転がるのは、小石ばかりでなく
     
       



   類は類を呼ぶってのは、あながち嘘じゃぁないんだと、ここ数ヶ月で実感した。

でもって三つ子の魂百までってのも、やけに説得力満点でもって身に染みたりしている。 そんなこたぁさ、別に身体で覚えたかなかったんだけどな。 けどま、覚えちまったもんは忘れない。 あながち悪くねぇそいつは、俺に、しっかり定着してしまったのだから。



キミテルのお袋はその昔、鈴鹿なんぞで切れ込んだ水着にハイヒールで傘差して、カメラ野郎に谷間サービスを振り撒く、その手の代表格だったらしい。 で、如何にもな感じで青年実業家などと云う、これまた如何にもな肩書きのトビタヒロシと素早く入籍し、シロガネーゼとやらに転身。 

1年後に、キミテル。 その2年後にテルキが生まれて、レトルトと『デリカッセン』と呼ばれるていの良い店屋物で育った二人は、今やブランド学校の大学部・高等部に仲良く通う健やかカモ知れねぇ19歳と17歳。 一方、40手前でまだまだイケてるお袋さんは、10歳下の出入りの業者とある日愛の旅立ちをする。 書置きには仕込み爆弾、設置済み。 

「子供二人の父親はアナタではありません。 それぞれ愛してた別の人。」

だそうだ。 トビタヒロシ、不憫すぎて何も言えねぇな。 いきなり異父兄弟になったキミテルとテルキだって、つくづくご愁傷様だ。 けどな、人生そんなもんだぜ。 知ったところで実の処、そう変らねぇんだよ、根っ子は同じ、変ったようで素が出ただけ。


その点、うちのお袋はハッキリしていた。 男も好きだが、子供も好き。 妻子ある身の俺の父親と即行で駆け落ちして、俺誕生。 けど2年で飽きて、日替わりパパを1年愉しんだ後、近所の寿司屋の板前と、これまた夜逃げ同然に逃避行して弟リツ誕生。 しかし今度は飽きる前に板前の親父は肝臓でポックリ逝って、向う10年、お袋は好きなモン一つ諦めて、残り一つの子供の為にそりゃあ働いてくれた。 

だからさ、好きな男と結婚したいってお袋が宣言した時は、オレもリツも大賛成だ。 しろよ、お袋、幸せになれよってな。 お袋まだ36歳、俺18で弟16、仕切り直すに遅かないじゃん。

や、けどもまさか、いきなり兄弟が二人増えるってのは予想外だったわけで。 しかも、野郎二人。 しかも俺、弟かよ。



かくして銀座の季節料理屋。 突き出しの胡麻豆腐を喰いながら、俺は新しい『パパ』と『兄貴』と『弟』を存分に観察していた。 新しいパパ、トビタヒロシは時代劇の大御所に似た二枚目で、恰幅の良さや話しの巧さから、中々の商売上手だと踏んだ。 が、人が良過ぎるな、こいつは。 どうやらパパは詰めが甘い様子。 多分、うちのお袋のほうが二つ三つ上手だろう。

もしゃもしゃと良く喰う弟は、少し垂れた目尻がイイ按配に人好きする相槌上手なデカイ男。 縦も横も、俺よかきっと一回りは違う。 
「毎日アメフト三昧ですよぉ」って、こりゃ爽やかだ。 
で、恐らく母親似の兄貴は遺伝子の神秘ってくらい、微塵も弟に似ちゃいない。 神経質そうなきつい眼で、身長の割に細い身体で、きっとこの縁談に反対なのだろうが、苛々しきりに眼鏡の蔓に触れる指先は、ちょっと見ないくらい綺麗だった。 薄い唇が、透き通るような鯛の薄作りを咀嚼する。


『ルツ君、でしたっけ? 何か?』

不躾な俺の視線に切れたのか、キミテルがやけに優しく発言した。 ちっとも笑ってない腹立たしげな眼で。 

『あぁ、ごめん、アンタ凄く喰うの綺麗だから、イイモン食べ慣れてると違うねぇって・・・・悪い、つい見惚れてたわ。』

俺は、にんまり笑顔を返す。 どうしたよ兄さん、どぎまぎするのを期待してたか? メソメソ泣く弱虫と決め付けてたか? 生憎、俺はアンタと張れる程度にゃ喰えねぇよ。 苦い顔したキミテルは、何か呟いてから、食べたくもないだろう天婦羅をいくらか行儀悪く口に運んだ。 
全く、エリートは負けず嫌いだねぇ・・・けどま、そこがまた良い。


