オモチャ箱の覇者



    中間。二つの物事のあいだ。物と物との間の空間や距離。また、真中の地点。

何よそれ、物凄く中途半端。全くもって曖昧だわね。
 

 私はこの中間という言葉があまり好きではない。いや、はっきり言って嫌いだ。強靭な自己、揺るがざる意志、確固とした信念、明確な目的もなく、ただダラダラ周りに流され合わせ、緩々溶かされ輪郭を失いながら生きている。
時には白く、時には黒く、あるいは灰色で周りを窺い窮地に追い込まれることを厭う。妥協、折り合い、八方美人、どっちつかずの半端モノ。

中間に付き纏うイメージはいつもそんなだ。
 
 白か黒か善か悪か愛か憎か実か虚か好か嫌か。二つに一つ。
真実はいつも一つだとか、そんな暴言は吐かないけれど、それでも事実は一つに決めるべきだわ。答えはいつも一つでいい。中間っていう曖昧な言葉で誤魔化すのはあまりに卑怯。

どちらか一方を選べばいいのよ。


            ***


 凛子は玄関のドアを開けたまま溜息をついた。
ドアの向こうで微笑むのは2人の男女。

「おはよー。ちょっともしかして今まで寝てた?」
 
 寝癖全開の凛子を見て、そんなことだろうと思ったよー、と笑うのはキコ。

「オイオイいいかげん人間らしい生活しろよ」
 
 腫れぼったい目を擦る凛子を見て、お前はすでに若者じゃねェ、と悪態をつくのはケースケ。
 
 彼らの両手には食料がごっちゃり入り込んだビニール袋。
ワインボトルの下から覗くチートスは死亡確実だろうなと低血圧で機嫌の悪い凛子は思った。


「 「お邪魔しまーす」 」
 
 凛子を押しのけ2人は部屋の中に侵入し、勝手知ったる部屋を占領。キコは食材を冷蔵庫に詰め込み、ケースケはソファーでくつろぎテレビをつける。

「ちょっと食料何もないじゃない」
「アレッ!?おい、ちょっと待て。新・愛の嵐は!?」
「ねぇ普段ちゃんと食べてる?自炊してる?」
「まさかもう終わったとか言わねぇべな?ってマジかよ、マジかー」
「コンビニ弁当ばかりだと太るよー。しかもお金、無いくせにィ」
「うわー気になる!最終回どうなったんだ?!誰かビデオ録ってねぇかなー」
 
 凛子はすでに慣れたはずの二重音声に、本日2度目の溜息をついた。



 10月1日は笠井キコが生まれた日。
 10月2日は安西ケースケが生まれた日。
 私が産まれて19回目を向えるこの2日間。私は今日と明日で20回目を向える2人の人間に拘束される。『誕生日パーティー』という名目のもとに。



 なぜこんなことになったのか。時は5日前の9月26日に遡る。
 
 学食で一人カレーうどんを食べていた時のこと。茶色いタレが服に飛び、若干泣きそうになっていた凛子の向かいの席にキコとケースケが、ぎゃあぎゃあ騒ぎながらやってきて、座った。

「ちょっと凛子聞いてよ!ケースケの誕生日、あたしの次の日なんだって。有り得なくない?」
 
 凛子に向って右側にキコが座る。ピンクパールのマニキュアが施された繊細な指が苛立たしげにテーブルを叩く。

「てか有り得るも有り得なくも有り得たんだから有り得たんだよ。いちいちうるせェんだって、お前は」
 
 凛子に向って左側にケースケが座る。肘をつき、キコを指差す人差し指は苛立たしげに揺れていた。
 
 その武骨でやけに長い指をキコは叩き落し、わざと細めた目でケースケの上から下まで眺めた。

「いやーこんな男と連立だなんて心外だわ。犯された気分」
「はぁ?俺の方が心外だっつーの。輪姦された気分」
「うわッ、ムカツクわー」
「あーもーうるさい。お前喋んなって、マジで…って、」

