「やっぱ俺、あんたが羨ましいよ」

久々に逢ったアシノは、そう、何度もテノに言うのだった。


「あんたさ、綺麗じゃん、あんたいつも陽のあたるとこで、綺麗なまんまキラキラしていられるじゃん」

そう言ってアシノは微妙に歪んで変形した鼻筋を、見えない汚れを拭うようにゴシゴシと擦った。 アシノの毎日が過酷なのは、テノも十分に承知している。 


「すぐ、痛い目に遭うんだ。 日のあたらないキツイ狭いとこで、俺は毎日の大半を過ごすから、」

―― 確かにね、

確かにアレじゃぁキツイだろうと、だから顔も変形するのだろうと、テノは美しく手入れされた己の姿をこっそりウィンドウに映す。 完璧なフォルムと滑らかなエッジの妙。 まだ肌寒い春の始まりに相応しく淡い桜色にエクリュの紗を纏い、微かに光を弾く冷たいパールの輝きが唯一、甘さに歯止めをかけ凛と全体を引き締める。 

だからテノは、そんな自分に満足していた。 
心のどこかでアシノを見下していた。 
でも、


―― Kさんとは、上手く行ってるんだろ?

途端にアシノの表情が緩む。


―― 噂が、こっちまで来ているよ。

「噂?」


やや心配そうなアシノを見つめ、テノはKともう一人の男を思い出していた。


「・・・なァ、どんな噂?」

すぐ答えないのはわざとだ。 


無骨でガッシリしたKとは正反対に、しなやかで洒脱でどことなくアブノーマルな匂いのするS。 アシノがあの暗い陽のあたらぬ場所で、終日どちらかに抱かれているのはテノの周辺でも度々噂にはなっていたが。 アシノの狼狽を見る限り、どうやら噂は真実であったらしい。


―― 君が、思ってるような類だよ。

すと、アシノの視線がテノを外し泳ぐ 耳朶が、少し赤い。 曲がった鼻筋と小柄で子供じみた容貌。 そんなアシノは生臭いセックスからは遠く、或いはアンモラルな方向で非常に近い存在に思えた。 果たしてKは、どんなふうにアシノを抱くのだろう? アシノはSに、どんなプレイを要求されているのだろう?


胸苦しく湿度の高い闇で、アシノは男達に抱かれる。 貧弱な身体に体液を擦り込まれ、歯並びの悪い口を開き、アシノが男達のペニスを咥える。 男達の指はアシノの未熟なオスを揺り起こし、分厚い舌が薄い皮膚をザラリと舐め上げ貪るだろう。 やがてアシノは歓喜の声をあげる。 眦に涙をため、半開きの口唇を吐息と唾液でテラテラ光らせて、なすがままに、或いは酷く積極的に、アシノは男達に突き上げられ、男達に嬲られて薄暗い一日を終える。

だけど、それは口さがない噂だとテノは信じていた。 


「・・・・・・わかってるんだけど、」

―― 何を?

知ってて訊くのもわざとだ。 


「俺、テノみたいじゃねぇから、」

―― ?


「もしも、もしも俺がテノみたいに綺麗で明るい場所の相応しい奴だったら、そしたら俺、ちゃんと出来る気がするんだ。 ちゃんと誰かを求めて、ちゃんと愛して、ちゃんと愛されて、それで安心して笑っていられると思うんだ。 でも、俺違うじゃん、俺違うだろ? 怖いんだよ、あそこに一人で居るの怖いんだ、誰かに求められたいんだ、もしかしたら誰でもイイのかも知れねぇけど、でも、俺は俺一人じゃ耐えられねぇよ、だから、だからわかるだろ? 」

必死に弁明するアシノの嘘の無い言葉を聞き、テノは心の中そっと頷く。

―― そうだね、


そうだね、キミは卑怯なんだね。


失いたくないアシノだからきっと、KにもSにも必死で縋り、求め、そして愛されているのだろう。 そうして長い暗闇での時間、細い手足を暖かな体躯に絡め、快楽に身を任せ、胸苦しい空間に獣の声をあげ、激しく息苦しい交接に幾度もアシノは身を震わすのだ。 浅ましい淫乱なアシノ。 甘ったるい身体を易々と開き、決して男達を離さない卑怯で憐れなアシノ。 


―― 君が羨ましいよ。

「え?」


テノは聞き返そうとするアシノの唇に触れた。 
ビクリと、アシノの震えが指先に伝わる。


秋の終わり、テノはTに出逢いTに溺れた。 異国の血が混じるTは執拗にテノを求め、テノもまたそれに応え、誰からも似合いのカップルだと言われ、二人は蜜のような数ヶ月を過ごす。 しかし春の始まる数日前、テノはTに一方的な別れを告げられ、あれほど濃密だった二人の関係はスウィッチを消すようにプツリと終わった。


引き止めれば良かったのか?
無理とわかっていても?
今だけだと言われて怒るべきだったのか?
そもそも愛されてなんかいないのに?


滑らせたテノの指はアシノの咽喉仏を擦り、突き出た鎖骨の縁を辿り、竦めた肩に触れ、
深い一呼吸後唐突に離れた。


―― 君が、羨ましい。


微かに、テノの声が震えた。
しかし余りに微かで、アシノはそれに気付かない。
だから別れに美しい残像を残し、テノは、また陽のあたる場所へ戻る。 

潤んだ目をテノに向け、今や落とされる気満々のアシノを残し、
テノは立ち上がるとサヨナラを言った。


―― サヨウナラ


泣き叫んだりしない。
縋りついたりしない。
ただ綺麗なまま、汚い事には決して染まらない。


空っぽに綺麗で居る為に、明るい場所へと戻る。









     * アシノ小指の指の爪   テノ小指の爪   K・・靴下  S・・ストッキング   T・・手袋 


      :: おわり ::



         百のお題  040 小指の爪