俺のメモリーカードは、壊れているらしい。



一昨年の夏、バイト帰りの交差点で、突っ込んで来た赤いユーノスに跳ねられ俺のその部分は壊れる。 壊れてどうなったかというと、物忘れの激しい男になった。 あの事故以前の記憶ならば―― つまり交差点でナガミネを待っていて暴走ユーノスがドデカク迫ったその瞬間までは、申し分なく覚えている。 ココはどこか、俺が誰か、親は誰で、初恋はヒヨコ組のサヤちゃんだったとか、それ以前の事なら何だって俺は覚えている。 しかしそれ以降の事となると、甚だ自信がない。 

俺は、今ここでの14〜5分の事しか、覚えていられなくなっていた。 
それが俺の限界だった。


「けど、チンコねぇのとどっちイイよ?」

夕飯を喰う俺を、ナガミネがポラロイドで写した。 決して残らない過去の事実を、俺はこうしてフィルムに残す。

「そりゃオマエってば、無職でビミョ−な禁治産者だけども、チンコねぇのは厳しいぞ。」

湿ったポラをヒラヒラさせて、ナガミネはノートにそれを貼った。 罫線の無い余白に今日のらしい日付、そして寝起きと昼過ぎに撮った二枚の写真。 それが俺の、俺自身記憶に残る事の無い過ぎ去った事実。

「記憶は戻るかも知れねぇけど、千切れたチンコは戻りませ〜ん・・・・と、美味いか? ソレ 婆食 の新製品。」

カサリと噛み千切った固まり肉から、紫蘇と明太子が覗いた。 ナガミネは、ほぼ毎日実家の定食屋から残り物を持ち帰る。 八十になるナガミネの祖母がパワフルに営むそこは、この町で婆食と呼ばれて久しかった。 と、そんな記憶はしかと残るのに、俺はこの夕食がいつ始まったのか、もう、既にわからない。

医者は、毎日の生活とそこでもたらされる反復する日常刺激が、この手の障害には効果があるのだと言った。 受傷前と同じように毎日を規則正しく行う事、それがいずれ新しい回路を脳味噌に作り、そこで新たな記憶が蓄えられる(かも知れない)と。 S県から上京し、大学に通っていた俺にそれは些か難しい仮題だった。 だけど、それを可能にしたのがナガミネだった。

―― 俺がカサハラのアパートに一緒に住みます。 俺ら親友ですし、一緒なら大学も普通に通えるでしょう? これまで通りの事してたら、頭、治るかも知れないですよね?

そう言ったナガミネに、親父とお袋は泣いたと言う。 ――と云っても、医者が本当にそう言ったのか、ナガミネと俺ンちの心温まるエピソードが本当に事実であるのかどうか、俺に知る手建てはない。 ノートにそう書いてあるだけだ。 それは俺の字に似ているが、癖の無い俺の字は真似して書こうと思えばそう難しくない筈だ。 かと云ってそんな嘘を誰が偽造する? ナガミネ? 

そういや、ナガミネは中学まで超の着く進学校のエースだった。 これは、本当の記憶だ。俺が俺自身記憶する過去の、事実だ。

おかずに箸を伸ばし、そこに何もない事に気付いた。

「・・・・喰ったんだよ」

ナガミネがノートを指差す。 三つ並んだ一番下、コロッケのような揚げ物に正に喰らい付く俺が、覇気の無い表情で確かに、写っていた。

「美味かったらしいよ。 飯はそれ、二杯目。」

俺はそっと腹に触れてみる。 よくわからないが、確かに物凄い空腹という感じではない。 ならば矢張り、もう俺の夕食は終わったのだろう。 メシ喰いましたか? ・・・・まるでドリフのコントだ。 しかしコントでない証拠に、ナガミネが居なければきっと、俺は二度目三度目の飯を腹がはち切れるまで喰うのかも知れない。 

「けど・・・・アイツも間抜けだよな、同じ障害者でも人には絶対言えねぇし、」

余程ポカンとした顔をしたのだろうか? ナガミネは「アイツ」の事を俺に教える。 アイツとは、俺を跳ねたユーノスの男。 男は、あの事故でペニスを失ったらしい。 事故そのものは男の鼻筋を歪め腕の骨を砕いただけであったのだが、その時、男の恋人は口の中のペニスを噛み切ってしまった。

「女も迷惑だよな、良過ぎたからって事故られちゃァさ。 てか喰っちまったとか? ありえねぇありえねぇ、やっぱ好きでもアリャァ出すだろう、ま、出すよ普通、」

男の事を思い出そうとしたが、当然それは無理だった。 思い出せないが、俺はペニスの無い男と何度か会い、金を受取った筈だ。 ペニスの無い男と、今現在があやふやな俺。 果たしてどちらが得なのか?

「・・・ッ・・・・・・・・・・・け・・よ、」

腹の下、苦しそうなナガミネが俺の二の腕に爪を立てる。 俺のペニスはナガミネに埋め込まれ、俺の腕は巻きつくナガミネの脛を支えている。 いつから? 浅く息を吐くナガミネの瞼に、唇で触れた。 

「・・・動け、」

突き動かすそれが、始まりか途中かもわからなかった。 けれどこうこうなったあの日の事なら覚えている。 五月、一昨年の五月俺達は寝た。 ここで、この部屋で、切羽詰った俺達はみっともなくどうしようもないセックスを、あわただしく余裕なく、した。 

―――  かまわねぇよ、

そう言って背を向けるナガミネを置いて、この部屋を出た俺。 そうしてナガミネは何も言わず、俺は何かを持余し、余裕など一つも持てぬまま俺達は身体ばかり重ねた。

「・・・・・・かまわねぇよ・・・・・・」


え?

「・・・・・オマエがそんでも、俺は・・・寧ろ・・・」

きつく目を閉じてナガミネは俺を許そうとする。 

左鎖骨の真上、唾液で濡れる歯形は俺のだろうか? 

「・・・動け、」

だから、そうする。

「・・・動け、」

だから、そうする。

「・・・動け、」



俺のメモリーカードは、壊れているらしい。



      :: おわり ::






         百のお題  042 メモリーカード