「ちょっと聞いてる?/ちょっと聞いてんのか?」
 
 凛子は胸元についたカレーを拭き取り、余計広がってしまった染みに苛立ちながら 「…聞いてるから」 とポツリ答えた。



 凛子とキコとケースケは、同じ大学同じ学部同じ学科の2年生である。
凛子とキコは1年の前期に実験の班が同じになり、それ以来一緒にいることが多くなった。 ケースケはその夏、色めき立つ周囲に焦り、凛子とキコの2人まとめてのナンパを試みた愚か者だ。
その時は凛子の黙殺とキコの辛辣な言葉を浴び、二兎を追うものは一兎も得ずの諺を体現したケースケだが、めげずに付き纏い、結局一緒につるむようになった。
 
 キコとケースケ。ヤツら二人が揃えば早朝だろうが深夜だろうが所構わず高テンションの喧嘩を繰り広げる。大抵、凛子が善悪、勝敗などの結論を宣言することで喧嘩は一旦収まる。が、それについての問答が始まり、再び燃焼。これの繰り返しだった。


「…で、何?」
 
 凛子は奮闘の証(丸めたティッシュ)をお盆の片隅に置き、スッカリ恒例となった二人の仲介役になる。多少キレ気味。

「いや〜ん、ちょっと凛子ちゃんったら機嫌悪いのぅ?」
「カレーの染みくらい気にすんなって!多少目立ってるけども、誰もウンコ飛ばしたとか思わねぇから!」
 
 無言で立ち上がった凛子を前に、大笑いしていたキコとケースケは慌てて制す。

「わー待って待って、行かないで!ね、凛子、今日は提案があるの。ね、10月の1と2、誕生パーティしよ?」
 
 右腕にキコがしがみつく。

「二日連続、つぶれちゃダメヨの大宴会!!勿論学校は自主休講」
  
 ケースケは親しげに肩を組む。

「 「勿論開催場所は、凛子んち!! 」 」
 
 息ピッタリ、流れるようなリズムの会話。最後は見事なハーモニー。
 凛子は言っても無駄だろうけど一応発言する。

「二人で祝いなさい。そして何でうちなワケ?」
 
 キコは信じられないといった風に目を丸くした。

「ちょっと冗談でしょ?!なんであたしがこんな男と二人っきりで祝わなければいけないのよ。そもそもあたしは凛子と二人で遣りたいのよ。全く邪魔ったらないわ」
 
 ケースケは鼻息を荒くして反論する。

「いやいやいやいや、言わせて貰うけども、俺だってお前と二人は御免蒙る。それだったら保坂君とやった方がまだマシだ。あいつ絶対ホモだ。しかも俺に気ィ有り」
 
 な?とケースケは凛子に同意を求める。や、同意を求められても。凛子は無言でその場を流す。

「じゃ、ヤればいいじゃない。ほら、早速誘いに行ったら?飛び切り豪華なプレゼントくれるわよ?お礼にあんたの春をあげちゃえば?彼女、いないんだし。いっそ、ねぇ」
 
 キコはケースケに向ってチュッと唇を鳴らした。グロスで艶めく厚めの唇はキコのチャームポイントだ。ケースケは目を細めキコを睨む。

「お前だって彼氏いねェくせにほざくなバァカ。いつも凛子凛子言いやがって。…ん?おや、君はもしかして、アレかい?レ…」
 
途中で会話を切らせ、手で口を閉ざすケースケ。そのわざとらしい演技に腹を立てたキコが口を開く前に凛子が言う。

「はいはいはいはい、一緒にやろう。パーティやろう。皆仲良く楽しく致しましょうね」
 
 本格的火蓋が切られる前に凛子は折れた。放っておけば水の掛け合い、カレールーの掛け合いをしかねない。二人を宥め、落ち着かせ、最後に一つ質問をする。

