白衣の淫獣 ヒリヒリさせて☆
     
        


          あたし達は一つであったが、同時に無数の名を持っていた。


最初にそれを提案したのはどちらだったのだろうか? 規則的な律動に身を任せビクリと震えた女だったのかも知れないし、湿った粘膜に締め付けられ吐精の解放に小さくうめいた男だったのかも知れない。 いずれにせよ、最初二人は極普通のありがちな快楽追及者だった。 生ぬるい快楽に喘ぎ、互いの体液を擦り付け縺れるただのセックスマニアに過ぎなかった。 けれどある時どちらかがあたし達に気付く。

 「ていうか、飽きない?」

 「・・・・・ソレ言い始めるとSM路線入るんだよ。 けどダメだよ、オレ痛いのとかは苦手」

 「じゃ、痛くない方法で、」

 「え?」

組織を脅かす恐怖と、蝕まれていると云う不安、そしてそれらにより駆け回る幾つかの物質によってもたらされるという現象 ――即ち、恐ろしいほど苦痛に似たギリギリの快楽 ―― 痒み。 彼等は気付いた途端、あっさりとそれに溺れた。 快楽は創意により無限の可能性を生む。 何しろギリギリの際にあたし達は居るのだ。 それを模索するにかなりの月日を彼等は費やす。 尖らせた爪、撓らせた小枝、光るニードルの先は互いの微妙な部分を擦り、叩き、滑らかな表面に紗を掛けた様な無数の淡い擦過傷を創る。 時に閾値を越え無様な苦痛にうめき、はしたない流血は行為の高まりを白々しく抑え、目を合わせぬ二人に半端な沈黙を与えた。 けれど、加減を掴めば後は容易い。 

何しろあたし達の居場所は曖昧なのだ。 うねるような心地良さだけの単細胞でもなく、殴りつけるように暴力的な痛み等とは違う。 痒みとは侵略する姿亡き異物なのだ。 初め、それは小さな違和感として知覚され、やがてジワジワその周辺を侵す。 ジワジワとあたかもそこが支配下に治められたかのような感覚は、全てをその一点に集中させ、直に堪え難く全体を支配するのだった。 長きに渡る掻痒は、全知覚を支配して遣ろうと脅かす。 その支配力は忍耐などと云う言葉が似合う苦痛だとか、刹那に霧散する快楽などと云う類とはまるで一線を斯く。

 「ダ、ダ、駄目だッ! 降参ッ! 降参ッ! も、もう解いてッ! オイッ!」

 「ダメ。 ・・・・ココのカサブタ、チョッと剥がしたりして、」

 「ぃッ、・・・・・・・ィ、ッ・・も、もう、」

それは二人にとって、己の身体を熟知する為の、実験的な一つのプロセスでもあった。 僅か薄皮一枚の知覚が、瞬く間に全てを鋭敏に浮き上がらせる不思議。 未知の感覚に浮かされ、二人は至る場所にそれを見出そうとする。 そう、至る場所にだった。 手始めに唇、耳の後ろ、首筋、腕の付け根、無論乳首や生殖器も念入りに試し、脇腹、背筋、臍のキワ、内腿、指の股、二人の試行錯誤は驚くべき努力と忍耐によって進められる。 それは彼らにとって、今まで信じていた快楽の概念を根元から崩す再生の作業でもあった。 やがて幾度も繰り返された崩壊と再構築の果てに、二人はそれぞれの結論を見つける。

