君が、袖振る




其れはね、口実、言い訳なんだ。

僕はね、君に、ただ逢いたくて。 君の姿を、ほんの少し、この目に焼き付けときたくて。

だから、誰にも知られちゃいけない。 
だから、お願い、気がつかないで。

無邪気な君が、そんな風に袖を振るのを、
見つめる僕に、気が付かないで。



藍の浴衣を羽織ったエズミは、おどけたポーズで苦笑する。

『コレさぁアレだよ、レレレのおじさん!』

アサコは大きく溜息を吐き、さっさと帯を解きだした。

『だからあんなに、キチンと測るって言ったのに!』

藍の着物は今日の為、縫い上げ仕立てたアサコの手縫い。 落ち着きの無いエズミの事だ、大方碌に採寸もさせず、結果は脛出る寸足らずのコレ。膨れっ面のアサコは浴衣を、ポンと広げて翻す。

『だったら良いわ、カワノが着てよ!』

突然指名にうろたえる僕に、アサコは脱いで!と浴衣を差し出す。遠慮も辞退も聞き入れられず、羽織った浴衣は皮肉にピッタリ、誂えた如く身体に合った。シャリ感のある藍地の感触、ほんのり残る人肌の温。僕は堪らず後ろめたくて、アサコの顔が見られなかった。


姿見に映る困惑の僕。
その肩越しに、アサコとエズミ。

『和物、合うな』 と エズミが言って、

『そりゃァ、あたしの従兄ですもん』  満更でも無くアサコが応える。

上背も大きく精悍なエズミ、すんなり華奢でコケティッシュなのが魅力のアサコ。どこから見ても似合いの二人を背後に認め、僕は鏡の哀れな男に ほら見て御覧 と小さく笑う。アサコに良く似た小作りの顔、それが歯痒く厭わしかった。


      ドウシテ、僕デハ、駄目ナンダロウ 

問い掛けるのは、いつもの愚問。 答えはいつも、

      オマエハ、馬鹿ダ



高2の春、新入部員へのアピールも兼ね、僕は試合で弓を弾いた。学園裏手の演習場は、その三方を桜が囲み、散り逝く桜が視界を霞め、風情に反して不便であった。その日は何故だか心が騒ぎ、集中しかねて結果も出せず。後片付けを新人に任せ、裏手をぶらつき袴もそのまま、桜の巨木に凭れて仰ぐ。

『へぇ〜嵌るねぇ、お前。 なら、死ぬのは絶対、春にしときな!』

笑顔があった。

曇りを持たない潔さを持つ、男が一人、巨木の影から姿を見せた。綺麗に焼けた精悍な顔、悪戯心が目元に浮かび、スポーツバッグを軽々担ぎ、失礼な事を愉しげに言う。

『-- 桜の下にて春死なむ -- ってソレ、ぴったっりじゃん、な?決まりだな。』

近づき、男はその手を伸ばす。 
ついと僕の肩に指先は触れ、摘み上げたのはひとひらの桜。 

『出来過ぎだよな』     と、愉快気に言い
『記念に貰え』        僕へと差し出す。


散り逝く桜の儚さ故か、その始まりすら翳りあり。 
いっそ、果てれば良かったものを。
僕は苦しい恋をして、その恋故に、生き長らえる。


男は区内の他校に通い、特待生としバスケを征す。男の名前は意外と知れて、試合ともなれば割れんばかりに、エズミの名前を僕は聞く。 僕とエズミはつかず離れず、時々出会い、時々離れ、時に互いの自宅で語らい、時に互いの試合に出掛けた。含みも邪気も、持たずに寛ぐエズミの傍ら、含みと邪気を心中に秘め、ただ想うだけと僕は佇む。 

エズミの二年は静穏であり、僕の二年は苦渋に満ちて。時折触れ合うエズミの温度に、知らぬ残酷を噛みしめた。


その夏僕らは蓼科へ行き、伯父の営むペンションの、手伝いがてらに休暇を楽しむ。
そしてエズミは出遭ってしまう。
そしてエズミは、恋してしまう。
そうして僕は二年目の夏、袋小路の絶望を知る。