「で、何でうちなの」
 
睨みあっていたキコとケースケは振り返り、

「「だって凛子ンち、うちらのちょうど真ん中にあるんだもん」」

 漫才でもやったらいい…。凛子は見事にハモる二人に負けた。



 この二日間で何かがわかるだろうか。
 この二日間の閉塞された室内で、なんらかの答えが得られるだろうか。

 ――解放を孕んだ包括を得るか、拒絶を孕んだ束縛を得るか

 どちらにしても、いつかは決めなければいけない。
キコか、それともケースケか。




いらぬ桎梏
謂れのない許可
全てを包括しようとする意思


所詮愛なんてそんなものだわ。あなた方は、私に枷を嵌めようとしている。
やめて頂戴。私はそんな愛なんて欲しくはないの。

私はただ、自由が欲しい。


            ***


「ねぇ凛子。今日の晩ご飯は凛子の好きなもの尽くしよ」
 
 台所で新婚情緒漂う白のレースエプロンを装着したキコが言う。

「え!?キコが作るの?食べに行くんじゃなくって?」
「そうよ!だって今日はあたしの誕生日だもの。凛子はずっとあたしと密室にいるのよ」

キコは凛子を抱きしめ、満足げにノドを鳴らす。

「まぁ俺もいるがな」
 
 ホント邪魔臭いわ。キコは凛子から離れ、野菜を洗いながらケースケに向かって悪態をつく。凛子はてっきり外で夕食を取った後、うちで宴会を開くものだと思っていた。彼らはプレゼントは用意しなくていいと言っていたから、せめてディナーは奢ろうと考えていたのだ。

「じゃぁちょっと待ってて」
 
 凛子はジャケットを羽織り、財布片手に玄関へ向う。見たところ、彼らが購入してきた食材の中にケーキが含まれていなかった。だからせめてケーキぐらいは買わないと凛子の気が治まらない。

「ちょっと!どこ行くの!?」
 
 キコとケースケがやけに焦って追って来た。鬼気迫る彼らに凛子はたじろぐ。

「や、ケーキ買いに。やっぱ外せないでしょ?」
 
 あースッカリ忘れてたな。二人は顔を見合わせて頷き合った。

「じゃね」

 ドアノブに掛けた右手をケースケが掴んだ。

「じゃ、俺も行く」
 
 凛子の手を握ったままケースケは靴を履く。

「えっ!やだ、それならあたしも行く!」
 
 慌ててエプロンを外すキコを尻目に、ケースケは素早く凛子の腰に手を廻し、外へ連れ出した。

「お前はさっさと飯作ってろよ。じゃぁねん」
 
 ケースケはそのまま何か叫ぶキコを残し、凛子の腰に手を廻したままエレベーターへと急いだ。



「さぁこれからどうする?もういっそ、二人でデートでも致しますか!」
 
 まんまとキコを出し抜き、外に出たケースケはうひゃうひゃ笑う。

「ケーキ買いに行くって言ってるでしょ。そしてあんたの手つき、エッチ臭いのよ」
 
 腰に廻ったままの手を払い、軽くねめつけ、凛子はケースケの前を歩いた。しかしケースケはすぐに追いつき、凛子の隣に並んで歩く。ケースケは歩調を合わせて歩いている。凛子は彼の気遣いを知っていた。さっきまであれほど喋っていたケースケは無言で、そして彼はいつもそうだった。キコがいればうるさいほど喋り続けるくせに、いざ凛子と二人っきりになると、黙るのだ。
その沈黙は退屈の結果生まれたものでも無視の結果でもなく、ケースケの凛子を意識した緊張ゆえの結果であった。凛子にまで伝染するその緊張は、何かしらの居心地の悪さと不快ではない恥ずかしさを内に秘める。
 
