わたし達は手を繋ぎ、そこを歩く。 

パステルカラーに塗られた数十メートルの廊下を、オレンジのシグナルに誘導され、空々しい微笑を絶やさず、ゾロゾロと歩く。

それが何曜とか何時とかは決まっていないが、週に一回、彼らはそこに運ばれて来る。 赤い車体に濃紺の縁取り、黄色い車輪に緑の煙突、やたらカラフルな機関車に乗り、メッセンジャーチルドレンは運ばれて来る。 小奇麗な、今日の為に親が着せたのだろう一張羅を身に着けて、ざわざわとコンコースに降り立つ子供達。 不安げな顔は迎えるわたし達を認め、そして、ほうッと感嘆の息を吐く。 だから、ここぞと見せてやるのだ。

『さぁ、待っていたわ! 子供たち! ようこそ、レベルVへ!』

半透明の羽をふぁさりと震わせて、パステルカラーのドレスを纏ったわたし達は、にっこり微笑み子供らを迎える。 虹色の燐紛がきらきらと、プリズムのような渦になり、天井のダクトに吸い込まれて行った。 さながらそれは、御伽噺の始まり。 夢と冒険と不思議に溢れた、選ばれた子供の為のレベルV。 そして見惚れる子供らを、右に一人、左に一人携えて、やんわり握った手を引き、わたし達はシグナルに沿って進むのだ。 

『わたし達の名はトランスファープリンセス。 これから始まる魔法の七日、みんなのお手伝いをしましょう。 だからいつでも、困ったら呼んでちょうだい。 ブレスレットのダイヤルPが、秘密の合図よ!』

途端に点滅するブレスレットを、子供らは眺め歓声をあげる。 やがて廊下の端、唐突に広がる青空、草原。 色とりどりの花々と、のんびりくつろぐ動物達。 ウズウズする子供らの体温は俄かに上がり、繋いだ手の平から幼い熱がじわり伝わった。 そして体温のみならず、伝わるソレをわたし達は密かに変換する。 

『手を離さないでね! 急がないでね!』

しっかり握り直す手の平から、搾取し、変換を促すわたし達。 夢見心地の子供らは気付くまい。 まさかこんな風に、まさかこんな容易く自分達が作り替えられているとは。 

それが、わたし達、トランスファープリンセスの主な仕事だった。 
トランスファープリンセス! 馬鹿馬鹿しい! 馬鹿馬鹿しい茶番!


そもそも、わたしなど、肉屋の末娘だった。 

二人の兄と一つ上の姉、笑い上戸の母と大食漢で小山のような父。 小さな地方都市で細々と営む、ありきたりの肉屋のありきたりな娘。 しかし、ありきたりからの逸脱は唐突に訪れた。 14の時に受けたスクリーニングに於いて、わたしはプレトランスファーとして高値の得点を弾く。 即座に、特務の連中が家にやって来た。 長兄はアルバイトで不在。 次兄と姉が対戦するゲーム画面に見入っていた私は、店先の異変に気付かない。

―― 勇者アルデハム ハ 戦ウ!!
―― 魔法ヲ使イマスカ?   YES  NO
――    YES


勇者に召還された美しい魔女。 カラフルで幻想的な魔法が、気味の悪いモンスターを次々に倒す。

―― さぁ! 安心して! もう大丈夫!

微笑む魔女の淡い水色の髪。 杖の先から流れる七色の霧。 
それが、わたしの、肉屋の娘としての最後の記憶だ。


目覚めれば、魔法使いが覗き込む。 ピンクの髪、レモンイェロ−のドレス、半透明の大きな羽が、光を七色に反射した。

『ゆっくり起きて。 こっちよ。 あぁ、3歩目くらいに吐き気がするだろうけど、直に治まるわ。』

ふらふらとそれに続くわたしは、猛烈な吐き気と全身の軋みに眉根を寄せる。 右に、左に、上に、下に、まるで法則性の無い迷路のような道行きは、次第に現実感を遠くする。 おまけに先導するのが、羽の生えた美しい女となれば。

あなた、魔女?

『馬鹿ね、そんなじゃないわ。』

終着は、広いクリーム色に塗られた多角形の部屋。 寝そべり、座し、談笑し、てんでに物憂げに過ごす何人もの魔女達。 ドレスの色こそ違えど、皆、一様にほっそりと、有り得ないパステルの長い髪を垂らし、マネキンじみた冷たい美貌を備えていた。 美しい集団、だかしかし似過ぎた集団は、怖い。 竦むわたしに、ピンクの髪の魔女は言う。

『あなたも、今日から、仲間よ。』

嫌よ! 

