腹立たしい子供
なんで、平気で裏切るんだろう? なんでハイって言えないんだろう?
なんで嘘を吐く? なんでズルをする?
なんで、アイツは、心が無いんだろう、
逆巻く魔界波の渦、新月の宙空を真ッ逆様に落ちて行く灰色の塊。 少年は「許さない」と言った。 軽く跳躍する少年の脛は真っ直ぐに伸び、闇夜に光る御影石の上に綺麗な着地を決める。 カランと乾いた下駄の音。 見上げれば糸杉の槍の先、近付く塊はヒトガタを取り戻す。 墜落の激しい風圧に捲くれ上がる布の裂け目、宙を掻き伸び上がり縮む貧弱な手足は、さながら水辺で溺れる虫のように。
と、その時、少年が名を呼んだ。
名を呼ばれ塊は、もがく「くの字」のそのままに、闇のちっぽけな点として宙に静止する。 ぶるると身を震わせ人心地着くソレ、ずるずるした長衣に包まれた男。 ずり落ちたフードから、小さな頭が覗く。 油断ならない光る目の下には、隈浮く、疲れの抜けない顔。 さほど若くない。 しかし、白ッ茶けた肌と色の抜けた不揃いな髪、ひょろりと骨ばった四肢の脆弱さは、大人と呼ぶには危うげで、それ故、哀れさをも誘うあざとい不安定な存在。
少年がもう一度名を呼ぶ。
呼ばれ、男は、絡みつく掠れた声で言った。
『…… 俺ァ、知らねぇよぅ、』
頼りない身体は揺ら揺らと、遊具にぶら下る子供のように揺れる。
『もう一度訊く、』
『バァ〜カ、知ってたって言うもンか。 ンなもな、テメェが勝手に探せ。 俺ァ、知らねぇなぁ。』
見下ろす男の、小馬鹿にした口調。 間延びした語尾が、人を喰った含み笑いに変わる。 瞬時、逆立つ少年の髪。 髪は無数の針となり、笑う男の身体をみっしりと覆った。
『……ッッ、てッ、クソッ、痛ぇよッ! なァ、本気になンなよ、なァ、師匠! 師匠ッたら、聞けよ、長い付き合いじゃァないか?』
『誰に雇われた?』
撓らせた指は、男を軋ませ呪縛する。
『さァて、誰ッてか、ッ…… くぅ、 てッ、』
『誰に?』
『ゃアッ、イッ、よせッ、 … ィッ、』
小さく痙攣する男の手足。 針は赤く燃え、熱を孕み男を焼く。 糸のように細い音を成さぬ悲鳴が、薄く開いた男の口から喘鳴と共に高く低く洩れた。 見上げる少年は、一瞬何かを言い掛ける。 が、しかし言葉は飲み込まれ、吐き出す呼気と躊躇いを経て、再び発せられたのは男への問い掛け。
『誰にだ?』
『・・・・・ィ ガミ、イヌガミの旦那だよッ! クソッ言ったろ?! ヤメレッ、ヤメッ、』
シュン と、針は少年に戻り、クニャリ弛緩した男は術による見えぬ保持を失い、小石のようにポトンと草叢に落下した。 術のダメージに傷などは残らない。 男は捩じれたまま少年の足元に転がる。 針に焼かれた筈の顔は、つるりと傷一つない蒼白で、ズルズルの下、薄い肩の線は浅く繰り返される呼吸に上下して、心許無い僅かの精気を求めた。
『……なんで、コイツはこうなんだろう、』
男を見つめ、少年は吐き捨てる。
『なんでいつも、バレる裏切りをするんだろう?』
眉根を寄せた少年は、苛立つ仕草で土を蹴り、そして、隅で控える俺に言った。
『気が付いたらもう一度、締め上げろ。 …… 後は任せる。』
『もう一度ってコイツ、もう相当堪えてるンじゃないか?』
『堪えちゃいないよ。』
『……』
言い淀む俺に少年は、あぁと、片眉を吊り上げる。
『そう……だな、お前、コイツとは面識が無かったか…… いいか、コイツの見た目に騙されるな、コイツの卑怯は筋金入りだ、手加減してると足を掬われる。 泣こうが謝ろうが、キツクもう一度、手加減ナシに締め上げろ。 ……二度とするなと言っておけ。』
巻き起こる使い風、少年は仲間を呼び集め、糸杉の黒い森を犬神の社へと走る。 遠ざかる足音と、遠くで重なる呼び笛の音。 残された静寂に、支配される新月の闇。
そして俺は、転がる卑怯者を眺める。
ぼぉっと浮き上がる白い顔、額に土塊がこびり付く。 軽く握られた掌の内、苦痛を堪えた証か爪の痕が薄くへこみ、卑怯者は目を閉じて、さながら痛みを堪える子供の憐れさを、黒い油のような闇夜に曝す。
コレを、痛めつけるのか? 俺は誰に言うでもなく呟いた。
コレを、キツク、痛めつけるのか? 俺は自分に呟いた。
だってもう、死にかけじゃないか?