 ケーキ屋につくまでの10分。凛子とケースケは沈黙の会話をし続けた。

 店の中でケースケの携帯が鳴る。普通の電子音だったのが何だか意外だ。

「は?キコからだ。もし。何?あーわかった。はい」
「何だって?」
「デコレーションでなくって単品でって。多くの味を楽しみたいんだと」
「はいはいはいはい」
 
 計9個のケーキを注文し、凛子はバイトの高校生の素晴らしき記憶力に感嘆し、ケースケはついでに可愛いね君何歳?ちなみに俺明日誕生日なんだわ。とホザき、1個おまけしてもらい、二人は店を後にした。

「満更じゃなかったな、あの子。さては惚れたな?」
「あーおめでとう。よかったね。そりゃぁよかった」
 
 凛子はどうせもらうんならキリよくあと二つ貰えよ、と思った。キコ対ケースケ、最後の一つをめぐっての争奪戦が目に浮かぶ。

「アレ?もしかして妬いてる?ってどこ行くんだよ」
 
 帰り道とは逆を行く凛子にケースケは声を掛ける。

「やっぱプレゼント無しはないだろう。買いに行ってくる。ケースケは何が欲しい?」
 
 あんまり高いものはやめてよ、と凛子は笑う。ケースケは何も答えず、乱暴に凛子の腕を掴み歩き出す。その歩みは速く、凛子は小走りで引きづられた。

「ちょ、痛ッ!何?」
「いらねぇって言ってんべ。しつけぇよ、お前」
「は?何キレてんの?てか離してよ。痛い」
 
 突然苛立ちを見せたケースケに途惑いながら、折角の好意を否定され腹が立った。ごめん、と手を離したケースケを無視し、怒りを顕わに前を歩く。今度はケースケは追い付こうとはせず、凛子の後ろをとぼとぼ歩いた。行きとは違う沈黙が落ちる。

「なぁ」
 
 ケースケは後ろから声を掛ける。さっきの情けない声ではなく、いつも通りのふてぶてしい声。

「なぁ凛子。お前、いい加減携帯持てや。連絡つかねぇんだよ、いつも」
 
 何を言い出すのかと思いきや、ケースケは脈略の無いことを言った。しかも今更だ。

「なんで持たねぇんだよ」
 
 そしてしつこい。背の高いケースケが横に並び、凛子を見下ろす。その"男"みたいな行為はやめて。独占欲ばかりが強く、誇示意志が強い男の態度。居心地が悪いわ。

「監視されてるみたいで嫌いなの。どこにいても居場所がわかるって気味が悪いわ」
 
 凛子は見上げるようなマネはせず、代わりにケースケの薄汚れた白のスニーカーを見下ろして言った。くだらない対抗心だ。

「そっか」
 
 それから7分間、再び黙ったまま歩いた。



「おかえりー!スゴク待ってた!」
 
 キコがおたまを持ったまま走りより凛子に抱きつく。新婚みたいね?と一人はしゃいだ。
 ケースケはそのまま無言で靴を脱ぎ、部屋に上がり早速テレビをつけた。ソファーに寝転がりワイドショーを怠惰に観る。
 怒っているのか?と凛子は思ったが、別にそれに対してどうこうするつもりもないし、いつものことなので放っておく。キコの料理を手伝うことにした。