 「あ、あ、あ、あッ・・・・ソコッ! ソコがいいッ!」

 「・・ッ・・・はぅン・・ぅッ、だッダメだッ、も、ソコだめッ!」

こうして二人は最良を定め、実行へと向かった。 手段など選ぶまでもない。 何しろあたし達は二人の極近い所に居た。 行動するのに熟考は要らない。 蒸し暑い雨上がりの金曜、男はまだ幼い顔をした高校生に向かい、学生服の下を脱ぐようにと至って事務的に命じた。 少年は身を屈め、黙ってベルトを外す。 少年の指がおずおずスラックスの縁に掛かった時、女はすかさず、下着毎膝まで下ろすようにと告げた。 一瞬目を上げた少年は、またすぐに視線を爪先に落とし、そして凝視する二人の目の前に汗ばみ薄い体毛が靄のように張り付く股間を静かに晒した。 日の当たらぬ蒼白い大腿、その付け根にあたし達の仲間はコロニーを作っている。 

男はコロニーの一部を女に示し、女は畳んだガーゼを銀の摂子で挟み、その場所を丁寧に拭った。 新天地を求め、あたし達の何人かはそのガーゼに素早くぶら下る。 そして少年はそそくさとその場を去った。 女は摂子に挟まれたガーゼを満足げに掲げ、男の差し出すシャーレにそっと収める。

 「・・・あの子、可愛かったわね。」

 「君、少年趣味あったっけ?」

 「馬鹿ね、どうせなら見栄えの良いトコから欲しいでしょ?」

 「ソリャそうだ」

昼下がりの小部屋、あたし達と彼等は正式に出逢う。 ブラインド越しに細く目を射す針のような陽光を受け、二人はそれぞれの最良にあたし達を厳かに移した。 女はスルスルと白いストッキングを脱ぎ、綺麗な曲線を描く素足をぞんざいに男の膝に乗せる。 男は恭しくそれを抱え、制汗剤の匂いのする土踏まずのアーチにゆっくり、数回、丁寧にあたし達を擦った。 右と、左と。 女は身支度を整え、持ち上げた顎で男を急かす。 促され、男は仕立ての良い麻のスラックスをストンと床に落とした。 そして白衣の合わせをたくし上げ、丸い小さなスツールに掛け、用をたす子供のように開いた両膝を抱える。 剥き出しの萎れたペニス。 憐れな脇役はポンと撥ね上げられ、上向くその付け根に、女がそっと剃刀をあてた。 擦りつけたフォームに臭いはない。 しかし俄に高まる男の緊張に、むッとする雄の匂いが消毒薬の臭いに混じった。 やがて顔を出すツルリとした蒼白い皮膚。 女はそこに、あたし達を擦りつけた。 

あたし達の仲間もさぞ驚いた事だろう。 彼らに滅ぼされる事はあっても、増やされる事なんてなかったから。 実際あたし達の天敵とは、正に彼らであった。 けれど、彼らはあたし達を選りすぐりの場所へ住まわした。 ならば喜んで、あたし達はそこにコロニーを作ろう。 何故ならそれこそ、あたし達の生き方だからだ。

やがてあたし達の発露に、彼等は待ち望んだ異変を感じる。 例えば極小さな点としてのあたし達であっても、二人にあたし達の存在を無視できる手立てはなく、寧ろそこに居るのだという圧倒的な存在感で二人をあたし達は支配し始めていた。

 「足・・・・我慢出来ないんじゃないの? さっきから君の膝が震えてる。」

 「あなたこそ堪え性がないわね。 しきりに手がウロウロして、何かコッソリ卑猥な事してるみたいだわ。」

 「コッソリ卑猥なのは御互い様だろ?」

なんと云っても、もうどうしようもなく二人に為す術もない。 

二人はあたし達の為に最良の状態を作ってくれた。 常にあたし達を潤す、シットリとした湿り気。 だからあたし達は盛大に、仲間を増やす事が出来た。 そして彼等は白衣の下、衆目の最中、あたし達の存在に身を捩り、いえ捩る事すら出来ず、やがて訪れる朦朧とした不可思議な快楽を待ち侘び、存分に享受するのだった。 最早、二人の生殖器は指を舌を待たなくなった。 けれど、そこは物欲しげに雫を垂らす。 無限に続くまどろこしい知覚に粘膜をヒクヒクと震わし、彼らは休む事もなく発情を続ける。 互いの場所にあたし達を擦り付け、時にラバーグローブでまどろこしくガリガリと掻き毟り、薄っすら血の滲むヒリヒリした痛みこそ解放される無限のエクスタシーとして、二人の蜜月にあたし達は図らずも荷担したのだった。