男は力無く目を伏せる。
確かにコイツは仲間を売り、仲間の命を小金に替えた卑怯者、卑怯者だが死にかけだ、そして、そんな卑怯な死にかけを任されたのが、俺だった。 騙されるなよと言われても、傷つき衰弱した頼りなげな有り様で。 これをもう一度痛めつけるのは、酷く躊躇われた。 しかし、少年は騙されるなと念を押す。 よほどの煮え湯を飲まされたのか? もしくは、そう、少年も騙された。
騙された? あの少年が?
ここらに身を落ち着けてまだ日が浅い俺は今日、初めてあの少年に同行した。
それがここに住む妖の者の習いだと、朝焼けの空、ねぐらに帰る俺を呼び止めた世話好きなあの老女は言った。 覚えておおきよ、あの子に間違いは無い、あの子は正しい者を守る、だから、皆、あの子に従うのだと、砂を操る優しげな老女は言ったのだ。
確かに少年は真っ直ぐ、正しいものだけを隻眼で選ぶ。 それは公平で迷い無く、罪は罪と罰を科す裁きは、勧善懲悪にして無情。 あの真っ直ぐな目に「許さない」と言われたなら、本当にそう、許されない事をしたのだと誰もが納得をするだろう。 同時にその揺ぎ無さ故、いつか、もしも自分が罪を犯したなら、仲間と言えどもこうして断罪するだろう少年に、誰もが微かな恐怖と畏怖を感じていたのも事実。 彼の如く、少年に揺るぎは無い。 無い筈だが、しかし、今しがた少年が見せた迷い、歯痒さ、それはなんなのだろう?
やがて、転がる男は小さく呻き、薄目を開ける。
『……よォ、』
赤く充血した目、まなじりに溜まる生理的な涙。 浅く短く吐く息はヒュウヒュウする喘鳴に乱れ、立て続けの咳漱に咽て、えずき、背中を丸めて耐える。 その背中、見下ろす俺は手を伸ばし、鉢合う瞳に固まる。
『大丈夫とか言うなよ、大丈夫な訳ねぇだろう? ッ、・・… あのガキ、マジ切れしやがって、クソッ…… おら、早くしろよ、お前、アイツに頼まれたんだろ? アハハ、お仕置き係か? ツイてねぇなァ、 …… 卑怯者を痛めつけろとな、ケッ、さぞや御大層な技アリなんだろうよ、』
『お、俺は、死にかけの奴に手を出すのは気が進まない。』
『死にかけェ?』
男は見上げた目を大きく見開き、そして、芝居がかった仕草で笑い声を上げた。 弾けるように、可笑しくて仕方ないと、途中咽込む呼吸苦に遮られるまで、ガサツク耳障りな哄笑をゲラゲラと、闇夜の廃寺に響かせた。 そして、急にすっと笑いを収め、ひんやりした視線を向ける。
『俺はね、死なねぇんだよ・・・・・・ご心配有り難いが、俺はそういう風に出来ている。 例え、お前みてぇなヘッポコに本気ワザ掛けられたとしても、死にそうにはなるが死なねぇ。 ……安心したかよ、したらば、サッサとなんかしろッ! 変にタメ入れられるよか、俺ァ、サッサと気絶しちまいたいんだよッ!』
再び咽込む男は目を閉じて、屈み込む俺の気配に身を竦ませる。
俺は即座に末端まで気を廻らせて、俺の両端を白い川のように広げた。
ひらひらする両端は素早く旋回を繰り返し、硬く目を閉じた男を一巻き、二巻、白い無音の闇の中へと閉じ込める。 そして俺は俺の内、浅く息を吐く弱い歪な鼓動を感じた。 あまりに弱い、ソイツの存在。 あとは、ギリリと締め付ければ良かった。 指を鳴らすより容易い筈だった。 白い闇の中、胡桃を潰すように男は骨を砕かれ、ポンとその残骸を解放される筈だったのだが、俺は、繭玉のそれを身の内に留め、未明の空をねぐらに向かう。
騙された? 騙されたのか?