「あーいいのにィ。凛子はあっちでゆっくりしててよ」
「いいよ、手伝う。なんか悪いし。キコの誕生日だし」
 
 手を洗いながらそう言うと、キコはとんでもなく嬉しそうに笑った。後ろめたさが胸に落ちる。胸が、痛んだ、凄く…。

「じゃぁコレ、千切りにして?手ぇ切らないでね?…ってその前にできる?」
「ちょっと馬鹿にしないでよ?昔は家事だってやってたんだから」
 
 と言いつつも、キャベツをどう切っていいのかわからず、黄緑色の球体をグルグル廻した。とりあえず二等分したとき、躊躇いがちにキコが凛子を見た。

「何?」
 
 幾重にも重なった葉から視線は外さずキコを促す。

「ねぇ、ケースケと喧嘩でもした?」
 
 さらに二等分にする。包丁が半球を裂き、まな板に衝突する際の軽快な音がやけに響いた。

「別に。どうして?」
「…なんか、元気ないから…」
「どっちが?」
 
 凛子は視線を緑色からキコに移した。意地悪く微笑みながら。嫌な女。自分でもわかってる。でも、悪いのはキコだしケースケだ。

 キコは言葉を詰まらせ、悲しそうに顔を歪めた。

 ――どっちが
 
 キコは凛子が望む答えを、凛子の意に反さない答えを必死に探した。どっちが。つまり凛子かケースケか。どちらの心配をしているのかを聞いている。どっち、どっち?なんて言えばいいの?なんて言えば、凛子は満足するのだろうか。キコは必死に答えを探す。

 黙りこくるキコを見、ケースケもキコも、私と二人きりになると黙るのね。凛子は淡い優越感と仄かな罪悪感を抱く。

「嘘よ」
 
 完全に手が止まってしまったキコに言う。

「ごめん、困らせた」
 
 凛子は再びキャベツに視線を戻し、千切りに没頭する。

「好きよ、凛子が。ケースケよりも、凛子が好きよ」
 
 あたしの方がケースケなんかよりも、ずっと、凛子のこと、好きなんだから…。キコの今にも泣き出しそうな声は心細そうに震えていた。



キコの自信作がテーブルに並ぶ。見事に凛子の好物ばかりだ。どっちが誕生日を祝っているのかわかったものじゃないわね。凛子はキコの満面の笑みを見、思った。その頃にはケースケの機嫌も直り、三人でテーブルを囲み、ワインも開けた。
 
 お腹も膨れ、アルコールを胃に収めた彼らは、再びぎゃあぎゃあ騒ぎ合った。それはいつも通りの光景だけれど、どこか歪んで寒々しかった。彼らは何かしらの決心をを抱えていると、漠然と凛子は思ったが、あえて知らぬ不利をした。自分から切り出す勇気は、凛子にはまだない。


 凛子は喚き続けるキコの手首を握った。キコは大仰にビクつき、凛子を見る。ケースケも口を閉ざした。訪れる静寂。どこか、歪だ。

「まだ言ってなかったよね。お誕生日、おめでとう、キコ」
 
 キコの大きな目をしっかりと見つめ、凛子は言った。
 そして、もう一方の手でケースケの腕を掴み、同じように目を見つめ言う。

「ちょっと早いけど、お誕生日、おめでとう、ケースケ」


 すっかり黙りこくった二人に満足し、凛子は悠然と微笑んだ。

「これからもよろしく。明日もあるんだから、あまり飲み過ぎないでよ?」
 
 言って凛子は二人から離れ、再び傍観者に戻ろうとした。
 しかし二人に腕を捕まれ、その場に引き止められた。真剣すぎるほど真剣な二人が、重々しく口を開く。その痛いほどの緊張が凛子に伝わる。

 ケースケが目を伏せ、話す。

「明日、三人でいることは有り得ない。三人でいるのは今日で最後だ」
 
 キコが凛子を見ず、視線を外して話す。

「明日、凛子が一緒にいたい方を決めて。今、ここで」
 
 二人の手が凛子から離れる。四つの目が凛子を見遣る。

「このままじゃ、あたしもケースケも、駄目になる。動けなくなる」
「今日で終わりか、明日からの永続か」
「ねぇ、凛子。貴女が決めて。切り捨てるのはどっち?あたしかケースケか。あるいは両方か」

