「 彼女 」
     
        


 ‘彼女’ ― だ・・・。

 彼女が白い肌も露わに私を誘っている。
 赤いレザーのソファーに横たわり、私が近づくのを待っている。

 ―その濡れた瞳で―

 誘われるままに彼女に触れ、たわわに実る双の乳房に顔を埋める。
 その柔らかさを楽しみながら、果実を味わう。
 じっくり時間をかけて揉みしだき、舌で舐め、歯で噛み、唇で吸う。
 しだいに彼女の息が乱れはじめ、私の髪を弄ると乳房から引き剥がして頭を下に押し下げる。

―熱い体―

 花芯はもうすでにしっとり蜜をたたえていて、私はその甘い蜜をゆっくりと丁寧に舐めとった。

 そこで唐突に目が覚めた。

 黒崎流美は夢の残滓を追ってきつく目を瞑ったけれど、彼女の姿はもう見えなかった。流美は今しがたまで見ていた夢を脳裏で反芻しながら、このまま目覚めたくないと思った。すでにもう、現実の虚しさに胸が押しつぶされそうだったから。


―桜木ハルカ―

 彼女と初めて会ったのは春、流美の勤める会社に新入社員として入ってきたのが彼女だった。新人研修の講師として壇上から彼女を見たとき、流美は思わず声をあげそうになった。‘彼女’かと思ったから。

 それほどまでに桜木ハルカは、彼女に似ていたのだ。流美の夢の中の女と。
 その時流美はすべての音を奪われ、色を喪い、ただ桜木ハルカだけが鮮やかに浮かび、彼女と目が合った瞬間、流美の心臓がどくんと大きく脈打ち一気に血が下がる思いがした。頭の中はもう真っ白で、何度も打ち合わせした筈の講習内容が頭からスッポリ抜け落ちてしまって、型どうりの話しか出来ず、それすら早口で喋ってしまう始末だった。
 サポート役で同期の江川翔子がフォローしてくれなかったら、その場を取り繕うことすら出来なかったろう。

 なんとかその時間の講習を終え、会議室のドアを閉めた瞬間流美は安堵のため息をついた。

 「翔子、さっきは迷惑かけてごめんね。ありがとう。助かったよ」

 江川翔子は、緊張のためかまだ少し青い顔をした流美をチラリと見やって、それまで憮然としていた表情を引っ込めた。

 「ほんとだよ。昨日の打ち合わせと全然違うんだもの。こっちも焦っちゃったじゃない。それよりどうしたの?顔色悪いよ。具合でも悪いんじゃないの」

 心配して自分を気遣ってくれる翔子に、なんて言っていいのかわからず流美が言いよどんでいると、後ろのドアから数人の新人達と一緒に桜木ハルカがこちらに向かって歩いてきた。
 すれ違いざまほとんどの新人が軽く頭を下げて挨拶をして行くなか、桜木ハルカだけは流美達を無視するように視線を合わせずに歩き去って行ってしまった。

 「ねぇ、今ここを通っていった背の高い子、今年の新人の中じゃ一番美人だけど少し変わってるみたいだね」

 翔子が桜木ハルカを目で追いながら、流美だけに聞こえるように言った。
 ‘変わっている?’ どういう風に変わっているのか知りたかったけれど、聞かずにそのまま流してしまった。
 その日の夜のミーティングの後、同僚達と他愛無いお喋りをしながらふと桜木ハルカのことが気になった流美は、隣で缶ビールを美味そうに飲んでいる翔子に思い切って聞いてみた。

 「ねぇ、昼間の桜木さんの話だけど」

 その先をどう切り出していいかわからずに流美が言葉を探して翔子を見ると、翔子は艶めいた瞳で流美を見ていた。

 「流美、桜木ハルカに興味があるの?」
 「えっ、ううん、興味ってほどじゃあないけど昼間翔子が気になるようなこと言うから、どういう子なのかなってちょっと聞いてみただけ」
 「そう?ならいいけど。あの子のいい噂あんまり聞かないから。本当かどうかは私も知らないけどね」

 翔子の言葉に流美は、言い知れぬ不安を感じてしまった。 


 あぁ、またあの夢だ。
 彼女が私の腕の中にいる。
 彼女に触れながら、私の花陰も熱くうずき、蜜を滴らせている。
 彼女の快楽に浸る喘ぎ声を聞きながら、そのスラリとした指で私に触れてほしいと、切に願う。
 欲望に潤んだ瞳で、彼女を見上げると彼女は醒めた目で私を見ていた。

 ―その瞳を私は知っている?―

 一瞬の既視感。
 目覚めとともに、流美は過去の記憶を思い出してしまった。

 ‘彼女’は夢の中の女なんかじゃない。
 あれは、あの人は父の愛人だった人だ。母は私を産んで間もなく亡くなっている。父は時折女の人を家に連れて来たことがあった。そうだ、あれは私が小学校に入ったばかりの年、父と愛人との情事を偶然見てしまったのだ。彼女は、あの赤いソファーの上で父に抱かれていた。ゆったりとソファーに腰掛けて、父を誘い込むように大きく足を開いて。私はただ呆然と父の背中越しに彼女を見ていた。

 彼女は途中から私に気づき、あっちに行きなさいとでも言うように右手を二度ばかり振って見せた。それからも度々彼女を家で見かける事はあったけれど、私は決して自分の部屋から出る事はなかった。
 
 そうだ、あれ以来私は異性を見るよりも同性である女の方に興味を持ったのだった。
 流美は、夢の終わりを知った。


 研修最終日、流美は教官室に桜木ハルカを呼び出していた。
 約束の時間どうりにドアがノックされ、桜木ハルカが入ってきた。
 流美は暫くハルカをじっと見つめた。やっぱり彼女に似ている。

 「やっと思い出してくれた?お姉さん」

 ハルカはにっこりと微笑んだ。
 はっとしながらもやっぱりそうなのかと戸惑う瞳でハルカを見つめながら、流美は乾いた唇から無理やり言葉を押し出した。

 「私の事をいつ知ったの?」

 震えだしてしまいそうな体を右手で抑えながら、一番知りたかった事を聞いた。

 「・・・小さい頃から、何度も母さんから聞かされてた。あんたとあんたの母親の話しをね」

 静かな感情そのままの言葉に、流美は息を呑んだ。

 「私の母の話?なんで・・・。あなたのお母さんは母を知っていたの?」

 思いがけない事実に頭がガンガンしてきながら訊ねた。
 ハルカはそんなことも知らなかったのかといいたげな表情で、つかの間流美を見ていたが、本当は言いたかった言葉とは別の言葉で流美に答えた。

 「知りたかったら教えてあげる。だけどそれは今じゃない。そのうちに、ね」

 そう言い残してハルカは、流美が呼び止めても振り返りもせずに教官室を出て行った。
 一人残った流美は、一度解りかけたと思った記憶がまた闇に沈んでいくのを泣きたい気持ちで感じていた。

 自分の記憶、母の事、そして何より桜木ハルカの事。
 今の流美には知らなければならない事が沢山あった。

 この研修が終わったら父に会いに行く決心をして、流美も教官室を後にした。






                  − To be continued −



   * 濱田屋様より、サイト一周年オメデトウの私信とともに(2003.08.05 メールにて)頂く。 
   
    頂いたのですが ま、まさか火曜サスペンス風味ズ〜レ〜がクルとはお釈迦様でもワカランだろう ・・・・・・
    もはや続きが気になり禿げそうです。