あの少年に釘を刺されたにも係わらず、俺はまんまと騙されてしまったのか? だとしても、どうしようもない。 俺には、出来ない。 俺はあの男に、苦痛を与えるなんて出来なかった。
無論、綺麗ぶるつもりは無い。 今までだって散々ロクデモない酷い事を、妖の者らしく、俺は仕出かして来た。 無抵抗のやつを痛めつけるのも、許しを乞う奴の骨を砕くのも、必要とあらば何の感慨もなく俺はやった。 所詮、俺はそういう生き物だ。 それを一々気に病むなど、馬鹿げてるとすら思った。 なのにどうした? 俺は今、この身の内に何を抱えている?
やがて山二つ越え、ぽっかり現れる廃線跡のジャンクション。
背丈ほどの箒草が茂る線路脇、荒れ果てた鉄道員宿舎が俺のねぐらだった。
砕けた窓の一つから、屋内へと滑り込む。 がらくただらけのそこを避け、ヒュンと引き戻した俺の切れ端の中、ゴロリとそいつは転がった。 俺は伸び上がり数回身を震わせて、帰りしな外気から絡めた邪気を、隅々まで吸い込む。 じわじわと、黒い鋭気が俺を満たした。 そもそも俺達は、邪気を吸い込み精気を養う。 そこに、正しいもへったくれも無い。 だが、共存という生き方を選んだ以上、奇妙なルールを無理矢理に当て嵌めねば俺達に居場所は無いのだ。
そして、無理矢理のルールは、こうしたハミダシ者を生んだ。 如何にも妖の者としては正しいハミダシ者を、妖の者らしからぬ俺達は、自らの手で裁かなくてはならない。 尤も、そこに呵責を感じては、もはやココでは生きられないのだが。 俺は、今更のようにうろたえている。
どうしたらいい?
再び、まだ身動き一つしないソレを見やった。 微動だにせず、伏せた瞼は震えもしない。 ゾワリ背中が冷えた。 そっと腰を屈め、傍らに膝を着き、恐る恐るその口元に手を翳す。 冷やりと掌を打つ、脆弱な呼気。 微かに感じるそれに少し安心し、だが、これからどうするかまるで考えも付かず、膝を抱えた俺は、いつしか深い眠りに身を委ねていた。
泥のような眠りの中、俺は、転がる男の夢を見る。 男は丸く背を縮め、激しく咳き込み赤い血を吐き出す。 ゴボゴボと泡のような赤い血を吐き出しては咽せ、掻き毟る胸元は表皮をこそげたミミズ脹れのだんだら。 覗き込む俺に男は高笑いで言う。 「見てろよ! 死なねぇ死にかけを、そこでボサッと見やがれッ!」
違う、俺は、
『暢気に寝てンなよ、お人好し…… 』
ハッと息苦しさに飛び起きた。 至近距離に見る白ッ茶けた男の顔、面白がる目、そして伸ばされた指先で俺の鼻を摘む死にかけだった男。 白々した陽光が、埃臭い風をヒリヒリと熱する室内、既に、日は高い。 日の下に曝されたガラクタ塗れの部屋、灰色のズルズルは影のように移動した。
『汚ねェねぐら! こうも明るいと、落ちつかねぇし、使い道もねぇし、』
窓際で舌打ちする影は、錆びたサッシに腰を預け、こちらをじっと眺める。 目深に被ったフードの下、どんな顔をしてるかは分からない。 しかし、値踏みされるような居心地悪さに耐え切れず、間の抜けた言葉を俺は繋ぐ。
『か、身体、大丈夫なのか?』
『ハァ?』
『ぁ、あんた、死なねぇんだろうけども、でも…… 痛いとか苦しいとか、身体はキツイんだろ?』
『……めでてぇな、』
僅かに持ち上げた顎、歪んだ口元に投げ遣りな笑みが浮かぶ。 と、ゴロンと後ろに転がった俺は、床の瓦礫でしたたか頭を打ち声を上げる。 腹の上、乗り上げた男のちっぽけな重さ、ザンバラの髪が色味の無い顔を覆い、その隙間から抜け目無い瞳が俺を見下ろす。