 頭が痛い。頭が痛いわ。凛子の口が急激に渇く。
手足は情けないくらい温度を失う。


「決めろ、凛子」
 
 ケースケが今まで見たこともないくらい真剣な眼差しで私を見つめる。

「決めて、凛子」
 
キコが今まで見たこともないくらい寂しげな眼差しで私を見つめる。




愛なんてそんなに綺麗なものじゃないんだから。
 

愛なんて所詮、己の不完全さを他人に依存することで埋める、脆弱な人間の狡猾な手段に過ぎないのよ。
1+1=2が完全体であると信じる偽善者の巧妙な罠。
 
 1はね、もうそれだけで完全体なの。1は1だから完璧なのよ。

だからと言ってね、完璧な1に1を足してできた2が完全であるとは限らない。
むしろ隙間が目立ち、欠落を知るのよ。そしてそれは未知な分だけ不安定なのものになる。
 
 それなのに人は1であることを忌み嫌い、逃れるべく奔走を続け、盲目を盾に欠陥を無視し、根元の腐った2を選ぶ。
そして偽善者はそれこそ人が在るべき姿だと高らかに言い放つのよ!
 
 +1の存在が1の価値観を蔑ろにする。人は愚かにも完全なる1よりも不完全なる2を選ぶ。馬鹿だわ、救い難いくらいに。愛に名を変えた依存というプラスで繋ぐことによって人はあえて自己の崩壊を進むのよ!


 私は間違ってなどいない、間違いなどあるものか。
 私はすでに満たされている。
 私はすでに完全体だわ。


                  ***



 凛子は無意識に爪を噛んでいた。瞼がいやな感じで痙攣する。息苦しい。窓を開けて頂戴。もしくは私をここから逃がして頂戴。前歯は脆い爪を食い千切り肉をも切り裂く。血が流れても凛子は爪を噛み続け、そしてキコとケースケは止めたりはしなかった。


            ***


 中間。二つの物事のあいだ。物と物との間の空間や距離。また、真中の地点。妥協、折り合い、八方美人、どっちつかずの半端モノ。

それは――あたしのことだ

 凛子とケースケ、二人のうちどちらか一方を選ぶことができず、結局判断を二人に委ね、ダラダラと居座り続けた私こそが卑怯者だわ。居心地の良いこの距離感に自分をふやけさせ甘えさせ、ただ怠惰に依存し、輪郭を無くすあたしこそが脆弱だ。わかっている、わかっているのよ。選ばないといけないってこと、決めなければいけないってこと、どちらかと離れなければいけないってこと。
 
わかってはいるのよ。
だけど、それだけじゃぁどうしようもないことだってあるわ。


             ***


 涙が溢れ出す。社会適応人としての理性はすでに壊れ、自分の感情を持て余し凛子は泣いた。声を上げ、恥じらいも捨て、泣きじゃくる。


             ***


 中間に留まり続けるのは許されざる願いだろうか?
 認められない願いだろうか?
 答えは一つであるべきだと思う気持ちに嘘偽りは無い。
 ただ、1+1+1=3という解答は、得られないの?
 
 中間という位置に留まりつづける私。三人で保たれる微妙なバランスの永続を願う、卑小な私、脆弱な私。曖昧な態度。そのつけが、今、廻ってきたのだろうか。どちらか、あるいは両方ともか。私は今夜、確実に一人を失ってしまう。


            ***


 泣き出した凛子を前から抱きしめるキコ。背後から抱きしめるケースケ。二人は凛子の肩口に鼻を埋めた。どちらかといえば抱き付かれているような感じだ。身動きできない凛子はただ鼻を啜りながら直立姿勢を保つしかない。
 
 彼らからは酒のにおいがした。しかしキコもケースケも酔っていないことを知る。アルコールは彼らの血中に届く前に昇華してしまった。そこに意識が介在していたとしたら、彼らはなんて強い意志と願望と不安を抱えていたことだろう。凛子を低いところで拘束する、腰に手を回し離れようとはしないキコと、高いところで包括する、肩に回った力強い腕と広い胸で凛子を包むケースケを思う。


 その束縛と包括は凛子を震えさせた。慣れぬ温かな体温が、外界との格差を思い知る。それは凛子の肌を粟立たせ、軽い身震いを起こさせた。また、その36℃の肉体に挟まれ呼吸することが、こんなにも居心地が悪くしかし満たされるものなのかと、輪郭を失いふやける自分を認識し、戦慄いた。