一つ違いのアサコと僕は、アサコの母が夭折してより双子の如くに7年過す。 しかし、10歳の娘アサコを連れて、伯父は突然蓼科へ行き、こじんまりとしたぺンションを持つ。 以来アサコとは疎遠になるが、久方振りに対面するのは、面差しこそ似れ花綻びたる可憐な女。 
咲く花は、露を花弁に湛え、薫る風情にエズミは触れた。 

仕方ない、しょうがない、どうしようもなく当たり前じゃないか?

それが摂理と、何故認められぬ? 
理に反す己の恋路を、何故浅ましくも懐に隠す?


僕はエズミを、未だ見つめる。
エズミとアサコを、未だに見つめる。



子供囃子と浴衣の娘と、胡散臭げな出店をひやかし、僕らは祭りのざわめきを縫う。

花火が上がるにまだ早すぎて、僕らは夜道をそぞろ歩いた。 アサコは紺地に白を抜いたあっさりとした浴衣を纏い、夜目にも白い項を曝して ねぇ綿菓子食べよ と僕らを誘う。 ジーンズ・Tシャツ・いつものエズミは、アサコと僕の後ろに続き、

『お前ら、似合いのカップルじゃんか』

暢気な口調で投げかける。

『あらま、似合う?』

アサコが僕を引き寄せ腕くみ、エズミはそれを見て片眉を上げ、

『駄目だな、顔みりゃ仲良し双子だ、似たもん着てるとホントに似てるわ』 

肩をすくめて、大袈裟に嘆く。

『似てるからって、浮気は嫌よ』

無邪気なアサコの発する言葉に、僕の心は悲鳴をあげる。


夜店の賑わい、御囃子の音。 木々に絡まる色ランプ。 
猥雑さ故に皆昂揚し、浮つく面持ち思考も軽躁。 
外れかけてる抑制の元綱、既に岸よりはるかに遠い。


小道一つで喧騒も遠く、石段を上がり腰掛ける。 
特等席だとエズミが笑い、氷のカップを灰皿にして 人酔いするな と煙草をつけた。 アサコは知人に出くわしたから 後から行く と手を振った。 僕はエズミと二人の時間を、図らずして今手に入れる。

他愛の無い日々、雑談の日々、エズミが語り、僕は聴く。
耳障りの良い音楽みたいに、幸せな僕はそれを聴く。


『なぁ、来年もこうして来ような。』

紫煙と共に、エズミが言った。

『来年もまた、いや、ずっとだな、俺たちこうして居られると良いな』

未だ火の花上がらぬ宙を、見つめたままでエズミが言う。


そして最初のドンが鳴り、アサコを待たずに天空に花。 
仰げば闇夜に降り懸からんばかりの、極彩色の儚い火の粉。 
瞬く光が、エズミをも照らす。

来年? その先? こうして居ろと? 辛酸を舐めて、耐え見つめろと?

あぁもう叶わぬ、この身が持たぬ、桜の季節に果てるより無い。
或いは自ら、壊すも一興。 後戻りできぬ、今更なれば。


二つ目のドンに、見上げるエズミ。 
その肩を寄せて、口唇あわす。 
エズミの見開く瞳に映るは、極彩色の散り逝く火の花。

重ねたそれはほんの一間、大輪の菊が枝垂れるその間。

ーーー ほら、また上がる 

と、宙を指す僕。

エズミは言葉を発する事無く、袖振るアサコを眼下に見遣る。



   だから、誰にも知られちゃいけない。 
   だから、お願い、気がつかないで。
   だけれど、気付いて、どうにもならない。


   僕らの野守は、誰だったのか。




       茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
                    ( 額田王 )






August 6, 2002




     
* レイ 様  「(女)友達のカレシに横恋慕する哀れな男+花火+変化」
           少々と云うか、御決まりのメロ系。  どんなもんで御座いましょう?