アナログ式石榴忌憚
喘グ真昼ハ欠片ヲ托ス満チル吐息ノ刹那ニ砕ケ馨ル刃先ヲ飛沫ニ溺レ哀レ
悲嘆ス鼓動ヲ刻ム何処ニ其処ニ 石榴 石榴 石榴 石榴 石榴 石榴 石榴
例えるなら、アスファルトの逃げ水を、追うような浅はかさを、愚かと言わずして何と言おう。 掴みきれない欠落は、日毎私を苛みやがて足元に沸き立つ溜まりに、無様に溺れる瞬間が来る。 憐憫はいらない。
八歳の私を残し両親は他界し、若い伯父が若い保護者となり私を扶養した。私は、何も持たず疾患のみを持ち、伯父の財産をすり減らし、疲弊した伯父は一昨年他界し、私に残りの財産と腎臓を残した。そして、私は、働きもせず贅沢もせず、つましく暮らし、愛を知らない。
あの日、路地の向こう、私は黒い美しい舞踏を目撃する。 踊り手は薄汚い群舞を地に這いずらせ、骨を砕き、切れ上がった眦で見惚れる私を捕らえた。
『火、持ってる?』
黒い踊り手は、足音無く私に近づく。答えぬ私を、琥珀の眼が一瞥し、しなやかな手が私の手首に絡みつき其処に在る物を暫し吟味した。口元に浮かぶ酷薄な笑み。伯父の形見のロンジンの時計。愉しげな瞳は僅かに瞳孔を窄め、私を引き寄せた刹那、羽音の如く耳元に囁く。
『オレは、石榴。』
瞬きの狭間、ふと横道に消えた残像を私は回想し、あの切れ上がった眦は晧々とした月に似ているのだともう逢えぬ後姿に目を伏せた。
その晩、幽かな物音を聞く。私は、伯父の残したマンションの最上階で暮らしている。何かが擦れるような幽かな音がベランダで聞こえ、窓硝子が音をたてた。 硝子越しに、石榴が居た。
『アンタ、耳イイね。』
『てっぺんに住んでるのに、鍵掛けるんだ?』
晧々とした月。 夜気を纏い滑るように室内へ入り込む柘榴は、細身のズボンのポケットを探り私のパスケースを取り出した。薄い唇が、掠れた低い声を紡ぎ出す。
『診察券ばっか。アンタどっか悪いの?』
室内を、優美な足取りで石榴が徘徊する。さながら、真の主で在るかの如く、漂うように、静寂を破る事無く、柳の若木のようなしなやかな肢体を持って石榴はこの部屋を支配する。もはや私は、一傍観者に過ぎず、木偶のように屹立し、主の動きに魅入るばかり。
『なぁんもないのな、ここ。 で、アンタ、口利けないの?つんぼ?』
何も無い訳ではない、小さな机があり口を漱ぐグラスもある。ベッドがあり、最低限の日用品はそろえてある。 そして私は、つんぼでもおしでもない。 かつて、言葉を発していた事もあるが、今はもうしない。伯父は、言葉は必要ないと、私に命じた。そして事実、言葉を失っても何一つ失う物は無かった。 もとより、持ち合わせは無い。
ダイニングの椅子に掛け、石榴はタバコに火を灯す。
二度三度、石榴は紫煙を燻らせ、まだ大分余りあるタバコを流しに捨てた。 そしてベッドに腰掛け凝視する私に近づいた。石榴が、屈みこみ、私の前髪を鷲掴む。ああ、殴るのか、と眼を閉じた。
伯父も、こうして私を殴った。そしてその後、私を抱いた。石榴は殴らず、私を抱いた。
私は、年長者が養う者に対しコレを行うものと思っていたが、石榴はおそらく私よりも年若い。では、何故そうするか?主たる者が、ソレをするのだろうか。ならば是も作法だろう。石榴に舌を這わせた。
『アンタさ、此処で囲われてんの?』
うつ伏せ、タバコを弄び、石榴が言う。クリスタルのデザート皿が、灰を受けている。囲われていたと言えば、言えなくも無い。 石榴の背骨が、美しい蛇のように動くのを眺め、触れたくなる衝動に駆られた。 が、伸ばした手先は、鋭い拒絶を受け行き場を失い宙に迷う。
『勝手に、触るな。』
其れが、主の流儀らしい。
日をおかず、石榴は訪れた。
非常階段から配管伝いにベランダへ、そして窓を叩いた。
『窓、開けとけよ』
石榴は言う。窓は夜に閉めるよう、伯父は私に指示した。だから、窓はいつも閉じられ石榴は毎回、窓を叩いた。ふらりと遣って来て、ふらりと帰って行く石榴。 勝手に部屋を物色し、勝手に持ち出して行く石榴。 石榴は気が向くと私に話し掛け、そうで無い時は私を邪険に遠ざけた。 喋らない石榴の周りは、薄氷の上のような緊張感があった。 そして、苛付きを露にし、私を抱いた。石榴は、時々声を殺し嗚咽する。
その日、現れた石榴は、酷い有り様だった。 服は汚れ、ほつれ、顔を腫らし、唇に血を滲ませ、恐らく身体中に傷を負っていた。 私は、石榴に近づく。 と、琥珀が月明かりに光る。
『あっち行け、くんな』
威嚇するように、睨み付け吐き捨てる。 それは余りに痛々しく、私は目を離せない。 すると、石榴の眦が吊り上り、怒鳴りつける。
青白い炎のように、冷えた怒りを纏う石榴。
『オレを、憐れむな!』
そして、此方に背を向け嗚咽した。 石榴は哀しい。 私は己の無能さを、呪った。 石榴を守れぬ非力を呪った。
それから数日後、石榴は柘榴の実を持ってきて、二つに割り、私に手渡した。 割られた果実は、張り裂けた心臓のようで、美しく凄惨でおぞましくもあった。 私は柘榴を食べた事など無かったが、石榴が口元に寄せた其れに躊躇い歯を立てる。生暖かい、うす甘い、吐き出そうとすると石榴が哄笑する。
『血の味なんだとさ、子供を食う代わりに喰わせるんだと?』
『オレを殺しかけた女は殺せぬ代わりに俺にこの名を与えた。』
石榴に手を伸ばす。 触れた石榴を掌で辿り、掻き抱く。 私は、石榴を抱く。 石榴がしたように、伯父がしたように、私は石榴に身を沈め、石榴は私を導いた。最早石榴は主ではなく、私とて庇護をされる身ではなく。 情交は、無言で進められた。 互いを貪り、重なるスプーンのように身を寄せ合っても、空虚は其処に在り続けた。
『オマエはオレを抱いてはいない。オレもオマエを抱いてはいない』
『愛などでは、あるはずが無い』
眠りにつく前、石榴の声を聴いたように思った。
陽光の下、転がる半掛けの柘榴を拾い上げ、私は窓を開け放つ。
喘グ真昼ハ欠片ヲ托ス満チル吐息ノ刹那ニ砕ケ馨ル刃先ヲ飛沫ニ溺レ哀レ悲嘆ス鼓動ヲ刻ム何処ニ其処ニ 石榴 石榴 石榴 石榴 石榴 石榴 石榴
久方ぶりに発する声は、老人の如く。
ロンジンの時計は石榴と共に姿を眩ます。
July 9, 2002
*111ゲット ヨウ様 『猫科の男』 こんなん出ましたけど、駄目ですか?
壊れ系、しかもリバ。 クレーム随時受付中(やんわりね)。
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