愛玩・綿菓子の姫   
           
       
              水色の砂時計。 淡い彩色のバロックパールのアンクレット。  
      あ、それはリングも一緒に頂くわ。 ふかふかしたベージュのバスローブ。 モスグリーンのパイピング仕上げ。 ベルギーレースであしらった、シャンタンのブラウス。 エナメルのスミレが佇む華奢なミュール。  
       
      私は、いつだってリリに似合うモノを探している。  
       
       
      瓶詰めのマラスキーノチェリイ。 静謐を纏う7分咲きの睡蓮。 ヴィクトリア調の天使のブローチ。 
       
      ペールブルーのガーターと御揃いのビスチェ。 折角なのに、パンティはリリのイメージではない。 
       
      春先だというのに、汗ばむから、私はリリの好きなパンダビールを買った。 
      リリ、リリ、愛玩させて。    リリ、リリ、賞賛させて。 
       
       
       
      都内の百貨店内のネイルサロン。 そこが私の仕事場で、リリはそこの客だった。 
       
       
      新年明けた、月半ばだ。 5時を過ぎればOL達で溢れそうなこのフロアーも、平日の午前中では向うが見晴らせるほど。 備品のチェックをしつつも時間を持て余し、デザインの下書きでもしようかとスケッチブックを取り出したその時、スツールが引かれた。 
       
      『いいかしら?』 
       
       
      スツールの背に手を掛け、笑みを浮かべるその姿に私は一瞬で魅了された。色素の薄い、ふわふわの髪は、襟足まででカットされ、無造作に分けられた前髪の間からは白く丸い額が覗いている。 くるくるのウェーブに縁取られた小さなミルク色の顔。 薄茶の硝子みたいな目。 優美な弧を描く眉。 ちんまりした鼻と、噛みしめたように薄赤いセンシュアルな口唇。     
      その唇が、奇跡のように動く。 
       
      『このカッコに合うように、して。』 
       
       
      白い蝶みたいな手が閃いた。 細い指がオフホワイトのコートのボタンを素早く外し、前を広げる。 
       
      ペールブルーの綿菓子みたいな半袖ニット。 オフホワイトのスカートは、コートと御揃いらしくアンティークピンクと淡いグレーのステッチがぐるりにあしらわれている。 可愛い膝小僧が見え、多分華奢な脚は、白のロングブーツに隠れてる。  
       
      『今、そこで買ったの。 だから、コレに似合う爪にして。』 
       
       
      指先を上に向けた、綿菓子姫の名は、リリ。 
       
       
      私は、喋りは苦手なので普段の接客は、マニュアルにひたすら忠実であった。 だから、自分でも驚いていた。 サンプルリストを眺めるリリに、捲ったスケッチブックを差し出して見せたのだ。 
       
      そこにあるのは、思索中であったり、余りに手が込んでいる為勝算が合わなかったりする、デザインする側の自己満足的な作品群であった。  
      私はその中の一つを、リリに勧めていた。 もし時間が一時間弱程 頂けるなら、これを是非、と。  
       
      それは、乳白色の偏光パールをベースに、淡い水色とピンク、光り過ぎないシルバーが、繊細なマーブル模様を描く作品だった。 リリの細く白い指、雲母のような爪には、とても似合うと思った。 
       
       
      そして私は、リリについて、少し知る。 少女のようであるが、6月で22歳になること。 仕事をしている事。 今日会うのは、仕事関係の人だという事。  爪、塗ってしまって宜しいのですか? と 問うと、そういうのは構わない仕事なのだと空いた手をひらひらさせた。 
       
      『サービス業、みたいなの。』 
      悪戯を思い付いたような、笑顔だった。  
       
       
      確かにサービス業。 リリは水商売をしていた。 それも、かなり気合の入ったタイプの、『お持ち帰り』 などもある類の、ランジェリーパブのプリンセスだった。  
       
      リリは 『衣装』 を買いに、ちょくちょくこの百貨店を訪れた。 上のフロアーに、輸入ランジェリーのテナントが、数件あるのだと言う。 そして、衣装を調達した帰りがけ、サロンへやって来る。 オーダーはいつも「お任せ」。 さすがに毎回凝ったものは、リリの都合もある為無理なのだが、それでも、私はリリの為だけにサンプルに無い物を描いた。 いつしか私は、リリの為のデザイン帳を用意するようになった。 そして、リリに関する情報も増えていった。 
       
      リリは、賞賛されるのが好きである。 リリは、自分の姿形を愛していて、それを他人に愛でられるのが好き。 しかし、愛を要求されるのは嫌い。  
       
      『気持ち悪いの。 なんか、余計なモノが入ってくるみたいで』 
       
      リリは、愛玩されるのが好き。 愛は拒否するが、愛玩される事に関しては、少々アブノーマルなセックスを含め、大抵の事を甘受できるという。  
       
      『 そういう私が、素敵で可愛いって思うなら、痛かったり汚れたりしなければ、ソレをするのはまったく問題ないの。 』 
       
       
      リリは、ランパブの仕事を、気に入っている。  
      豪奢なランジェリーを纏い、華奢なヒールで男達を魅了するのは堪らない快感だという。 そして、男に絡みつくコケティッシュで美しい自分の姿が、張り巡らされたウォールミラーに映るのが、また、堪らないのだという。  
       
      そんなリリの賛美者は後を立たず、そしてリリの仮初の恋人も後を立たず引っ切り無しに代替わりした。 
       
      『なんで、みんな、色々欲しがるのかわからないわ。 私は、皆が喜ぶ事をして、楽しませてあげて、代わりに 沢山誉めて貰ったり甘やかして貰ったりしているだけ。 全部欲しいなんて、一つも思わないのに。 なんでみんな、独占しようとするのかな?』 
       
