其処に在るのは無意味という意味



灯りは点いていないけれど、台所には明らかに人の気配がした。
 
 多分そこには2匹の獣と化した男のなれの果てがあることだろう。最中だろうが事後だろうが、そんなことは別にいい。関係ないわ。重要なのは、あたしに黙って、あたしに隠れてそんなことをしているという事実。ただそれだけ。ほかに理由なんて無い。

 わざと足音を響かせて近づく。ドアの前で無意味に鼻をすする。なのに中からは物音一つしない。別にいいけど、少し癪だわ。ドアを乱暴に開けて中に入る。予想通り、テーブルの後、シンクの前にそれは居た。裸のままの愚かな獣。一人はいつも通りに煙草を吹かす。暗闇の中に赤い火種がぼんやり浮かぶ。もう一人が見当たらないけど、探しちゃいないし、それに何より明かりをつけて嫌な体液でも見たらそれこそ最悪だ。

 コップを取って蛇口を捻る。左下には怠惰に座ったここの管理者が煙り臭い息を吐く。溢れるほどの水を満たした時、窓の下に座っていた男が口を利いた。

「いい加減にしろよ」
 不機嫌極まりない声だ。暗闇に慣れた目で声のした方を見遣る。声に違わず不機嫌そうなゾロの顔が月光に照らされていた。

「何?水飲んじゃいけないわけ」

 隣に居る男、サンジが煙草を吸い込み、一際火種が赤く映える。窓下のゾロにあたしの顔は見えているのだろうか。ふと、そんなことを思った。

「お前はアレか?」

「及んでるところが見てぇのか」

「それとも何だ」

「俺らと一緒にヤりてぇのかよ」

 下卑た笑い漏らしながら、ゾロはあたしの横に立ち、流しっぱなしの蛇口を止めた。鼻孔をくすぐる汗の匂い、男の匂い。

 あたしはせせら笑って頬を打つ。容赦なんてしない。しなくてもこの男には痛くないのだ。痛いのはあたしの方だ。いつも痛いのは、あたしの方だ。太い首に腕を廻し重力をかけ、近づいた顔に口付ける。男の荒れた唇はひんやりと冷たい。剥けている皮を食い千切り、わざと音を立てて唇を離した。

 下のサンジはその様子をただ見ていた。只管傍観を決め込む金髪が酷く苛ついた。コップを置いて金髪の前でしゃがむ。サンジの視線は2,3度空を彷徨い、結局下を向くことで落ち着いた。卑怯者だわ。前髪で表情が窺えない。火種は時折強く輝く。あたしは発作的に金髪の顔が見たくなった。というより、何か行動を起こさせたかったのかもしれない。表情を隠す長い前髪を鷲掴みにし、上を向かせ、邪魔な煙草は握り潰した。

 右手の冷たい髪の感触、左手の熱い火種の焼失。それなのに男はまだ傍観を決め込むつもりだ。煙草を失った口が最後の煙を吐き出した時、さっきの男にしたようにキスをした。ただしこっちには舌を突っ込む。不味い煙と苦い体液の味がした。咥えたのはこの男か。そう思うとなんだか笑えた。

 立ちっぱなしのゾロの舌打ちが聞こえ、次には頭から水を浴びせられた。口を離すと白っぽい唾液が糸を引く。張り付く前髪の隙間からゾロを見上げると、苦い顔の男がコップを片手に立っていた。男の嫉妬?見苦しいわね。

「喉渇いてたんだろ?早く出て行け」

 ゾロの手にしたコップを奪い、そのまま足元に叩きつける。神経に触るガラスの破壊音と、金髪のうめき。見れば顔を歪め、庇った腕からはささやかな流血。破片が散ったか。

 流れ出ている血液を見ながら、やっと行動を起こさせたことにあたしはいたく満足していた。

「おやすみなさい」

 まだ何か言おうとする剣豪を押しのけ、無意味に耳を触りながら台所を出た。



 外に出て潮のにおいを嗅ぐと、どれだけ台所が体液のにおいで充満していたかがわかる。よくあたしはあそこであんな異常な行動に出たわね。月を背中に背負った船長の厳しい顔を見ながら思った。

 どうして彼はいつも、このタイミングでいるのだろう。幸い逆光で目は見えない。あたしはあの目が嫌で嫌で仕方ない。

「何だ。起きてたの」
 張り付いた髪をかきあげながら平然を装って喋る。

「あれだけの音がしてりゃぁな」
 麦藁帽子を被っていない、痒くも無いだろう頭をかきながらルフィ―は言う。あたしは、その無意味な行動に、込められた意味があることを知っている。漠然と。

「そう」
 横を通り過ぎようとしたら腕を掴まれた。思いがけず、強い力で。見上げる、ルフィーを。真摯な眼差し。言葉が詰まる。

「いい加減やめろ」
「何が」

 今、ルフィーの顔は見たくない。そう思った。何故だかわからないけど、猛烈に。

「もうやめろ。あーゆうことは」
「だから何がよッ」

 掴まれた腕を払い落とす。

「ゾロもサンジもあのままだ。ナミ、お前が何をやったって、あいつら、変わらねェよ」
「だから、何を言っているのかわかんないったら」
「ナミ」

 ルフィーを睨みつける。精一杯の強がりで。絶対目を逸らさないことを固く決心して。

「何よ。何でもわかったような口利かないで。きらいだわ、あたし。そういうところ」

 最後の方は惨めに掠れた。だって仕方ないじゃない。あんな目で見られたら、たまらない。あんな、悲しそうな目、見たことないもの。卑怯だ。卑怯だわ、ルフィー。あなたはいつも、そうやって。

「・・・おやすみ」

 そう言って足を二歩動かしたとき、腕を掴まれ、素早い動きでルフィーはあたしにキスをした。あたしがゾロにしたより、もっとずっと軽めのキス。そしてそれはすぐに離れた。


「おやすみ」

 それだけ言って彼は部屋に戻って行った。

 心臓はさっきからバクバクいってる。あたしの所在無い手は眉毛を触り、掌の火傷がじんわりと痛んだ。

「きらいよ」


 もういない彼の後姿を脳裏に描き、精一杯の強がりで言った。





                            2002年8月26日●●○終

       ゾロサン←ナミ・ルナミ   支離滅裂ナミさん、周りを引っ掻き回すの巻




         
    


        * あぁ、いい奴だ、えぬし、ブラヴォ〜!!