ここまでだと言われたら、そこから動きはしなかった。
あなたはいつも卑怯だから、曖昧な線をわざと斜めに引き、まんまと踏み越える僕を指差し、笑ってやろう小馬鹿にしようと待ち構える。
そして己の失策におどおど立ち尽くす僕は、あなたの残酷な罰に反発する術を知らない。
だって、しょうがない。
僕はあなたを愛している。
―― 僕が、あなたを、愛しているのだから ―――
つまり僕はあなたを責めたりましてや糾弾したりなんて、ね、そう出来ないようになっているのでしょう?
あなたの企てに乗り、あなたの罰を受け、なおも施しを求めようとする僕の日常は、愛のみに満たされて愛ゆえに苦しい。
愛する事は服従に似ていると思った。
前者は至福の苦痛であり、後者に快楽は無い。
あぁでもどうだろう、僕に快楽はあったかな?
いつも、出口なんか無かった。
そこに在るのはただ、胸苦しく激しい焦燥を伴う閉塞感。
それを至福と言うなら僕は大した幸せ者だ。
だけども、僕は動かなかった。
あなたがここまでだと言ったから、
そう、僕はその線を越えず、じっと物欲しげな浅ましい愛をなみなみと湛え、その場所から決して動こうとはしなかった。
これだけは弁明させて欲しい。
僕は動かなかったんだ。
じゃぁどうして?
どうしてだと思う?
行き場の無い愛は有り余る絶望と妄想と怒りを糧にして、ひたすら僕の内でむくむくと膨れる。
膨れ上がる僕はあなたを、あなたの全てを包み、愛されたい愛して欲しいとしがみつき、不安定なあなたにぶら下る。
ね、何しろあなたは空っぽだから。
あなたの内はスカスカだから、あなたはあなたも気付かぬ内に、溢れる愛にずぶずぶ沈む。
とうにその線を越え、水位を増す愛の海に、空っぽのあなたが、ほら、飲み込まれて行く。
あなたがここまでだと言ったから、僕は決して動かなかった。
僕は決して動かなかった。
その線を、越えたのは、あなた。
:: おわり ::
百のお題 072 喫水線(船が水に浸かっている深度を示す線)
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