『うわぁ、ルツさん、喋るとイメージ変わりますねぇ〜!!』
『丸文字で喋りそう?』
『・・ていうか、すっごいキレイ系の兄さんだよって、あははは緊張してた!』



人懐っこいテルキは、問題ナシと見た。 畜生、大型犬の可愛いさだな、奴は。 問題は兄貴か・・・ふうん、けどな、俺は結構、障害があると頑張り屋さんだから、これがまた猛烈にワクワクしてたりする。 一しきり持ちネタを話した後はどっと溢れる緊張の余り、何喰ってるかも分からない親二人を他所に、テルキと俺は学校の事、それぞれの家の事なんかを喋り捲って笑い捲くった。 

そもそも俺達に、たいして共通点なんてありゃしない。 強いて言えば、どっちも母親が些かフットワークが軽めで、父親はトホホだったって事だろうか?

俺とテルキが和んで笑い、残りはダンマリニ時間が経過。 親二人は石。 キミテルは渋々しか返事をしないし、リツは端から話す気が無いらしい。 尤もリツは、いつも最低限の事しか言わない。 こんな風に。

『で、いつから俺らは同居するわけ? 入籍はいつ? 学校はどうする? 名前は変るの? 』


黙々と綺麗に平らげたリツはゆったりと御茶を啜り、誰よりも余裕の態度で、この場を仕切った。



---のようにして、俺達6人は一つ屋根の下で家族をやる。 向うはどうだか分からないが、俺やリツにしてみたら今まで住んでた家が丸々入るくらいのリビングがある、ゴージャスな小金持ち生活が始まっていた。 そして俺の、チャレンジャーな日々。 

あの日、会食の帰り、トビタ親子に別れを告げたタクシーの中、緊張が切れて居眠りをするお袋を確認した後、神妙な顔のリツが小声で釘を刺す。


『ルツ、「義理」でも兄弟喰うのは問題あるんだからな。』

あらま、とオレはおどけて見せたがリツは笑っちゃくれなかった。 余程信用無いと見える。 けど厭になるほど図星なので、先に宣言しとく他あるまい。

『血ぃ繋がっちゃいないんだし、見逃してくれよ、なぁ』
『あの二人じゃなくったって、ルツには沢山居るじゃない。』
『沢山・・てか、なぁ、』
『ムロタさんは? ハナマキさんは? バイトの大学生ってのはどうしたっけ?』

あぁやだ、リツは何でも知っている。 
それは、俺がその都度迷惑を懸けているからなのだけれども。

『ムロタとはもう切れたし、ハナマキはシブヤってのと出来てたらしくて、そうそう! そいつ嫌な男でねぇ〜、そんなのと穴兄弟はアレだから、俺は彼女には手ぇ出してなくって、』
『え?! ハナマキさん女の人? 野球部って言ってなかった?』
『あぁなんだ、アレは弟の方。 や、弟と先付き合ってたもんだから、でもさ、そっちももう綺麗に別れたし・・・』
『でもも何もないよ! 欲張りな欲しがり屋のルツ! トラブルはうんざりだ。 ルツは後先無い。』
『後先考えちゃ、何も出来ねぇだろう?』
『ルツは少し考えた方がいい。 俺はルツの後始末する為に、賢く生まれたんじゃない。』


眉間に皺を寄せ、リツは窓の外、そっぽを向いてしまった。 
俺は慌てて何だかんだと言い訳をし、その場を有耶無耶にしようとしたが、ま、きっと上手くはいってないだろう。 リツはこうなると頑固だ。 だけど最後の最期で、巧い事帳尻合せに画策してくれるのもこの頑固なリツなので、俺はどこか安心してしまう。 

だから、つい、後先無く・・って、それがいけないのか。 いけないんだけど、トビタ兄弟を想うと --いやぁホントに好みだよなぁ-- と、浮かれる俺だった。 そう、俺は恋愛に関しちゃ、モラルの壁はとことん薄い。 そんな俺は、誰よりも同居に大喜びであった。 そりゃそうだろ? チャンスは多いほど良い。 だから一緒に住むなんて、コレ、抜群じゃぁナイか?



