睦言

      
       



      こうしてお前に跨る俺は、幸せな錯覚に恍惚とする。 

お前は薄っすら眼を開けて 覗き込む俺の眼に怯み、そして、また眼を閉じる。 お前の汗ばむ胸に手をついて、俺はゆっくり、深く、お前を締め付け、絞り上げる。 首筋を辿り、脇腹を行き来する余裕のない俺の手は、お前の小さな溜息にも、歓喜して震える。 
もう一度お前の眼が開いたら、微笑んでやろう。


それはまるで、恋人同士のそれの様ではないか?


お前の息遣いが忙しくなり、俺は慌ててお前に囁く。 『随分、余裕がないな』
お前は、きつく俺を睨み付け、俺は、わざと動きを止め、お前の口唇にそっと触れる。
『もっと、楽しもうぜ』
そう、もっと、もっとだ、まだだ、まだ終わらせるわけにはいかない、まだ、終わらせるものか。 たとえお前の口唇が 淫売 と、動いたのを認めたとしても、俺のせっかくの幸せを、そう易々と終わらせたりなんて出来るものか。


なぁ、お前は俺の事なんて知ろうとしないし、知りたいとも思っちゃいないだろうけれど俺は、自分でも呆れるくらい、お前に関しちゃ詳しいぜ。


泳ぎをやってて、右腕が少し長いのも、その右手の中指には筆圧が強すぎて、小さなマメみたいなペンダコが貼り付いているのも、いつも深爪しすぎる両の爪も、伏せた睫が意外と長いのも、左眼の下に古い切り傷があって、それは中坊の時の喧嘩の名残だというのも。 機嫌が良い時には,タバコを吹かしながらベランダに出て風に吹かれたがるのも,逆に不機嫌な時は、冷蔵庫を無駄に何度も開けて,舌打ちを繰返すというのも。 喋る時、一度息を吸う小さな間があるのも、サ行を発するとき僅かに語尾が掠れるのも、オレは一つだって、見逃したりしていない。
俺は、比喩でなく、お前の事を知り尽くしている。 


そうだな、この間まで付き合ってた、あの、バイト先の女の身体だって、俺は知っている。 


そして、ここが、お前はイイんだってのも、俺の身体は知っている。


お前の吐息が、幽かにあげる声が、俺は永遠に続いてくれれば良いと思う。


お前は、いつだって、俺の全てを否定するから、俺は、受け入れられないなら否定し続けてくれと、お前の嫌悪を煽り続けるに躍起となる。 俺は、お前の嫌がる事を尽く遣るし、した事は尽く、お前に提示する。 お前はそれに、尽く腹を立て、嫌悪を剥き出しにし、薄ら笑いの俺を、罵り、時に殴打し、容赦なく蹴り付ける。 でも、それだって,俺は満足なんだ。 そうしているお前は,俺だけを見ている。俺への嫌悪と,憎悪でその愛すべき頭蓋を一杯にして,俺だけを思い,俺に少々手荒く触れている。 
おおむね,それで間違っちゃいまい。


そんなお前の腕が、散々逡巡した挙句、俺の身体に触れる時、俺は、もう、震えてしまう程の悦楽を味わう。

今、俺は、間違いなく、お前に求められている。 

こればかりは、数少ない本当だ。



何でそうなのだ? と、お前は俺に訴える。 何故俺にかまう? 何故俺を煽る? 何故俺にソレをバラす? 何故、 何故、 何故、 何故、 
何故って、お前、ホントに分からないのか? 
ホントに、俺が何故そうするのか、お前はまるで検討がつかないとでも言うのか?
 嘘を吐け。 
分かっている癖に、十分承知している癖に、お前はホントに、都合の良い嘘吐きだ。  嘘だと、糾弾出来ない俺にだけ吐く、卑怯で臆病な嘘吐きだ。


ああでも、それだって、オレはかまやしない。 お前が、分からないと、知らないと、そう繰り返して、それを主張するならば、俺は、そう云う事にしといてやるよ。 だから、安心してりゃいい。 お前は、何にも知らない。 訳も分からず、お前は、俺に、こんなにされて、こんな風になっている、ただ、それだけの事だ。 


ああ、そうだよ、無理矢理だ。 無理矢理こうされている、そう云うので構わない。 不可抗力とでも言っておこうか? 哀しいな、男はこうされたら勃つし、まァ、やれるもんなんだよ。 だから、別に不思議な事じゃあない。 お前は、不本意ながら、俺に煽られ 俺に突っ込んでいる、そう云う事で構わない。 お前には何の責任も無いし、あぁ、悔やむ事だって無い。 
まァ俺相手じゃ腹立たしいだけだろう?

それで良い。 



いよいよお前の指が、俺の腰骨に爪を立て、その腕に、綺麗な筋が浮く。 
俺は、いよいよ訪れる終わりに向け、忙しなく動き、そして、お前が先にイケるように締め付けを、断続的に強くする。 終わりが、もうすぐ来る。 
あぁ、どうしたって、それは来る、それは、厭というほど分かってはいるが、俺は一向に慣れる事が無い。 お前の顎の先に、俺の汗が滴る。 多分、涙も。 
快感の頂点を昇るお前には、そんな事わかりゃしないし、関係も無い事だろう。 
同じく、快感の頂点を昇る俺は、頂点から先、もはや墜落するばかりの哀れを想い、知られる事なく涙するのだ。


やがて、湿度の高い溜息と、引き攣るような震えとともに、お前は果てる。 俺は、お前の飛沫を粘膜に受け、その満足感に、同じく果てる。 
そして、俺は、お前の身体にその身を重ねる。 お前の鼓動、お前の怠惰な息を耳元に感じ、俺はお前の首筋に額を擦り付ける。


『・・・・・・』


俺の名を、お前が発する。 
囁きよりも強く、溜息に紛れず届く声で、お前は俺の名を、一度だけ洩らす。 

これだけなのだ。 俺の愚行は、ただこれだけの為に飽く事無く惨めに無様に繰り返されるのだ。 たとえそれすら、情事の後の虚脱から、いわば生理的な呼びかけであったとしても、あぁ、それだってかまやしない。 かまやしない。 俺は今、こんなにも、幸福なのだ。 俺は、息を殺し、これ以上涙を流すまいと眼を閉じる。 そして、この至福に流され、お前の名を呼び返したい悪魔的な誘惑に耐える。 それは、してはならない。それは、望んではいけない。 
そんな事をしたら、真実愛し合っている二人のようではないか?


あと、数秒? お前の鼓動と体温に捕り込まれてしまいたい。
あと、数秒? 俺は、お前をまだ、内に収めたまま、非情な瞬間を待つ。


お願いだから、一秒でも長く、俺のこの時間を続かせて下さい。 
一秒でも長く、満ち足りた心を装わせて下さい。 
お前の口唇が、 どけよ と動くまで、後、数秒だかはわからないけれど、
俺は今幸せなんです。 
錯覚でも、俺は今、愛し合い、その恋人に寄り添う幸せな男なんです。



あと、少し。 

あと、ほんの少しだけ。








July 15, 2002




     * 頑張り屋さんセルフ企画『マグロ攻め』  ・・・ なんとなく、ランデヴー2.