             ***


 私は不完全を…みすみす不幸を選ぶつもりはない。私は一人で安定している。1という均衡を崩すマネは止めて欲しい。だから…


 だからお願い。近づかないで私に、お願い。
 だからお願い。私を好きになったりしないでよ、辛い。


 割り切れない、気持ちがある。だから嫌だと言ったのだ!安定を欠いたまま立っていられるほど私は強くなんかない。優しい言葉で、甘いにおいで、温かい体温で、触れられると辛いのよ。そんなことされると、私はあなた方に醜い執着をしてしまう。偽善だと、拒み続けたあの感情に向き合わなければいけなくなる。
 

 私はきっと他人無しではいられなくなる。欠落を埋め続けなければ生きていけない。一人じゃいられない。あなた方二人がいないと駄目になるわ、私。


 だからお願い。離れないで私から、お願い。
 だからお願い。私を嫌いになったりしないで。


 矛盾している。わかっているわよ、そんなこと。束縛を厭うくせに包括を願っているのね、私は。事実よ、認めるわ。でも、自分にとって居心地のいい場所を選ぶこと。それは認められないことなのか。それは許されないことなのか。


 どうか近づかないで私に、お願い。
 だけど離れないで私から、お願い。

 ――その中間の距離をなんて言おう

 ねぇお願い。私を嫌いにならないで。
 でもお願い。私を好きにならないで。
 ――その中間の気持ちをなんて言おう


 ねぇ、なんて言えばいいの。
 ねぇ、キコ。ねぇ、ケースケ。

 私はこんなにも、不安定だ!!


             ***


 キコが凛子の顔を舐める。涙の軌跡を逆に辿って。
 
 ケースケが凛子の目を塞ぎ耳を舐る。ときおり吸い付く痛みを伴って。
 
 凛子の体に舌が、絡まる。自分以外の呼気がこんなにも身近だ。どうすればいい?恐い、逃げたい。どうすればいい?温かい、満たされる。こんなにも幸せだ。

「ねぇ、凛子。あたし達、誕生日プレゼントには、凛子が欲しいの。ねぇ、あたし、凛子が欲しいわ」
 
 目を舐めていた舌が口内に侵入した。からからに乾いた口がキコの唾液で潤う。

「成るようにしか成らなぇんだから成るように成らせとけばいい」
 
 服の中に手が侵入した。震えを伴う肌が熱いケースケの体温で熱を帯びる。


 キコとケースケ。
私は彼らに支えられて、どうにか立っている状態だった。

 肉体と精神の束縛と包括は、私を頑丈な檻の中に閉じ込めた。


 『 偽 善 者 の 罠 !! 』


 今私は喜んでその策に嵌ろうじゃないか!
 捕らわれ捕らえる!

 たとえぐずぐずに融かされたとしても、私は自分を見失ったりはしない。
 なぜなら強固な檻が塞き止めるから。それは私の流出を許しはしない!


 明日もきっと、キコとケースケは口喧嘩をするだろう。そして私がどちらかの肩を持ち、勝敗を決める。敗者は勝者に向かって悪態をつき、再び口論となるのだろう。私はそれを呆れながらも楽しげに見守っていく。彼ら二人が私を見守っていてくれたように。
 
 これからも、ずっと。
 
 そして言うの。キコとケースケの両方に。
 
『 愛 し て る 』 って、おどけた口調で!!
 
 それが、脳内と粘膜を犯されながら出した、凛子の答えだ。




 其処にあるのは閉塞ではなく解放、閉ざされることで得られた自由。
 私はその檻の中で君臨する百獣の王を気取る。






―――そう其処は、完全なる私の世界







      * えぬし様は、こう言う男女ものが実は秀逸だと思っている。
         や、勿論、ホモもエクセレントであるけれど、でも、こういう御題を安心して書いていただける、
        稀有な才の有る方です。 ありがとう。