草の香に似た、魂のホリディ・インに、オレは、永久の愛を誓おう。  「彼」 詩人K


や、しかしなんだ、チッ! シッ! 
やけに纏わり付く、忌々しい小蝿の奴が!! シッ!


もうじきだ、向いの左官屋の職工は、金曜の遅い昼食に、出前をとる。 そして、ひらひらとプラチナブロンドの絹を頭蓋に携えた、君が、痩躯に憐れなほど白いコスチュームを纏い、アンニュイな足取りで、漂うように現れる。


『キチガイ沙汰だぁね! なんだねアノ頭は! ちんたら出前しやがって、
あんじゃァ蕎麦、伸びちまうねっ!』

 ハッ、 マダァム・トリュッフ!! ―― いつの間に ・・・


『満珍もお終いだねッ! あんなロクデナシが跡取じゃァさぁ! アタシんトコの息子があんなコッ恥かしい頭しようもんなら、嫌ってほど耳引っ張ってやるよっ!!』


マダム、あんまりです、オレの、アム〜ル、愛の権化に・・・


あぁ、けれど、世間が何と言おうと、オレの想いは、微塵の穢れも偽りもなく、ただただ清らに、君に向かう。  さぁ、オレに微笑んでくれ、たった一瞬の邂逅を、今、果さんと、オレは虚しい時間を、今日も夥しく浪費した!!


そうして、君が、ゆっくりと、近付く。 踊るような、麗しい、漂うステップ。 


あぁ、ミゼラブル! その細腕に、余りに惨い、大きなオカモチ!! 
君にそんな事させるなんて、鬼のような父親だね!  ヒトデナシめ! 
潰れちまえ! 満珍!!


近付く君を見つめ、息苦しい焦燥に、深く、胸に吸い込む大気
 ・・・ に混じり、畜生ッ! ナンタル事か! 俺の嘆きの粘膜、言ってしまえば鼻の穴に、深く飛び込む因果な晩秋の小蝿ナリ! カァ〜〜ッッ!! あぁっ! クソッ奥入りやがった! 馬鹿野郎、昨日爪切ったばっかだ、とどかねぇ、クワッ!!


そして、格闘するオレに、琥珀の煙る瞳が、物憂げに留まる。 桜色の唇が、薄く開き、天上の調べを奏でるのだ。


『・・・鼻ほじりながら、ガンつけんじゃねぇよ・・・』


     ―― 永遠ってあるの? 多分、この一瞬じゃぁないかしら ――


ゆらゆらと遠ざかる彼の後ろ姿を、オレは、張りぼての抜け殻で、見送った。 そして、まだ、粘膜の虚にその半身を埋めていた、空気の読めない右小指を引っこ抜き、音をなくした口に含む。 ・・・しょっぱいわ、涙と同じね。 


白日の亡霊、それはこのオレ。 もはや、飛散する名も無き精霊の如く、魂を抜かれ、石畳を徘徊し、見えない枷を引き摺るオレ。 取り戻せぬ一瞬、既に彼の網膜に張り付いたであろうあの一場面を、出来るなら掠め取り、真っ黒に感光させてやりたい。

オレが、今こそ紐解かねばならぬ「懺悔録」 ―― 何書いてアンだか知らないけど、ヴェルさんだもの、これ、きっと、今のオレに、すんごくトゥーマッチな、言葉の玉手箱だと踏んでいる。 懺悔、だぜ? してるよ、すっごく、も〜 懺・懺・悔・悔。


眩暈を覚えた書店の店先、山積みに軽く手をつき、深く溜息を吐いた。


『売りモンだからよ、汚さんでくれよ? ニィチャン。』


マツミ書店のムッシュウが、ハタキを振り上げ、苦笑する。


『パルドン、ムッシュウ・・・絶望で、目が眩んだのです。』

『あぁ、そりゃ、気の毒だけども、コレ、表紙買いする人にゃ、汚れ、不味いんだよ、な? ニイチャン。』


表紙・・・この小娘が、粗悪な紙束が、民衆を動かすか? 魂を抉るか? 
このオレの詩人たる言葉より、ずっと、これが、崇高だとでも言うのか? 
ムッシュ・マツミよ!