6時50分、目覚まし時計を瞬殺し、静かな物音だけでキミテルは身支度を済ます。 壁越しに聞こえるソレをうつらうつらの友にするのが、此処数日の俺の日課。 キミテルは、決してパジャマでそこらをウロウロしたりしない。 崩れた仕草なんて絶対しない、と云うか、見せまいとしている様子。 

俺は、既に隙無く武装して優雅に珈琲を飲む朝のキミテルに、オハヨウを言う。 キミテルはリツと、新聞記事の何かを話していたようだが、パジャマ姿の俺を一瞥して素っ気ないオハヨウを言う。 パパヒロシとお袋は、相も変らず窓際奥のミニテーブルで朝のいちゃいちゃを愉しんでいるし、邪魔ッ気な連れ子は中央の大テーブルでテンでにセルフで飲み喰いをしている。 テルキはまた寝坊だ。

『ルツ、だらしがない。 ボタンはめな。』

リツは俺の分の珈琲を注ぎながら、ぴしゃりと指摘した。 モタモタ外れたボタンを留めていると、騒々しい足音。 足音の主は真っ先に冷蔵庫の前、専用の牛乳をゴクゴク茶碗みたいなマグで二杯飲み、白くなった口髭のまんまで挨拶する。

『オハヨォ! あれぇ? ルツさん怒られてるの?!』

ほら見ろ、テルキもパジャマだぜ。 おまけに行儀も悪い、逆立った髪にずり落ち気味のズボン、みっしり筋肉付いて割れてる腹がボタンの飛んだ下二段から覗く。 あぁ、実に良い。 けどだらしねぇよ、俺よか酷いじゃないか。 なら、俺が忠告してやろう。

『テルキ、お前も怒られるよ、ちゃんとなさいって。』
『ちゃんとっ? 兄貴もリツも自分ちなのに堅苦しいよぉ、くつろごうよぉ、なっ!!』


『リツ君だろ? 呼びつけにするんじゃない。』

キミテルが口を挟むが、御叱りのポイントはそこか?

『呼び付けで良いです。 家族ですし。』

リツもそこなのか? だらしないとか、そう云うンじゃないのか?

『や〜、でもルツさんは、ちゃんとした方がイイかも。 なんつぅか目の毒? ある意味保養! あははは!』


テルキの直球に、俺はちょっと居心地悪い朝のひと時が決定。 そら見て御覧 とでも言うような、意地の悪いリツの視線が痛い。 他人との生活と云うのは、こう云う新たな気付きもあるのだと俺は普段掛けない第二ボタンまで掛けてシミジミした。 そしてふと見たキミテルは、しかめっ面ではあるが、その白い頬、耳朶を薄っすらと紅潮させている。

ふうん、そう・・・あながち悪くない朝だ。 俺はほくそ笑んで、新聞に没頭しようとするキミテルの向いに腰を掛ける。 咎めるようなリツの視線は痛いが、手段は選んでいられない。

『本日の〜お薦めニュースは何ですか? キミテル兄さん。』

珈琲のマグを両手で包み、上目でにっこりキミテルにアタック。 ナンダよ、とでも言いたげな怪訝さでキミテルは低く返す。

『ルツ君は、どんなニュースに興味があるのかい?』
『ん〜一番は〜、トビタキミテルの事かなぁ。』

しかめっ面のキミテルが、じわぁっと赤くなる。 悔しそうな目許がまた、ソソルってか、イイよなぁ。 が、その横、鬼みたいなリツにビビって俺は保身に走った。

『や、キミテルさん、あんまり喋んないし、やっぱ兄弟仲良くしなきゃね!! はは、テルキ、俺のもトースト一枚!』


急いてはいけない、リツを怒らせ過ぎてもいけない、しいてはテルキもちょっとは頂きたい俺だから、ここは相当慎重に運ばねば。 


大皿にトーストを積み上げたテルキが、隣に腰掛け豪快に喰い始める。 俺はテルキに話し掛け、笑い、それは若干斜めに身体を捻った形で、ちゃんとキミテルからは前合せの隙間から、自慢の柔肌がチラリズムな按配であると、俺は狡猾に計算した。 リツは睨んでるけども、俺、何にもしちゃいねぇ、ただオトウトと御話してるだけ〜。 

串切りのグレープフルーツを齧る俺。 指先から手首へと滴る果汁を、ペロリと舐めとる俺。 ゆっくり珈琲を飲み、さも人心地付いたとばかりに僅かに上向き、喉を曝し、深く溜息を吐く俺。 別に特別なこたしちゃいねぇし、それがどう見えるなんてのは普通、野郎は野郎相手に考えないモンだろ? 