なのに、踵を返そうとする足は、床に縫い止められたように動かない。 物憂げな魔女達の、まるで無感動な視線。 

『さ、着替えてちょうだい。』

差し出されたミントグリーンのドレス。 そしてわたしは気付く。 引き攣るような痛みを伴い、己の背中で揺れる大きな半透明の羽の存在に、胸元まで伸びたラヴェンダーの柔らかな髪に。 

嫌だ! 

わたしは、わたしの名は、わたしは? あの日店の奥、茶の間で見たあのゲーム画面も、高潮した兄の横顔も、場面はありありと想い出せるのに、なのに想い出せない皆の名前、自分の名前。

『覚えておいて、わたしは94(ナインフォー)、わからない事はわたしに聞いてちょうだい。 そしてあなたのナンバーは、2003(ツウェンティーオゥスリィ)。 なにをするにもこの番号が必要よ。』

わたしの名前は、2003(ツウェンティーオゥスリィ)。
ラヴェンダータイプのトランスファープリンセス。




非常灯の青白い光が、爪の先で反射した。 どれくらい眠ったか? プルプルと呼び出しの振動を感じ、ブレスレットの応答ダイヤルをONにする。 瞬時に壁一面に映し出される、幼い少年の困惑と涙。 

『魔王の森で迷っちゃった!』

柔らかに背中を暖めるナインフォーの肌をそっと引き剥がし、ブレスレットのヴォイスを少年へと送る。

―― 慌てないで! 今、迎えに行ってあげる!

少年の泣き顔に安堵が戻る。 向こうからこっちは見えない。代わりに少年が目にするのはクリスタルの部屋、ガラスの玉座に掛けて微笑む「優しい良い魔女」のプリンセス・ツウェンティーオゥスリィ。 

『もう、そんなとこに行ったの? あの子、』

―― 利発な子よ、色々興味深いわ。

絡みつくナインフォーの腕、擽る指先が微妙な愛撫を鎖骨から下に施す。

『三日目でそこまで行ったんじゃ、残り4日は退屈ねぇ。』

―― わたし達はね。 もう、あの子に施す事は殆どないもの。

『そう! すっかり仕上がっちゃった!』

立ち上がる乳首を弾かれて、小さな悲鳴を飲み込んだ。 

『声、出せばいいじゃない? どうせ向こうには聞えない。』

―― 止して、ねぇ、行かなきゃならないから、

頷く少年の顔、憧憬と信頼を顕わにした利発な少年の顔。 きっとヴォイスにレクチャーを受けているんだろう。 当分時間は有る、すぐにここを出なくとも、まだ、当分時間は有る。 背骨を辿るナインフォーの唇、コリッと歯を立てられるともう、わたしは逆らえやしない。 二度目のそれには声を上げ、流される覚悟のわたしは、ナインフォーの指を緩めた膝の間に誘った。 そうして少年の大写しを眺めつつ、わたしはナインフォーとの悪戯に興じる。 

悪戯の間、ナインフォーは饒舌だ。 大昔、ピアノ教師の母と暮らしていたナインフォー。 やがて初期ピーチタイプのトランスファープリンセスとして、驚くほど長い時間をここで過ごす。 驚くほど長い時間、数十年に渡る長い時間。 けれども、小さく息を吐くナインフォーはほっそりと、少女の容姿で身を撓らせ、中空に向けるのは老成した瞳。

『そう云う風に、造られてるのよ。』

成長しない身体、いつまでもいつまでも、時間は止まったままのわたし達。 あぁ、確かにわたしですら、多分5〜6年はここで過ごしている。 多分、本当は二十歳に近い。 

―― 最期はどうなるの?

『知らないわ。 知らないけど、そうね、多分消えるのよ、来た時みたいに、何処かへ。』

一瞬、キュッと握られた手の平。 私たちの間で今、何か変化している? 

わからない、わからないけど、確信している事がある。 この、プライバシーの無い空間で、わたし達の悪戯が秘密である筈が無い。 そう、多分、何処かで監視されているんだろう。 そして黙認し、或いは推奨するようなプライベートルームの存在は、こうした悪戯そのものに何か、わたし達自身にも預かり知らぬ意味付けを、科しているのかも知れない。

キュッと縋り付き、握る手の平。
不確かな存在は、皮膚感だけを安らぎとする。
言葉は当てにならない。 何しろ自らが当てにならない。 記憶すらもはや、胡散臭い偽者の産物。

重なる悲鳴を長く伸ばし、ガクガクとわたし達は痙攣した。


何処かで見ている誰かはきっと、欠伸を堪えているだろう。




:: おわり ::



百のお題  034 手を繋ぐ