『な、何、』
『見返りだろ?』
『え?』
『コレで貸し借り無しだ……』
近付いた薄い唇が鼻先を掠め、尖らせた舌がザラリ顎の際に触れた。 人でない者の低過ぎる感触に、漸く、何が見返りだかを悟り、じたばたと慌てる役立たずの脳みそ。
『よ、止せよ、』
突っぱねる腕に、力が入らない。
『止めろッ!』
『今更、ぶンな、バ〜カ、』
潜り込む指先は羽蟻の感触で這い回り、首筋に触れるか触れないかのギリギリで、せせら笑うように声は言う。
『今更理由もねぇだろう? コッチの流儀で借りは返す……はは、損はさせねぇよ、お気に召すま… ま ……』
伸び上がり脱皮のように脱ぎ捨てられるズルズルの下、白日に曝されるのは、およそ現実味に欠けた薄皮一枚の肌。 その白に眩み、竦む俺には成すべき事がわからない。
俺はずっと一人だった。 生れ落ちた無明の静けさの中、ざわめく人の世に彷徨ってからもずっと、俺は闇を一人漂い、邪気を狩り、ねぐらを探し、広げた己の切れ端に埋もれ、孤独を白い闇に紛らわせて生きて来た。 それは例えヒトガタを日常の姿としても、所詮、薄っぺらで一枚の妖気である以上、俺には必要の無い行為であった。
だが、コレは、
『…… おいおい、出来ねぇとか言うなよ?』
『だけど、』
『なら転がってろ…… 』
『……ッ…… 』
男はソレを口に含んだ。 その器官のそんな使い方に、それによる激しい戦慄に、そして己の劇的な変化に恐怖して鷲掴む、パラリとした生際の一束。 引き起こされた男の口元、グロテスクな器官はズルリ、唇から滑る。 濡れたソレ、濡れて薄く開かれた唇。
『……ナンだッてんだよ、』
剥き出しになった額は意外な幼さを残し、多分、ずっと年上であろう男の顔を、途方に暮れた子供の顔に重ねる。 疲れ、老成した眼差しは中断させられた行為に怒りを孕み、が、紗をかけたような哀願が、拒絶する俺の言葉と動きを奪う。
『借り、つくらせンな……』
『俺は、』
『…… 助けてやったとか、思い上がンじゃねぇぞ……』
『違うッ、』
違う、そうじゃない、そんなつもりじゃないのだと、
しかし、そう言い募るには余りに男は切迫して、余りにギリギリで。
掴んだ束ごと引き寄せて、薄い唇に俺のソレを、重ねた。 いつか見た、人の男女の行うソレ。 この男と試みて、何の意味が在るのかは分からないが、少なくとも男はそれを望むのだから俺は、それを良しとしよう。 乗り上げられた腹の上、ちっぽけな重みなのに息が洩れる。 ヒトガタの俺と蜻蛉の羽のように重なる、柔らかく所々ゴツゴツする男の、重み。 唇は柔らかく、ひんやりと俺の舌を噛んだ。 決して上がらぬ体温はヒトならぬ者の定めだが、それでも縋り付く指は求め、見よう見真似の行為に俺達は息を乱し全部忘れる。
埃だらけのざらざらした廃屋、絡み合う俺達は獣のようでもあり、まさにヒトらしくも思えた。 試みは滞りなく、終始男に導かれ、俺はこのヒトガタの使い道を男から教わる。 行為の意味など知る由もないが、しかし、男は小さく声を上げ、がくがくした痙攣のあと剥き身の身体を俺の腹に擦り付けて、呼吸が整う頃には穏やかな眠りに落ちる。 俺は収まらぬ鼓動の侭ヒトガタを解き、グッと広げた端切れを柔らかに波打たせ、剥き身で貼り付く男をグルグルと囲んだ。
そして繭玉の中、白い闇に包まれて俺達は平穏を得る。 ぬらぬらした体液の、湿り気さえ心地良く、互いの吐息に耳を澄まして男は俺に巻かれ、俺は男を内包し、暫しの平穏を俺達は貪る。 それは、人のするソレと同じだろうか?