だからキミテルの眼が、新聞に意地みたいに張り付いてるのも、その癖一つもページが変らないで、その癖、一瞬の隙を見てしかとこちらを見てしまうのも、別に俺が何したって訳じゃない。 そりゃあ、たんにキミテルの勝手だ、どう思おうと何考えようと。

立てた新聞の陰、さながら修行僧みたいで、ちょっといたいけなキミテルにゾクゾクする俺は、テーブル越し、手を伸ばし、砦みたいな新聞の端を指先で折って哀れな王子様の御機嫌を伺う。

『そのページ、よっぽど面白いの?』
『・・・・』
『さっきから、ずぅ〜っとじっくりトックリ眺めてるから・・・・・・キミテルさんを虜にするニュースってナニかなぁ〜と、興味。』

小意地の悪さと、得意技の流し目。 銀縁の向うの切れ長が、戸惑って揺れて、眦に朱が走るのが、また何とも絶品で。 思わず笑み洩れる俺だったが、天然の爽やか男が乱入。

『ナニ? ナニ? 凄いニュースあった? モーむす解散?!』

何が楽しいんだか、キラキラ期待の眼でテルキが乗り出す。 一方我に返ったらしいキミテルはといえば殺しかねない視線を残し、ぞんざいに畳んだ新聞を俺に押し付け、ゴチソウサマと、とっとと退場。 

『ねぇ、アニキどうした? 何? 怒ってるの? 喧嘩? ねぇ?』
『うぅ〜ん、喧嘩ッつうか、ちょっと地雷踏んだ様子。』
『はぁっ?!』

殺人ビームはリツからもガンガン来るんだが、一先ず、ま、伏線は張った。 かつ脈アリと見た俺は、まずまずの御機嫌でテルキと朝の歓談をした。


そして一足早く家を出る俺とリツは、さっきからずっと無言で並んで行進している。 俺達二人も奴らと同じ学校へ編入しないかと、パパヒロシは勧めてくれたが、俺は今更転校生にもなりたくないし、リツはと言えば「国立系の大学を目指すので、わざわざ私立に入るまでもありません」と、つれない返事であった。 それだから少し距離のある通学が、同居の唯一の欠点かも知れない。 で、その長い通学時、激しく弟に無視される俺。

『リツ、なぁ、』
『・・・・・・』
『確かに今朝のはちょっと、軽率だったさ、反省してるって、』
『・・・・・・今朝のは って、ルツ、次はそうじゃないって事? 次があるわけ? 懲りてないって事? 軽率じゃないってソレで言うわけ?』


全く視線合わせず、リツは棒読みで詰問する。 いや、もっともです、謝りたくなるが惚れっぽい俺だから、こうなるとどうにも止まらない。 始まりは興味だったのが、今は毎日楽しくて、ワクワクして、すっかり夢中の有り様で、も〜久方振りに本気で本命で、この恋愛どうにも止められそうにない俺だ。

『な、結構本気だったりするんだよ、俺は。 でな、どうよ?キミテル1人に絞るって事で見逃してくんない? なぁ、』

ちょっと、嘘を付いてしまった。

『嘘吐きだね! ルツ、欲しいもの二つあれば絶対二つ獲るじゃん。』

即、ばれてた。 

けどよう、じゃ、どうするよ、諦めるかよ、無理だろ? けど、ルツ怒ってるよ、不味いじゃん、物凄く、やばいじゃん。 俺はすっかり捨て犬並に、ショボクレてしまう。 ルツを怒らせてしまったら、色々と巧く行きっこない。 ルツの後押し無しに、巧く行く話なんて未だかつて無い。 けども欲張りな俺は欲張りらしく、二人纏めて告りもしないで失恋するのが辛くて仕方ない。 

どうしたら良いか途方に暮れる俺は、怒る御主人様の後を尻尾垂れて着いて行く犬そのもの。 そのまんまてくてく歩いて、二人ダンマリで、電車に乗って、いよいよリツが降りる駅が近付いてて、陽射しの加減か蒼白く見えるリツの頬をぼんやり見ていたらば急に、闇みたいに黒く深い目玉がこちらを見た。