      リリは、小さく首をかしげて、塗ったばかりの指先に見惚れる。  
      ねぇ、リリ、それはね、みんな貴女を独り占めしたいほど好きなのよ。 貴女の事が、それくらい愛しいの。 
       
      『でも、じゃぁ、私はその人を独り占めできるの? 例えばその人が仕事に行ってしまった時、私は誰に誉めて貰ったり甘やかされたりすればいい?』 
       
       
      可哀想な、強欲で我侭な、リリ。   
      欲しがり過ぎるのは貴女なのに。 
       
       
      春が来る頃、私達は一緒に食事をしたり、ショッピングへ出掛けたりするようになった。 それは大抵 昼頃、眠たげなリリを 私は車で迎えに行く。 リリは、日焼けをしないため、つばの広い帽子を冠り、マンション前の石段で、留守番の子供のように座り込んで私を待っていた。 
       
      私は助手席に収まったリリに、何かしらお土産をあげる。  
      それは、ビーズのピアスだったり、硝子のマドラーだったり、コスメであったり。 リリに似合うと感じた、小さなアイティムを私はリリに与えた。 リリは、差し出される好意を、驚く程自然に、かつ差し出した側が嬉しくなるような喜びを持って受け取る。 そして、私はまた、日々休む事無く、リリに似合うものを捜し続けるのだ。 そうするのは、私の幸せとも言えた。   
       
      リリは、私の好意を余す事無く受け取り、かつ、愛してくれとは言わない。  見返りを要求しない、美しい愛玩物。 なんて都合が良いのだろう? 
       
       
      私は、恋愛を成就させた事がない。  
      何故なら、私は、愛を受け取るのが苦手なのだ。 
       
       
      『愛されたくないなんて、わからないわ。』 
       
      そう、リリにはわからない。 私は、差し出されても受け取れないのだから、リリとは対極である。 
       
      私は、束縛されるのは、好きだ。 振り回されるのも、悪くないと思っている。 だけど、心を与えられるのは、どうにも恐ろしい。  
       
      『ソレは、わからなくもないわ』 
       
       
       
      6月の火曜日、22歳になったリリと、夕暮れ間近のビルの屋上で、パンダビールを飲んでいた。 
       
      リリは、ビルの屋上が好きだ。  賛美者の誰彼から情報を得ているのか、小奇麗で外部から侵入できる5階以上の屋上を、リリは幾つも知っていた。 ここも、その中の一つ。 8階建てのそれは、少し向うに海が鈍く光り、海まで視界を塞ぐ建物が無いという、リリお気に入りの場所らしい。 
       
       
      『バースデイは、ここで祝おうって思ってたの。』 
      『ううん、一人でよ。 誰かとは、そういう特別はしないの。 なんか、嫌だもの。』 
       
      私は特別なのかしら? と 問う。 
       
      『そうね・・・わからないわ・・なんだろう・・・』 
       
      わからない、そう、私もわからない。 私にとって、リリはなんであるのか。 そして、私はリリの何であるのか。  簡単に言うと、お互い都合が良いという事なのだろうか? ならば、互いに、更に都合の良い対象が現れたとしたら、それは簡単にスライド出来るものなのか? 
       
       
      『 アナタ ヲ ウシナッテ ナオ オイモトメル ユメノハテマデ 』 
       
       
      腰丈ほどの柵に、危なかしげに凭れたリリが、歌うように呟く。  歌? 
       
       
      『昨日ね、お客さんの車でかかってたの。 眠たそうな男の人の歌。 なんか、ここだけ耳についちゃって・・・。』 
       
      『その人、難しい事ばかり言うの。 話してる事、全然わからなかったけど、でも、私の事誉めてるのはわかったから、すごく嬉しいわ って顔で笑ってたの。 だけど、この曲が始まって、私 なんか 気持ち悪くなっちゃって。 途中で降ろして貰っちゃった。   
       
      ねぇ、厭じゃない? もう、居ないのに、もう、そこに居ないのに、そんなのに、夢の中まで想われちゃうなんて。 』 
       
      そうね、リリ、貴女には耐え難いでしょうね。  
      でも、私はそういうタイプだわ。 私は多分、その人をずっと想い続ける。 その人が離れても、その人が死んでしまっても、私が自分で飽きるまで、その人を想い続けると想うわ。 そう、寧ろ、離れたり死んでしまった方が、より 想い焦がれ続け易いと思う。 相手の反応お構いなしに、私はありったけの愛を、好き勝手に注ぐでしょうね。 
       
       
      『私、死んだらそうしてくれる?』 
       
      リリが、企む顔で笑う。 
       
      『バースデイプレゼントに、それちょうだい。 約束よ。夢の果てま追い駆けてくれるわよね?!』 
       
       
      そして、ひらひら白い手を振ったリリが、柵の向うに消えた。 
       
       
      嘘よ、嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ 
       
      居なくなるなんて、厭よ! 私は、貴女を愛玩したいの生きてる貴女を賞賛したいの貴女じゃなきゃ、貴女じゃなきゃ、貴女じゃなきゃリリ?リリ?リリ?リリ?お願い、リリ!リリ!お願い、リリ!? 
       
       
       
       
       
       
                         眼下、約二メートル。  
       
                 隣ビルの張り出しで、綿菓子姫が哀願する。 
       
       
            『ねぇ、ちょっと引っ張り上げて! 後で、ソーダのアイス買ってあげる!』 
       
       
       
       
       
       
       
              July 6, 2002 
           
           
       
            * 文中の歌 ・・・ TANGO(坂本龍一)  
       
             
        
        
                                   
       
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