そんな風に、男と、俺は繋がった。
何かが絡んだ、そんな感じに。
男はいつだってヒョイと唐突に訪れて、勝手に喋り勝手に転がり、時に変な物を喰らい、泣いたり騒いだり掴みかかったりした挙句、たいていは急に押し黙り、相手にならない俺を なァ、と引き寄せる。 そして、俺達は「行為」を交わす。 最中、男は手荒い扱いを俺に命じた。 躊躇う俺に、歪んだ笑みを浮かべて男は言う。
『つべこべ言わずにしろよ、どうせ死にゃしねぇんだから。』
幾度か拒否する内に、それは次第に懇願となり、ならばと俺は、そう男が望むような遣り方を行為の最初からするようになった。 決して俺の望むカタチではないけれど、男はそうして俺を求めた。 それだけは事実だから、俺は男に止めろとは言えない。 こんな風にするのは止めようと、こんな追い詰められるまで企むのは止めろと、あの少年の事をいい加減構うなとは言える筈が無かった。 それらに男は囚われて、それらに全てを注いでいるかに見えたから、暗い熱意の矛先を失い、崩れる男を俺は恐れた。 墜落する男を支える自信はまだ、無かったのだ。
あの少年に関して、何故男が執着するのか俺には理解出来ない。
男の生は、あの少年を欺く策略の為に回っていると言って良い。
『アイツ、むかつくんだよ、』
そんな薄っぺらな一言で、男は毎度の裏切りを企み、洒落にならない犠牲を払い、同胞から石もて追われる羽目になる。 そしてお決まりの激しい「仕置き」。 仲間の術により、あるいは少年自らの手により潰され、引き裂かれ、吊るされ、踏みつけられ、余計な減らず口でそれらは更に過酷さを増し、元より戦う術を持たぬ男だから程なく瀕死の虫の息。 そこで、俺が呼ばれる。
『任せたぞ、』
少年は、俺を呼ぶ。 そして俺と男を残し、諸々の始末を付けに少年は去って行く。 それだから、俺は両端で男を巻きつけ浅い不規則な息を内に感じつつ、闇に紛れてねぐらへと飛ぶ。 やがて男が目を覚ますまで、泥の眠りから覚め、見えない無数の傷が癒えるまで、俺は自らの内、白い闇の繭玉の中に瀕死の男を匿うのだ。
あの日から、少年が何故俺に男を任すのか、その真意は分からない。 俺と男の関係をまさか知っているとは思えないが、しかし、男が執着するそれに似た何かを少年も男に抱いているのではないか? 同じくらいの執着、それ故に少年は瀕死の男を俺に託す、すなわち俺にも同類の臭いを感じた結果の選択なのではと、俺は考える。
だから俺は歯痒い。 いつか本当に殺し合う、そんな関係が恐ろしく、そこまで引き寄せあう二人の歪な関係は他を寄せ付けない排他的な強さを秘めるから。 眺めるだけの部外者であった俺は立ち入れない壁にしばしば撥ね付けられ、踏み込めない二人の関係には遣り切れなさを感じた。
男はきっと少年の為に命を落とす。
少年はいつか正当な理由のもと、男を死に等しい何かに変える。
そこに、俺は居ない。
俺は共有者であるけれど、当事者足り得ないのだ。 それは、事実だ。
散々死にかけて、ボロボロに傷ついて、なのに懲りずにまた、男は新たな裏切りを画策する。 どうせバレる事なのに、どうせまた死に掛けるのに。
『何で、ちゃんと出来ないんだよ?』
『してるだろ?』
『何で、裏切る事ばっか考えるんだよ?』
『アイツ、おろおろするトコ見たいじゃん、』
『そんで毎度死にかけるのかよ』
『死なねぇし良いだろ?』
腹立たしさに殴ろうかと思ったが振り上げた腕はまだ振り下ろされず、躊躇わせるソレに、カモにする奴の弱みに付け込む男の卑怯に、またいっそう腹立たしく、胸苦しく咽喉の奥がつまった。 なんで、こいつ、なんで、
「おぉコワイ!」と口ばっかりに薄笑うのは、ずるくて嘘臭い顔。
卑屈に見せかけてその実、一つもへつらっちゃぁいない。
男は、俺の顔を値踏みするように見上げる。
『あんた、卑怯だ。』
『おとなは卑怯なもんだァ』