『ルツ、トビタ兄弟は諦めろ。 もし諦めきれないなら、俺はもう、お前の事なんて知らないから。 それでもって言うなら、もう俺の知る範囲じゃないから。』

低く囁く声、けどもきっぱりしたリツの声がそう残し、閉まるドアの向こうにヒョロリとした後姿が消えた。 俺は、恋愛かリツか、物凄い選択をセネバならなくなった。 どっちか獲るならそりゃぁ・・・ と、即答出来ない自分がつくづくトホホだった。


けれども、朝は来る。 いつも通り、朝日眩しい小奇麗な広いリビングで、いつも通りの和やかな朝。 新婚の親二人はいちゃいちゃしてるし、キミテルはツンケン赤くなったり青くなったりしてるし、テルキはでかくて可愛い良く食う犬だし、だけど俺とリツの関係はあれ以来、ピリピリした電気が走るように、触れれば痛い関係だった。 

優柔不断な俺は、結局どちらとも選べず、しかもどちらも諦めきれず、リツを伺いビクビクし、キミテルを見ちゃちょっかいを出し、テルキと向き合えば馬鹿話に笑う。 楽しげで居て、常に胃がキリキリする二ヶ月目に入っていた。 

『あ〜のさぁ、ルツさん、結構痩せてきてない? ここんとこ。』

テルキが、リモコンを手につるっと言う。 向いに座ったキミテルの、カップを持つ手が--す と、一瞬だけ止まる。 その横のリツの動きは滑らかだけど、ほんの僅か、寄せられた眉根の動きに俺はみっともなくホッとしていた。 まだ少しは、気にかけてもらってる。 わかり易い心配顔のテルキが、オレを覗き込む。 好奇心だらけで、真っ直ぐなどんぐり眼。 皆がこうなら、どんなに良いだろう。 和むと同じくらい、俺は哀しい。

『なんちゅうか、ヤツレっぷり壮絶。 かなりセクシーってか、イヤでも不味いよ、ルツさんダイエット? 必要無いって!!』
『はは、セクシ〜か? ん〜ちょっと、食欲出なくって。 ほら、キレイなお兄さんは胃弱ってお約束だし・・・ な。  大丈夫、気にすんな!』

けらけら笑って見せる俺につられてテルキが笑う。 訝しげなキミテルは、ちらちらと伺っているが言葉は無い。 言葉は無いけど、でも無視ではない。 そしてリツは。 リツは全く感心の無いマネキンみたいな無表情。 規則正しくサラダを突付き、トーストを珈琲で流し込む。 またキリリと、胃に疼痛が刺し込んだ。 


今まで、こんなに長い間、リツにシカトされた事など無かった。 大抵俺が平謝り、泣き落とし、そして結局、吊り上がった眼であってもリツは許してくれたし、手を貸してくれた。 こんな事初めてだ。 トビタ兄弟に未練たらたらではあるが、俺は想像以上にリツに依存していたのを思い知る。 もう駄目。 俺はこんな緊張、耐えられない。 まるで心の無い眼をして、口先だけ優しいリツが、もう時間だよと促して席を立つ。 

謝ってしまおう、もう今回は、諦めよう、こんなのはもう嫌だ。 リツを追い、席を立とうとした時、一際キツイ痛みが胃壁を引き攣らせた。 エビみたいに身体を丸める。 ついた手の平が、テーブルの上でカップを転がし、琥珀の水溜りが広がる。 


砕ける音。 ゆっくり視界が狭くなり、瞼が震えるのと背中が冷たくなるのと、誰かの手の平、テルキ? デカクて暖かい手、背中、キミテルの見開いた眼、驚かせた猫の目、リツが振り向く、マネキンの青白い顔、リツ、どんな顔してる?  お袋が悲鳴をあげた ・・・そこまでだ。




夕焼けが映る水溜りの向こう、初老の男が、俺を見つめる。 
男に見覚えはあるが、誰かは分からない。

『さようなら、ルツ。』

男は、そう言って、クルリと背を向ける。 水溜りの向こう、男は菜の花を踏んで、斜めに土手を登る。 追い掛けたいけど、白いズックが濡れてしまうから、これは買って貰ったばかりだから、俺は震える膝をもどかしく思いつつ、そこで男の背中を見送る。