―― Wとじ込み! 特選 美乳アイドル ザ・官能!! ――


う、動かされた、抉られ捲くりだ、ある意味最強の言霊に、オレは敢え無く陥落する。メディア侮り難し。 オレは、数枚の硬貨と引換えに、詩人の魂を売った。 そして、彷徨う。 探そう、Wとじ込み、剥がせるところ。 落ち着いて、密かに、素早く、官能満載、堪能出来るトコ。



やがて、急速に彩度を落とす秋の午後、曝される、ルーズソックスの娘の意外に黒い乳輪。 縫い止められたオレの瞳が、漸く、瞬きをする。 北公園のベンチ、木枯らしの中、オレは傷心を癒すべく、愚かな劣情に二度ほど木陰を抜け便所の小部屋で震えたのであった。

あぁ、けれど忘られぬものか! オレは、この美しき夕暮れに、君を想い、ショートの娘の乳首に君を重ね、走り出し、咆哮す。 儚い恋、されど美しき恋は薔薇色、甘い糖蜜の、滴る如くに誘惑的な甘露の日々よ!! 

さぁ、聴くが良い、我心の調べ、ラヴィアン・ローズを! 枯葉よ!オレと踊ってくれるのか? 風よ荒々しく、この身を切り裂いてくれ!最果ての旅人よ、耳を澄ませ!! 項垂れた野良犬よ、この哀れな男を笑うが良い!! 

 〜〜るウあぁ〜〜ららラらららぁアン〜らラララララァ〜〜♪〜 


『うるせぇっ!! バカヤロがッッ!!』


頭上二階のヴァルコニィから、ソネシマ酒店のムッシュウが、サタンの如くに顔を出す。

ムッシュは、オカンムリなようだ。


『ボンソワ〜ル、素敵な黄昏ですね。』

『糞っタレめッ!!』


魔の森の泣き女、バンシーの叫ぶ声。
否、ムッシュウが叩き付けたサッシの軋む音。もはや、侮蔑の対象ナリ、石もて追われる異端の詩人、我、恋の終焉に墜落セリ。 斯くも孤独な生を、阿片の水煙草に似た諦めが満たし、オレの痛みに紗をかける。 しかし切ない、涙で前が見えないの・・・。 晩秋の日没は、呆気ないほど早かった。

悲しみを胸に、孤独を友とし、歌を諦めたオレは、今宵、半欠けの月を愛でつつ、懐かしき家路を急ぐ。 辛くなんてない、詩人は世間の無理解と己の在りように葛藤し、血を吐くように、芸術を生み出す。 それが、魂をアフロディテに捧げた、美の傀儡、詩人たるオレ。 

辛くなんてない、バカヤロ、たかが鼻ほじっただけじゃんか。



石畳に伸びる影法師が、ただ一人の従者である滑稽な夜の王。


だが、しかし、
悔やむなかれ、今夜、ママンは、すき焼を作っている。 

―― 肉、松坂だとイイな。


じゃっ、急がなきゃ!! パパはライバル、肉・肉・肉・肉・野菜の男!!



石畳を、一人の、詩人の靴音が駆け抜けた。


シモタ町、七色商店街、石畳だけがパリモード。 町を縁取る 『鯉が泳ぐ、アヒルが浮かぶ、僕らの川を皆で守ろう!』 な、二級河川オケヤカワは、濁り具合悪臭ともに、セーヌ下流に酷似している。


モンマルトルに似た石畳 牛脂とソイソースの香りが、静かに、ゆっくりと、流れた。



詩人の一日が、終わった。






October 19, 2002




     * 佐倉 様 6741(ムナシイ)Hit 「往来の真ん中想い人の前で鼻ほじる主人公(虚しさ炸裂系)」