『おとななんかじゃ、ねぇだろ?』
『おまえよかとか、ずっと、おとなだろう? ま、どっちでも俺はいいけど…… なぁ、ソレよかさぁ、コッチな…… な?』
コッチな、と伸ばされた指は行き場のない半端な俺の腕を掴み、服の一部みたいなぞんざいさで貧弱な薄い肩に一巻き、二巻、巻き付けた。 押し付けられた背中、隙間なく張り付いた俺の胸に、微かで不揃いな苦しい喘鳴が響く。
男はさっきまで死にかけだった。 未だかつて無いほどの、死にかけだった。
男は少年の幼馴染を死神に売り、取り返しに行った仲間を罠に掛けて小金を儲けた。
たいした金額じゃない、ほんの端金の為に、男は少年の幼馴染を選んだ。 わざわざ殺してくれとでも言うように、そして、望むように男は殺されかける。 尤も、男を手に掛けたのは少年ではない。 少年に命じられ男を無数の砂粒で覆い圧し、仮死にまで追い込んだのは、悪鬼の如く激高したあの優しげな老女であった。 二度と起き上がるんでないよ と、老女は吐き捨てるように言った。 老女が立ち去った採石場の岩陰、ザザザと風に洗われて、砂塗れの男の紙より白い顔が曝される。 眼窩を隈どる砂の跡、薄く開いた口の中にも白い砂粒がさらさらと零れた。 そっと触れたこめかみ、指先は拍動を感じず、思わず俺は少年を見上げる。
『死んだ?……』
『コイツは死なない』
屈み込む少年は男の口元に手を翳した。 すると口から鼻から、ざらざらと砂粒が少年の掌に集まり、やがて小さな砂山のようなそれを少年が払えば直に、咽込む男は「余計な事すんな、馬鹿」と言った。 そしてまた気を失い、今、起き上がるにやっとの身体。 未だ雑音の混ざる苦しい息を胸に溜め、なのに懲りずに次の画策を語るどうしようもない、愚かで、卑怯で、ヒトデナシの男だから、
『全然、ガタ、キてんじゃねぇかよ……』
『ま、な……だからヤラセロとか言うなよ』
『…ッ……』
辛いって言えよ、駄目だって言えよ、だから助けてくれって俺に言えよ、
布越しのズルズルの中、嵌りこむ膝の間、男はもぞもぞ落ち着き場を探し、やがてほぅと吐き出した息、骨ばった身体がくたりと弛緩した。
『……丑三つ、』
『なんでだよ?』
『丑三つな、旦那ンとこの、鵺が来たらァ起して、』
『…… 行くなよ…… 行くな、自分壊しに、卑怯な事試しにもう、行くな、……』
引き降ろしたフードの暗がりで、男は小さく オヤスミ と言う。
そして俄かに重くなる身体、冗談みたいな速さで眠りに突入する男は、きっと、もう俺の事なんて忘れてるんだろう。
忘れ去られた俺は、規則的に上下するその胸を、ズルズルを着た腹立たしいコドモを、無駄に余らせた俺の端切れで幾重にも、幾重にも、幾重にも包むのだ。 ずるさも、汚さも、卑怯で誠意の無い心根も、みんなこの繭玉の中、俺ごと閉じ込めたこの白い闇に隠し、誤魔化し、包んでしまえと。 ぐらぐらと揺する、ちゃんちゃらオカシイ子守りは、泣き言に終わるゆりかごの歌。
答えのない塊は、素直な寝息を立てるばかりで、腹立たしく剥ぎ取ったフードの下、ざらり零れる一掴みの砂粒。 薄く開いた口、伏せた瞼の蒼白に、息をしない先刻の男を想い、成す術の無い己の無力に憤り、俺は声無き慟哭あげる。
いっそ、死んでしまえよ、
いっそ俺と死んでしまえばいいのに、
そして、ここで、俺と朽ちてしまえと。
懊悩を抱き、絶望を誤魔化し、交わされる行為の虚しさにも逆らえない俺は、
ガラクタ塗れの廃屋で、鬼火に照らされた緋色の繭玉になった。
ぬらぬら体液で湿る、油壷の夜。
Tuesday, August 05, 2003
佐伯シェイ様 28182 hit > ゲゲゲの鬼太郎パロ 一反木綿×ねずみ男
多分、ソレはこんなじゃない。 サエキッス、ごめん。
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