『ルツ、ルツ、何でも買ってあげる、欲しいものはなぁに?』

立ち尽くす俺にお袋が、言う。 お袋の声が、掠れている。 
お袋は何処に居るんだろう? 
何処に居るか分からないけど、お袋は水の中から喋るみたいに、俺に何が欲しいか聞いている。 語尾が河原の風に流れて、踏み切りの音が泣いてるみたいに、哀しい。

『欲しいもの? なんにもないよ。 何にも要らないから、ずっと僕と一緒に居て。 ずっと、ずっと一緒に居てよ。』

俺は、何も欲しくなかったけど、でも全部なら欲しかった。 全部じゃないなら、いっそ哀しいから何も要らなかった。 要らないけど、寂しいのは嫌だ。 一人は嫌だ。 寂しくて、寂しくて、寂しいのは一人だって知ってるからで、知らなきゃ寂しくなんて無くって。 あぁ、だから、リツ、兄弟ってイイねぇ、ずっとだものねぇ、ずっと、俺ら、ずっと、一緒だものねぇ。

それだから、触れた掌を絶対、俺は離すものか。 小さな頭が段々と俺より高い位置で見下ろすようになっても、ちょっと吊り上がった眼が不意打ちみたいに緩むのを知っているから、俺はずっと、その手を握って生きてけるから、寂しくなんて無いと思っていた。 それだからなぁ、俺、もう、何も欲しがらないから、笑ってくれよ、困った顔してくれよ、どうしようもないなって俺の名前呼んでくれよ、なぁ、なぁ、リツ、リツ、俺は今なら欲しいもの即答できる。




冷たい感触が顔の上を静かに通過する。 

滲む視界に困惑した銀縁眼鏡が見えて、俺は、泣いている自分とそこに居るキミテルにうろたえた。 クリーム色のカーテン。 ここ、何処だ?

『・・・オハヨウ・・・』
『いい歳して、夢見て泣くな・・』

キミテルが眼を伏せて、そして俺は、ひんやり頬を撫でるそれはキミテルの綺麗な指先であると気付く。 泣きそうなのはお前だろう? そう言って遣りたかったが、滑る指先の感触が名残惜しくて、心地好くて、言いそびれてたら先手を打たれた。

『お前が泣くのは・・・・・・嫌だ』

キミテルの指が、そして掌が、冷やりと俺の瞼を塞ぎ、暗転から醒めれば揺れるカーテン、ドアの閉まる小さな金属音。 残された俺は、キミテルのひんやりした手と、声を追いかける。 瞼に触れようと伸ばした俺の腕には、点液が繋がっていた。

入れ替わり、廊下から近付く騒々しい足音。 額に汗した体育会系が、豪快にカーテンを開いて登場。 

『あぁぁっっ!! 気が付いてるっ!! 良かったぁ〜〜!!』

まるで御帰りなさいの忠犬みたいに、どんぐり眼をウルウルさせて、でっかいテルキがガバリと俺を抱き締める。 一瞬、息が詰まる俺。

『ルツさん、寂しいこたぁないじゃぁ無いか! 俺ら家族だろ? ずっと一緒だぜ!』

な、ナニ? 何なの? え?  テルキは、すっぽり抱き締めてる俺を撫で撫でする。

『や〜倒れた時 --寂しいのはやだ、一人はやだ-- って泣くんだもんなぁ。 俺もう、胸が一杯よぉ。 いやっ、分かるよ、ルツさん長男だし、お袋さん再婚だし、獲られちゃった気がしたんだな!! な? けどよ、寂しいこた無いぜ! 俺が付いてる!!』

うわ、メロウ全開だった俺! しかもマザコン設定?