が、その終わりは唐突に訪れる。 あたし達はそこで増え続ける思想無き存在であり、即ちそこを失えばもう、滅ぶ他の無い脆弱な生でもあった。 つまり二人がそれを望んだからこそ、あたし達は滅ぶのだった。 二人があたし達を滅ぼす。

ある日、待ち侘びた解放に焦れる人気の無い小部屋に、一人の女が駆け込む。 今正に爪を立てようとする二人は突然の闖入者に立ち尽くし、次の瞬間男は素早くズボンを摺り上げ、女は平然と素足を高く組んだ。 見れば二人の女は仲の良い姉妹のように、同じ白い帽子を被り、同じ白い服を着ている。 選り歳若いのが駆け込んだ女だった。

 「ヤッパリねッ! 切れてなんかなかったじゃないッ、ヤッパリあたしとは遊びだったんじゃないッ!」

 「いや、あぁ、」

 「二人であたしの事馬鹿にしてたんでしょッ! おまけに、こんなとこにこんなのうつされて、あたしはどうしたらイイのッ?!」

おや驚いた! あんな所にあたし達の仲間が居る。 若い女の口元に、赤く歪な楕円のコロニー。 あたし達は珍しい場所に住むあたし達を大いに歓迎した。 が、年上の女はそれを見てさも可笑しそうに笑った。

 「アハハ! あんたアレを咥えたの? アンナなのをしゃぶったわけ? アハハとんだ物好きなのねぇ、アハハ! ぃ、」

笑う女に若い女が猫のように飛びつく。 縺れる腕と腕、互いを打ち砕き引き裂こうとする鉤型に振り翳す指と指。 引き攣る表情の男が二人の名を呼び、そこに分け入り、即座に巻き込まれて行った。 絡まる糸屑のように、三人は冷やりとしたリノリウムに転がる。 

それは久方振りに彼らが、あたし達の存在を忘れた瞬間。 
そしてそのまま、あたし達の存在は無意味で無益な物となった。

冷えたデリカッセンのグラタン、花柄のカーテンが温い初夏の夜風に揺れる六畳で、あたしたちはひと塗りの軟膏により滅びへと向かう。 引っ切り無しに流れる塩辛い水滴が、てらてらしたあたしたちの上をひたひたと濡らした。 

 さよなら、あたし達。

たった一人の寝室、廊下一つ隔てたそこに妻と子供の静かな怒りを感じつ、男はヘッドランプの薄明かりの中あたし達に軟膏を擦り込む。 長く伸びたペニスは奇怪な軟体動物の屍骸にも似ていた。 そのグロテスクな器官により男は或る意味滅びに向かっている。 そして滅び行く男により滅ぼされるあたし達。

 さよなら、あたし達。

コンと爪先に硝子を感じ、女は小さな悲鳴を上げる。 フローリングにベタベタとした染み。 構わず齧りつくサンドウィッチの、パサパサした食感とグズグズしたトマト。 飲みさしのグラスには、いつか男と買った希少で芳醇な赤い液体。 馬鹿じゃないの?女は呟きその液体を煽る。 また数歩進めばその軌跡は、ベタベタとあたしたちの屍骸で埋まった。 

 さよなら、あたし達。


     こうしてあたし達はあちこちに散らばり、
     そして新たな存在としてそれぞれに生きる。

     直にまた、あたし達はあたし達を増やす。






July 3, 2004
                                     白衣の淫獣 ヒリヒリさせて☆



    > 「水虫に欲情する男と陰金田虫に発情する女」  ・・・   参ったな、   

   あたし達=白癬とは、その感染部位により名称が変る。 股間⇒インキンタムシ 足底⇒水虫  など。