それは酷く緩慢な赤




「美味しくないわ」

 一口食べてそう言った。右で船長が犬食いしていて、左の嘘吐きがきのこを除けて、斜めの剣豪が酒を飲んで、向かいのコックが席に着いた、その時に言った。

「おいしくない」

 右では船長がおかわりを所望し、左の嘘吐きが手を止めあたしを見、ななめの剣豪がガキのようにスプーンを握り、向かいのコックは困ったように笑った。

 コックが作り直しますよと言って席を立つ前に、あたしはナプキンで口を拭き、椅子がひっくり返るほどの勢いで立ち上がり、大層派手な物音を立て台所を出て行った。ドアは厭な軋みを立てた。

                  **

「お腹が空いたの」
 
夜中、明日の下準備に取り掛かり、後ろを向いたコックの背中に向けて言い放つ。
 船長はハンモックに揺られ、嘘吐きは知らない、剣豪は見張り台の上。台所に居るのはコックとあたし。

「今、何か作りますよ」
 コックは吸っていた煙草をシンクで押し潰し、手を洗いながら優しく言った。

「おかずはいらない。主食だけでいい」
 コックはやはり肯定の返事を律儀に返す。細い綺麗な指は、今、卵を割った。

「ねぇ」
 1センチ程伸びた左手人差し指の爪でテーブルを叩き、神経質な音を部屋に響かせ、あたしは喋る。

「ねぇ、昨日の甲高い喘ぎはどっちの」
 フライパンを持ったコックが振り向く。驚いた顔。久しぶりに見るふにゃけた笑い顔以外の顔。あぁ楽しい。右手で唇の皮を剥きながら続ける。

「ねぇ、入れたのはどっち。入れられたのは誰。喘いだのは誰。喘がせたのはどっち」
 
コックは何も答えない。シカトではない沈黙をあたしに与える。それは酷く居心地が悪い。 再び背中を向けたコックの尻に、近くにあったしゃもじを投げる。

「ゾロ見て勃つの?ゾロ見て濡らすの?ゾロ見てイくの?ゾロのをしゃぶるの?」
 定期的なリズムの爪の音は、フライパンに放った米の焼ける音がかき消した。


 目を閉じてそれを聞く。昨日の光景を瞼の裏に映して見入る。

昨日の夜、喉が渇いて台所に行き、灯りのついた台所を見てコックがまだ掃除でもしているんだろうと思った。労いの言葉を口に溜めてドアの前に立った。近づいて聞こえたのは、性交の音、男の喘ぎ。やけに高いその声は、絶頂間際の切迫した声。あたしはそのまま部屋に戻って布団を被った。睡眠は訪れるわけも無く、ただ只管目を瞑っていた。


 盛り付けをしているコックの横に行き、顔を覗く。やっぱり困ったように笑っていた。
 
あたしの横をすり抜け、テーブルに完成した料理を置く。赤いご飯が黄色い卵に包まれている。
 
ケチャップをかけたコックはあたしの横に来、シンクに凭れ掛かりながら煙草に火を点けた。肺を循環した非生産的な呼吸に苛立たしさが込み上げる。

「変態ね」
 上を向き、煙を吐き出すその口にそっと触れる。伸びた爪で引っ掻くように唇をなぞる。

「気持ち悪いわ」
 つまんだ煙草を取り上げ、あたしはそれを持ったままテーブルに着く。

「気もちが、わるいわ」
 赤く燃える先端を、赤いケチャップの中に力一杯押しつける。煙草は曲がり、卵は破け、ズブズブ指が米に埋まる。
 
それでもコックは困った顔で笑うだけ。
 
 もう一つ罵声を浴びせようと立ったとき、いつの間にか後に剣豪が立っていた。その剣豪に、振り向いたあたしは頬を引っ叩かれた。
 
乾いた音と、痺れる頬と、熱を持つ頭。
 
 叩かれた箇所はじんじんと疼いたが、それでも剣豪は手加減したのだと、嫌というほどわかっている。
 
 あたしはケチャップと米のついた手で、剣豪の頬を引っ叩く。力いっぱい、思い切り。

 盛大な音を残して、あたしは走って台所を出る。


 途中ぶつかったのは船長の肩。


 蜜柑畑で膝を抱えて蹲る。コックはいつもそうだ。あたしに絶対手をあげない。どんなに酷い事を言っても、どんなに怒らせようとしても。それが彼が大切にする食事を無駄にしたって、彼はあたしを困った顔で笑うだけ。そんな愛情はいらない。怒ればいい、ぶてばいい。あたしはそれだけのことをしたのだから。そしてきっと、これからもするだろうから。
 

 近づく足音は船長のもの。彼は蹲るあたしの前に座る。そしてただじっとそこにいる。

「何よ」
 鼻にかかった声で言う。きっとあの真っ黒な瞳で、無様な女を眺めてるのだろう。
 
 船長はあたしの食べ物を汚らしくくっ付けた指先を口に含み、その生温かい舌で舐め取った。
 
 顔を上げると、あたしの指を舐る男としての船長の顔。口もとに付いた赤いケチャップが、おかしくて笑った。

「アレ、うまかったしな」
 泣きながら笑うあたしにそう言うと、男としての船長は、ぎゅっとあたしを抱きしめた。


 明日、蜜柑の皮を剥いて、一粒コックの口に押し込んでやろう。お詫びに、も一つ、食べさせてやろう。


 うずめた首筋はほろ苦くて暖かい、男のにおいがしていた。




    2002年8月25日●●○終


    ゾロサン←ナミ・ルナミ   煙草の入ったオムライスはめでたく船長の胃袋へ。




      * ・・・ えぬし、いい奴だ、ホントに、いい奴だ。 
    『コックと愛人』ッちゅう、ワンピパロ、隠しサイトを作りたいとぼやいたら、早速こんなん
    仕上げて下さった。
 しかも、言い出したわたくしは挫折。 
    『もっと!』 な貴女は こちら にGO!