『あぁ、ルツさん、ホントにピョンちゃんみたいだ・・・』
『ピョンちゃん・・・?』
『うん、ウサギ。 白くて、可愛いの、でも寂しがり屋でさ・・・・・・ 俺が合宿で一週間家空けたら、餌喰わなくなって・・・帰って来たら待ち構えてたみたいに、獣医ん所で死んじゃったんだわ。 あぁっ、ピョンちゃんごめんねっ!! 一人にしちゃって!!』
『や、俺は・・』
『もう、ずっとずっと一緒だから、死ぬなッ!』
『・・・・・・し、死にゃしないけど、う、ウサギ?・・・』


おいおい泣いてるテルキ。 腑に落ちないながら、デッカイ身体に抱き締められるのは、心臓の音も温かさもウットリしてしまう安心感で。 それだから感極まるテルキの肩越し、上方より、冷ややかなその声を聞き、漸くはたと我に返った俺。

『ルツ、ニックネームが決まったんだね。』

口元を少しだけ引っ張り上げて、すっきりしない微笑のリツが、テルキの旋毛と、その腕の中の俺をじろじろと眺める。

『おぉ! リツぅ、ピョンちゃん気が付いたんだよう!! あ、俺、部活抜けて来たんだったわ、じゃ、またな! ゆっくり休めよ! もう泣くなよッピョンちゃん!!』

半べそを拭って、バタバタとテルキは出て行った。 そして気まずい感じの俺とリツが、合わせる顔も無く二人で向き合う。

『凄いセンスの仇名だな、ルツ。』
『俺は、気に入っちゃ居ないよ・・・・・・』

軽くリツが息を吸い込んだ吸気音が、妙に、静かな部屋に響いた。

『ルツは、どうしたら寂しくなくなる? ・・・胃に穴開くほど、寂しいのかよ。』

リツが俺を見つめる。 怒ったみたいな、泣く前みたいな、困ったみたいなこの眼は、あぁ水溜りの向こうに居た、あの人の目だ。 だからその意味は言葉より雄弁。

『ルツ、トビタ兄弟は完全に、ルツに落ちたよ。 キミテルもハルキも、意味合いは違うけどルツを手放しゃしない。 それで安心? 戸籍上の肉親で、ずっと離れないで居てくれて、でも俺だってそうじゃないか? でも足りないか? なぁ、ルツは本当に、これで安心できるのか?』

見上げるリツの顔は、いつもと違って見えた。 冷ややかでアンドロイドみたいなリツではなく、もう少し、人間らしくて、もう少し、弱い感じのする初めて見るリツ。 俺は初めて見るリツに、言葉を繋ぐ。語る瞳に言葉を返す。

『さっきな、リツ、お前の小さい時の事想い出したよ。 お前とずっと手ぇ繋いでたいって、そう思ったよ。 でな、俺、物心ついてから多分、親父と逢ってるみたいだったな。 俺は、親父に愛されてたっぽいな。』
『ルツはね、いつも、みんなに愛されてるんだよ』

リツの顔が、すっと、下に降りてくる。 
真っ黒な眼が、真っ直ぐに、こちらに向く。

『皆に愛されたって、欲しがり屋で寂しがるんだからしょうがない。 けど、ルツ、俺はずっとルツと一緒だ。 俺は欲しいもの、たった1つだから、迷ったりしない。 15年間の狙いは伊達じゃないからね。』

リツの顔が陰になり、うわ大接近と思ったらソレは唇を掠めて、そして見上げれば、いつもの皮肉な笑みを浮かべたクールなリツが居る。 だけど俺は、リツの指先がすこぉし震えてるのを、ちゃんと見た。 クールな振りしたリツが、言う。

『ちゃんと、欲しいもの選べるよな?』

そして、退場。 
クリーム色のカーテンが幽かに揺れて、だから今の出来事がホントだって証拠。




俺は、じっくり考えなきゃいけない。 キミテルのひんやりした指先、テルキの心地好い抱擁、そして、リツの口唇。 幸せすぎて目が回りそうだけど、誰を選ぶかとかじゃなく、皆とずっと、ずっと一緒に居る為にどうしたら良いか、浮ついたちっぽけな脳味噌を掻き集めて考えなきゃならない。 その悩みは深刻だけども、にやけるほどハッピィで、楽しくて、あぁそういや腹減ったな と、もの凄く久し振りの空腹を感じた。 


俺は今、何かの上、引っ掛かりが外れて、ワクワクしたこの先へと転がる無鉄砲な小石。
転がってしまったなら暫く転がり続けてしまえば、なるようになるんだよ、きっと。
だから、まぁイイや。 
転がる先がどんなかは、まだ、全く分からないけれど、
何処か今と違う所へ、多分良い按配に向かうんじゃないかと予感する。




こう云う予感はね、外れない。






September 25, 2002




      * なんだろうね、多分、基本のBL系を、遣りたかったらしい。 そして、どうも、玉砕したらしい。